シャーロック・ホームズの冒険、思い出、事件簿「ホームズ短編」

シャーロック・ホームズの冒険

 小説家コナン・ドイルの、まさに代表シリーズである、シャーロック・ホームズものの、最初の短編集。
この短編集以前のものとしては、二つの長編、「緋色の研究」と「四つの署名」がある。
そういうわけだから、この短編集を1つの作品として考えると、シリーズの3作目にあたる。

ボヘミアの醜聞

 普通にこの話にしか登場しないのだけど、なぜかやたらと、ホームズシリーズの重要キャラみたいな感じに扱われたりすることもある、 人気キャラクター、アイリーン・アドラーが出てくる話。

 これまたなぜか、ホームズが唯一愛した女性かのように語られたりすることもあるし、場合によっては二人のロマンスが想定されたりすることもあるが、個人的にはそういう感じのキャラでもないと思う。

 この話の冒頭で、語り部であるワトソンも「それは別に恋愛感情というわけではないだろう」としっかり書いてもいる。
まあワトソンが、親友の真の気持ちを見抜けていなかったというように考える人もいるのかもしれないが、後の作品でホームズ自身が、ワトソン君はむしろ大げさに語る傾向があるというようなことを語っていたりもするから、むしろこれは逆に考えるべきではなかろうか。

 ただ確かに、報酬としてアイリーンの写真を要求したのは、ちょっと思わせぶりか。

 このアイリーン・アドラーというキャラだが、 多くの人にとって、なかなか魅力的なキャラクターであることは間違いないだろう。
彼女はようするに、容姿の美しさに加え、一国の王を平気で脅すようなしたたかな女なのだが、結局ホームズにしてやられそうになりながら、しかしただではやられず、一矢報いるわけである。

 ちょっと興味深いのが、あらゆる人物に関しての、ある程度の概要を記録した、自作の人物百科事典であろうか。
今は、普通に個人が頑張ってこしらえた人物事典などより、普通にネットの方がよっぽど役に立つだろうが、しかし今でも、信頼性の高い情報のみを自分の情報としてオフラインで持っておくという戦法は、結構ありなのでなかろうか。

 それと、ちょっとした犯罪まがいの行為に関して、理由が立派なものなら別に構わんというホームズとワトスン君のスタイルから、作者であるコナン・ドイル自身の道徳感がなんとなく見えるかもしれない。

赤髪組合

 とりあえず依頼人がフリーメーソン会員。
しかし特にそれが物語に関係してくるわけでもなく、フリーメイソンの陰謀論的な話とかは一切語られはしない。
この辺り、当時のイギリスにおいて、フリーメイソンというのがそれほど怪しげな組織でなかったことを思わせる。
そしてワトソン君も別に、フリーメイソンってなにかとか聞いたりしていないから、多分、結構当時は普通に名前が知られていたのだろう。
フリーメーソンのイギリス 「フリーメイソン」秘密結社じゃない?職人達から魔術師達となった友愛団体
 依頼人から、いろいろと奇妙なその赤髪の組合の話を一通り聞いた後、ホームズとワトソンの二人ともに、話のおかしさに大笑いするシーンなんかは、やっぱり仲良さそうで結構微笑ましい。

 そして、コメディ的な話かと思いきや、事件の全容自体はなかなか真面目なもので、終盤はかなりシリアスな雰囲気。
この緩急がなかなかいい。

花婿失踪事件

 動機は重要だなと思える話。

 犯人は結構な悪党なのだが、しかしちゃんと犯罪人として捕まえれるようなことをしたわけではないため、残念がるホームズが結構印象的。
結構本気で怒った感じで脅かしてやったりした後に、「ああいうのは、悪事の悪事を重ねた上で、最後には取り返しのつかないような、死刑ものの行為に走るようなやつだ」と述べたりしている。

 この短編集は結構、ホームズが哀れな動機の犯人に同情したりする 話があるのだが、この話は全くの逆といえよう。

 もしかしたらドイル自身、法律の不完全性と言うか、社会における放置された悪という問題に、結構悩んでいたりしたのかもしれない。

ボスコム谷の惨劇

 個人的には結構好きな話。
個人的に好きなキャラでもあるレストレード警部も出てくる。

 このレストレードは、毎回無能ぶりを晒して、ホームズにバカにされる道化的な役割なのだが、なんだかんだ結構正義感は強い人。
例えば、この話でもそうであるように、助けを求める人を(結局動かぬ証拠と思われるもののために疑いはするんだけど)しっかり助けようとしたり、いい人なんだよね。
なんだかんだ自分の手には負えないとホームズに助けを求めたのも彼だし。

