火星年代記、キリマンジャロマシーン、太陽の黄金の林檎「ブラッドベリ短編」

目次

多くの憧れが詰まっているかのよう

 未発表のものも含め、ブラッドベリ(Ray Douglas Bradbury。1920~2012)は、生涯の中で非常に多くの短編を書いてるらしい。
ここではいくつかの短編集について、それらの話について書くが、それほど興味を感じなかった話とかは省く。
影響を受けた作家や、魔法とか怪獣とかへの憧れが感じられるような話も多い。

火星年代記

 近未来における火星での、いくらかの出来事に関する短編集。ただの火星で暮らす人々の、些細な物語集というような。

地球には酸素が多すぎる

 『イラ』という話は2030年2月。
「火星の空虚な海のほとりにある水晶の柱の家に住むK夫人は、水晶の壁に実る金色の果物を食べて、一握りの磁力砂で家の掃除をする……誰も外出をしようとしない火星の午後、K氏は部屋で金属製の本を開き、ハープでも弾くように浮き出た象形文字を撫でる。撫でられた本の中からは優しそうな声が語り始める。海が赤い流れとなって岸をめぐり、古代の人々が無数の金属製の昆虫や電気蜘蛛を携えて戦いに出かけた頃の物語を」
この後に、K夫妻の祖先たちは10世紀以上前から火星で生きてきたと書かれ、この火星世界が、20世紀以降の人たちが植民地にしたとかではない場所なのだろうと思わせる。
さらに、化学薬品の炎で絵を描く、ぶどう酒の木の緑色の液体で満たされた運河で水泳、青い燐光を放つ肖像画のそばで語り明かす、といった、幻想的な暮らしがそこにはありえている。

 火星人らしい、という茶色がかった美しい肌、黄色い貨幣のような目をしたK夫妻。そしてK夫人イラの見た夢に出てきたかなりありえなさそうな男は「背が6フィート(183センチメートル。これは大きすぎるとされる)、青い目、黒髪、白い肌。そして第三惑星から来た」というもの。
第三惑星(地球)に生命の存在する可能性がないと科学者たちが考える理由が、「酸素が多すぎるから」とされている。ここから、火星生物と地球生物との生化学的な違いを連想させられるが、しかし多くの点で両者は共通している。 男と女がいて、結婚することがあって、芸術があって、遊びがあって、創作の物語への憧れがあって、つまり人間がいるかのような。
不思議なようで、しかし意味がなさそうな物語が描かれる背景。すごく違っているようで、しかしあまり違っていない世界を作った生物が、そこに置かれているようにも思える。

 酸素が多すぎて存在できない生物がいかにして作られたのかは興味深いところだろう。まず光合成というシステムが要素としてあるかないか。描写的に植物はあるようだが……

 この最初の話は夫人の妄想から広がっていく話というふうにも捉えることができるかもしれないが、以降の話に続いている部分があることから、全部が全部妄想の話でないことだけはかなり確実である。この話で出てきた、地球からやってきたという男ナサニエル・ヨークは、第1火星探検隊の人として、(主に地球人側の)後の話でもその名が出てくる。

周囲を巻き込む、あまりに特殊な幻覚

 ウィリアムズという人を隊長とする第2火星探検隊もまた悲劇。 せっかく火星にやってきて、(テレパシーにより)火星人と話もできたというのに、精神異常者と間違えられて精神病院に入れられる話。なのだが、そこからいくらまともそうにしても、実際の宇宙船(ロケット)を見せても、「すごくリアルな幻覚を周囲の人々にまで認識させる興味深い症例だ」と、医師は喜びとともに勘違いを増長させるばかり。そして全てが幻覚であるということを示すために、宇宙飛行士たちを殺し、それでも消えない宇宙船や死体を見て、自分までその幻覚に完全にはまってしまったのだろうと、狂気を感じさせるほどの迷いのなさで自らの命も絶つ。

 精神病の天才。テレパシーによる精神病的イメージを他人の心に投影。さらに幻覚が感覚的に弱まらない。全体を包括し、複雑な世界観を完全に再現するほどの狂気の幻想バランス。
考え方というか、発想としては神秘主義よりな感じもするが、どういうテクノロジー発展の歴史を辿ってきたのだろうか。

過去の地球に来てしまったのか、火星人のテレパシーか

 第三探検隊の話に関しては、実際に探検隊のメンバーが、まるで幻覚のようなものを見てしまうという話。というか、いつのまにか地球に、しかも過去の地球に帰ってきているかのような展開が繰り広げられる。しかし結局これは、火星人のテレパシーなのではないか、探検隊の者の記憶から再現した架空の地球なのではないかという推測が出てくる。
しかしここで考えられたような、 強力な武器を有する地球人と 精神的な 能力 で 防御しようとする火星人との戦いというような展開にはなっていかない。

