バビロンの搭、あなたの人生の物語、息吹「テッド・チャン」

別宇宙のサイエンス。キリスト

テッド・チャン(Ted Chiang)主にSF短編の作家として知られる。
まったく架空と言うか、物理法則の異なる、ある種ファンタジー的な世界や、IFのサイエンス世界を描くことも多いが、文化的な部分はかなり現実よりなものが多いと思う。
多くが、キリスト教の思想を反映させてるような作風でもある。

バビロンの搭

 昔話の伝説である、大洪水、神を目指すための搭。実際にその搭を作り、天の世界を目指し、そしてついに到達したことで、世界の真の構造を知ってしまう物語。

 物語自体はともかくとして、作中で描かれる聖書的世界観、その解釈がなかなか興味深い。
神はかつて、洪水により世界を滅ぼしたが、必要な水の貯水池は世界のどこにあるのか。
また、ファンタジー世界のように描かれながらも、そうでない地球のどこかを思わせるような描写もいくらかあって、けっこう不可思議。

理解

 ニューロンネットワークの機能向上のために、とても高い知的能力を得た語り手が、心の構造と、それが置かれる世界を認識していくというような話。
直接的に世界の構造を見ることはできないが、プログラムを調整して、目的のための言語を用意したりして、定義し、認識することはできる。

 終盤には、実質、高次元的な世界観を認識しているような2人の対決になる。それ以前の、人間社会の中でのコントロールの描写と合わせ、彼らは、認識よりさらに別の階層、メタ領域から知性の原理そのものに干渉できるような感じにも読み取れるか。作中で、それは「理性的な悟り」というように表現されているが、いいえて妙かもしれない。

ゼロで割る

 数学がテーマ。面白い話ではあるが、SFとして考えるとそれほど興味深いものでもないかもしれない。数学を、真理にほんの少しでも近づくための道具としては、完全に無意味なものとするにはどうすればいいか。そういうことへの挑戦のようにも思えるが、しかしここで描かれているのは、ほぼ、科学的に認識される世界の多くを破壊してしまった、ある人の苦悩と思う。
作中表現から借りると、まさに、神様の不在を証明してしまった神学者の苦悩みたいな話。

あなたの人生の物語

 謎はかなり謎なままながら、地球外生物と、ある言語学者の対話。

 数学的にあべこべな、異種知的生物の物理体系。 例えば地球の物理においては基礎的な速度とかの概念がヘンテコな数学できるとされもっと複雑な微積分などを 用いなければならないような 概念が基本的なものであるという、そういう物理学が明らかとなっていく。
ここで別の物理法則というわけではなく 別の理解の仕方をしているということころが 一つの記事になっているようにも思うだから 数学の方法は違っていても あくまでも あらゆる 算出できる結果に関して対称性を持つことができるというような。

 物理法則は基本的に変分原理として記述できる。しかし人類は物理法則を考える時、因果的記述として取り扱うのを好む。人類が直感的に見出す運動エネルギーとか加速度といった物理的属性はすべて時間の所与の瞬間において物質が有する固有の性質、そしてそれらは事象の時系列的、因果律的解釈へと導く。つまりある瞬間から生じる次の瞬間、原因と結果は過去から未来という連鎖反応を作り出す。
対照的に積分に特徴付けられる物事の物理的属性は、一定の期間の経過についてのみ意味を有する。そしてそれらは事象の目的論的解釈へ導く。事象を一定期間の時間という視点から見ることにより満足されねばならない要件。最小化もしくは最大化という目的があることを認識できる。そしてその目的を満たすには最初と最終の状態を知っていなくてはならない。原因が発生する前に結果に関する知識が必要となる。

息吹

 この著者の作品でありがちな、「かなり異質な世界観。それだけ」というような話だが、これはその世界観がかなり面白いと思う。
ロボットたちの世界、空気が我々が知らない特殊な何かの名称かのようにも思えるが、かなり幅広い解釈上で、興味深い世界観のよう。

 現実の物理学における熱力学の話などから想像できるような、どこかで始まったと思われる(そして必ず終焉を迎えると思われる)悲劇的な宇宙感が、別かと思われるような世界で表現されている、捉えられているような。

偽りのない事実、偽りのない気持ち

 長年のライフログ(生活記録)を、(網膜から神経作用を読み取り?) 必要なとき時に応じて検索するという、リメンというテクノロジーが変える未来。
どストレートなSFという感じがする。普通に、未来の人類が生んだテクノロジーは何をもたらすか、そこにどんな哲学が生じるかを描いた話。

 人間の能力の不完全さこそが、人間社会を作ってきた可能性もある。だからテクノロジーがより完全な能力を与えた時に、何か奇妙なことが起こりかねない。そういう不安感を描いてる面もあるのかもしれない。
その作風からして、テッド・チャンは、言語と言うか、文化と言うか、いわゆるミーム的、あるいは知性に定義された領域の影響力に強い関心があるような印象がある。この話で描かれている未来世界も、どこか、認識された仮想的現実世界というような感じがあるか。