 ただ、自分で応援を求めておいて、ホームズの傲慢な態度に対抗心を抱いたりする、ちょっとばかり大人になりきれない感じのところが、彼の魅力である。
しかし「いよいよ十八番の推理が始まりましたぜ」などと言って、ワトソンにウィンクするシーンとかは、お前ほんとはホームズのこと好きだろ、とツッコみたくなる。

 犯人の事情を知って、ホームズはその気持ちを汲もうとするが、どんな事情があろうと殺しはダメなのかどうか。
ちょっと考えさせられたりするかもしれない。

オレンジの種五つ

 とりあえず「僕は君の他に友達は一人もいない」というワトソンのセリフになんか笑う。

 いろいろ興味深くで面白い話と思う。
怪奇的な演出で、ちょっと、物語に入り込みやすい人にとっては、真剣に怖い話になるかもしれない。

 初めて読んだ時、KKKてクー・クラックス・クランなのかな、と思ってたら、まさにそうだった。
どうもフリーメーソンに比べたらマイナーかつ、ちゃんと秘密結社的に描かれている感じである。

 依頼人の結末に、怒りもそうだが、とても悔しさをあらわにする ホームズが印象深い。

 それと、有名な古生物学者であるジョルジュ・キュヴィエ(1769~1832)の名が会話に出てくる。
彼は古生物の歴史好きな人の間では、骨の一部分からその生物を特定することができる人として知られているのだけど、ドイルも知っていたらしい。

唇のねじれた男

 ちょっとトンデモレベルが大きいような気がしないでもない。
ファンからの人気は高いようだけど、個人的にはイマイチな話。

 ホームズの得意技である変装を、特に活かした話でもある。
ホームズがちょっと自嘲的に、医学的見地から自分の弱点だらけというようなことを言ったりしていて、自覚のあることがかなりはっきりする。

青いガーネット

 ホームズが巨大な帽子を見て、脳の容積がでかいだろうから賢い、みたいな感じの推理をするシーンがあるが、これはちょっと興味深いかもしれない。

 話というより、事件自体はまあまあ面白いと思う。

 なんとなく、クリスマスの話が書きたかったのかなって感じ。

まだらの紐

 最初に、70くらいに及ぶ、8年間の記録があるみたいなこと書いてあるが、この70という数は短編長編合わせた、ドイルが書いたホームズの話の数よりも多いので、この時点で、ワトソンが記録した全ての事件が、物語として世に出ているわけではないことがわかる。

 これもファンから人気が高い話で、個人的にも面白いと思う。
コナン・ドイルは専業作家になる前は医者だったというのは有名だけど、その彼だからこそ、医者が殺人鬼になってしまった時の恐怖は結構真に迫ってるかもしれない

花嫁失踪事件

 花婿失踪事件が次になっている。
とかそういうわけではない。

 とりあえずまたレストレードが登場する。
そしてボスコム谷の事件の時以上に対抗心バリバリ。
「努力主義を尊重する」という彼はやっぱいいキャラしてると思う。

 ワトソン君が例えとして、アラビアンナイト(千夜一夜物語?)の魔神(ジン?)を持ち出すが、 当時のイギリスでも結構知名度だったんだろうか。

 また、いつか英国旗と米国旗の混ざった旗を掲げる一大国家が完成するだろうと信じている者がけっこういるかのように書かれているが、いたのだろうか(それとも今もいるのか?)。
ホームズがそういうふうに信じる一人だと、自分で言うのはちょっと興味深い。

ぶな屋敷

 ホームズにとって特別な女性といえば、やっぱりアイリーン・アドラーのイメージだけど、この話に登場するバイオレット・ハンターも、なかなかいい感じの女性キャラだと思う。
ただ、最後は何の関心も持たれてないとはっきり書かれてたりもするわけだけど。

