本陣殺人事件
昭和12年のある日。
結婚式の夜に、新郎新婦の眠る離れ家から、突然鳴り響く琴の音と悲鳴。
駆けつけた親族が見た者は、二人共に惨殺された新郎新婦。
ただし部屋のドアには鍵がかかり、外部との繋がりは、人が通る事など不可能な、小さな隙間のみ
さらに雪降る野外には、足跡のひとつも残されておらず、ただ凶器と思われる日本刀が突き刺さっていた。というまさに奇々怪々な密室殺人を描いたミステリー。
新婦の叔父である銀造が連絡を取った金田一耕助は、まだ多くの人に知られざる名探偵。
実は最初の事件ではない
雀の巣に例えられるモジャモジャ頭、いかにも貧弱そうな体つきに、人懐っこい笑顔、トレードマークの袴に帽子。そしてある人達から言わせれば、まるで怪物的に優れた洞察力。明晰な頭脳を持つ、間違いなく日本のミステリー史を代表する名探偵の一人である金田一耕助のシリーズ。
この「本陣殺人事件」はその1作目、ではあるのだが、ここに描かれているのは、耕助の最初の事件という訳ではない。
ただシリーズ通して、彼が解決した最も古い事件を扱っているし、彼が探偵となった経緯も紹介されているので、最初に読む作品としてはかなり正しいと思われる。
また、この作品は、金田一耕助の関わった事件としてかなり古いものなので、当然彼は若い。まだ二十代半ばという設定である。
そして前述通り、この作品では、探偵となる前の(なんと薬中毒のチンピラだった)彼のことも説明されている。
彼は、北海道地方の出身らしいが、若い頃に渡米したという。
アメリカではドラッグにおぼれ、堕落した生活を送っていたが、やがて克服し、偶然にとある事件の解決に関わったのをきっかけに、彼は探偵を志す事になる。だが、日本に帰国してから、事務所を構えたのはいいものの、当然無名の彼に頼る者など全然いない。
しかしまたしてもひょっこりととある事件を解決し、知る人には知られた彼。そしてその後の、日本での彼の2つ目の事件こそ、この本陣殺人事件である。
別に後の、年取った彼と性格が違ってるとか、そういう事はないけど、しかし二十代の(そして探偵に成り立ての)金田一耕助の活躍を楽しめるのは貴重だと思う。
後にいくつかの事件で共に捜査をする磯川警部との出会いも、描かれている。ただ(何せ2人はかなり初めから打ち解けるので)この手の探偵小説でよくある、「素人が口を挟むな」的なイベントはない。
怪奇色控えめたが、その分、密室殺人が本格的
このシリーズ全体の特徴ともいえる、怪奇具合というか、おどろおどろしさみたいな要素は、後の作品に比べればかなり控えめである。しかしそのおかげか、本格的な密室トリックも相まって、ある意味シリーズで一番、普通の難事件ミステリー感があるかも。(ないけど)「読者への挑戦」が解答編の前にあっても全く違和感がないレベルである。
事件を未然に防げない役立たず名探偵という魅力
このシリーズ自体の魅力ってやっぱり金田一耕助という男の情けなさ、というかショボさだと思う。
例えば『獄門島』や『悪魔の手鞠唄』における、伝わる詩になぞらえた殺人。『八墓村』や『悪魔が来たりて笛を吹く』などにおける、呪われた血筋の因縁。そういうおどろおどろしい雰囲気の中で、頼りとなる探偵であるはずの金田一耕助その人は全然頼りない。格闘なんかが駄目なのはお約束として、死体にびびり、予測している殺人を未然に防げず、わりと知的な犯人に出し抜かれちゃったりもする彼だが、しかしだからこそ、読者が体験する不気味さや恐ろしさが増すのだとも思う。物語に高い緊張感が生まれる訳である。
彼は確かにたぐいまれな名探偵である。だけどそれだけ、ただ名探偵なだけの普通の人。それが金田一耕助。
だから彼の物語は、不可思議さがまし、恐ろしくも、でも優しさもちゃんとある人の心が上手く描かれ、それが多くの人にとって魅力的なのだと思う。
獄門島
とりあえず本陣殺人事件を先に読んだ方がいいと思う。この作品は、単に2作目だからというだけでなく、世間的にはまだまだ無名だけど、しかし本陣殺人事件で一部には知られた金田一耕助というキャラクターが、物語の面白さの一端になっている。
つまり名探偵なのだけど、名探偵と知られていないシチュエーションなわけである。
この作品以降は、彼は作中でもどんどん有名になっていくので、こういう立ち位置での金田一耕助を楽しめる作品も、ある意味貴重とも言える。なんと、最初の事件が起きた後に、彼はあまりにも怪しすぎるために、一時的に牢屋に入れられてしまう場面などもある。
事件の怪奇演出や、謎の複雑性など、基本的なミステリーとしても本陣殺人事件の正統進化作品というような感じ。
また、別の作品だけど、「このような男であっても恋をするのである」 というように表現されるくらい、あまりそういうことに縁がなさそうな金田一耕助の恋も、(要素的にはごくわずかながら)描かれている。