オムファロス

 信仰心をテーマとしたヒューマンドラマ的でもある。 科学が キリスト教的世界観の教え、信仰心とうまく両立できると信じる科学者の、少しばかり悲しい雰囲気の物語。
著者は妙に(しかし教徒ではないらしい)キリスト教に関心があって、その思想を取り入れた話が多いが、これはその中でも最たる例と思う。

 宇宙を満たし、光の媒介となるエーテルが想定される世界観の中で、ある恒星がその周囲を回っていると思われる、おそらくは地球のような惑星。唯一絶対的にエーテルに対して静止しているとも考えられるその惑星こそが、実は神が、この宇宙の中で最も重要な舞台として選んだものではないかという仮説。
だが、そうだとすると地球は何なのか。ここに3つの仮説が示される。つまり地球は本来の天地創造の前の、実験とかテストだった可能性。次に意図されていなかった副産物が地球、つまり偶然この宇宙の、天地創造の場と似ていたところで生じた共鳴と言えるような現象。最後の仮説は最初の逆、地球が本来の天地創造で、件の惑星がリハーサルだったというもの。
バビロンの話と同じく、読み取れる世界観はファンタジックで楽しい。

不安は自由のめまい

 プリズム、(プラガ世界間通信機器(インターワールドシグナリングメカニズム))という装置が出てくる。
起動すると装置内部で量子測定が行われ、同じ確率である2つのありうる結果が、それぞれ赤と青のLEDの点灯で示される。そして宇宙全体を記述する波動関数の2分岐の間で情報をやり取りできる。
新たに分岐した2つの時間線を作り出すとも。つまり片方の時間線で赤が点灯、もう片方で青が点灯するというように。そして2つの時間の間でのコミュニケート(情報交換)を行える。
情報交換自体はプリズム内の地場イオントラップに捕捉されたイオン列を使う。波動関数の2分岐の時、これらのイオンは重ね合わせ状態を保ったまま、どちらの分岐にもアクセス可能。イオン1個は1ビットの情報を送ることが可能だが、情報を読み取る行為は重ね合わせ状態を崩壊させる。つまり様々な、特に単純に量(ビット)が必要な情報に関しては長いイオン列が必要。 逆に言えば十分な数のイオンさえあれば、あらゆる情報を分岐時間の間でやり取り可能。

 ようするにこれは量子論的多世界解釈、あるいは量子コンピューターの可能性がテーマと思われる作。「偽りのない……」と並んで、ストレートなSFという印象。

 プリズムがなければ、異なる時間線、パラレルワールド間での情報交換ができないこと。そしてどの平行世界の存在であっても、自分の世界が絶対的に自分の領域であることなどが問題になってくるわけだが、もちろんこのような多世界解釈において、世界の分岐が起こっているのは、プリズムのためばかりではない。プリズムはあくまでも、ある分岐の瞬間を捉えるための装置にすぎない。という感じ。
ただ、例えば犯罪が増えるなどの現象が(パラレルワールド自体がそれで増えるわけではないと考えられるのに)プリズムが原因で起こりうるかという問題は、プリズムの開発していないパラレルワールドと比較してこそ興味深いかもしれないが、そこは残念か。メッセージのやりとりを行っているパラレルワールド全ては、やはりプリズムが存在している点を共通とする世界だろうか。

その他の話

『七十二文字』
歴史改変的に、物理原理改変というような。
中世の時代から19世紀くらいまでの、錬金術による生命創造とか、前成説の世界観とかで、そうした構造を示していく。

『人類科学の進化』
進化というよりも、知的能力的に連続的でなくなった、2タイプの人類の、知的存在として劣っている方の意義は何かを問うような感じ。

『地獄とは神の不在なり』
かなりファンタジー寄りの物語のように思える。
実際問題、神、天国、地獄の存在をどこかで、(いかなるとまではいかなくても、大多数の)理性に完全に確信させてしまうような現象はありえるだろうか。

『顔の美醜について』
容姿に関する差別などの問題。

『商人と錬金術師の門』
アラビアンナイトを意識しているような話と思われるが、幻想的雰囲気はやや弱められていると思う。未来と過去の切れない繋がりがある。時間を超える不思議な門が出てくる。
時間SFとして見る場合、タイムトラベルそのものも、はなから因果律の連鎖に含まれているタイプ。

『予期される未来』
負の時間遅延回路を利用した、予言機という ちょっとした玩具みたいなのが、自由意志などというものが存在しないことを示しているという警告。しかし、負の時間遅延回路が実際にどのような原理なのか、それによっては、それがそもそも自由意思不在証明の突破口になりうるのではないか、と思いたくもなるが。

『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』
仮想領域の生物の変遷。
クリエイターとクリエイトされた生物は、平等な領域に並び立てることはあるか。

『デイシー式全自動ナニー』
20世紀初頭。結局歴史の闇にほぼ消えてしまった、全自動機械のナニー(母親に代わって子育てを任される女性)に関する話。

『大いなる沈黙』
個人的には、この著者の作品の中で最も好きな話。
身近な非人間知的生命体の物語。ただ、今は宇宙生物学における現実の興味は、どちらかと言うと人間以外の知的種族より、異なる系統の(別のLUCA、別祖先を有する)生物の有無の方が強いかもしれない。ある意味、特にSF的発想の世界観と言えるかも。