 第4探検隊がやってきた時の火星はひどい状況になっていた。つまり火星人は地球人が持ち込んだ病原菌によってかなり死んでしまっているのだ。
ここで地球人が火星世界にもたらすだろう悲劇を危惧し、探検隊メンバーを皆殺しにしようとしたスペンダーの話がある。
彼は言う「火星人は我々が100年前にストップするべきだったものを、しっかりそこでストップしていた……もし計画がうまくいったら原子力研究所3つと原爆貯蔵所が設けられる、そんなことをしたら火星はおしまいだ、素晴らしいものが全部なくなってしまう」
ここで重要視されているのは文化的な側面と考えられる。アメリカ大陸の先住民たちをひどく扱った白人の歴史についての言及があったりする。

火星に現れたあの方

 そして火星への地球人移住ラッシュ。
薄い空気が体質的に合わず、「地球に帰った方がいい」と言われながらも、それを拒み、1人で草木を育て始めた者の話。
まるで互いに幻覚でも見ていたかのような地球人と、生き残りの火星人との遭遇。
キリスト教として、火星ではどのようにして、神や罪のことを考えるべきなのか、親父たちが悩む話などが続く。

 そして神父たちが遭遇した、人でないらしい火星生物。それは火の玉のような何かで、神父たちに、自分たちが物質生活を見限って山へと隠れさった昔の火星人と説明する。
それが、あの方なのか、ただの肉体を捨てた生物か、詳細な議論とかは描かれない。

そして地球人が火星人となって

 それほど長い期間を描いた物語ではない。全体でも30年くらいの物語と言える。
火星に移住した人々がそこに馴染み始めた頃、地球は地球でなくなってしまう、人間の武器によって。そして地球文明はなくなって、それほど多くもない火星の人たちが、新しい時代を始めていく。また火星人として。
ある意味でこの火星年代記という物語は、地球人が火星人になるまでの物語と考えることもできる。だがある世界に生きている人間をどういうふうに考えるべきか。

キリマンジャロマシーン

 『I Sing the Body Electric』という短編集を2つに分けて翻訳している文庫の、前半の方になる。別に個々の話に繋がりとかはないから、これだけ読むのに何の問題もないと思う。

タイムマシンとヘミングウェイ

『キリマンジャロマシーン(The Kilimanjaro Machine)』
ただ、タイムマシンを持っている語り部が、ある人(作家のヘミングウェイ)にそのタイムマシンを見せて、過去へ出発するというだけの話。
タイムトラベルの原理に関しては語られない。
見た目はトラックであるそのタイムマシンは、過去にも行ける。

芸術コレクションをめぐって

『お宅炎上(The Terrible Conflagration Up at the Place)』
よくわからないが、紛争が終わった後(あるいは今も続く紛争のために)、キルゴトン卿とかいう人の家を燃やそうとした男たちがいた。
しかし話し合ってるうちに、当の本人であるキルゴトンが現れ、「もう少し声を低く、静かにしてくれないか」と言われ、つい了承してしまったり、また次に現れて「何してるんですか?」と聞かれた時には、自分たちがしようとしたことを正直に白状してしまったり、男たちはなかなかマヌケ。
そしてなんと、その男たちを自宅内に招待して、話しあうという物語。芸術コレクションの話とかしてるうちに、男たちは(そのコレクションを運んだりするのも大変なので)その家を燃やす気も失っていく(というか最後には、もう忘れているような感じ)。

異次元に生まれた子供

『明日の子供(Tomorrow’s Child)』
出産の際の衝撃、電流のショートと新型出産催眠装置の故障の同時発生のために生じた次元断層のため、 異次元に生まれてしまった 子供が生きてはいるのだが 三次元空間に適応して目においては、普通の赤ん坊ではなく、異様な姿として捉えてしまうという。そういう話。
どのような異次元宇宙に行ったのか、どうやって元の次元に全てを戻せるのかということはわからないものの、しかし生まれた時の次元断層に関しては、再現によって再び発生させられる。そこで最終的には両親も、というような展開になっていく。

何か、ここにあるのに別の世界のような

『女(The Women)』
海の水の中で生じたような何らかの知性。そういう何かが男を誘っているというか、誘惑しているというか、そういう感じなのを、その男の妻がどうにか止めようとする。みたいな印象の話。

