「知性化宇宙」超空間で繋がりあう五つの銀河。知的生物で溢れる物質世界

知性化シリーズ

 デイヴィッド・ブリン(David Brin)による『知性化シリーズ』は、 作者自身が「実際には自分が考えている以上に生命に溢れた楽しい世界」と語ったりもしているように、 まさしく生命に溢れた宇宙(正確には繋がりあった5つの銀河系)の物語となる。

 シリーズものではあるが、基本的には格話の中で大まかな物語自体は完結している。例外なのが、『知性化の嵐三部作(Uplift Storm Trilogy)』とされる3作だが、これらは2作目の長編『スタータイドライジング(Startide Rising)』の直接的続編とも言える。

知性化の連鎖

 世界観としては、宇宙にいくつもある銀河系の内、地球の属する銀河を含む(超時空間経路で?)繋がりあう5つが舞台。数十億年も昔に『始祖(Progenitors)』と呼ばれる伝説的な『知的生物(sapient。intelligent species)』が始めたとされる、適当な環境に発生した生物の進化の結果である『準知的生物(pre-sapient)』を、意図的な遺伝改造によって知的生物に変える行為、つまり『知性化(Uplift)』 が、非常に重要なガジェットとなっている。
つまりは知的生物が遺伝改造で知的生物を作るという流れの連鎖が、数十億年前より、繋がりあった銀河系群全土に広がりながら続いてきてるという設定。さらには多くの知的生物の科学的知識を集積した、まさしく知性の最大の宝庫といえよう『ライブラリー(Library)』というものがあって、銀河種族たちの絶大な信頼を集めている。
多くの銀河所属は銀河所属は普通 何か知りたいことがあるときはだが自分たちの想像力を働かせるよりは ライブラリーを参照する。ただしいろいろ特別な地球種族は、ライブラリーになるべく頼らないことを誇りとさえしていて、そこには書かれていない、つまり自分たちが発見したという不可解な数学的方法とかで、そのための奇妙な理解を好んだりもする。ただしこの(銀河種族から見たら)ひねくれた思想が、物語のいくつかの重要な場面で鍵となる。

 知性化のパターン自体は、あまり幅広くないような印象もある。でなくても、知性生物を改造によって生み出そうとする知性生物の知的世界が、そのまま再現されるのが一般的であるかのような感じはする。やはり遺伝子に刻まれた情報が最重要な印象であり、 しかし生物の存在自体がそのパターンに縛られているように思う。(これは多分、作者自身、意図したことではないと思うが)結果的には、最初の方の作品には出てこない他系統の生物群の伏線みたいになっている感じがしないでもない。

法による安定を信じる銀河知的社会

 多くの知的生物たちが、偉大なる始祖が残した、あるいはその受け継がれた教えとしての守るべき法律をかなり強く信仰しているという設定がある。そしてその法律が銀河所属等の共有する巨大社会の中でのヒエラルキー(身分階層)まで定めている。

 知性化された種は、まずは『類族(クライアント・レース。client )』として、知性を与えてくれた『主族(パトロン・レース。patron )』に仕える。その奉仕期間も10万年と決まっていて、奉仕を終えた種族は、新しく主族となり、 特定の順知的生物を 自分たちの類族とできる。もちろん類族は、主族の主族にも、間接的に仕えるような立場となる。そしてこのような決まりのために、当然古い知的種族の方が、銀河社会全体において強い権力を有する。

 どこかの場で口が聞けないことで、許しをもらえるまで話すことができないというようなことを察知することで、そうだと(類族だと)気づいたりもできる

 地球生物は、知性化した主族がいない、自力で知性化した謎の種族扱い。これは作中での大きな謎となる。

遺伝子改造をどう考えるべきか

 やはりちょっと奇妙なのは、人間が勝手にそう思っているとかでなく、おそらくは銀河種族側も、人間の近代史の出来事、例えば自滅しそうだった戦争危機(冷戦)や、貴重な準知的種族(クジラやサル)を絶滅させるところだった事実を、無知が招いた恐ろしい悲劇みたいに考えているみたいに感じさせるところであろうか。
その点に関して、例えば別惑星出身の(そして別主に知性化された)銀河種族同士は敵対し戦争もするし、準知的種族への好き勝手な遺伝改造が作中で問題として取り上げられたりする。銀河種族も、近未来地球種族(人間の他、チンパンジーとイルカ)も、地球の近代史がこの上なく愚か愚かと語るのだけど、銀河種族たちの現状が、まず「人のことを言えない」。
例えば、銀河社会には、戦争がどこまでもヒートアップしないようにするための法とかがあるのだが、それが破られるかどうかとかも問題になるから、結局地球社会の戦争における停戦協定と何が違うのかよくわからなかったりする。

