短編、あるいは手記いくつかの話
音について
文字を読んでいる時に表現されている音響がいつまでも耳にこびりつくという現象について、彼はここで語る。
彼自身の記憶によるとシェイクスピア劇の何かのようであるが、人殺しが迫るような状況。
寝室で静かに震える中、ドアをノックする音、つまりトントンなる音。それがいつまでも響き続け、気が狂いそうにもなるというような。
『(女殺)油地獄』 なる話においても、ならず者の与兵衛が、 女を殺してしまったというシーン。近くではためく幟(竿のような長い棒につけられた旗)のバタバタという音が寂しさを刺激し、可哀想という思いを抱かせたりする。
次には、カラカラという鈴の音が聞こえて、まるで全て読み取られたかのように、魂を消したかのような状態になったかもと、想像するわけである。
効果的に音が適用されているものは、世話物に多い印象とのこと。
(文中に説明はないが)世話物というのは、どうも、江戸時代の頃において、現代劇だった話のことらしい。
元々、音表現は、あまり品がないイメージで、聖書や源氏物語などには全くなく、それらはサイレントなのだとも。
田舎者。かくめい
『田舎者』は、ある種ショートショート的なオチがある。
青森県北津軽郡 というところで生まれたという思い出話みたいな何か。
同郷の友人がいるのだが、その人よりもさらに山奥、つまり自分のほうがもっと田舎者なのだと結論しているだけのもの。
『かくめい』もかなり短い。
簡単なようで、難解なような感じもする。
自分でしたことをはっきり言う必要がある。そうしなければ革命は起きない。こうしなければならぬと言っているうちは、人間の底からの革命はいつまでもできない。
そういう感じである。
一問一答
インタビュー式。
例えば最近のご感想という問いに対して、人間は正直である必要があると語っている。
「ごまかそうとするから生活はややこしくなる。失敗というのは、ごまかそうとして、ごまかしきれなかった場合のことを言うのだ。無欲も大切だ。欲張るとどうしてもごまかしてみたくなってしまうし、そしてごまかそうとするとややこしくなって、馬脚を現してしまう。わかりきっていることであるのに、理解に34年もかかってしまった」
クリスチャンですか、という質問に対する答が、また興味深い。
「協会にはいかないが聖書は読みます。この世界で、日本人ほどキリスト教を正しく理解できる人種はいないのではないか、とも思っています。キリスト教において、日本はこれから世界の中心になるのではないかと。最近の欧米人のキリスト教はいい加減なものなのです」
愛と美について
兄妹五人が色々語っているもの。
全員がロマンスを好きなのだという。
29歳の長男は、やたら尊大ぶる悪癖があるのだが、それは自分自身の弱さを隠すためのお面であって、本当は弱いらしい。
興味深いことに映画をよく見に行って、その度に、「これは駄作だ、愚劣だ」などと言って、しかしその映画の中で描かれる義理人情にやられてしまい、必ず最初に泣いてしまうのだという。
太宰治(1909~1948)の年代を考えると、 映画を見るという行為は今よりもずっと特別感があった可能性は高い。
まだ、ビデオとかDVDどころか、普通、家庭にテレビすらないような時代だったのだから。
「テレビ」映像の原理、電波に乗せる仕組み。最も身近なブラックボックス
兄妹姉妹それぞれの趣向に合わせ、歴史上の偉人たちの名前も色々と出てくる。
イプセン(Henrik Johan Ibsen。1828~1906)、モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne。1533~1592)、ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe。1749~1832)、黒岩涙香(1862~1920)、森田思軒(1861~1897)、ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle。1859~1930)。
まだ数学の歴史についての話とかもある。
最初の段階を微積分学の発見の時代として、そこからのギリシャ伝来の広い意味の近代的数学としている。
「微積分とはどのような方法か?」瞬間を切り取る
そして、一人の代表者を選ぶなら、ガウス(Carolus Fridericus Gauss。1777~1855)としている。
「ガウス」数学の王の生涯と逸話。天才は天才であるべきなのか
他、この頃では解析学の初めに集合論の出る習慣があります、というような話は、数学という学問に関して、1人の作家から見た当時を感じれて、とても興味深い。
もっと自由な立場での、万人向きの『解析概論』を希望すると語る末の弟の言葉に対して、「めちゃくちゃである」とツッコむのが面白い。
結末はどうかというと、それぞれの性格が現れた語りを、母はニコニコ楽しんで聞いていた、というような感じ。
I can speak
夜学校へ通うとある男の、ささやかな恋の物語的な何か。
おそらく男の語りだろう、一部のセリフだけ妙に印象に残っている。
「バカにするなよ、何がおかしいんだ? たまに酒を飲んだからっておらあ笑われるような覚えはねえ。I can speak English。俺は夜学へ通ってんだよ。姉さん知ってるかい? 知らねえだろ、お袋にも内緒でこっそり夜学に通ってるんだ。偉くならなければいけないから」
人間失格。人間らしさとは何かの探求だろうか