後におなじみになるいくつかの作風の原点
金田一耕助シリーズといえば、緻密に練り上げられた事件の真相と、それが判明するまでのおどろおどろしいと言うべき怪奇的演出が特徴とされるが、これはそのような作風を明確に定めた一作といえると思う。
物語の始まりから、いったい何がどうなっているのかという、不気味な疑問点の連続である。
これは、第二次世界対戦で、日本がアメリカに敗北してから間もなくの作品。
本陣殺人事件で、優れた探偵の手腕を世間に知らしめた金田一耕助であるが、その後はあまり大きな仕事もなく、戦争が始まって、軍にその身を預けることになってしまった。彼には、一緒の部隊にいて、仲良くなった友人がいたのだが、ようやく戦争が終わって、これから帰るという時に、その友人は病気で帰らぬ人となってしまう。そして彼は、死の淵で告げる。
「金田一君、俺は本当は君のことを知っていた、本陣殺人事件のこと 、君が優れた探偵であることを知っていた。俺の故郷である獄門島へ行ってくれ、おれは死ぬわけにはいかなかった、このままでは3人の妹たちが殺される」
そういう言葉を残した戦友の思いを汲んで、彼は獄門島へとやってくるが、はたして彼が告げた通りに、島にいる彼の3人の妹たちが、次々と殺されていくわけである。
罪人たちの島という舞台設定。おかしな三姉妹の演出
獄門島という名前がまず凄いが、この名前の由来の設定から結構興味深い。
もともと海賊の一味が、自分たちの根城の、北の守り、北の門としていたとして、北門島と呼ばれていたというのが最有力な説。異説として、江戸初期に、五右衛門なる大男を輩出したことから、五右衛門島と呼ばれていたというのもある。
その起源は何にしろ、獄門島と呼ばれるようになったのは、この島が長い間、罪人が流されてくる島として利用されていたからと説明される。そしてこの、罪人たちが作ってきた閉鎖的な島という基本設定が、怪奇的な演出の説得力を増やすのである。
また、いつも通りというより、今後の通りという感じだが、やはり金田一耕助という探偵は、肝心なところで役に立たない。この作品でも、お約束のように、助けてくれと頼まれた3人の姉妹全員殺されてしまう。
しかし、この守るべき立場にいる三人娘が、とても美人なのはともかくとして、少しおかしいというか、変な三人として描かれていてそれがまた不気味。
年齢のわりに子供っぽく、おまけにこの三姉妹の共通の恋の相手である美青年も、少年と勘違いしてしまうような幼い外見で、その背後にはまた野心深い女の影があるなど、いろいろと人間関係に狂気的なイメージがある。
金田一耕助シリーズの他の作品においても、こういうどこか不気味な人間関係は、特徴としてよく知られているが、この作品はやはりその原点と言えよう。
終戦から間もなくのお話
やっぱり戦争が終わって間もなくの話なので、「そういう時代だったんだな」と思わせるような演出も多々ある。
個人的には、金田一耕助が本陣殺人事件で行動を共にした磯川警部の健在を知ったシーンが、なかなか印象深い。
戦争の間、その消息も知れず、それどころか自分の知り合いなんてほとんど死んでしまったかもしれないと、金田一耕助も意気消沈していた。そんな中で、おそらく、それまででは最も難事件と言えた事件の捜査を、一緒に行った盟友が生きていると知って、金田一耕助は耐えきれないで、涙まで見せてしまう。
作中でははっきりと、「戦争の終わりは誰もが望んでいた」というような一文もある。
やはりそういう時代だったのだと思う。
八つ墓村
金田一耕助の出番が少ない、金田一耕助もの。
探偵小説では、 探偵の出番がそんなにないというような話はあまり珍しくはないが、このシリーズでは珍しいと思う。
書かれた順番的に、この「八つ墓村」は4作目に当たるようだが、3作目、つまり前作にあたる「夜歩く」も耕助の出番が少ないから、 作者の横溝正史は、もしかしたらこの頃、そういう方向性を模索していたのかもしれない。
主に登場人物の1人が書いた記録という形式の、一人称視点であるのも、「夜歩く」と同様である。
いろいろと恐ろしい作品で、獄門島にて始まった、閉鎖的な田舎で起こる、怪奇的というよりも狂気的な殺人事件。ちょっと不気味な感じの人間関係。そして、やはりあまり役に立たない金田一耕助という、以降、このシリーズの長編の典型パターンの1つとなっていくような作風。
また、この話で描かれている事件は、シリーズの世界観の中でもかなり世間の注目を浴びた設定なようで、以降の作品で金田一耕助は、八つ墓村の事件で有名な名探偵というふうに評されたりすることも多くなる。
本当に、大して役に立たない名探偵