 どことなく、「バスカヴィル家の犬」の前進的な話。微妙だが。

 これもまたちょっと興味深いのが、序盤に、ホームズ自身が、ワトスンが書いている(という設定の)伝記の批判をしているシーンがあったりする。

シャーロック・ホームズの思い出

 思い出という本のタイトル通り、どちらかというと、時系列的に過去の話が多くなっている短編集。

 普通に結構、豪華と言える内容かもしれない。
名探偵ホームズの、探偵になったきっかけである最初の事件。
そして、彼の名前をある程度世間に広めることになった、初期の怪奇事件。
他にも、わりと珍しい、政治的な陰謀が絡んできている、(記録的に)最後にしようと思っていたけど最後にならなかった事件。
そして最後の事件というかなり豪華な内容となっている。

 しかし、読者のあまりにも多い要望のために、結局最後の事件も最後の事件とならなかったというオチが、現実にはついている。

白銀号事件

 タイトルが船の事件ぽいが、馬の事件。

 ホームズが興味を抱いて、自分から関わっていく話は意外とない。
これも実質的には、事件を担当していた警部から依頼されている。
しかし、ワトソン君が最初の方に、この事件でホームズが関係しないのは不思議なくらいとも言っている。

 まあこの世界ではおそらく、イギリスで不可思議な事件が起きると、必ず誰かが彼に依頼してくるのが、もう当たり前ということなのか。
イングランド 「イギリス」グレートブリテン及び北アイルランド連合王国について
 事件自体は、白銀号という競走馬が行方不明になったのと、その調馬師が惨殺されていたというもの。

 またホームズが、自分はワトソンが記録している記述から多くの人々が想像してる以上に、多くを失敗している、というようなことを述べているのは印象的。
謙虚なのか、意外に自信がないのか。

 最初に不可思議さを見せて、どことなく意外な展開から、見事な真相解明へつながる流れは、このシリーズの典型的なパターンであるが、これはかなりよく出来てるものだと思う。

黄いろい顔

 ワトソン君曰く、失敗談の事件。
前の話でホームズ自身が言っているように、彼も時々は失敗するのだが、しかし失敗した事件というのはたいてい未解決で終了するから、真相まで書けない。
というわけで、ワトソン君はあまり書かないらしい。
しかしこの事件に関しては、失敗はしたのだが、ちゃんと解決はしたというパターンということで、書いたという設定。

 とある人の妻が関わっている、怪しげな男はどこの誰かという話。
真相が明らかになった後、ワトソン君に対してホームズは、今度もし自分が自分の力を過信するようなことがあったら、是非ともこの時の事件を思い出させてくれたまえ、みたいなことを言っている。
ホームズはいつでも自信家なキャラだから、この自身への戒めはちょっと興味深い

株式仲買定員

 四つの署名事件のあと、結婚し、それから医師として開業したワトソン、のもとにホームズが訪ねてくるところから始まる話。

 死んではないけど死にかけの人を見た時に、ホームズはワトソンを頼るが、やはり医学の知識が深いといっても、本業の医者には負けるということか。

 こういう話って、現代ではちょっと特に厳しいけど、逆に現代風にアレンジした、こういう話を見てみたい気もする。

グロリア・スコット号

 ホームズが探偵として挑んだ初めての事件であるのだが、別に大した話でもない。
というより、ホームズはほとんど何もしてない。

 たいした話ではないと言ったが、大筋自体はなかなか興味深かったりする。
ただそのほとんどがホームズが聞いただけという話であって、彼は結局ほとんど関与しないわけである。

 この話でむしろ注目すべきことは、ホームズが探偵を志す前から、剣道とボクシングを趣味としていたことだろう。
彼はボクシング相当強いという設定だが、それは犯罪者を捕まえたり、犯罪者から身を守るためばかりでなく、もともと趣味なわけである。

 また、探偵になる以前から、ホームズは観察のみで、初めて会った人の情報を、いくらか見抜く技を持っている。
ようするに彼は、探偵になるためにそういう技術を訓練したというわけでなく、探偵の能力を元々持っていた、というふうに描かれている。
つまりは、努力の人ではなく天才。

 あくまで仕事にしようとは考えてなかっただけで、もともと探偵も趣味というような感じのセリフはある。

 さすがにホームズも探偵になったばかりの頃は無名なので、依頼人は友人である。
もっとも、そもそも彼が有名といえるようなレベルになったのは、ワトソン君が緋色の研究事件を、本にしてからだが。

