赤の女王、やわらかな遺伝子、繁栄「マット・リドレー著作」

生物のシステム、人類のシステム。楽観的なサイエンスライター

 マット・リドレー(Matt Ridley)は、初期キャリアは普通の研究者らしいが、後に(基本的に生物学関連の)サイエンスライターとして有名になった人。

 わりと草稿の段階で見てもらったりすることもあったようだが、リチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)の影響を感じさせる感じはある。というか似ている。特に、ほぼ必ず自分の考えをはっきり持った上で、様々な理論を(あくまで、ある理論の支持者としての立場から)評価しようとするところ(姿勢)などは似ているように思う。
人によっては高圧的とか、挑戦的に感じたりするかもしれない。
しかしドーキンスに比べると、あくまでも科学解説をするライターとして意識が強めな印象も少しある。例えば、自身が的外れと思ってるような理論とかでも、なるべく公平的に取り上げようとしている感がなくはない。
また、これもサイエンスライターらしく、歴史に触れることも多い。
イギリス人であることが関係あるのか不明だが、シェイクスピアを引用することも多く、文学好きも楽しみながら読みやすいかもしれない。

 初期の有名な本などは特に、ドーキンスの支持する(生物学的な方の)理論に傾いてるなら、一度は読んでみるのがいいと思う。

小さな領域 「利己的な遺伝子論」進化の要約、恋愛と浮気、生存機械の領域

赤の女王 性とヒトの進化

 リドレーの代表作的な1冊。

「性」がテーマ。タイトルに使われている「赤の女王仮説」と呼ばれる理論を軸に、ダーウィン進化論に関連する性淘汰の話なども含め、とにかく様々な観点から、性別というものがどのように考えられてきたのか、研究されてきたのか、そして現在まで残ってきた謎に関して、色々考察している。
かなり大雑把に言うなら、ドーキンスの『利己的な遺伝子』の、性に関連している部分をピックアップし、色々と深く踏み込んだ1冊、というようにも言えるかもしれない。

利己的な遺伝子、虹の解体、悪魔に仕える牧師「ドーキンス著作」

 オスとメス、男女の違いはどこか、そして、なぜそのような違いがあるのか。進化論の適用された世界観において、よく考えるとデメリットの方が多そうであるのに、実際はそうでもないのだろうか。
赤の女王仮説は、この本の中で提示される、ほとんどの疑問に答えることができる理論でもある。
赤の女王仮説というのは、かなり様々なスケールにおいて限定的に適用させやすい。それで、オスとメスがあること、単に遺伝子の交換を行うということの理由について、この理論で納得できたとして、場合によっては「ではなぜ動物においては、これほどに多くの生物が雌雄同体ではないのか」というような謎に関しては疑問として残される場合もある。ただしもう少しスケールを小さくして(あるいは大きくして?)見てみたらどうか。
ひとつの理論が常に重要な柱としてあるので、詳しく考察したい場合にもいいかもしれない。

「性の進化」有性生殖のメリット、デメリット。オスとメスの戦い

やわらかな遺伝子

 遺伝子の柔軟性というか、 それがいかに精神的なものまで含めた生物世界を作っているか、(やはりドーキンスの「利己的な遺伝子」によって広く知られるようになった)そういう進化仮説を重要視した本。古くから今までひたすら続いてきた「生まれか育ちか」という議論が重要なテーマでもある。

しかし今は普通、「生まれか育ちか」というような表現を使った場合、実質的には「生まれと育ちのどちらがより重要なのか」というような意味合いがまず浮かぶ(そういう捉え方が普通になっている)のでなかろうか。
この本では、いくつか、実際に高名な(あるいは忘れられた)科学者が抱いてしまった(抱いていた)強い思い込みも紹介している。いくところまでいってしまった科学者(?)が、なぜそうなってしまったのかの流れを紹介していて、そこはグールド(Stephen Jay Gould。1941~2002)のエッセイで時々見るそういうのにも似ている印象。例えば、育ちを重視した(そして全盛期には影響力のあった)ある学者の、それこそ「雑種を作るには接ぎ木(2つ以上の植物の接着)すればよい」とか、「甘い砂糖水をかけた植物の次の世代は甘くなる」といった理論。そういう話が楽しい人にもいいと思う。
ようするに、本当の意味で決定的な意味での「生まれか育ちか」というような問いが重視されている。「そういう極端な見方がかつてはわりとあったが、現在は基本的にどちらも重要なのであることがわかってきている」ということを強調している箇所が多い。