『霊感雌鶏モーテル(The Inspired Chicken Motel)』
大恐慌真っ只中の1932年。「黙示録から抜け出てきたような」とも称されるほど、あちこち怪しげな雰囲気で、やばそうな、とあるモーテル(駐車場のある宿泊施設)に止まった一家。そのモーテルのおかみさんもまた妙な印象の人。 そして彼女は、何か特別なニワトリが生んだ卵に刻まれたメッセージも示す。「安んじて待つべし、繁栄は近し」と。

『ゲティスバーグの風下に(Downwind from Gettysburg)』
リンカーンのロボットを使って、彼の暗殺事件の再現が行われる話。役割を演じたための苦しみみたいなものもある。

『われら川辺につどう(Yes, We’ll Gather at the River)』
変わりゆく街で、変わる前の部分を懐かしく思ったり話し合ったりしてるみたいな印象の話

『冷たい風、暖かい風(The Cold Wind and the Warm)』
何かを求めてアイルランドにやってきた者たちが、自分たちでもよくわからなかったその探し求めているものを、セント・スティーブンス公園で発見した。それはつまり、木の葉の色が変わる光景。そして彼らが去っていく時、 聞こえてきた歌声は素晴らしいソプラノで、「昔アイルランドに住んでいた妖精がちょっと戻った」とも表現された。

シチュエーションを作るトリック

『夜のコレクト・コール(Night Call, Collect)』
火星で救助を待ち続ける老人が、若い頃の自分が録音した多くの音声と、まるでゲームをするかのような、あるいは翻弄されてしまうというような話。
「同情するなんて思うな。もう他人のようなものだ」「俺は若く残忍なままさ。あんたが死んだ後もずっと若いまま」のような録音側の言い方が印象的。
最後には、反応しあう録音声同士が、お互い若いことに驚く。

『新幽霊屋敷(The Haunting of the New)』
ある悲劇のために全焼してしまったが、そんな悲劇などなかったかのように、以前の状態を完全再現された屋敷の話。

バビロン行きの夜行列車

 ファンタジーのような、日常のような、しかしやはり何か奇妙というような作品が多い短編集。特にアイデアがあまり奇妙でないのが多いためか、似たような話もわりとある。

信じられないようなこと

『バビロン行きの夜行列車(Night Train to Babylon)』
ある人が明らかにインチキをしていると思われるのに、賭けをしている者みんな信じきっていて、そうだと考えた人の言うことを聞いてくれないという話。

『やあ、こんにちは、もういかないと(Hello, I Must Be Going)』
「死んで、墓に入ってもう4年? それならそうと、なぜ誰も教えてくれなかったんだ?」
「どうやって死んだ人間に君は死んだってをしろって言うんだ」
「それもそうだな」
死んだはずの友人が突然訪ねてきて、妻が最近悲しんでくれないだの、墓の友達はつまらないやつばかりだのと、いろいろ不満をこぼしたりする話。

ありえないようなこと

『目かくし運転(Driving Blind)』
覆面をしている人がいて、なぜ覆面をしているのか、覆面をして生きるとはどういうことかということを話してたりする。

『いとしのサリー(I Wonder What’s Become of Sally)』
昔恋人だったサリーという女性を探そうとする話。お互いのことを忘れていないのに、別の道を歩んでしまった切なさがある。

『なにも変わらず(Nothing Changes)』
別の年代の年鑑に発見した、自分の友人と全く同じ容姿を持っている人物。それをきっかけに、同じ容姿の人がどれほど存在しているというのか。なぜ存在するのかということを考える話。最終的には自分と同じ者を見つけて会いに行こうとするが、そこで出会った人に、死んだはずの父親が帰ってきたのだと勘違いされる。

『夜明けの雷鳴(Thunder in the Morning)』
そんなことありえるはずがないのに、清掃機械の中に吸い込まれてしまったという誰かの声。仮に入ったのだとして、どうやって入ったのか。そして製造機械を使っていた者に責任はあるか。みたいな話。
特にいろいろな解釈ができそう。

太陽の黄金の林檎

 SFにせよ、ファンタジーにせよ、ちょっとおかしなジョーク的な話にせよ、結構バリエーションがある短編集。しかし、個々の話の印象という意味では、統一感が無いとも言える。

