「全身麻酔手術の仕組み」薬の種類、麻酔科医の仕事、リスクはどれほどか

麻酔薬

麻酔の原理は本当にわかっていないか

 麻酔の中でも、特に『全身麻酔(General anesthesia)』と呼ばれるものは、手術中の患者の意識を抑えて、それに伴う痛みや苦しみを消し去るためのものである。

 よく麻酔というものに関して、「その原理がわかっていない」という話があるが、実際にほとんどわかっていないようだ。
しかし医療分野においては、現象が先に明らかとなり実用化もされ、原理は後から判明したというケースは、別に珍しいことではない。
 肝心なことは、それによって救われてる人が大勢いることである。

 全身麻酔は、基本的に、『吸入麻酔薬(Inhalation anesthetic)』、あるいは静脈じょうみゃくに注射するタイプの『静脈麻酔薬(Intravenous anesthesia)』というのを利用する。

吸入麻酔薬。他の分野ではあまり見られない、吸う薬

笑気ガスとエーテルの研究

 『笑気しょうきガス(laughing gas)』とも呼ばれる『亜酸化窒素(nitrous oxide。N2O)』と、『エーテル(ジエチルエーテル。C4H10O)』は、吸入タイプの『麻酔薬(Anesthetic)』として、(実用的な麻酔としては)かなり古くからあるものである。

 亜酸化窒素の麻酔効果を発見したのは、ハンフリー・デービー(1778~1829)。
そして、エーテルの麻酔効果を発見したのは、 電磁誘導の発見などで有名なマイケル・ファラデー(1791~1867)である。
電気実験「電気の発見の歴史」電磁気学を築いた人達  1842年にはロングという人が、エーテルを麻酔薬としていくらか用いたようだが、発表しなかったようだ。

 それから、1845年に歯科医のホレス・ウェルズ(1815~1848)が、笑気ガスを麻酔として使い、ほぼ無痛下での抜歯に成功。
ガス麻酔「麻酔手術を変えた人体実験」笑気ガス、エーテル、植物エキス ただし彼は公開実験において、適量計算を間違えたために、インチキだとバカにされた。

 そして1846年。
ボストンの病院で、ウィリアム・トーマス・グリーン・モートン(1819~1868)が公開実験に成功し、彼が使ったエーテル麻酔は、すぐさま普及していった。

エーテルはもう基本的に使われないか

 エーテルは、可燃性が高いために、基本的に1970年代以降は使われていないようである。

 また、亜酸化窒素に関しても、二酸化炭素以上の温室効果を持ちながら、処理がしにくいこと。
温度「気温の原因」温室効果の仕組み。空はなぜ青いのか。地球寒冷化。地球温暖化 そもそも多量に使わないと効果が薄いことなどから問題視されていて、今ではやはり、基本的に使われない。

エーテル結合のフッ素化合物

 そもそもエーテルとは、「ーO(酸素)ー」というような形で表記される『エーテル結合』を含む化合物のこと。
化学反応「化学反応の基礎」原子とは何か、分子量は何の量か ただし単にエーテルと言った場合は、ジエチルエーテルを指す事が多い。
最初にエーテル麻酔に利用された、可燃性が高く、危険とされているエーテルは、そのジエチルエーテルである。

 吸入用麻酔としてよく知られているものに、『セボフルラン(Sevoflurane。C4H3F7O)』や『イソフルラン(Isoflurane。C3H2ClF5O)』というのもあるが、これらも、エーテル結合系である。
そして、上記のいずれも、周期表において「第17族元素(ハロゲン)」というのに分類されている「フッ素(fluorine。F)」を含んでいる。

 ジエチルエーテルのような、可燃性の高いエーテルは、基本的にハロゲンを含んでいないものなので、麻酔として採用されるエーテルにハロゲンが含まれているのは、当然の話でもある。

 ただフッ素化合物は、大なり小なり、オゾン層の破壊効果と温室効果を持っていて、しかも二酸化炭素よりも分解が難しいという欠点も、抱えている。

麻酔薬に求められる効能

 医学の領域において吸入するタイプの薬があるのは、ほぼ麻酔薬のみである。
このことは、麻酔というものに求められる効果に関係がある。

 まず麻酔薬に絶対必要なのは、確実な効果である。
麻酔は患者の苦しみを抑えるためだけのものではない。
医者が安全に外科手術などを行うために、 患者が苦しみ動くのを防ぐという目的もある。

 それに、麻酔というものは神経などに影響を与えるので、長時間にわたって効果が持続したりするのはまずいと考えられている。
 そこでもうひとつ重要なのは、それが必要な時間が過ぎると、必ず効き目が切れるということ。
 飲み薬などのように体内に吸収されるタイプの薬は、基本的に尿として排出されることで体内から出ていく。
これに比べて吸入するタイプの麻酔は、呼吸を介して外部に出ていくことが多い。
 呼吸で吐き出される空気の量を考えると、吸入する薬の排出は、飲み薬などより、何千倍くらい効率がよいとも考えられているのである。