 どちらかというと、現代(少なくともこの本が書かれた21世紀初期)は、生まれよりも育ちの方が重要である方が好ましいと考えられているだろうか。著者の主張(この本の結論)としては、「生まれも重要である」ということだが、それだけでない。育てだけを重視した社会が別に公平ではないこと。自分が別に優性論支持者などではないこと。この本の結論の基盤とも言える、社会生物学寄りの思想などが、(それを嫌う学者たちが宣伝してきたような)危険な理論だというのは誤解であることなども、わりと説明している。

 しかし、生まれか育ちかという言い方は、確かに古いのかもしれない。この本でも最終的にそういう感じになっているのだが(そして実際的にはもっと古くからの問いかけに思えるが)「決定論か自由意志の余地か(この世界のシステムがどういうものにせよ、コントロールされ続けるしかないのか、あるいはどうにかそのコントロールを離れる方法があるのか)」でなかろうか。
この本で扱っているスケールと言うか、理論のための言葉で言うなら「遺伝子システムが生物をコントロールしているのか、あるいは遺伝子を生物がコントロールしているのか」。
例えば知的生物とそうでない生物、あるいはある生物と別の生物の複雑さの違いなどが、その答にどう影響を与えるかなどは謎のまま。しかし様々な研究成果をまとめ、一応は「生まれは育ちを通して」。つまり遺伝子は、育ちに影響され、育ちに合わせてデザインされるが、しかし直接的に確認可能な性質などに関しては遺伝子が重要(Nature Via Nurtureという原題とはまったく違うが「やわらかな遺伝子」という邦題もわりと内容に合っていると思う)というような世界観を紹介している。

繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史

 社会生物学と言うか、もう社会学にかなり近づいた本。

人類という生物種の未来がテーマと思うが、興味深いと思えるほどに楽観主義的な印象。例えば「分業というシステムの開発が、個あるいは少数の者たちだけでは実現できない(あるいは実現できたとしても後世に残せないだろう)様々なテクノロジーを生み出し、そしてその(限界があると考えないといけない大した理由もない)テクノロジーが、これまでもそうであったように、これからも人類を豊かにしてくれるだろう。さらにはそのテクノロジーの実現した豊かさ自体から生み出された様々な問題、人口爆発とか、環境激変などの問題すら、テクノロジーの進歩がどうにか解決してくれるだろう」というような。
むしろ以前には、実際のサイエンス本より、SF小説などでよく見たような楽観論かもしれない。しかし21世紀以降には、ノンフィクションでもわりと真面目に、そういう楽観論が取り上げられる率が上がってる気がする。それだけ、テクノロジーの進歩速度、加速が凄いということだろうか。

「知性化宇宙」超空間で繋がりあう五つの銀河。知的生物で溢れる物質世界 「巨人の星シリーズ」どこか楽観的、地球外生物ガニメアンとの友情SF

 以前の本でもそういう印象がないわけではなかったが、人間主義的な傾向がちょっと高まってるような感じはする。
『やわらかな遺伝子』では(社会生物学関連の論争で苦労した)エドワード・O・ウィルソン(Edward Osborne Wilson。1929~2021)を擁護している感じだったリドレーだが、知性と関わりない生態系についてはかなり違う視点に感じる。簡潔に言えば、ウィルソンは、複雑な大自然が生んだ生態系というシステムを重要視している。長期的な安定世界のために捨ててはならない。テクノロジーは、 大量の資源の貯蔵庫から非効率に奪いまくってきただけ。それではいつか限界が来るだろうというような。
リドレーからすれば、そうしたテクノロジーの、自然再現性の限界も、悲観的なのだろうか。しかしこの本で、リドレーが最も扱いに困っている問題も、まさに環境破壊の問題のような気がする。

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