原子怪獣現わるの原作

『霧笛(The Fog Horn)』
霧笛むてき(foghorn)』とは、灯台などが、霧が深かったりして視界が悪くても、船に場所がわかるように鳴らす音、あるいはそういう音を鳴らす機器のこと。
怪獣映画の金字塔である『原子怪獣現わる(The Beast from 20,000 Fathoms)』の原作とされているが、作中に登場する巨大生物が、獣脚類恐竜を思わせる姿であること以外に共通点はほぼない。というよりこちらはごく短く、ストーリーと言えるようなものがまずほとんどない。あえて比べるなら、核実験で蘇った古代怪獣が人間の世界を襲撃する映画に対し、こちらはなかなか平和的。孤独に眠っていたのだろう恐竜が、灯台が鳴らす霧笛の音に応えるように現れ、しかし仲間がいないことを悟ったような、どこか悲しい雰囲気を漂わせ去っていく、というだけの話。
恐竜に関する描写だが「大きな黒い頭に大きな目、珊瑚と貝殻とザリガニを散りばめた黒い小島のような胴体。頭から尻尾の先端まで全長は90~100フィートほどと思われる」という感じ。その姿が見える時は、水の中から島が浮き上がってくるような感じで、なかなかゆっくりだったようである。
陸に上がる描写はない、完全な水生生物なのだろうか。「恐竜の1種で、絶滅したはずだが海の底に隠れていただけだろう。一番深い深海の底の底に」というような推測も出される。リドサウルス(原子怪獣現わるの怪獣)というより、そちらを参考にして作られたゴジラの方に近い印象もある。恐竜だが、その年齢は「おそらく100万歳、100万年待っていた」とされている。「霧がその姿にまといつき、時々怪物の姿を見えなくしていた」ともあるが、そういう特殊能力があるわけではないと思う。

冷たい世界、暖かな世界への勝手な憧れ

『歩行者(The Pedestrian)』
犯罪がほとんどなくなって、警察組織というものがものすごく縮小された近未来の、ちょっと虚しいような1コマ。

『四月の魔女(The April Witch)』
特別な魔法使いの一族に生まれて、力を失ってしまう恐れがあるからと恋愛を禁じられていた少女セシー。しかしどうしても恋をしたい17歳の彼女は、 似たような年代の女の子アン・リアリに乗り移って、勝手に彼女が嫌っている男トムに恋をしようとする。アンは、4月の魔女とも言えるような何かに乗り移られたことに気づきはするものの、どうしても強く抵抗することはできない。 トムの方も彼女の様子がおかしいことに気づきやすいものな つい諦めていた恋心をよみがえらせてしまう。そしてセシーは本気で彼に恋をして……というような話。

『荒野(The Wilderness)』
近未来、地球と火星での遠距離恋愛。

魔法のようにおかしな

『鉢の底の果物(The Fruit at the Bottom of the Bowl)』
ちょっとしたブラックジョークみたいな話。人を殺した人がとにかく後片付けをしまくる。そうして屋敷は非常に綺麗に掃除された。ついにその仕事を完成し「完璧だ」と勝ち誇った気分で勢いよくドアを出て行く男、背後には警官という話

『目に見えぬ少年(Invisible Boy)』
魔術修行しているが、なかなか成功してはくれない老婆と、どういうわけだか両親と離れていて老婆が面倒を見てやることになっている少年との交流。
老婆を未熟な魔女と考えて、これをファンタジー作品と捉えることもできる。ただ素直に解釈するならこれは、魔法への憧れを描いたドラマだと思う。魔法への憧れを捨てられない老婆だが、空想と現実の境目が曖昧な少年には魔法も見せられるかもという話。

古代中国の科学と魔法

『空飛ぶ機械(The Flying Machine)』
西暦400年ぐらい。万里の長城に守られた玉座に皇帝が座る、元なる国での話。ロストテクノロジーがテーマである。
紙と葦で作られた翼に黄色の尾、巨大な鳥のようでもある竜のようでもあり、それを空飛ぶ機械と理解できぬ者には凧に見える。 そんな空飛ぶ機械を作った男は、しかし未来に危険な誰かが その機会を真似る可能性を危惧されて 死刑に処される。
皇帝自身も技術者のようで、ネジを巻くと、さえずる鳥やさまようオオカミや小さな人間たちが美しい世界を演出する、金属と宝石で作られた庭園の機械を造ってたりする。
元という国がどこかはよくわからないが、時代的には五胡十六国時代から、南北朝時代の国と考えられるから、 統一王朝的なイメージのこの物語は違和感が強め。この国自体が幻と消えたハイテクノロジー国なのかもしれないが。