 ホームズが調査することになったのは、依頼人の父が、なぜか死ぬ時まで言いなりになっていた不良な男。
その真相の鍵は、もっと昔に当事者たちが関わった、グロリア・スコット号という船の事件。
というような感じ。

マスグレーヴ家の儀式

 これも探偵としての初期の事件だが、物語的な怪奇性があり、世間の注目を集めた最初の事件であったとホームズ自身が語るように、怪奇的な事件である
また、ホームズが探偵として、少しは世の中に知られることになったきっかけの事件でもあるという設定。

 ホームズは自分が手掛けた一つ一つの事件に何らかの名称をつけているが、「マスグレーヴ家の儀式事件」というのも、まさしくそう。
そしてワトソン君は、それに関してホームズから聞く前から、 その名前だけは何度か聞いているというふうに語る。

 そして無名時代の話であるので、当然のように依頼人は知人。

 ある名家の執事とメイドが失踪し、それに加えていくらか奇妙な出来事が重なっているというような事件。
さらには謎の儀式文の意味の解読という、ある種、宝探し的な要素も あったりする。

 真相には歴史的要素も絡んできていて、地味にスケール大きめな雰囲気。

かたわ男

 また、ワトソン君が結婚してから月日が経った後、ホームズが彼を訪ねるところから始まる話。

 クリミア戦争で活躍したアイルランドのロイヤル・マロウズとかいう部隊の隊長にまでなった大佐が殺される。
そして寸前まで口論していた、夫人に容疑がかかるが……。
というような、短編の中に時々ある、いかにもな感じの殺人事件。

 一見かなり明らかな、という感じでもない。
部屋の鍵がなくなっていて、明らかに誰かが持ち去っているという状況が、より不可思議な印象だったりする。
ちなみに窓が開いていて出入りできるので、密室ではない。 

 またコナン・ドイルは 明らかに動物好きだが、この話にもちょっと絡んでくる。
メタ的に考えるなら、別に無くてもあまり関係ないようなギミックだから、あれを出したのは、ただ出したかったからだろう。

入院患者

 とりあえず、「緋色の研究」や「グロリア・スコット号」の話。
つまりは、ホームズがいてもいなくてもあまり関係なかったというような事件に関しては、ドイル自身も気にしていたのかもしれない。

 緋色の研究は、一応世間に真相が明らかになったのは、ホームズのおかげである。

 そしてこの話はわざわざ最初に、あまりホームズが関わってないが、奇妙な事件なので紹介する、みたいなことを書いている。

 何かワトソンが、「私はホームズの方法には明るいから~」なんて語るのは、すっかり普通に親しくなった感じで、なんか微笑ましい。

 医者と何か様子のおかしい入院患者の話。
「癇癪を仮病に使うなんて簡単さ、僕もやったことがある」などというホームズのセリフが印象的。

 悪いことはできないなと、よくあるような感じのオチである。

ギリシャ語通訳

 もう結構仲良くなったというのに、ホームズは、家族や少年時代の話をあまりしない、という不満めいた話から始まっている。
女嫌いで、親しい友人を作ることをあまり好まない、というようにも述べているが、前者はともかく、後者は若干、人のこと言えてないのでなかろうか、(ホームズ以外に友達いない)ワトソン君。

 ただ、そのような語りは前ふりで、彼を勝手に身寄りのない孤児でないかと想像していたワトソンに、いきなりホームズが自分の兄の話を始めるというところから、この話は始まる。

 というか、ホームズが自分の家系のことを語るという点において、この話は全体の中でもかなり重要な話と思われる。
どうもホームズ一族はもともと田舎の地主の家系らしく、また、フランス人画家の妹である、つまり芸術家血統な母の下から、変人が多くなったとホームズ自身が語る。

 地味に、遺伝か環境かの話を、ホームズを議題として、話しているのが興味深い。
少年時代に何かきっかけとなる事があったのではないか、と推測するワトソン。
それに対しホームズは、遺伝に違いない、自分の兄は自分以上に君が言うような特性を持っているから、などと返すわけである。
その兄マイクロフトだが、話だけでなく実物も登場する。