 別系統生物種かどうか、生物種としての格とかを重要視するとしても、別種族や下等生物相手だから許される的発想は、まさしく(やはり作中で人間史の愚かな悲劇だったとされてる)人種差別思想の 根本の発想と近しい(はっきり言って同じかも)と思われるが。
ただしそうした、銀河種族、地球種族の明らかに共通していると思われるような(しかし地球でのことがなぜか特別に言われがちな)愚かな側面については、一応シリーズ進むと(おそらく作者自身いくらかおかしいと思ったのだろう)いくらか後付けで調整してる感がなくもない。
さらには作中で問題にもなるいくらかについては、逆に地球生物側は、自分たちの失敗のおかげでそんなことする危険性を学べたとされている。例えば準知的種族へのやりたい放題な遺伝改造とか。

 しかし、遺伝改造により全く別物にされるのは、系統樹の細枝の絶滅と比べて何か違うだろうか。 

自然淘汰は万能か

 古い種族は時々銀河系から姿を消すとの噂がある。単に引退というような理由のほか、(自然淘汰扱いされている)戦争とか頺廃なども考えられると。
だが、宇宙の様々な生物に働き続ける、進化現象、自然淘汰は、知的生物の社会とか、そういう領域にも及ぶのかどうか。

サンダイバー

 シリーズ1作目。人類が銀河社会を知ってから、まだそれほど時間も経っていない頃の物語。 イルカやチンパンジーに関しても、知性化が試みられてはいるが、数百年を隔てる後のシリーズのように、人間の言葉を喋ったりはしない。

 物語として、太陽に存在するかもしれない謎の生物の探査計画と、その途中で起こるちょっとした陰謀を描いている。
太陽の謎の生物とは、つまり恒星の、エネルギー乱流環境といえるような人には過酷な環境でも生きる、磁場エネルギーを食べる磁食獣などと想定され、これこそが地球生物の主族でないかとも。しかし恒星の生物なら、後のシリーズを読んだ後だと、やはり(地球生物に主族がいるとしてもこちらであろう)『酸素呼吸生物(oxygen-breathing)』よりも、『水素呼吸生物(hydrogen-breathing)』を思わせるが。
酸素呼吸生物以外の生物系統が登場するのは、「知性化の嵐三部作」からだが、 酸素呼吸生物、水素呼吸生物という呼称自体はこの作品から登場しているわけだから、構想的には、そうした他系統の設定もすでにあったのかもしれない(知的、非知的全て含め、三部作以前に登場する全生物は、おそらく酸素呼吸生物)。

「酸素呼吸生物と水素呼吸生物との周期的な植民は広大な範囲におよぶが、植民星域が完全に探険しつくされたことは皆無に近い。まだ準知的段階から引きあげられたばかりの種族のが主族に捨てられることもある……見捨てられた種は粗雑な宇宙航法を開発することもあるが、その種が恒星間宇宙に進出するころには、銀河系のその部分は休閑地になっている。そうした星団は基本的に、やはり植民してきた水素呼吸生物の餌食にされてしまう」
シリーズ全体を見た時、1作目で一番注目すべき部分はこうした話かもしれない。

 また原始人たちの多くの文化に見られた太陽信仰についても、弱めな根拠としてだが語られる。それに関連し、宇宙でも非常に珍しい、(自力にせよ、他の生物の仕業にせよ)知性化された生物が、自力で知識を学んでいく過程では(無知ゆえに)さまざまな奇妙な迷信が生まれやすいといい説も。そうした、わからないことを迷信によって曖昧に考えるという方法の有用性もまた、後のシリーズで重要になる。

コンタクト以前の近未来地球

 1作目だし、時代設定的にも当然だが、まだ地球外生物とコンタクト以前の、近未来地球に関する情報が豊富。
コンタクト以前から、人間社会の国家戦争はもちろん、まだ知的生物の段階に達してない動物への非道な行いまでもかなり改善されてる設定(これはシリーズ全体を通して、「知的生物は知的生物になりえる可能性のあるすべての種を、自分たちと同じレベルにまで高め、その賢さによっていつまでも共に生き続けることを教えなければならないだろう。それこそが、生物進化のどこかで引き起こしかねない破滅(環境破壊)を防ぐ術となるはず」というような主張があるようにも見える)。