『金の凧、銀の風(The Golden Kite, the Silver Wind)』
これも中国の地区らしき地名(広西省)が出てくることから、中国の話なのだろうと考えられるのだが、何か不思議な印象で、ファンタジー的世界観を思わせもする。
城壁造り合戦である。城壁の形を貪欲なブタの形に作った町。それに対抗するためにブタを追い払う棍棒の形に作る町。そして棍棒を燃やす焚き火、火を永久に消してしまう湖の水、全ての水を飲み込む口、口を縫い合わせる針、針を打ち砕く剣、剣を納める鞘、鞘を打ち砕く稲妻と……。これが妄想のためのバカな喜劇なのか、あるいは演出魔法合戦なのかは謎。
最終的な美しく調和するような、金の凧と、銀の風で協力し合う演出にたどり着く。

タイムトラベルとバタフライエフェクト

『サウンドオブサンダー(A Sound of Thunder)』
狩猟タイムトラベル株式会社というのが出てくる。これはようするに、過去に存在した巨大生物をハンティングできるツアーを用意する。エッケルスという人は、地上最大の怪物ことティラノサウルス・レックスをターゲットとする。
タイムマシンに関しては、「銀色の金属と轟音を発する光線」などと表現される。また「昼夜昼夜、日々が走り去っていく……時間は巻き戻されるフィルムのよう。太陽は走り、数千万の月がそれを追いかける」と、おそらくウェルズ的イメージなのだと考えられる。
霧笛の水生恐竜は100万歳とされていたわけだが、この話では恐竜(少なくともティラノサウルス)の時代は6000万年前くらいとされている。
そしてこのエッケルスがティラノサウルスにびびって、用意されていた反重力で浮いた道から離れてしまい、1匹の蝶を踏みつけ、殺してしまう。そこからのバタフライエフェクトを描いている話。元の世界に戻ってからは、ちょっとホラー。

身近なようで遠いかもしれない宗教

『発電所(Powerhouse)』
多分発電所の話ではない。何かのパーティーで、女が何かのシステムによって、何かに目覚めるという、そういう雰囲気。宗教じみた印象も少しあるか。

『草地(The Meadow)』
映画のセットを壊すか壊さないかというだけの話なのだが、作られた世界、世界を作ること、世界を作るとはどれくらい神様みたいなことか、そういうことを考えさせられるような、どうでもいいような。

過酷な運命を負わされて

『ごみ屋(The Garbage Collector)』
ゴミ収集車でゴミを集める仕事をしていた男がその仕事を辞めたいと妻に相談する。原爆が落とされた場合に、ゴミをその場で捨てて、死体を集めることを任されることになったから。そのために緊急事態用の受信機まで車につけられ、死体を集める場合どのようにすればいいのかも教えられる。男は、考えるとそういう仕事でもいいと思ってしまうのもまず怖いと語る。

『歓迎と別離(Hail and Farewell)』
子供のいない夫婦のもとを渡り歩く永遠の子供ウィリーの決心と、それまで苦悩していた過去。

『太陽の黄金の林檎(The Golden Apples of the Sun)』
太陽という樹木から、原子力(エネルギー)という黄金のリンゴを摘み取る宇宙船。

猫のパジャマ

 やはり不思議な世界観ではあるが、リアル寄りの話が多い。アメリカの文化や民族問題などを取り入れてるような話も結構ある印象。

子供たちの世界まで

『さなぎ(Chrysalis)』
白人と黒人の子供の話。肌の色が違うだけというよりも世界そのものが異なっているかのような印象が少しある。日焼けして黒人みたいになっても、黒人になれるわけでもない。わかりあえるかどうかとか、結局何も変わらないとか、そういうことではなく、ただ、違っている部分があることだけ、というような話と思う。

アメリカの秘密の歴史

『夜明け前(Sometime Before Dawn”)』
未来から来たと思われる者たちが出てくるだけの話。彼らは未来に待ち受ける恐ろしい運命を恐れているように描かれる。

『酋長万歳(Hail to the Chief)』
なかなか意味がわからない話なのだが、おそらく歴史を皮肉っている話。
アメリカの上院議員が先住民との賭けに負けて、アメリカ合衆国の土地を取られる。それを聞いた大統領は怒りまくり、そして自身もインディアンと賭けをすることになり、それには勝って、一応はアメリカは取り戻す(?)という話。

『ふだんどおりにすればいいのよ(We’ll Just Act Natural)』
これもさなぎ同様に、肌の色の違う人種間の、それぞれの世界を描いたような話だが、あちらに比べると、何を言わんとしているのかを感じ取るのがやや難しい気はする。それぞれの世界観というよりも、それぞれの立場、アメリカ社会の中での立ち位置を表現しているかのよう。

『ジョン・ウィルクス・ブース/ワーナーブラザーズ/MGM/NBC葬儀列車(Brothers/MGM/NBC Funeral Train)』
謎の列車に乗り込むと、それはまるで過去から来たタイムマシンでもある、エイブラハム・リンカーンの葬儀列車みたいだった。という話。映画会社が作り出したようでもあるが、もっと特別な何かの遊びのような感じも。

