「京極堂。百鬼夜行シリーズ」怪奇の謎と真相。陰陽師探偵の憑き物落とし

奇妙な探偵役たちと、オカルトSFなミステリー

 街と街の間にあるといえるような、街外れの古本屋、京極堂きょうごくどうは、ただでさえ立地条件が悪いのに、売れそうもない本ばかり置いていて、商売として成り立ってるのか怪しい。しかし常連客が多いから全然経営に心配はない。他の古書店では敬遠されるような専門書とか漢籍などが多いから、学者や研究者などの固定客がたくさんいると。
店の主人は、近くの小さな森にある社の神主でもあり、祭りの時などには祝詞をあげたりもするという。そして彼自身もなぜか店の名前、京極堂と呼ばれる。
その京極堂含め、 好奇心強めな彼の妹、人の記憶に関与する何かが見えてるような探偵や、わりと真面目な刑事など、多彩な探偵(?)が登場する、怪奇ミステリーシリーズ。

 作中では奇怪な昔話が、主にオカルト科学的な視点で語られたりもする。
ただ京極堂は、はっきりと心理術とか読心術みたいな、超能力があるかのような言い方、超常現象や超自然現象というような言葉もあまり好きではないと語る。「現代の科学理論では説明不可能な事例、そういうことがあることは認める」としながら「そういう事を喜んで奇跡だ不思議だと言うのは説明にならない。奇跡を奇跡と認めるということは逆説的に奇跡は普通は起こらないものという世界観を認めていることになってしまうじゃないか。だから胡散臭い」とか。
つまり「起こるはずがないということは、つまり起こらない」という。

姑獲鳥の夏

 京極堂登場作。語り手の記者含め、話が始まる前から結構関わりのある者たちが直面した不可思議な失踪事件を描く。
密室の部屋から消えた、人造人間(ホムンクルス)の研究をしていたらしい男。残された妻の長すぎる妊娠期間。カエルの顔の赤ん坊が生まれる呪い。どこかで出会っているはずだが、なぜか思い出せない関わりなど。

憑き物落としの技

 京極堂が事件を解決するのは『憑き物落とし』としているが、 これは若干、特殊能力的な描かれ方もしている。
基本としては、お祓いする相手が信仰する宗派によってそのやり方を変える。正確には、相手の置かれている環境やその人の性質を知らないとできない。それは、まるで相手を仮想現実に捕らえる幻術かのような印象すらあるが、理屈でいうと、相手がわかる言葉で上手く語ることで、脳と心の関係を一旦反古にしてやるような技のようである。

 京極堂は、しっかり探偵のようでもあり話全体の構成的にもミステリー的な所はある。この話の謎のトリックも物理的原理を利用してはいる。ただ、それに関してわりと神経学的な範囲だから、真っ当な探偵ものというような印象は薄い。不気味さも強いと思う。
つまり脳が認識する現実、仮想現実が問題になってきていて、どうやってその事件を起こしたかというよりも、誰がどういう妄想を抱いてしまったのか、間違っている現実のその内容はどういうものか、というような感じ。

 特に語り手は、何かと論理的に解決、解釈しようとするのだが、次々と浮かび上がってくる奇怪な真実。憑き物の一族という、どうしようもないような呪い。そして追いつめられて追いつめられて、ついには身近に陰陽師がいることを思い出す、という物語の流れは見事と思う。

神秘主義と現実主義

 刑事の木場きばの推理や理論は、ややオカルト、情報主義じみた雰囲気の中で、リアリズムが強く感じられて印象的
「お偉い人たちに俺の気持ちがわかるもんか。警察は俺たち貧乏人に味方してくれたことなんかねえ。いつだって、神も仏も俺の味方なんかしてくれない」と言われ、彼は「確かにそう。勝てば官軍、強いものがいつでも正義」と認めつつも「神も仏も正義も、信じられるもんが何もないからこそ法律があるんだ。法律は弱いものを強くしてくれるただ一つの武器だ。法に背くな、味方につけるんだ」などと語る。

 もう一つ、描かれている中で興味深い現実が、 脳が認識した別人格の倫理観、常識であろう。
最初からいた人格でない誰か。後から精神が生まれた者は、もともとからしてこの社会の住人ではない。いわば人を超えたところにいる彼岸ひがんの住人。その行動原理はこの世界に生まれた者には理解しがたい。というような話が出てくる。
最後に判明する、その脳に関する特殊な状態も合わせて考えると、ある意識がどこで生きているつもりかが、強く問われてるようにも思う。

魍魎の匣

 2作目長編で、事件との関わり的に木場刑事が、前作の語り手の立場みたいでよく目立っている。
オカルト色は前作の方が上だった気がするが、今作はややSF要素が 強くなってる感じを受ける。ただし会話の話題に関しては、「日本のお化けの源流」など、科学より民族オカルト史によってるものが増えているか。
戦争時代、宗教思想を利用した、洗脳まがいの実験をやらされていた京極堂の過去の話なども少し明かされる。

 消失事件、バラバラ殺人、度々示唆される魍魎という化物の正体など、やはり不気味な謎が連続していくが、やはり最も注目すべきは、人間に永遠の命を与えんとする、マッドサイエンティスト的に描かれているある医学者、科学者の研究であろう。
フランケンシュタインのような怪物を作る科学者の噂と言うか、伝説。人間の死体のバラバラな部分を繋ぎ合わせて作った人造人間。
そしてそのような話のためにどうしても出てくる疑問。生命体を何を持って生きているとするのか、人間を何を持って人間とするのか。

 人間から切り離された部分は、生命活動を続けている間は生きているのか。とか、魂は脳の中にあるものなのか。みたいな話は、哲学の領域でもよく議論されるが、考え方的にはそのまま哲学書によく書かれてるような感じに近いように思う。

狂骨の夢

 3作目長編で、京極堂の登場シーンが、前2作よりもかなり印象的。

 まず、海というものに関する意味深な話から始まる。
「海について、それは水か、その下の海底か。水に浸っている陸はもはや海か、波というのは何か。そもそも海岸は陸地、ここから海ですというような領土の境界はない。海水はどうか、それはあくまで透き通った水、陸に水が溜まってるだけ。透き通っているそれはいつのまにか青。海が小さければそれは海ではない、ただの水。ならばその量こそが海を海たらしめているというのか」というようなもの。
それは小さな漁村で生まれた人の語ること。ただし、意味深だが、本編の内容とはあまり関係ないと思う

 夢か記憶か、夢の中の夢か記憶か、不気味な髑髏がある光景。夢というか、精神的な悩みを抱える者の不可思議な現実での行動。
宗教組織の陰謀めいた話とかが絡んでくるが、その憑き物落としは、怪奇的な雰囲気が前2作よりも大きめかもしれない。ただの謎解きというより、真実を明らかにするための演出という感じが増しているような。