「マウント・ドラゴン」遺伝子工学は人類を滅ぼすかという問いかけ

パンデミックじゃなくて、パンデミックを起こさせてはならないウィルスの話

 タイトルにもなっている「マウントドラゴン」とは、作中に登場する、遺伝子工学と、危険な細菌を扱う目的で作られた、最先端の研究施設。

 作中での表現を借りるなら、「遺伝子工学の行く末」というのが、この小説の最大のテーマと思う。
後々の世代にも残るような、意図的な遺伝的変異(直接的な遺伝子の改変)の中でも、特に絶滅にも繋がりかねないような危険な操作を、核兵器よりも恐ろしい産物として描いている。

 また、恐ろしい致死性を誇る人工ウイルスが、非常に重要なガジェット(要素)となっているが、パンデミック(病原菌の大流行)は描かれない。
物語としては、パンデミックの話じゃなくて、パンデミックが起こらないように、なんとか頑張る話。
あるいは、人類を滅ぼしかねないくらいの、恐ろしいウイルスの研究をめぐるサスペンス的なもの。

遺伝子工学は、本当に恐ろしい兵器となりうるか

 作中では、ボノボ(ピグミーチンパンジー)に発見された、対インフルエンザの免疫を作る遺伝子「Xフル」を、人間の遺伝子配列に含ませようという研究が行われている設定。
さらに、未来の世代にも残るように、DNAにその遺伝子情報を、なんとか安全にねじ込む研究がされている。
しかし必要なウイルスの無害化がなかなかできず、結果「Xフル2」という、より恐ろしい人工ウイルスまで誕生してしまう。
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少なくとも現在、遺伝子内の、人間の欠陥とされるものに繋がりそうな配列は除去、そして有益そうな遺伝情報は選択的に埋め込めれるのが、むしろ理想と考えられることが多い。
作中で、「いつか世界には、最初から全てにおいて優秀な美男美女しかいなくなる」というようなセリフもあるが、これはまさしく、そうなりそうとよりも、そういうのが理想的だというような感じなのが恐怖、という人もいるのでなかろうか。

 実際に、容姿とか、遺伝病とか、そういうものに苦しまされている人は多い。
自分の子供にはそういう思いを味わってほしくない、という人も多いと思う。
これは倫理観の問題にすぎないのだろうか。

 例えば、自分に何か、遺伝的かつ気に入らない要素があるとする。
時間の針を戻して、あなたの起源となった最初の胚細胞の遺伝コードから、その気に入らない様子を除去したとする。
すると、その改変された時空でのあなたは、確かに今あなたが気に入らないと思っている要素を持っていないかもしれない。
だけど、それは自分なのだろうか。
世の中には、整形というものが気に入らない人がいるらしい。
だが自分の体の形を物理的に変えるくらい、自分の意識に繋がりかねない遺伝情報などを直接改変するのに比べたら、大した変化でもないであろう。
遺伝子のデザイン的改変なんて、もう本当にその人自身を別人へと変えているイメージが強い。
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 もっとも、これも技術的な問題にすぎないのかもしれない。
分裂を始める前の最初の細胞の方が、そういう改変を行いやすいのだけはまず間違いない。
だがやがて、ある程度自分の意識を持つくらい成長してからでも、自分という存在を改変するのかどうか、その程度まで選択できるほどに、このようなコントロール技術は進歩する可能性もある。
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この作品では、結局金のためならば何でもする人間は必ずいるからこそ、使い方を誤った場合に危険な技術は恐ろしいのだ、というような語られ方もよくしている。
仮に上記のような技術が実現されても、社会が平等になるかはまた別問題というわけだ。

超サイバーシステムでの会社管理

 マウントドラゴンを所有しているジーンダイン社の社長スコープスは、実質的に物語上の悪役なんだけど、この人自身、科学者としてなかなか魅力的な方。
おそらく、大金を前に金の亡者になってしまった系だが、自分が開発したサイバーシステムが凄すぎて(それを商品にすればいいのに)自分専用にしちゃう人。

 最も、そのシステムを会社全体の管理に使っているから、利益には繋がっているのかもしれないが。
「彼は寝もしないで、会社のサイバー空間をひたすらにうろつき、全ての会社員に口出しする」
というように表現されたりしているが、経営者側の視点からしてみれば、これはまさしく理想的なものなのかもしれない。
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恐ろしいウイルスを人類が使うこと

 スコープスの古い友人で、かつての研究仲間でもありながら、遺伝子操作技術の未来を危惧し、ジーンダイン社と敵対しているレバインというキャラがいる。
このレバインが、そのような危険なウイルスがマウントドラゴンに存在することを、マスコミの前で発表するシーンでこそ、いろいろ考えさせられるかもしれない。