 遺伝情報や、精神波チェックなどの管理によって犯罪も普通はなしというような状況のようだが、そうした管理社会自体の問題に関しては、この1作目を除けばあまり触れられることはない。それよりも、銀河系社会における、知性の劣る、あるいはテクノロジーの劣る生物に対する、優れた種族の犯罪行為が、後の作ではよく問題となる。

優生学、遺伝主義の影響はどのくらいか

 しかし、知性化が遺伝子改造のパターンのみかのような描写も含め、つまり(唯物主義的な)優生学的、遺伝主義的、部分的な決定論的、そういうふうな、現在でもありうるとしてよく考えられ、しかし恐ろしいと考える人も多いような世界観も感じれる。
市民は単なる個人に対する嫌悪くらいで殺人を犯さない。特別な理由なしに殺人ができるのは要観察者のみ。要観察者は、あらゆる宇宙港の精神波感知器(Pポスト)がチェックしている。
ある生物の大部分を決定する不変の情報があるのだとして、それを読み取ることができる世界というのは、実際どういうふうになるのか。

 また、そもそも知的生物の神経系の物理的原理がはっきり理解されているような状況で、自然と知的生物が誕生する可能性が徹底的に否定されるというのは、むしろ奇妙な感じにも思える。単にあまりにもそういう例が少ないからと考えてもいいけど。

ホモ・サピエンスの起源論争

 地球における最初の知的種族、つまりホモ・サピエンスが、どのようにその知性を進化させたのかという論争自体は、この1作目が一番熱いかもしれない。それが宇宙生物の改造によるものなのか、それとも自力によるものなのか(後のシリーズでは、人類が自力で知性を獲得した種であることは、実質的に常識のようになっていく)。
どの立場であれ、多くの人が共通していることが、ET(地球外生物)に対する地球連合政府の慎重で妥協的だという政策への不満。そして政府が用意した、かなり管理が行き届いている窮屈な社会。さらには自らのルーツに自信を持てなくなってしまった世界への怒りというように。

 しかし実際問題、自分たちのルーツが地球外にあるということを知って、そして神が人類を作ったわけではないが、知的生物が人類を作ったのかもしれないということに関して、それほど不満を覚える人は多いだろうか。

酸素呼吸生物に共通するもの

 知性化の連鎖が続く五銀河の酸素呼吸生物たちについては、多くの小系統があるものの、あくまでも地球で知られた動植物(動物については、さらに哺乳類、爬虫類、鳥類など脊椎動物が多そうな印象)に近しい。そもそも、DNAという基本要素自体が共通していると思わせる描写が、後のシリーズでも時々出てくる。また、進化に有利な遺伝子の混ぜ合わせだけでなく、オスとメスという2タイプもかなり標準(例によって、恋愛、パートナー、結婚、あるいは性的寄生(?)といった概念も)。だが、はやりそうした設定のために興味深さが増している部分もある。

 例えばカンテンという種族は、つまり知恵を持った植物種だが、飼いならされた虫の媒介が、愛の営みに必要な種とされている。それは知的生物の感覚としては、どのようなものであるのか。

 深く考えると、多細胞生物(あるいはあらゆる生物)の個の問題まで浮かんでくるかもしれない。
例えば、生殖細胞(精子や卵子)単体を見てみた時、 それに、自分の一部というような考えすら想定できない人は結構多いと思う。 自らの体の中で生成し、自らの遺伝情報をそこに半分有しているということは理解できても、切って捨てた爪とかが、もう自分の一部ではなくなったように、生殖細胞も自分のものでないような。そして受精した、子供の最初の細胞は、普通ならその段階からもうほとんど個別の存在として感じるだろう。母親は自分の胎内の子を、自分の一部のように感じる場合もあるかもしれない。だがそれでも、それはやはり個別の存在と何かを共有してるとか、つながってるとかいうような感覚ではなかろうか。

知能システムは連続的なのか

 無知だった人類の(そしてファーストコンタクトした宇宙船の警告を受けて隠した)罪として、 いつか物を考える動物に進化することになったかもしれない、マナティ、オオナマケモノ、オランウータンの人為的絶滅が語られもする。
そもそも、たいてい改造されている知的生物は、元々知的生物に近い準知的生物というような存在が多い感じに描かれている。だから地球においては、すでに高度な知能を持っているチンパンジーやイルカ(クジラ)が改造知性体となる訳である。
どうも、脳、神経システムには、何らかの連続性が想定できるような感じがする。もしくは、その種をその種のままで知的生物に変えることができるのは、準知性段階の生物だけなのだろうか。しかしそうだとすると、そもそも準知的生物というのも、そうでない生物から進化してきたものであろうから、その場合、起源をたどると別の生物が出てくるのだろうか。つまり、別の生物がある進化段階からその「種族」を変えたというような、不連続性を定義できるということだろうか。

