「ユートピア」ハイテク社会の問題問いかける、恐ろしき1日のサスペンス

理想郷とは何かを問いかける、ハイテクサスペンス

 『メタネット』 というAIのネットワークが管理するハイテクテーマパークを舞台に、パーク関係者たち(+1)と、 テロリストグループとの戦いと駆け引きを描いたSFサスペンス。
人工知能の基礎「人工知能の基礎知識」ロボットとの違い。基礎理論。思考プロセスの問題点までネットワークのイメージ「ネットワークの仕組みの基礎知識」OSI参照モデル、IPアドレスとは何か  部屋に作ったハイテク領域をテーマとしたSF系作品としては、暴走した機械が人間に害を及ぼすという、ある意味典型的プロットとは異なり、それを悪意あるプログラムを持って、恐ろしい武器とする人間たちを描いている。

 この小説には三つの側面があると思う。
まず、息詰まるような駆け引きを描いたエンターテイメントとしての面(1日どころか、数時間の話という短い時間設定が、サスペンス的な緊張感をかなり高めているとも思う)。
次に、セキュリティという概念に関する問題提起。
そして、タイトル通りに、理想郷(ユートピア)とはいったい何か、という問いかけ。

 また、テーマパークの、様々な仮想体験アトラクションのアイデアが散りばめられてもいて、そこもいろいろ考察の余地がある。

 作者はよく、作風が似ているとされるマイクル・クライトンと比べられているらしいが、この作品はテーマ的にはクライトンの、小説ではなく映画であるウエストワールドと似ている。

テーマパークの裏側の人間関係

 この作者の作品の中では、キャラクターや、その人間関係の設定がわりとよく練られてる方と思う。

 主人公であろうウォーンの元恋人で、エリート街道をひたすら走ってきたものの、意外といろいろ悩みを抱えるセーラ。
それに、味方側では唯一の一般客であった、わりと謎の男プールなんかが、個人的には好きなキャラ。

 ちなみに主人公ウォーンは、話の肝と思いきや、単に1ガジェット的なものとも言える程度のメタネットの開発者である

経営者、母親、得意不得意

 セーラは、人命第一というよりは、いろいろな責任問題や損得などを第一として考えているような、なかなかドライな有能経営者というような感じだが、テロリストにいいようにやられるうちに、だんだんと弱さもさらけ出してしまう。

 ウォーンと、彼の亡き妻との間の娘ジョージアとの関係性は、いろいろ興味深かったりする。
セーラは、ジョージアとよい関係を築くことができなかったということは自覚していて、その原因を「セーラが母親としての時間を長く用意してくれるようなタイプではないことを、ジョージアが最初から見抜いていたからだろう」などと分析したりもしている。
こういう問題はわりと現実にもあるだろう。
仕事と、家族との時間の両立。
仕事が生き甲斐という人も、とにかく家族を最低限養うために働きまくっているという人も、世の中に大勢いるだろうが、結局そのせいで、親が一緒にいてほしい子供の願いが儚くなったりしてしまう。

 とりあえずエンタメ的には、終盤、ある事実をウォーンから伝えられ、敗北を認めてしまっていた心境から一転、怒りの気持ちを取り戻したかのようなシーンがなかなか熱かったように思うが、正直その後に、もうちょっと活躍させてほしかった気はする。

ひとりアクションシーンを担う軍人キャラ

 プールは、同じ作者の「レリック」のペンダーガスト的な、ちょっと変人な感じの善人という感じである。
「レリック」博物館の怪物ミステリーの感想と考察。カリスト効果の初出作品 軍隊経験のあるボディガード。

 とても気に入っていたアトラクションが、 爆破されてしまったことでその原理を知ってしまったことに怒りを感じたりするところが、なんかよかった。
テロリストグループのある狙いに関して、 今日一日それを防ぎ続けてさえくれれば無期限のフリーパスをあげる、というセーラのセリフがあるが、最後にこの件がどうなったのかは必見である。

理想の世界なんてありえるか

 セーラとジョージアの問題なども、結局はそういうことだろうが、そもそも社会の発展と、家庭の温かさを両立するということ自体が、通常は不可能である。
というか不可能なはずだったが、人工知能産業の発展が、事態を変えそうなのは、現実でもそうであろう。
まさに機械的に作られた楽園である。

 人間が生きるための苦労仕事を、かつて奴隷が担っていたように、機械たちが様々なことを行ってくれる。
確かにそれなら、人間たちにとっては理想的な世界になるのかもしれない。
だがそもそもそんな楽園を本当に作ることができるのかどうか、というような問いかけが、この作品には含まれているように思う。
これはまあ、これまで社会の根本原理として、共産主義での民主主義だのいろいろなものが、最も理想として考え出されてはきたものの、結局いつも新しい問題が現れてくる、というような話の延長でもあるかもしれない。

恐ろしい悪意が現れた時

 この小説がまさにそういう話だが、たとえ機械が管理する世界であっても、機械を作り、動作プログラムを構築しているのが人間である限り、そこに悪意が発生した時の問題が生じてしまう。

 この話では、ハイテクテーマパークの中でいろいろな仮想体験が描かれている。
そして、店の店員をしているロボットが突然人を襲ったり、それどころか普通にアトラクションで爆発が起きても、 そのような演出を楽しみに来ている客たちは、それを何かの演出だと考えてしまったりする。
それのせいで実際に怪我をしたり、死んでしまうまで。

 実際にそういう仮想空間で楽しめるようになったとしよう。
そうなった時に、かっこいいアクション映画の体験をするつもりで、偽物のはずの爆発が本物にすり替えられてしまっていたらどうなってしまうか。
そんな未来にあるような話じゃなくても、例えば普通に今もあるような、人と握手が出来たりするロボット。
そういうロボットに爆弾でも仕掛けられていたら。

 そういうのはありえる話である。
システムのどこかで、人間の手が介入している限りは。

 では全てを機械任せにしてしまった場合はどうか。
これに関しては、もっと多くのSFが語っているところであるが、この作品では、その点はあまり触れられない。
機械学習「機械学習とは何か」 簡単に人工知能は作れないのか。学ぶ事の意味

ロボットの特攻シーンに関して

 昔なにかの本で、 ある意味では日本人よりもアメリカ人の方が機械に対する熱意が強いという話が書かれていたのを見たことがある。

 どういうことかと言うと、日本人はロボットをより本格的に人工生物として扱いたがる節があり、アメリカ人はどちらかと言うとドライな考え方で、あくまでも機械は人間のための道具であると考える傾向が強いのだという。
つまりアメリカ人にとっては、機械は楽をするための道具で、楽になりたいという熱意もアメリカ人は強いのだとか。

 この作品の終盤。
主人公が、かわいがっていたロボットの犬を、爆弾持たせて特攻させるシーンがある。
この特攻作戦は失敗しかけるも、ロボット犬が意図されていないような行動をとったおかげで、結局うまくいくという場面。
これは、ロボットに対する思想の違いによって、いろいろな解釈のズレが生じやすいと思う。

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