 ウイルスが広がることもそうだが、(そこまで強力なこと自体が、今はまだSFかもだが)それこそ人類を本当に滅ぼしかねないような危険なウイルスが世間にあまり知られていない状態で、一企業とかに管理されていることが、告発されたらいったいどうなるのか。
世間はいったいどういう反応を示すだろうか、自分ならいったいどういう反応を示すだろうか、というようなこと。
どこかの研究施設で、公表されないまま、「潜伏期間一週間。初期症状から死に至るまで5分から2時間程度。最終的に脳が爆発する。さらに通常の風邪より感染力が強い。当然ながら致死率100%」なんてウイルスが普通にあって、そのことがついに(もちろん社会的信用のある)誰かに公表されたら、世間はどのくらい同様するだろうか。

 それとも案外、「まあさすがに、管理されてるし大丈夫だろ」みたいな感じであっさりすまされるだろうか。

 だが例え安全な施設に厳重に管理されていると言っても、とんでもなく危険な病原菌を、結局は人間が管理していることには変わりがない。
いつかはすべて機械が管理するというような日が来るかもしれないが、それはそれで心配であろう。

「もし、管理者自身がひどく神経をおかしくして、誰かを殺したい衝動にでもかられてしまったら。そして、恐ろしい殺人兵器にもなれるウイルスを外部へと持ち出すことになんてなってしまったら」
というようなセリフも(レバインのじゃないけど)作中にあるが、現実のシナリオとしてはありうる。

感情を封じれる人ばかり集められるのか

 危険なエリアで密閉服が破けるトラブルのシーンが、わりと前半にある。
そして、そういう決まりだし、覚悟は決まっているはずだろうに、何人かが取り乱し、挙句、さらに犠牲者を増やしてしまうというような事態が描かれている。

 そこの描写はけっこう印象的だったと思う。
(少なくとも人類規模での)正しい選択と言えば、ウイルスに感染した疑いのある者を、やはり確認して、感染していたなら潔く死なせるしかない。
状況をごく単純化すれば、1人を殺せば何十億人という人が助かるという状況で、その1人の命を奪うことは果たして正しいのか、みたいな感じだ。

 むしろこの辺りは、あまりリアルではないのだと考えたい。
このような、危険な病原菌を扱っているような研究所で働く職員が、万が一の時の覚悟を決めていないというような話が本当だったら、それだけでちょっと怖いような気もしないでもない。
というか、そういう覚悟を持っている人を集められないのなら、そんな研究所、始めるべきではないだろう。

 だが、この世界にはお金というものがあるのである。

裏主人公、道化師の戦い

 作中、レバインに協力する謎のハッカー『道化師』の正体が、作中の誰なのか、というのを推理するミステリー的要素があるのかと思いきや、そんなことはなかった。
「なぜ直接ここに来て手伝ってくれないんだ。君は臆病者じゃないと私は知っているぞ」というレバインに対し、彼はただサリドマイドという物質の化学式だけを伝えてくる。
そしてレバインが「そういうことか。だからそんなに製薬会社を憎んでいるのか」と理解するシーンは、ある意味では、この物語の中で一番胸が熱くなる場面だと思う。

 これは現実の話だが、サリドマイドは、免疫系の強化や、催眠効果があるという化学合成物質。
1950年代くらいにそれを利用した薬が登場したが、妊婦が服用した場合に、 生まれてくる子供に大きな副作用が生じるとして1960年代に問題視されたというもの。
特に妊娠初期にこの薬が服用された場合に生まれた子供の多くが死んでしまい、死ななかった者も、手足や内臓、感覚器官などに障害を持って生まれてくることが多かったそうである。
また、そのようなサリドマイドが原因と見られる障害を生まれ持った人は、サリドマイド児とも呼ばれる。

 レバインは、道化師の正体を(どうしても直接的には手伝えないということもあって)サリドマイド児と考えたが、そこは明確に明かされないのが、様々な解釈を残す余地になったと思う。
(例えば日本は特にその傾向が強かったらしい)障害児は親の血筋のせいにされ、国もなかなか非を認めず、サリドマイド児だけでなく、その家族一同も酷い目にあったというのは、わりと聞く話である。
むしろ個人的には(年代的に)薬の直接の被害者よりさらに子供世代の誰かぽく思った。

新しいヒーローのタイプ

 意図的なのかどうかはわからないが、この作品では明らかに、その姿も本名も一切出てこない道化師が、1番かっこよく活躍を描かれてるような気がする(文字通り裏主人公的な感じ)

 現実ではあまり冴えないタイプだったりするような人が、ヒーロー的な活躍をする架空の話は、大昔からあると思う。
そして共感しながらも、その活躍ぶりに元気をもらったりする人も多いと思う。
だけどファンタジーでもない限り、そういう活躍って、なりふり構わなかったら実際できそうなことばかりでもある(おそらくそうでないと結局、共感しにくくなるから)

 道化師はコンピューターネットの時代に登場した、まさしく新しいヒーロータイプじゃないかなって思う。