「獄門島」俳句に見立てた三人娘連続殺人、まだまだ無名だった金田一耕助

後におなじみになる、いくつかの作風の原点作品

 とりあえず金田一耕助シリーズの一作目にあたる本陣殺人事件を先に読んだ方がいいと思う。
この作品は、単に2作目だからというだけでなく、世間的にはまだまだ無名だけど、しかし本陣殺人事件で一部には知られた金田一耕助というキャラクターが、物語の面白さの一端になっている。
琴「本陣殺人事件」金田一耕助、描かれた最初の事件。感想と紹介。頼りない彼の魅力  つまり名探偵なのだけど、名探偵と知られていないシチュエーションなわけである。
この作品以降は、彼は作中でもどんどん有名になっていくので、こういう立ち位置での金田一耕助を楽しめる作品は、ある意味貴重とも言える。
なんと、最初の事件が起きた後に、彼はあまりにも怪しすぎるために、一時的に牢屋に入れられてしまう場面などがある。

 別の作品だけど、「このような男であっても恋をするのである」 というように表現されるくらい、あまりそういうことに縁がなさそうな金田一耕助の恋も、(要素的にはごくわずかながら)描かれている。

 また事件の怪奇演出や、 謎の複雑性など、基本的には本陣殺人事件の正統進化作品というような感じ。

やはり役に立たない金田一耕助だからこそ、恐怖に満ちた怪奇演出

 金田一耕助シリーズといえば、緻密に練り上げられた事件の真相と、それが判明するまでのおどろおどろしいと言うべき怪奇的演出が特徴とされるが、これはそのような作風を明確に定めた一作といえると思う。

 物語の始まるから、いったい何がどうなっているのかという、不気味な疑問点の連続である。

 これは、第二次世界対戦で、日本がアメリカに敗北してから間もなくの作品。
本陣殺人事件で、優れた探偵の手腕を世間に知らしめた金田一耕助であるが、その後はあまり大きな仕事もなく、戦争が始まって、軍にその身を預けることになってしまった。
彼は一緒の部隊にいて、仲良くなった友人がいたのだが、ようやく戦争が終わって、これから帰るという時に、その友人は病気で帰らぬ人となってしまう。
そして彼は、死の淵で告げる。
「金田一君、俺は本当は君のことを知っていた、本陣殺人事件のこと 、君が優れた探偵であることを知っていた。俺の故郷である獄門島ごくもんとうへ行ってくれ、おれは死ぬわけにはいかなかった、このままでは3人の妹たちが殺される」
そういう言葉を残した戦友の思いを汲んで、彼は獄門島へとやってくるが、はたして彼が告げた通りに、島にいる彼の3人の妹たちが、次々と殺されていくわけである。

罪人たちの島という舞台設定

 獄門島という名前がまず凄いが、この名前の由来の設定から結構興味深い。

 もともと海賊の一味が、自分たちの根城の、北の守り、北の門としていたとして、北門島と呼ばれていたというのが最有力な説。
異説として、江戸初期に、五右衛門ごえもんなる大男を輩出したことから、五右衛門島と呼ばれていたというのもある。

 その起源は何にしろ、獄門島と呼ばれるようになったのは、この島が長い間、罪人が流されてくる島として利用されていたからと説明される。
そしてこの、罪人たちが作ってきた閉鎖的な島という基本設定が、怪奇的な演出の説得力を増やすのである。

おかしな三姉妹という演出

 いつも通りというより、今後の通りという感じだが、やはり金田一耕助という探偵は、肝心なところで役に立たない。
この作品でも、お約束のように、助けてくれと頼まれた3人の姉妹全員殺されてしまう。

 ただ、この守るべき立場にいる三人娘が、とても美人なのはともかくとして、少しおかしいというか、変な三人として描かれていて、それがまた不気味である。
年齢のわりに子供っぽく、おまけにこの三姉妹の共通の恋の相手である美青年も、少年と勘違いしてしまうような幼い外見で、その背後にはまた野心深い女の影があるなど、いろいろと人間関係に狂気的な イメージをもたらしてくれる。
金田一耕助シリーズの他の作品においても、こういうどこか不気味な人間関係は、特徴としてよく知られているが、この作品はその原点と言えよう。

終戦から間もなくのお話

 やっぱり戦争が終わって間もなくの話なので、「そういう時代だったんだな」と思わせるような演出が多々ある。

 個人的には、金田一耕助が本陣殺人事件で行動を共にした磯川いそかわ警部の健在を知ったシーンが、なかなか印象深い。
戦争の間、その消息も知れず、それどころか自分の知り合いなんてほとんど死んでしまったかもしれないと、金田一耕助も意気消沈していた。
そんな中で、おそらく、それまででは最も難事件と言えた事件の捜査を、一緒に行った盟友が生きていると知って、金田一耕助は耐えきれないで、涙まで見せてしまう。

 作中でははっきりと、「戦争の終わりは誰もが望んでいた」というような一文もある。
やはりそういう時代だったのだと思う。