 推理力や観察力は兄が上だが、それを探偵術に利用しようという野心が彼にはないために、自分の方が探偵に向いているというホームズの説明もわりと興味深い。

 ところで依頼者は、 恐ろしげな男に(ほとんど脅されて)、ギリシャ語しか喋れない不気味な男との通訳を任されたという人。
で、あれはなんだったのかというような、そういう話。
特に大した真相ではないとドイル自身も考えていたのであろう。
かんとホームズがワトソン君に質問し、ワトソン君が自分の考えを話し、ホームズがそうだと思うと了承するようなシーンがある。
そして結局その通りだという真相。
ただメインはわりと後日談で、自滅した二人の犯人は実は……とホームズは勝手に考えているというオチ。

海軍条約文書事件

 これまた国家の陰謀的な話が絡んできてちょっとスケールが大きい話。
結局ワトソンくんは最後の事件を記述するわけだが、本当はこの事件を最後にするつもりだったという設定でもある。

 依頼人が、政治家に出世した、ワトソンの学生時代の知人というのも、いかにも気合いが入ったような雰囲気である。

 話は、大事に保管していた機密文書がどこかへ消えてしまったというもの。

 唐突にバラの花がどうたらとホームズが言い出して、ワトソンが驚くシーンがある。
ホームズという人は、自然物に対する興味などまるで見せないという記述は興味深い。

 彼は探偵だから、人が関連することにばかり、人の行動の影響によって発生した現象にばかり関心がある。
つまり、普通に自然を見る時でも、それがいかに人に利用されるのか、ということばかりに関心がいく、ということなのだろうか。

 化学実験をしてるシーンもあるが、人工の世界とは何だろうかと、少し考えたくもなる。

 寄宿学校に関して、あれは未来を照らす火なんだ、小さいが元気な種子たちがあそこにいる。
というようなホームズの語りもあり、 どことなくクライマックス感がある。
さすがに、本来最後にしようと考えていた話、という設定なだけのことはある。

 そしてこの話は短編の中では結構長い方で、そういう意味でもやや特別感が強い。

最後の事件

 シリーズというか、シャーロック・ホームズというキャラの人気が高すぎて、最後の事件のはずだったのに最後の事件にならなかった事件。
おそらくホームズのエピソードの中でも最も有名な、ライヘンバッハの滝で宿敵モリアーティと対決をする話である。

 もともとこの話をワトソンは書くつもりがなかったけど、モリアーティの兄が、弟を賞賛する文章を書いて、それが世間に広まったために、本当の真実を明らかにしようと筆を取ったという設定。
ようするにモリアーティは、世間に知られているよりも、ずっととんでもない悪党で、そしてホームズは、自分の命までも犠牲にして、その恐るべき野望を阻止した、という話。

 ワトソン君の結婚生活も順調で、ホームズも遠慮するのか、だんだん疎遠になってきたところ、久々に彼が訪ねてきたというところから始まる。

 モリアーティは後に、これ以前を描いた話にも登場するが、それにはもちろんワトソンも登場するので、この話でホームズから、モリアーティの名を聞いて、「知らないねえ」とワトソンが答えるのは、わりと矛盾。

 とにかくホームズはモリアーティについて語るわけだが、悪の天才、世の脅威、誰にも知られずしかしロンドン中に影響力を持っている、犯罪史上の最高峰に立っている、彼さえ打ち負かすことができるなら僕はすぐにでも探偵を辞めて隠居生活をおくれる、などととにかくべた褒めである。
惜しむべきは、そのような設定ばかりがあり、実際の活躍は全然描かれてないことであろうか。

 さすがに、ホームズを殺すためだけに作られたキャラクターのだけのことはある(そうだと言われてる)。

 ちなみにホームズは、モリアーティの配下数十名を一網打尽にする策を立てて、それを実行する。
が、その時にモリアーティだけは逃してしまう。
というのが結果だけ語られる。
いったいどのような策で配下たちを一網打尽にしたのか、気になるところである。

 ホームズは、特に謎が多い事件に多く関わってきて、それらの真相を暴いてきたから、それらの背後に伸びていた何者かの手に感づいたという設定は、なかなか面白いと思う。
またホームズは、自分が彼を追い詰め、しかし追い詰められるたびに彼がまた逃げて、という繰り返しの記録を本にして書くなら、探偵小説史上稀に見るような、すごい話ができるだろうとも語っている。