生まれつき人間らしさを持っていないと思われるような何者かが、 その生涯を通じて、人間とは何か、ということを考え続けるという、そういう感じの話のようだが、なかなか難解で、はっきりはしない。
よく印象に残るはしがき
はしがきで語られている、 その男に関する三葉(三枚)の写真に関する評が、いきなりなかなか不気味である。
まず幼年時代。
おそらくは姉や妹たちに囲まれている幼い彼は、非常に醜く笑っているのだという。
通俗的な可愛らしさみたいな影がないわけではないが、美しいものについて知っている人なら、誰でもすぐに嫌な印象を受けてしまうというような、薄気味悪い笑顔。
人間は拳を固く握りながら笑えるものではないとして、拳を固く握って立っている彼は笑顔ではない、とも結論している。
しわくちゃ坊ちゃんとでも言いたくなるような、猿の笑顔なのだとも。
すぐに高等学校か大学時代と思われる写真。
今度は恐ろしい 美貌の学生であるのだが 不思議なことに生きている人間の感じが全くしないやはり笑っているが今度の笑顔は猿の笑顔でなく巧みな微笑みだが人間の笑いとはどこか違う家の重さ命の渋さそのように例えれるような充実感が全くない ただ101枚とでもいうようなそんな作り物の感じがする笑い。
そして、やはりよく見ると感じられる、怪談じみている気味悪いもの。
最後に、正確な年は不明だが、頭がいくらか白髪となっている、もっとも奇怪なものらしい写真。
酷く汚い部屋で、火鉢に両手をかざし、今度は笑っていない。どんな表情もなく、ただ座って自然と死んでいるかのような。
とにかく、忌まわしく、不吉なにおいがする。
大きく写っていた顔をよくよく調べてみると、その構造ときたらしわも眉毛も目も鼻も口も顎も全てが平凡。表情がなく、印象がなく、特徴がない。目を瞑れば、それだけで一瞬で忘れられることができるような、そのくらいに何も感じさせない、そんな顔。
あとがきで語られる経緯
あとがきで語られるように、この話は、作者が偶然入手した、その男の生涯を綴った手記を公開しているという設定。
そしてこの物語の中で登場する人物の1人は、おそらくはその手記を読んだ後にもかかわらず、彼はもともととてもいい子だったも告げる。悪いのは父親だったのだと。
ただし書記からは、おそらく彼のその性質自体は環境が作ったものでなく、彼自身が最初から持っていたものというような印象を受ける。
幼い頃から、他の者たちが喜んでいる時、いったい何に対して喜んでいるのかを正確に理解できなかった。作り笑いをして、道化を演じた。それで周囲の人たちからの人気は高まったが、彼の方は実質的に無関心だった。
彼は人間に無関心であった。人間らしい感情に無関心であった。
人間らしい感情とは何だろうか。やはりこの作品は、作者なりにそういうものを考えて、表現したかったのではないかと思う。
道化を演じること。生きてるうちによく行われること
学生時代、初めて自分が道化を演じていることに気づかれた時に、 彼はその気づいた同級生と友達になる。
彼はその頃に絵を描くようにもなった。結局、彼が思うような立派な画家にはなれなかったのだが、しかしその当時に描いた自分の自画像、彼曰く本当の自分自身をそこに映した自画像こそ真の傑作だった。
だが彼は、それをもっと広く公にする勇気を持てなかった。後にその時の絵を紛失し、あれが今あればどうなるだろうか、というようなことを思い返したりするシーンがあるのも、結構興味深い。
演じている道化に気付いた友人はまた、二つの予言をした。
彼が立派な画家になること。そして女たちによく好かれるようになるであろうこと。
後者の予言だけが当たったと、後の彼は感じていた。
彼は大人になってからは、女遊びの上手い人というようなイメージが持たれるようになったが、幼い頃からそうであるように、女というものが、男よりもずっと難解なものと感じてもいたようだった。
処女性の話や、恋愛感情の根底に関しての考察のようなものも少しあるが、
いっさいは過ぎ去った
何が人間らしさかということにずっと苦しんだ誰かの人生というような解釈もあるかもしれない。
ある意味では、結末もかなり衝撃的と言えよう。
いろいろと疲れ果てたためか、すっかり白髪となった男に関して、明らかにされる最後の情報。そして彼がたどり着いた真理と認められるようなこと。
文字通りに、いっさいが過ぎ去っていったのだと思われる。
走れメロス。良くも悪くも重要作
短編ながら非常に有名な作品。
古代ギリシャの伝承と、シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller。1759~1805)の詩を基盤にしているらしい。
また心情描写などは、太宰治自身が、飲み代や宿代に関して、友人を勝手に保証人みたいにした実話が元になってるという説がある。
太宰治自身、よく様々な文章で、古代ギリシャに関連した比喩などを使っていて、関心高いのだろう。
テーマが人間を信じることの尊さというか、そういう正義。逆に嘘という悪と、戦う勇気。友情などがメインテーマみたいな感じの雰囲気ではある。
ただ、メロスは友人を事後承諾で人質にしたり、(あまりメロスは賢くなさそうと思わせるようなフォローはあるものの)妨害なくても、かなりギリギリな期限を自分から設けた上で、「私は必死で頑張ったが仕方なかったのだ」というような考えを抱いたり、本当にそのテーマが表面上にあるものだけなのか、少々怪しい感じはある。