もしこんなことがあったら

『猫のパジャマ(The Cat’s Pajamas)』
わりとライブ感あるただの恋愛話。パジャマというよりもキューピット猫。

『マフィオーソセメントミキサー(The Mafioso Cement-Mixing Machine)』
メモリー装置とタイムマシンの話。ブラッドベリは、話の中にしばしば好きなのだろう作家の名前を出す、のみならず関われたらいいなというような夢を描くが、これは実際に関われたという話の1つ

『幽霊たち(The Ghosts)』
自分たちと違う存在である幽霊たちを好ましく思う子供たちと、それを嫌い追い払おうとしてしまう父

誰かにとっての悲劇とか

『変身(The Transformation)』
黒人と白人の社会での立場、差別を描くが、単体の話そのものとして、これはなかなか強烈。しんみりとした結末とかでもなく、現実を悲劇的に描いているかのようでもあるか。

『ルート66(Sixty-six)』
5人殺された殺人事件の話なのだが、最初にタイムトラベルものの話でもあるというような前書き的なのがある。
自首しようと考えた犯人は、 「何年も車で走っていたみたいだ」と語る。そしてそのことを聞かされた警官は、「自首したいなら自分で言うのではなく警察署に行ってくれ」と告げる。殺されたのはオーキー(オクラホマ州の人、あるいはオクラホマに移住してきたり、そこの先住民の血筋だったりする貧民者たち)のようだったが、実はそういう格好をしてるだけの役者たちだと警官は知っていた。
何が言いたいかわかりにくい話ではあると思うけど、いろいろ考えさせられるといえば考えさせられる。

地球生物とどのくらい違っているか

『趣味の問題』
とても高い知能を持ち優れた哲学を生み出しながらも宇宙への旅は昔に諦めた、巨大なクモみたいな 地球外惑星生物と、彼らの惑星にやってきた、宇宙飛行士たちの交流の話。
美意識の違いとかの問題は認識しながらも、 いくら親切にして、それを理解してくれても、なぜか恐怖してばかりいる人類に、なぜなのかと考えるクモ生物たち。大人の男である自分たちがすごく恐怖しているのに、妻や子供たちをそこに連れて来ることになってしまったらどうなるのだろうか、と心配する人類側。

憧れの作家たちを乗せた架空列車

『エピローグ R・B・G・K・C&G・B・S永遠なるオリエント急行』
何か走馬灯のような、架空列車のような、そこに見えるブラッドベリが好きなのだろう作家たち。というような、よくわからないが、何かやたら勢いある感じの文章

よろこびの機械

 比率的に、前半の話はファンタジー的なのが多く、だんだん日常系も増えていくような感じ。何がどうなってるのか、何が言いたいのかよくわからないような、ようは難解な作品がわりとある印象。

神様のよろこびをどう考えるか

『よろこびの機械(The Machineries of Joy)』
迫り来る、あるいはもう来ているとも言える宇宙時代に生きる神父たちが、宇宙開発と、キリスト教的な(神が作ったはずの)世界観の話などを、いろいろ語りあう。
よろこびの機械とは可能性。この世界の何か、もしかしたら人間は、神様が喜びを感じるための機械なのかもって、そういう話。

恐怖をもたらす火星生物

『待つ男(The One Who Waits)』
火星にかつて存在した生命体みたいな、しかし肉体を失っていて、(魂の井戸と呼んでる)井戸の中で、ただ気体のような状態で待ち続けている。地球人が来て、その体を使わせてもらい、久しぶりの肉体の動きを楽しむ。というような話。
地球人と、火星生物の魂(?)との不気味なコンタクトという感じでもある。

どこかで妄想かと思わせるような話

『ティラノサウルス・レックス(Tyrannosaurus Rex)』
 紀元前10億年の生態とする、恐竜の時代のアニメーション。時代設定以上に恐竜の描写が気になるところ。ほとんど怪獣な感じで、太古の怪物じみた生物への憧れを感じさせる。
そしてそのアニメーションのために作られた偽物のティラノサウルス・レックスの、ちょっとした秘密というか、裏話的な。

『休暇(The Vacation)』
ディストピア未来的なものを感じさせてくれる、ある家族の話。

『少年鼓兵(The Drummer Boy of Shiloh)』
戦場の少年は、戦場に夢を見る。とも解釈できるような。

『少年よ(Boys! Raise Giant Mushrooms in Your Cellar)』
宇宙生物の侵略か、あるいはそういう妄想の話だろう。宇宙生物が地球を侵略しようと考えたとして、どういうふうにするか、どういうふうに彼らはやってくるのか。
派手な宇宙船ではなく、胞子のような漂う成分でやってきて、そしてキノコ(みたいな何か?)となり、それを食した生物の細胞構造を乗っ取る。というもの。