 わりと興味深いのはモリアーティが最終決戦の前に、ワトソンくんへの手紙を書くことをホームズに対し許可していることであろう。
そこはなかなかの紳士である。

シャーロック・ホームズの事件簿

 コナン・ドイルが書いたシャーロック・ホームズのシリーズの中でも、一番最後に出たらしい短編集。
コナン・ドイル自身の、書き手としての心境の変化か、あるいはシャーロック・ホームズというキャラの解釈の変化か、あるいは単にファンを飽きさせないための工夫なのか、結構色々と異色的な感じの要素もあったりする。

 特にホームズ自身の、それまであまり描かれてなかったような一面が結構いくつか描かれてるように思う。
ある話では、悪い男に騙される女の子に対し、父親的な怒りを覚えたり。
また、親友のワトソン君とちょっと疎遠になってしまったことに寂しさを覚える場面とかもある。
さらに、そのワトソン君が殺されてしまったかもしれないというシーンで、本当に彼が死んでいたなら僕は犯人を殺していた、というように、かなり普通に感情的な一面を見せたりもする。

 ホームズといえば、結構唯我独尊的なイメージで、 しかしその性格的な物を考慮から外せば、知的かつ、 身体能力的にも強かったりする、わりと完全無欠な超人であるが、この短編集ではわりと弱い人間的な面がいっぱい描かれているように思う。

 また蓄音機を使ったトリックや動物に関する話など、科学的な側面がよく見られる。
これは、おそらくドイル自身の興味関心ごとであろう。

 この短編集が書かれた頃には、本当ならシャーロック・ホームズシリーズは終わっているはずだった。
しかし読者からの要望があまり強かったために、結局書いているという状態。
もしかしたら、本来はホームズで描くはずではなかったいくつかのテーマを、ホームズで表現しようと考えた結果もあったのかもしれない。

高名の依頼人

 序盤に、死んだモリアーティ教授や、まだ生きているモラン大佐より危険な人物だとしたら……、というようなホームズのセリフがある。
しかし、確かにこの話の敵は結構な悪党ではあるが、なんだかんだモリアーティ教授よりも危険な人物、と言われるほどの人物ではない気はする。

 しかし悪い男に騙される可愛らしい少女に対し、普通に説得しようとし失敗。
だが、まるでその少女が自分の娘みたいな気持ちにもなり、感情的になって説得するホームズは、ちょっと個人的なイメージと違う感じもした。

 かなり微妙なところだけど、催眠術が話題に出ている。
おそらくこれが書かれた当時は、今に比べて、神秘的か、あるいは実用的なものと考えられていたろう。

 ホームズが死にかける、ほどではないけど、わりとガチな大怪我を負うのも珍しいと思う。

 この話では、はっきりとホームズは窃盗罪なのだが、高名な人物が正しい目的のためにそれを行ったということで、イギリス法律はそれを許すという、なんとも微妙な結末。
その窃盗した証拠品が結構ひどい。

白面の兵士

 珍しい。
ホームズの一人称の話。

 これまでのいくつかの話では、ワトソン君が勝手に話を誇張したりするのに文句をつけていたりもするのだが、いざ自分が書く場合、読者を楽しませるためにそれは正しい戦法だったと反省したりするのが ちょっとおかしい感じ。
ワトソン君は理想の協力者であって、決して感情や気まぐれからではないというような、ホームズの本音もちょっと書かれてたりする。

 しかし、実際は結局ドイルが書いてるのだから当たり前といえば当たり前だけど、ホームズとワトスン君で、そんなに文の感じが違うというふうではない。

マザリンの宝石

 なんと言うか、Simple is best的な話なんだが、 個人的には案外結構好きだったりする。
ちょっとバイオリン弾いてきますで、バイオリンが弾いてる間は盗み聞きとかも出来ないだろう、ていう話になってきたから、もしかして蓄音機とかかなと思ったら、マジでそうだったという感じの話。

 最近発明された蓄音機というもの、というようなホームズのセリフがある。

三破風館

 序盤に自分に脅しをかけてきた黒人に対するホームズのセリフが、いくらかが若干人種差別的な感じが含まれているともされ、かつドイルの作品としては、そういうのは珍しい感じだから、それだけでこの作品には盗作疑惑があったりする。

