「呪縛の家」感想。科学探偵の神津恭介と、宗教が生んだ増悪という対立

四大元素の見立て殺人

 名探偵、神津恭介かみづきょうすけ のシリーズの初期長編のひとつ。
とある田舎町で、新興宗教によって富を築いた一族の者たちが、異端派として追放された裏切り者(?)の預言の言葉を思わせる方法で、殺されていくという事件を描いている。

 古代ギリシアに起源を持つともされる、火水地風の四元素思想を基盤としている怪しげな宗教。
実験室「原子の発見の歴史」見えないものを研究した人たち どこか互いに無関心というか、不気味さを感じさせる関係の一族。
神がかりな予言。
犯行とともに姿を次々見せる猫と、 逆に次々となくなっていく玩具の短剣。
というように、いろいろあちこちに怪奇趣味が見える。
そしてそういう系の不気味さを描く作品としては、この作品はデビュー作の「刺青殺人事件しせいさつじんじけん」以上の傑作と思う。
「刺青殺人事件」感想。科学者になるはずだった天才が名探偵になったきっかけ ただ純粋にミステリーを求めている人には微妙かもしれない。

横溝正史の影響。獄門島との比較

 田舎を舞台とした和風怪奇趣味な連続殺人事件と言うと、個人的には横溝正史よこみぞせいしを連想する。
刺青殺人事件も、あちらの「本陣殺人事件ほんじんさつじんじけん」に影響を受けているようだから、やはりそういうことなのかもしれない。
琴「本陣殺人事件」金田一耕助、描かれた最初の事件。感想と紹介。頼りない彼の魅力  特に、序盤はかなり、「獄門島ごくもんとう」を思わせるような構成になっている。
「獄門島」は、戦時中に知り合った友人の死に際の頼みで、 探偵の金田一耕助が、舞台となる田舎へとやってくる。
一方こちらは、探偵神津恭介の助手にあたる、松下研三まつしたけんぞうが、学生時代の友人に呼ばれる形で舞台に現れる(神津恭介は旅行中であったが、事件が起きた話を聞いて、急いで駆けつけてくる)
ここまでなら、単によくある展開で終わりだろうが、問題は、恐ろしい魔の手が迫っているらしい3人の姉妹である。
金田一耕助が、三姉妹のどこか不気味な感じに驚かされたように、松下研三も、三姉妹の雰囲気に少し恐れを感じる描写がある。
「獄門島」俳句に見立てた三人娘連続殺人、まだまだ無名だった金田一耕助  ただ、あちらの三姉妹に比べると、どこか悪意というか、意図的な神秘性というような面が薄めに思う。

シチュエーションは面白いが、トリックは微妙

 この事件には密室殺人が2回あり、そのどちらにおいても、 密室の部屋の出入り口の前に見張りがいるという、なかなか厳重なもの。
ただ、例によって読者への挑戦があるにも関わらず、その(特に最初の事件の)トリックはなかなか酷い。

 個人的にはそこはあまり気にならなかったが、人によっては、作者が作中のみならず、読者への挑戦の文章においてもはっきりと書いている、「密室トリックは機械的なものではない」というヒントが明らかなアンフェアと思えるようである。
これは機械的なトリックというのがどういうものか、という認識の違いからくる批判であろう。

 ただ確かに、本格推理系として考えると、アンフェアだと思われても仕方がないような書き方は多い。
ちょっと極端な例えかもしれないが、「この話に供述トリックはありません」という説明が嘘であるというような書き方をされ、それが供述トリックですと言われてるような印象すら受けるかも。

 ようするにこの小説は、本格推理ものとして読むならば、微妙。

いくつかは説明不足

 誤解のないよう、付け加えておくが、別に僕は、トリックが酷いから微妙と言っているのでない。
事件の真相というのはトリックだけでない。
それが起こった背景とか、そこに隠れた人間関係のようなもの全部が真相と言えよう。
そういう全体の骨組みが、全体としてしっかりしているなら、事件のトリックがどれだけショボイものでも面白いし、それを解き明かす名探偵の凄さを実感できるものである。
しかし、この小説は、読者への挑戦においてはっきりと、解き明かすべきは犯人と密室トリックだと書いているし、さらには推理を待たずして、事件の背景とか人間関係みたいなのものもほぼ明らかとなってしまう。
なればこそ、そのトリックが肝心に思えるわけだし、その肝心のトリックがトンデモだから微妙なわけである。

 トリックに関しては、明らかに説明不足の問題もある。
例えば、あるものを見つかりにくい(そして必要になればすぐ取り出せる)場所に隠した、という説明があるが、具体的にどこに隠したのかは一切説明がないとか。

ミステリーというジャンルの難しさ

 ミステリーというのは難しいジャンルだと思う。
個人的にそう思う理由の1つにアイデアの停滞がある。

 確かに、どのようなジャンルの創作においても、お決まりの展開とか、典型的なパターンというのはある。
しかしそういうのは時代によって、それもけっこう早い速度で変化していくものだし、面白いかどうかはともかくとして、斬新なことに挑戦しようと言う作家はあちこちにいる。
そういうわけだから、同じジャンルの昔の作品を読んでみると、古臭さを感じたり、気になる点がかなり際どく目立ったりすることもある。
(例えばSF作品なら、H・G・ウェルズの「宇宙戦争」など、古典名作として有名であるが、火星人の侵略というアイデアは、現代人にとってはどうしてもしょぼく感じてしまうだろう)

 しかしミステリーに限っては、その古臭い作品で使われていたような古臭いトリックや、描きかたが平然と使われやすい(もちろん多少アレンジを加えたり、趣向を変えたりはしているのが普通)
別にそれだけならいいのだが、「過去の名作でもそれをしているから」というのは、情けない言い訳でなかろうか(正直、思ってても言わなきゃいいのに)
この作品では、作中ではっきりとそう書かれているが、作品外でも、この言い訳を使う人は、ミステリー作家に非常に多いように思う(正確には、他のジャンルでもアマチュアはよくこれを使うが、ミステリーに限っては商業作家にも多い)

やはり科学者になるつもりだった探偵

 むしろこの小説の最もな見所は、登場作である「刺青殺人事件」と比べると、神津恭介という人物の弱さとかが、強く描かれていることかもしれない。

 彼をして、最も苦戦した難事件と作中でも表現されるように、彼が見張りに立っている部屋の中で起こった殺人など、確かに苦労感は強い。
「自分という人間の才が知れたよ」というような弱気な発言もあったりする。

 個人的には、学生時代の回想で、「将来はいろいろな犯罪事件の捜査に関わる人になるだろう」と予言された神津恭介が、何をバカなと笑い、「僕は数学を学ぶつもりなんだよ」と告げたのが、なんか面白かった。

宗教と科学の対立。正義と悪の立ち位置

 この小説には、宗教と科学、あるいはその対立というテーマが、あからさまにあるようにも思う。
この科学の時代にあって、胡散臭い宗教の信者となり、騙される信者たちという、大衆のそういう心理への批判が感じられる。
「インチキ占い師、霊媒師の手口」予言のテクニックはどういうものか 別に騙されて幸せなままならそれでいいだろうが、 それで結局家族の人が悲しんだりすることもあるし、実際この小説で描かれてるような ものより、もっと恐ろしい悲劇が、エセ宗教の信仰がきっかけで発生することもあるだろう。

 騙す側の目的はいつでも一方的な搾取であり、傷つくのは騙されている人ばかりでないのかもしれない。

 そして、「正義は結局、悪の力に及ばない」という神津恭介のセリフは、どこか悲しい。