不可思議な出来事がある時

『世界の終わりか(Almost the End of the World)』
詳しくはよくわからないが、太陽の黒点の影響により発生した電気の洪水のために、文明機器を使えなくなってしまった地球

『おれたちは滅びてゆくのかもしれない(Perhaps We Are Going Away)』
壮大な大自然の世界に住む(多分ネイティブアメリカンだろう)少年ホウ・アウィが、見て学ぶ真理。実際の設定はともかく、自らを極限状態に追い込み精霊と触れ合う儀式であるビジョンクエスト、を思わせるような描写が多いか。

『ラザロのごとく生きるもの(Some Live Like Lazarus)』
新訳聖書に出てくるラザロと言えば、キリストのたとえ話に出てくる貧乏人と、病気だったが奇跡によって蘇った男とが知られているが、ここでのラザロは前者の方のイメージのようである。
支配的な母親、その魔女の手に縛られ続けて、失われてしまったのかもしれない彼の時間、そして彼女の時間。というような話みたいだが、特に深い意味が何かありそうな感じがある。

『世にも稀なる趣向の奇蹟(A Miracle of Rare Device)』
各々が見たい光景を見せてくれる蜃気楼という奇跡があった。ほぼそれだけと言っていいかも

対決の先に

『オコネル橋の乞食(The Beggar on O’Connell Bridge”)』
アイルランドはダブリンのホームレスたちの物乞い合戦。 を背景にして、そこで住むことになったある夫婦は、もう誰を信じて、誰を疑えばいいのかわからなくなってくる。
「もう何もかも、何かのテじゃないかという気がしてくるんだ」というような夫の嘆きが哀れ。

『死神と処女(Death and the Maiden)』
死神を嫌う老婆と、彼女に若かりし日の1日を売って、一緒に1000万億年(1000兆年?)を生きたいと望んだ若い男。魔法使いたちの話の一幕のような。
印象的な会話が多い。
「お前さん影がないじゃないか、なぜさ?」「みんなが影を怖がるので、森の向こうに置いてきました」
「お母さんに誓えるかい?」「僕にお母さんはない」「じゃ何に誓うのさ?」「僕自身に」

幸福に思える世界

『この世の幸福のすべて(The Best of All Possible Worlds)』
今朝で隣り合わせた老人と青年が、それぞれが幸福だと考える友人について語る。
色々な女に変身する日常生活役者女というパートナー。あるいは、人間の手で作られたと思えないような女神のような女というパートナー。幸福というか、幸福な結婚生活を得ることができた者たち、という印象もあるか

『国歌演奏短距離選手(The Anthem Sprinters)』
アイルランドに来たアメリカ人が、地元で人気があるようである謎のスポーツの熱気に触れてしまう話。

社交ダンスが終わった夜に

 SF色は薄い。インターネットという言葉がよく出てきていて、21世紀に出た短編集らしさが強いかも(書かれた年代でいうなら、1980年代くらいの作品も多いようだけど)

繋がりがまだあって

『はじまりの日(First Day)』
50年後に会おうと再会を約束した友人たち。果たしてその約束を覚えてる者は、守ろうとしている者は自分以外にいるだろうか、いたらいいのだが、という感じの話