静脈麻酔薬。吸入タイプに取って代わったか

プロポフォールの普及

 かつて、麻酔というのは、吸入するタイプが基本とされていた。
しかしもうそれは過去の話ともされる。

 大きな転換点となったとされているのが、静脈麻酔である、『プロポフォール(Propofol。C12H18O)』の普及である。

 「芳香族化合物ほうこうぞくかごうぶつ(aromatic compounds)」という、環を成しているような構造の有機化合物があり、その代表的なものとされるのが「ベンゼン(C6H6)」である。
そのベンゼンの、水素(H)が使われている部分のひとつが「ヒドロキシ基(ーOH)」というのに置き換わった化合物を『フェノール(C6H5OH)』と言う。
 プロポフォールは、フェノールに「イソプロピル基(ーCH(CH3)2)」を二つくっつけたような物質。

 代謝による消費がかなり速いという特徴があり、継続的に投与すれば麻酔効果を持続できて、かつ投与をやめれば、すぐに効果が切れる。
つまり吸入タイプと同じく、麻酔としてはなかなか、理想的なものである。

麻酔の導入。複数を併用するパターン

 麻酔効果をもたらすための薬は一種類のみ使うというパターンも、過去には基本だったという。
しかし現在はそうでもない。

 手術などの際に麻酔を開始することを『導入(introduction)』という。
複数の麻酔を使う場合、最初の麻酔を使用する時が導入である

 吸入麻酔を用いる場合でも、その導入に関しては、静脈麻酔薬が使われることが多い。

 導入時に使われる静脈麻酔薬として、古くは『チオペンタール(Thiopental。C11H17N2NaO2S)』という『バルビツール酸系(Barbiturate)』の薬が主流であった。
バルビツール酸系は、「カルバミド」とも呼ばれる「尿素にょうそ(urea。CH4N2O)と、「ジカルボン酸(dicarboxylic acid。カルボキシ基(−COOH)を二つ持つ化合物)が結合したような化合物で、中枢神経系の抑制作用を持っている。

 しかしチオペンタールは、連続投与をすればするだけ、体内での濃度が濃くなって、目覚めにくくなってしまう。
その点、代謝が早いプロポフォルは、吸入タイプに頼らずに、かつ比較的安全に、麻酔効果を適度に維持できる、便利なものであった。
かつてのエーテル麻酔がそうだったように、便利で役立つから普及したわけである。

麻酔濃度のモニターの難しさ

 吸入麻酔薬に対して静脈麻酔薬は、環境破壊効果を伴わないというメリットがある一方で、デメリットもある。
例えば、脳の麻酔濃度の確認のしにくさなどは無視しにくい。

 吸入麻酔薬の場合、患者の肺内の麻酔濃度の測定は容易である。
そして、体内濃度が安定している時、 『呼気こき(Exhalation。吐き出されてくる息)』の濃度と、脳の濃度には、それなりに相関関係があることが明らかにされている。
 そこで、肺を出入りする麻酔ガスの濃度をモニターすることで、実質的に脳の麻酔濃度を確認できる。

 しかし静脈麻酔の場合は、脳の濃度に関して正確に調べるのは困難とされている。

気管挿管、人工呼吸の重要性

 睡眠中に、張りついた舌が壁になったりして、空気の通りが悪くなることがある。
それが原因で、「いびき」と呼ばれる雑音を発生させたり、一時的に呼吸が止まってしまったりする場合もある。
そういう現象を、「睡眠時無呼吸症候群(Sleep apnea syndrome。SAS)」と言うが、たいていは、苦しくて目が覚める。

 麻酔を受けた時にも、SASが発生することはあり、しかも通常の睡眠の時に起こる場合よりも、「苦しくて目覚める」ということが起きにくい。

 そこで、特に全身麻酔使用時には、『気管挿管きかんそうかん(Intubation)』というのを行うことが多い。
これはようするに、『気管チューブ(Endotracheal tube)』という器具を使った、気道の確保である。
 気管チューブはまた、麻酔によって麻痺した喉の反射機能に代わって、分泌物などが気管に侵入したりするのを防ぐなどの役割もある。
 それに、やはり麻酔効果により、 自力での呼吸が困難な患者に(専用機器を用いた)人工呼吸を行う際にも、気管チューブを通した方が、安全性が高いとされている。

 気管チューブは、麻酔中の気道確保方法として、最も優れたものとされる一方で、喉に傷などが残る問題もある。
しかし、気道確保をしっかりしないで行われる麻酔は、呼吸障害などを引き起こす危険性が(可能性は低いようだが)ある。

医療現場で使われる麻薬

 手術などの際に、麻酔を使って痛みを抑えることは非常に重要視されている。
術中、患者の痛みが軽ければ、手術が上手くいきやすいというだけでなく、術後の患者の状態も比較的良好になるという報告も多いという。

