生命の多様性、創造、ヒトはどこまで進化するのか「E・O・ウィルソン著作」

自然世界を守ることを夢見たナチュラリスト

 エドワード・O・ウィルソン(Edward Osborne Wilson。1929~2021)は、特にアリを専門として研究していた昆虫学者だが、一般向けの科学(生物学)解説本も多く書いた。

 ウィルソンといえば、やはり大論争を巻き起こした社会生物学の理論が有名であろう。
つまりは彼は、リチャード・ドーキンス(Clinton Richard Dawkins)と同様に、W・D・ハミルトン(William Donald “Bill” Hamilton。1936~2000)やロバート・トリヴァース(Robert L. Trivers)らが専門家の間に広めた血縁淘汰に関する理論(ドーキンスの表現から、利己的遺伝子論という名称が有名)を、一般向けに解説してみせたのだが、その結論をさらに進めてしまった。
ようするに、ドーキンスは「意識なる(知的生物の?)特性のおかげで、ヒトはそのシステムに逆らうことも可能だろう」といように書いたが、ウィルソンは「人間も人間の共同体すらもそのような自然システムを背景とする、いわば機械的に理解できる世界にすぎないかもしれない」と示唆したのだとされる。
もっとも後には、自分がかつて支持していた、その血縁淘汰というものに関して、彼は否定的にもなっていた。あまり支持は得られなかったようであるが。

小さな領域「利己的な遺伝子論」進化の要約、恋愛と浮気、生存機械の領域

生命の多様性

 環境問題とも関連した生物多様性、その価値が実際どれほどであるのかを、進化生物学的な知識を頼りにたくさん語った啓蒙書。人間の世界を少しでも離れて、豊かな自然の領域を探索する楽しさが経験と共に語られてたりもする。何より、 この素晴らしい地球の多様な生物群という奇跡がどれほどに素敵なものかを知ってもらいたいという意欲(ようするに自然生物たちへの愛情)がすごく感じれる。

 まず、生態系をテーマとした一般向けの解説書としては十分すぎる内容と思う。興味深い内容が多い。例えば小さな島の小さな生物たちの生態系の変化を(つまりほぼ一掃されてから再生するその過程の)観察した研究など、著者が直接関わっているものは、特に、驚きとかも追体験できるようで楽しい。
最近(20世紀後半から21世紀の今までで)ようやくわかってきたことである、生命が驚くべきほど極端な物理環境に、ぎりぎりで適応していること。そうした発見も踏まえ、自然の世界のシステムの強固さがどれほど凄いか、そしてなぜ人間はそれを再現するのに苦労しているのか。

実際のところ生物多様性は、本当に現在の世界を現在の世界のまま安定して長く続けるための鍵だろうか。だとしたらこの本は、研究者としてその事実を強く実感してきた著者の警告の書とも言えよう。

 コンピューターテクノロジーの発展が、今後の生物研究の重要な助けになるだろう(というかすでにそうなっているのだが、今後ますますそうなるだろう)可能性にも触れ、しかし決して楽観的にはならない。テクノロジーが救ってくれるだろうではなく、テクノロジーをうまく使っていかなければ世界は救えないだろうとする。
しかし生物を作るための計画の提案は、ほとんど言ってみただけ感もある。いくらかは文字通りに希望だろう。

生命の未来

 上の本とテーマ的には似ているが、ガイア理論などの話も交えながら、地球生物、地球生態系を守るための具体的な提案多め。

わりと上の本とかぶっている内容も多く、そちらを先に読んだなら、あえてこれを読む必要は薄いかもしれない。しかし、最初のヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau。1817~1862)への手紙は、ファンレター的でもあり、ウィルソンのナチュラリストとしての理想みたいなものが垣間見える。ファンにはそれだけで重要かもしれない。

創造。生物多様性を守るためのアピール

 ある意味、上の2冊で語った、地球の豊かな生態系を守るための計画を実行するための布石(としたら、おそらくそれは失敗しているのだが)。
アメリカ人の科学者としては珍しいことではないと思う。ウィルソンも、若い頃はキリスト教の世界観にどっぷり浸かっていたらしい。比喩表現などは、その影響がずっと見られもする。
それもよくあることと思うが、科学を学ぶことで宗教的な教義、特に 組織的に、大した根拠なく、しかし広く共有されているような教えを信じられなくなっても、ある世界観を美しく、あるいは理想的とは思っていたのかもしれない。