『心移し(Heart Transplant)』
お互いに浮気である恋。本来の相手に、秘密の相手の心とか魂とかみたいなもの、移せたらいいのに、と願う話。

知覚システムと関連したタイムマシンか

『埋め合わせ(Quid Pro Quo)』
ある人が、特に行きたい時代とかなしで、タイムマシンを作った。それでちょっと使うだけ。
使うというか、すごく天才作家だったのに、全然作品書かずに時間を無駄に過ごした男を、過去に連れて生き、若かりし頃の彼自身と出会わせ、若い彼に「こんなやつになるな」と警告するだけ。年取った方はどういうわけだか殺される。結構哀れ。
とりあえず最初の、説明になってないようでもある説明が興味深いが、それだけと言ってしまえばそれだけ。
「この〈遠遊装置〉の入り組んだ配線の中には、直感的認識に関連する目に見えない知覚の場、神経節をかき集めて収めてる。延髄の内側に付属し、神経の後ろの脳の各層にも通じている部分。感覚と、神経節の巡らすレーダー探索の網との間に、即興で未来や過去の行動を管理する装置も仕込んだが、それは名所や奇妙なことのようなターゲットとは離れている。
腕の時計もマイクロ波アンテナを頼りに人と接触し、知性を超えたところで道徳的判断を下す。
つまりマシンは人の上昇や下降を数値化して加算し、そこから人の運命を形作るために飛びたつ。その際に、持ち主を引き連れてもいく」
そもそもこれがタイムマシンの説明と言えるかすら微妙なところでもある。少なくとも見方によっては、電気イスみたいに見えるようなものでもあるらしい。
仮に腕の時計とかのところも含めて、タイムマシン関連の話なのだとする。それはある種の人工知能みたいなもので、未来や過去の知覚に対し、対象物質の時空間の位置自体も、その知覚された時間と同期させてしまう、というような感じなのだろうか。ある運命の時に行くではなく、運命を形作るために飛ぶというのも、普通の乗り物に既にある場所に移動するというよりも まず 比較することで用意した ところに 現れるように調整するというようなイメージを受け取れるように思う。

映画の裏側のコメディドラマ

『ドラゴン真夜中に踊る(The Dragon Danced at Midnight)』
コメディ的な話の中では、とても傑作なものと思う。映画趣味が取り入れられてるような作品も時々あるブラッドベリだが、この話においては映画製作現場や批評業界などが関わってきていて、文字通りに、映画の裏側を舞台にしたドラマとなっている。
酒に酔うと、天才的なセンスで批評屋たちが好むような映画編集をやってのけてしまうアルコール中毒者のおかげで、(おそらくB級映画クリエイターだったのだと思われる)脚本をパクったり音楽を借用したりの語り手と、中毒者の映写技師を雇っていた劇場の人(オーナー?)は大成功した。
しかし栄光の日々はいつまでも続かず、映写技師は自らのアルコール中毒を断とうと決心してしまう。

仮想空間技術と直接ふれあう

『ローレル・アンド・ハーディ、アルファケンタウリさよならツアー(The Laurel and Hardy Alpha Centauri Farewell Tour)』
死んだか生きているという2人が、宇宙の存在の謎と、そのために人間が受ける影響とかの話についてを語る。
「生きてはいないが、死んでもいない。電子機器とかと近い親戚でね。TVトランジスターソークワクチン、胚内核分裂のDNAエクスプローラー、ファックスEメールインターネットとも繋がっている」とか。
ソークワクチンはポリオウイルスによる感染症、つまりは急性灰白髄炎きゅうせいかいはくずいえん(Acute poliomyelitis)のワクチン。
さらに「ずらしてみると恐竜のイメージが浮き上がるプラスチックの定規の、内部イメージみたいなもの……我々はレンズ状大気にプリントアウトされているようなもの」などと言って、消えたり現れたりもして見せる。仮想領域の中に情報として、自己を存在を保ったまま置けるようになったような、そういう存在なのだと思われるか

戦争とUFO

『小麦畑の敵(The Enemy in the Wheat)』
戦争の時代、巨大な爆弾が畑に落ちてくるのを見たのだという男。しかし探しても探しても爆弾は見つからない。敵はそこにいるのに見つからない。年月が経っても、それは見つからずカチカチと時だけ刻み続けている。
「爆弾は畑に落ちたんだ。蒸気機関車みたいなやつが火を吹いてるところが見えたし、鉄の車輪も、汽笛を鳴らしてるのも、機関士が手を振ってるのまで見えるようだった。それくらいでかかったんだ」というセリフから、UFO目撃談のような印象も抱けるような。
結末というか、最後のドカーンは、何か良質なユーモアを感じる。

年月をふりとばす遠心機

『F・スコット/トルストイ/エイハブ緩衝器(The F.Scott/Tolstoy/Ahab Accumulator)』
タイムマシンの話。
過去の不幸な境遇だったりした大作家たちを救えないかと考えるが、しかしその作家たちが素晴らしい作品を書けたのはそもそもその不幸な境遇のせいではないか、というような疑問も示される。つまりは、1人の不幸な作家を救うことが、その人の作品に救われた後の多くの人たちを不幸にしてしまう可能性。
(レバーを引くことで)タイムマシンを起動させて、まず最初に会いに行った作家がヘミングウェイだったために、ちょっとキリマンジャロマシンとの関連を見いだしたくなる。
また、(死んだはずの人を見せられたから(?))メルヴィルに「きみの神の機械だが、あれは祝福か、それとも呪いか、創造するのか、それとも時に逆らっているのか?」と聞かれ、タイムトラベラーは「これは名無しです。年月をふりとばす遠心機で、人を若くする」と説明する。

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