今回、金田一耕助は、ある事情から、かなり始めの段階で犯人の目星がついていたのだが、それをいっさい誰にも言っていなかった点などは、人によっては、なかなか酷いと思うかもしれない。
最後の解答編( と言っていいのかも微妙な感じの解答編)で、「今回の事件、僕には何もいいところがなかった」と金田一耕助は自虐するが、別に比喩でもなんでもなく、わりとその通りである。
ただ、「僕がいっさいこの事件に関わっていなかったところで、この事件は勝手に収束し、犯人は報いを受けたことでしょう」というセリフはさすがに自虐がすぎる。(それによって犯人に予定が少し狂った)とある洞窟の件と、(それによって主人公が精神崩壊(?)するのを防いだ)警察のやりすぎを抑えた件などは、一応はなかなか重要。
金田一耕助は、この事件は非常に動機が難しいなどとして、なんと匙を投げようと思ったこともあるとすら告白する。その理由の大きな1つとして、この事件が、かなり奇妙な形の、半分無差別的な連続殺人だからと言うが、それはちょっと違和感がなくはない。
これは「本陣殺人事件」である描写だが、金田一耕助という人は、ミステリー小説に非常に詳しいだけでなく、それらが現実の難事件の解決にも役立つヒントを、よくよく与えてくれるなどと考えている設定である。そして途中で、そうかもしれないという推測がある、無差別と見せかけている裏側の狙いは、いかにもミステリー小説的なもので、そうかもしれないと感づくのはそう難しくないのでないかと。
昔の伝説からの宝探し要素
「獄門島」では、最初、舞台となる島に関する説明があったが、この「八つ墓村」でも、最初に、舞台の村の背景解説がある。戦国時代の八つ墓村という名前の由来でもある伝説と、近代(物語の20年ほど前)に起きた事件の話である。
近代の方の事件は、主人公や、その一族にも関連していて、実際に田舎の村であった恐ろしい事件を元ネタとしているが、あくまでもモチーフというか、参考にしているだけで、その事件そのものではない。
当然であるが、戦国時代の伝説の方は、あまり事件本編と関わるものではない(まったくというほどではない)が、これがなかなか興味深い話である。
暗い本編において、少しばかりの明るさをもたらす宝探し要素の発端にもなっている。
わりと恋愛要素があり、ドラマ性が強い
ちょっとラブコメっぽい設定がある。
物語の語り部で、主人公的存在である寺田辰弥は、 その出生譚に関して、八つ墓村と因縁があるのだが、そのことは知らずに都会で育ってきた。
謎の過去を持っていて、(全身の虐待跡などのコンプレックスから)少しばかり他人を避ける傾向があったりするなど、どこか影があるが、しかし根は真面目な好青年。
この人と、村の2人の女性の三角関係的なものが、けっこうな文量で描かれている。しかもその2人の女性というのが、片方が姉で、片方が(主人公のことをお兄様と呼ぶ)従妹という、なかなかオタク的発想(?)な設定である。
人間の持つ狂気というものが、かなり恐ろしい形で描かれている
これは、結局人間が一番怖いという話の典型かもしれない。とにかく、描かれる人間の狂気の面と言うか、恐ろしいところが本当に恐ろしい。
(異説もあるわけだが)主人公の父親は、20年ほど前に、32人もの犠牲者を出した、恐ろしい人だったとされている。その犯人が悲劇を起こした理由は、無理やり愛人にしていた主人公の母が、身の危険を感じて逃げ出したからだが、その母に関しては、普通に犠牲者である。しかし被害にあった村人たちは、男が逃亡し、怒りの矛先を失ってしまった後、それを主人公の母に向ける。本編でも主人公に向ける。
それに主人公は、 そもそも自分の生まれた村のことなど知らないにも関わらず、狂気の男の血をひいているという偏見だけで、(殺人を疑われるだけでなく)やばい殺人鬼でないかと、警察にまで疑われたりする(そこまでは主人公の考えすぎという可能性もなくはないが)
作中で主人公は、「私が恐れていたのは肉体的な恐怖よりも、人の心」というように考えるが、まさしくそれが恐い。
終盤、村人たちに命を狙われる彼は、「そういうことが起こった件について、何者か扇動者がいるには違いないが、真に恐ろしいのは、大した根拠もなく扇動にのっかる村の人たちの心」とも考える。
これはかなり現実にありうるし、本当に恐い話である。
この話は小さな村という閉鎖的な環境での話を描いているが、もっと大規模な大衆の暴動とかパニックは、普通に現実にある。その時に、怒りの矛先が自分に向けられたなら、いったいどうすればよいのか。
(例えば~人に対する反対思想に基づいた暴動が起きて、通りがかりの、何の関係もないはずの~系人が襲われたりというのはよくある)
作中屈指の常識人?