 本書は、(キリスト教プロテスタントの派閥で、アメリカで特に大きな影響力を持っているとされる)南部バプテストの(架空の)牧師への手紙という形式。 科学者にとっても、神を信仰する者にとっても重要であると思われる自然世界を守るため、 これまでの確執は一旦脇に置いておいて、今は協力しようという提案。

 南部バプテストは一般的にはかなり保守的な福音主義で、 各自の世界感にも関わりなく、自然世界を守るために協力しようと呼びかける相手としては、それほどおかしくないと思われる。ただし、序盤中盤にかけてはまだ記述にかなり気を使っているようでもあるこの本の終盤においては、むしろ話は、「科学研究の成果のために明らかになってしまっている聖書の間違いなどまで信じることは愚かではないか」というような説得に走ってしまっている感じもある。これは極端な福音派の人たちには普通に逆効果ではないかと思う。
ようするに「科学に妥協はありえず、いわゆるインテリジェントデザイン(創造者が世界を造ったという説)は根拠がないということで、多くの科学者の見解が一致している」というように書いてたりする訳だが、これが、自然世界を守るために共闘するという目的のために最低限必要な科学知識とはあまり思えない。この本が、「受け入れられるかどうかはともかくとして、もう少ししっかり科学を学んでほしい」というような趣旨なら、そういうことを書いておかしくはなかったと思う。しかし全体的な記述からして、そうでないことはほぼ間違いないだろう。この本の目的はあくまでも、どういう世界観に生きていようが確かに共有している目の前の、足元の、この地球の世界観を一緒に守るために協力しよう、と訴えるための本ではないのだろうか。

「世界のほとんどの人々が自然環境のことを心配していながら、なぜ心配するのか、なぜ自然環境に責任を感じなければいけないのか、理解していない」
そうしたことは、確かに重要なことかもしれない。ただ、このような本を書く場合、手紙の相手を本当に牧師にするべきだったろうか。

 もう1つ重要なことは、おそらくウィルソンの本の中でも、特に生物学の知識のない読者を対象にしているので、記述がとても丁寧で、ゼロからわかりやすいと思う。それこそ、生物学や環境問題を、初学者が学ぶのによいかもしれない。

ヒトはどこまで進化するのか

 まず、どちらかと言うと(あちらほど攻撃的ではないが)ドーキンスよりの、宗教を社会の癌みたいなもの、単なる妄想としていることから、上の本の試みがあまりうまくいかなかったのだろうと思わせる。
しかしそれより重要なこととして、ウィルソンはこの本で、少し前の自身の論文で発表した爆弾的な見解をまた書いている。つまりは、かつては自身も支持していた血縁淘汰説、包括適応度理論というものを否定する(数学的記述は省いているものの、巻末にそれを試みた論文もある)。さらにはそれに代わる進化論(自然淘汰理論)としてマルチレベルの自然選択というものを紹介している。

 ウィルソンの本来の専門はアリである。そしてアリは真社会性と呼ばれる(超個体と呼ばれることもある)集合個体と言えるような、つまりは多くの個体が1つの巨大な生物かのように振る舞うネットワークを形成する、そういう生物。
そうした新社会性の生物は、進化によりどのように生じたのか。というのはダーウィンの時代からすでに大きな謎。(利己的遺伝子説とも呼ばれる)血縁淘汰の考え方は、従来よりもそうしたシステムが進化によって生じるということをかなり説明しやすくした。
ウィルソンはどういう流れで、自分の考えを変えたのだろうか。彼は、「真社会性の発展に関しては、実は血縁淘汰はそれほど説明できない」というように書く。そのような特性は、集団内の競争なども重要視した、(つまりは血縁淘汰を採用するほとんどの場合、あえて持ってこなくてもよいとされる群淘汰の考えも取り入れている)マルチレベル淘汰の方がうまく説明できるのだと。

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