 この話に関しては三人称的演出があり、ちょっと実験的な感じもある。

吸血鬼

 コナンドイルは結構オカルト研究家としても有名だから吸血鬼に対しても なかなか深い知識を持っていたに違いない。
「死体が歩き回るのを止めるには心臓に杭を打ち込むばいいなんて、何の話だ? キチガイの沙汰だ」というようなホームズの台詞がちょっと印象的か。
そもそもそういう話を真面目に取り上げるべきなのか議論してたりもする。
「世の中は広くて、幽霊まで相手にしてるわけにはいかない」というセリフも、興味深さの中にユーモアもあろう。

 事件自体、吸血鬼伝説を上手くイメージしてある感じで、なかなか面白いと思う。
真相もなかなかうまくできてて、かつ結構恐ろしい感じも残り、わりと傑作でなかろうか。

3人ガリデブ

 なんというか、赤髪連盟再びという感じの話。
わりと本当にそれだけという感じだが、実際あちらを彷彿とさせるような話なので、あっちが好きだった人には、こっちも面白いと思われる。

 ガリデブ探しの話と言うと、確かになんか面白そうな感じはしないでもないだろう。
序盤はちょっとゆるい雰囲気で、終盤シリアスになる流れも、赤髪連盟と同じ。

 ホームズが珍しく、レストレードのことを褒める描写があるのが個人的には印象的。
褒めると言っても、「無能ではあるけど整理整頓能力は最強」みたいな程度のやつだけど。

 そして終盤、ワトソン君が撃たれて、本当に危ないかもしれないと不安になったホームズと、彼のその言葉や震えを受けて、それだけで充分に感謝し、元気が沸いてくるワトソン君の友情がとてもいい。

ソア橋

 シリーズの中でも、特にトリックがよくできているといわれる作品。
しかしトリックばかりでなく、話も結構傑作だと思う。

 ホームズもけっこう手こずる描写を入れたのは、多分ドイルも、この事件のトリックがいいアイデアだと感じていたからでなかろうか。

 また、すでに結婚している身でありながら、雇った家庭教師の女を口説こうとした依頼人の話に対し、「そういう感情に関しては何とも言えないけど、ただ、客観的に見たらよくないことと思う」というようなことを答えるホームズ。
そういう感情と言うか、恋愛に関する男女の道徳観の問題の議論は、この時代と今とで、あまり進歩していないのかもしれない。

這う人

 定期的にある、医学をテーマとした話。
ドイル自身がこれに関してはエキスパートだろうから、どことなく他のタイプの話よりも、説得力が高いような気がしないでもない。

 やたら出来事が起きた日付を気にするホームズに対し、月の満月との関連とかを疑っているのではないか、と考えられたりするシーンがある。
月の満ち欠けと、地上の出来事とか、人の精神状態とかの関係というのは、今は基本的に迷信とされているが、ドイルはどう考えていたのだろうか。

 ちょっと類人猿の謎の話も絡んでて、わりと興味深い。

獅子のたてがみ

 サイアネア・カピラタ(キタユウレイクラゲ)は2mくらいという巨大なクラゲ。
そして(なんと30mくらいの長さらしい)触手がちょっとライオンのたてがみっぽいからライオンタテガミクラゲとも呼ばれる。
こんな巨大クラゲであるのに、大量発生することがあり、しかも刺された場合ものすごく痛く、文字通り死に至ることもあるという。

 そしてこれは定期的にある動物系の話。
よくホームズシリーズはコナン・ドイルの本命作品ではなく、わりと適当に書いてたりもすると言われるが、個人的には色々結構しっかり調べてたりすると思うんだけど。

覆面の下宿人

 そしてこれはまた動物が絡んでくる話なのだが、事件以上に、重いものをテーマにしているような気がする。

 基本的にホームズの話は、だいたいはハッピーエンド的な感じの終わり方をする。
しかし時々はもの悲しい終わり方をする場合があって、この話はその中でもトップクラスだと思う。
一番最後の方。
「あなたならこんなになっても耐えられるか?」と問われたホームズが、その答を明確に答えられていないことこそが、この作品の出している答のように思われる。

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