ようするにこれは、いろいろ恐い、シリアスな話のミステリーであるが、1人、わりとギャグキャラ(?)がいる。それは、作中で怪しい行動をとるが、犯人ではないというミスリードキャラの1人なのであるが、終盤に明かされる、その怪しい行動の理由がネタみたいな感じなのである。
しかしその理由自体は、多くの人が共感しやすかろうものなので、ある意味この人、作中屈指の常識人と言えるのかもしれない。
犬神家の一族
金田一耕助が、どうしても自分で解決したいと思う理由がちょっと熱い。つまり、依頼人が殺されたから、この事件だけは自分が解決すべき事件だと。
有名な作品だが、特に金田一ものとして、かなりスタンダードな作りになってると思う。どこか不気味な雰囲気を感じさせる家族。事件の舞台の裏で暗躍しているかのような謎の誰か。恐ろしい様の死体に悲鳴を上げる金田一耕助など。
しかし特に、菊人形のところなどは、想像するとかなり恐ろしく、このビビりの名探偵のことをけっこう笑えないだろう。
悪魔が来りて笛を吹く
ちょっと珍しいとされる、密室殺人が描かれている作品。
作曲家が残した謎の曲。そして彼が何かを恐れていた悪魔の一族。
物語のヒロイン的な立ち位置の人が、かなり醜い容姿という設定は個人的にはよかったと思う。最初、金田一耕助も、彼女が感情を高める度にその恐ろしさにちょっとビビったりもするが、 そういう点も含めると、終盤に、母に関して知らなかった、あるいは目を背けてきてしまっていた部分にしっかり気づいてしまった時の、彼女の葛藤とかが、かなりエモーショナルと思う。
このシリーズの犯人には(普通に極悪非道な人にせよ、何か事情を抱えている人にせよ)キャラクターとして魅力的な者が結構多いと思うが、個人的にはこの事件の犯人は、その静かに悲しい結末と合わせて、特に印象深い。
仮面舞踏会
個人的に金田一耕助の作品の中で最高傑作。
遺伝学に関する話が重要になってくる作品で、他の作よりも近代的雰囲気が強いかもしれない。また、長編作品の中では、金田一耕助がしっかり普通の名探偵ぽく描かれているところも、特徴の1つかもしれない。
犯人がかなり狂気的であるが、それ以外にも、とにかく危険な雰囲気を感じさせるような登場人物が多くて、仮面舞踏会いうタイトルのはまり具合が見事と思う。
終盤、犯人と関わるあるキャラのセリフが印象的。もはや金田一耕助でも絶対に解き明かせないことがある。それがあるから、彼も結局、完全に勝利することはできない。
病院坂の首縊りの家
金田一耕助の最後の事件を描いた作品。事件自体は、(少なくともこのシリーズのファンにとっては)驚く要素とか少ないかもしれないが、 物語全体の構造は壮大で、 そういう意味では最後の事件にふさわしいか。
20年前、名探偵が、真相のすべてを明らかにすることを断念した、ある事件。そして20年経ってから再び起きる悲劇。
金田一耕助 地震が すごいというよりも周囲が持ち上げる描写が 結構多いような気がする。
しかしこの作品で最も注目すべきは、やはり事件解決後、金田一耕助の行方であろう。親しい友人たちと挨拶をしたあと、姿をくらましてしまった彼は、その後どうなったのか。