太陽の中の生物

 恒星への有人探査、サンダイバー計画は、いったいどういう意味を持つのか。
銀河系に存在している大量の知的種族。それらが存在してきた長い時間を考えると、誰もそれを試したことがないなんて考えられない。そんな計画は無意味なのか、実際にそんなものを試すよりも、銀河系ライブラリーをチェックして、そうした探査の意義や、考えられる成果を探す方がずっと有意義だろうというような議論がある。
そうした疑問自体、また一作目に相応しいだろう。後のシリーズでは、ライブラリーに書かれていない、地球生物が自力で発見したことのいくつかが重要になる訳だから。

 しかし結局、この物語で存在が示唆される、水を利用するようにイオン化プラズマを用いるという生物ソラリアンについてもまた、大きな謎と言えるだろうが……

スタータイド・ライジング

 シリーズ2作目で人気が高い作品だが、個人的にも、物語の基盤となるアイデアや、キャラクターの魅力に関してはこれが一番と思う。
まず全銀河種族にとって、非常に重要らしい(まさしく始祖のものかもしれない)漂流船団(ひとつひとつが月ほどの大きさである、5万隻の船の大集団)を偶然に発見してしまった、7名の人間と、ひとりのチンパンジーと、150名ほどのイルカたちの宇宙船。そしてその発見のために、互いに争いあいながら、ちっぽけな地球の船を狙う強大な銀河種族たち。というようなシチュエーションからしてワクワクさせてくれる。

 知性化、知的種が他の生物を意図的に改造することのための生物系そのものに対する影響。単に知性を持たせるためだけでなく、従属的な生物群になるような改造とかの発想とかが、普通の進化ではほとんど生まれないような生物を新たに生んでしまうかもしれないなど、そういうふうな可能性についての言及が多くなっているか。
人間は自らが知的生物を作るにあたって、知的生物として未熟であるのか。人間は賢いイルカやチンパンジーを作ろうとしたのか、それとも。というような。

 この作品に出てくる、水生生物であるイルカのための特殊宇宙船ストリーカーは、直接的続編といってもいいだろう、嵐三部作で再び登場することになる。

イルカが主役の物語

 この知性化シリーズにおいて、地球生物の代表のように描かれるのは、やはり人間のほか、イルカとチンパンジーなのだが、1作目がいる人間編とすると、今作はイルカ編というような作品。とにかく 知性化されたイルカに関する情報が豊富。

 元々のイルカの言語は詩(歌)的で、宇宙においても偉大な詩人の才能を秘めた希有な存在というような印象は前作からあるが、本作ではその点が特に強調される。
銀河系社会の多くでも、法定貨幣としてクジラ類の歌声が通用するという設定。
もっとも、知的生物の意識とかに比べて、ある物質構造が発する音楽というものは、やはりそれほどに凄い物質文明があるのなら、かなり好きなように作れるのではないだろうか。クジラの音楽をどう考えるべきなのだろう。

 またイルカが素晴らしい宇宙船パイロットであるという設定も。

銀河種族同士の戦い

 この2作目からは、いよいよ舞台が地球だけでなくなり、他に謎解きとか、政治的な駆け引きだけでなく、直接的な戦いの要素も加わる。そして地球種族に対してあまり友好的でない銀河種族の描写も増える。

 地球生物は、主族、類族の掟を嫌っていて、そうした考えに共鳴する声すらも出てくる。例えば「銀河系の全類族が相呼応していっせいに蜂起した場合の可能性」など。
ただ、ライブラリーには、銀河史を通じ、そういうことは6度あり、2回成功した記録があるとすぐに説明がある。そして成功した時はいずれも、その勝利者の類族たちが新しい種族の主となっただけだったと。

人間とクジラたちの道徳

 準知性段階の頃に持っていた性質、が知的生物になった後も何らかの影響を与えるのかどうか、ということも重要になる。例えば完全な肉食生物から発達した多くの種族は扱いにくいとか。
そうした問題がイルカたちの間でも描かれる。知性が本能というのをどれくらい無効化できるのか。そして生態系の中で、恐ろしく思われがちな肉食生物の遺伝情報は、その恐ろしさを知的段階にまで持ち込んでしまうのか。
ようするに秘密の遺伝研究により、シャチの遺伝子を与えられた知的イルカの狂気性が、恐怖演出のようにある。
もっとも「その遺伝知性の失敗である、普通のシャチは持っていないだろう殺戮欲求のようなものは、まさしく失敗の退化だ」というような指摘もあったりする。