 『麻薬(narcotic)』は、危険なイメージも強いが、「モルヒネ(C17H19NO3)」や「フェンタニル(C22H28N2O)」のような一部は、鎮痛剤として役に立つこともある。

 麻薬はもちろん、中毒性なども問題視されるが、医療の現場で使う場合は、副作用としてよく見られる呼吸困難が厄介とされる。
 そこで(それ自体が麻薬であるのだが)「麻薬拮抗薬(Narcotic antagonist)」という麻薬による効果を抑える薬が併用されることもある。
ただ、多くの麻薬拮抗薬は、肝心の鎮痛作用の方まで抑えてしまうというのが問題になっているようである。

患者の状態をどうやってモニターしているか

血圧計。心電計。コンピューターの活躍

 麻酔中、当然のことながら患者は、言葉で自分の情報を医師に伝えられない。
それでも医師は、患者がどのような状態にあるのかを、しっかりと確認できる必要がある。

 麻酔中に、『血圧計(Sphygmomanometer)』で血圧、『心電計(Electrocardiograph)』で心臓の動きを確認するのは当然であり、それらの機器の性能もどんどん向上しているという。

 また、モニター用機器などがある程度電子化されたことによって、ガス濃度などがかなり正確なレベルで確認できるようになった。
 それに、「(手術後、必要のなくなった)笑気ガスを止める代わりに、間違えて酸素を止めてしまう」などの、人為的なミスを機械がストップさせてくれる場合も増えたようである。
コンピューターの勝利である。
コンピュータの操作「コンピューターの構成の基礎知識」1と0の極限を目指す機械

カプノメーターで気道の二酸化炭素を測る

 非常に重要なこととして、患者が呼吸しているかどうかの確認があるが、一般的なものとして『カプノメトリー』という方法があるという。
 これは『カプノメーター』という装置を用いて、気道中の二酸化炭素量を測定する方法。

 二酸化炭素は、呼気に必ず含まれているから、その量を測ることで、間接的に呼吸の度合いも確かめることができるのである。

パルスオキシメーターと血液の色

 血中に酸素が足りているかどうかは、血の色を見ればある程度は判断つく。
酸素を多く含んでいる血液は赤く、酸素を失っている血液は青黒いのだ。

 かつては、血中の酸素量を調べるのに、『注射器(Syringe)』などで採血した血を『オキシメーター』という装置で確認していた。
 今は採血せず、外部から血液中の酸素量を測定することができる、青柳卓雄あおやなぎたくおという人が開発した『パルスオキシメーター』という装置もある。
 外部から体内の血液を測定する場合、「動脈血(酸素を持った血液)」と「静脈血(酸素を体内の各種器官に渡した後の血液)」の区別がつきにくいという問題があった。
パルスオキシメーターは、動脈血特有の脈(鼓動)の発生を感知することで、それらを識別している。

 いちいち採血しなくてもいいということは、患者の状態を連続的に確認できるということでもある。
そういう意味でも、パルスオキシメーターは非常に役に立っているという。

手術中に覚める意識とPTSDの問題

 現在でもモニターできないし、まったくそんなことができるようになる目処もないのが、手術中の患者の意識である。
コネクトーム「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で  麻酔中に、患者が意識を取り戻すことを『術中覚醒(Intraoperative awakening)』と言う。
 なんだかフワフワと夢を見ているような感じであったり、とても痛くて苦しいという気持ちがあるのにそれを伝えられないような状況であったりと、これにもいろいろあるようだ。

 特に問題とされているのが『心的外傷後ストレス障害(Post Traumatic Stress Disorder)』、いわゆる『PTSD』に繋がることである。
ようするに、手術中に目覚めた時の恐ろしい体験が、患者の心をひどく傷つけてしまうことがあるようなのである。
ストレス「ストレスとは何か」緊張状態。頭痛。吐き気。あらゆる病気に繋がる難敵  この事に関して現時点では、医者が取れる対策は「患者にあらかじめ警告しておくこと」くらいしかないという。
患者側としても、「そういうこともあるのだ」と覚悟を決めておくことが大切と思われる。

麻酔科医の悪夢、悪性高熱症とその特効薬

 麻酔科医がもっとも恐れるという患者の症状のひとつが『悪性高熱症(Malignant hyperthermia)』である。
 これは、麻酔を投与された患者が、突如発熱して、心臓を停止し、死んでしまうという、かなり深刻な症例である。

 原因は遺伝的なもので、発祥率は数千人に一人というような確率だそうだが、年間行われている、麻酔を要する手術の数からして、とても無視できるようなものではないという。

 幸いにして、今は『ダントロレン(Dantrolene。C14H10N4O5)』という「特効薬(specific medicine)」もあり、医療関係者にはこの症例自体もよく知られているので、(一応は)かつてほどの危険はないらしい。