 知性化以前、神秘的なヒエラルキーとしての食物連鎖の概念が、シャチの遺伝子と、その影響に関する文脈で語られる。のだが、そこでは、このシリーズにおいて、自力で知性化した人類だからこそ深く学べた道徳観念というか、ある知性の大きな可能性が込められてるようにも思う。
「クジラ類の倫理観の、そして神秘的なクジラ夢の現代的部分の中核をなした……かつて人間たちは、クジラたちが、自分たちを絶滅に追いこみかけた人間に対し、どうして友好的なのかいぶかしんだ。だがやがて人間たちも、海洋公園でシャチやイルカを分けて住まわせようとしたところ、イルカが平気で殺し屋の領域に入るところを見て、理解しはじめた。原始的状態にあっては、クジラ類は自分より高次の食物連鎖に位置する種族に仲間を殺されても、文句を言わない。何世紀も、クジラ類は、人間がその最頂点に位置すると思いこんでいた。もっとも無神経な殺戮以外には、いやな顔もしなかった。それを知ったとき、その行ないを人間に恥じ入らせたものこそ、クジラ類の道徳観念だった」

水の惑星の金属生物

 この作の主な舞台となる、ストリーカーが逃げ込んだ水の惑星キスラップ自体の謎も、今作においては大事なガジェット。

 キスラップの生物については「金属島をライフサイクルの初期段階として、惑星の薄くなった近くにもぐりこみ、マグマの対流から、金属生命に必要なエネルギーを吸収する」というような生物が出てくる。
この生物に関しては、ライブラリーにそうした生物に関する記述が見つからないことが奇妙なくらいにユニークな生物として扱われていて、やはり地球生物同様に謎として描かれる。ただしこの生物の由来についてだいたいのことは、作中で判明する

 ちなみにこのシリーズでは、多くの惑星(岩石惑星)におけるプレートテクトニクスの構造が、かなり普遍的なように描かれている。少なくとも生物(酸素呼吸生物)が発生する環境の必要条件として「それがある」と言われても何もおかしくないような印象。

知性化戦争

 前作の続編というより、姉妹本と言えるような3作目。 時系列的には前作とほとんど同じ頃の、別の星域での展開が描かれるのだが、いろいろ対照的な要素が多い。
単純に舞台は、前作、水の惑星から一変して、陸地ばかりの惑星になる。 また前作は、地球から遠く孤立していた状況が描かれていたが、今回は地球生物に与えられた植民星が舞台であって、連絡網的に完全に孤立しているわけではない。さらにイルカが全然出てこない代わりに、今回は知性化されたネオチンパンジーたちが主役級で、当然、クジラ類でなく類人猿の進化に関する話題も多くなっている。 もう一つ注目すべきが、これまでに地球生物を助ける役割として度々登場してはいたものの、それほど出番が多いわけではなかった、数少ない人類に友好的な銀河種族のティンプリーミーが、いよいよ表立って活躍を見せることであろう(むしろ後の作品でまた影が薄くなることを考慮すると、今作最大の見どころは、チンパンジー以上にこの知的種族かもしれない)。

 普通に物語としては、前作のストリーカー騒ぎによって地球生物への敵意が拡大し、ついには辺境の植民星にまで、攻撃的な銀河種族の脅威が及んだ状態で、人間、チンパンジー、そして彼らと同盟を結んだ銀河種族の決死の抵抗劇が描かれている。

 いろいろ総合すると、物語の基盤となるアイデアやキャラクター性は前作の方が上だと思うが、個人的に好きな作品はこっち。

知性化自体の議論

 タイトルに初めて、はっきり「知性化」とつけられた作品だけあって、知性化というテクノロジーそのものの議論も多くなっている。
上位種は理解力の劣る下位種を保護する義務、その必要性。銀河文明がかたくなに否定する、知能の自然環境における進化。遺伝子操作のしすぎて、その種族本来の持ち味、すなわち知性化の対象となるにいたった環境適応状態をだいなしにしてしまう可能性。

 知性化が、 テクノロジーによって行えるということは、それが物質的な要素のための現象であるということを示唆しているだろう。だが一方で、自力で知的生物にまで進化する生物が基本的にいないと考えられているというのは、進化現象が知性というものを生み出す可能性がかなり低い世界感も示しているか。
どう考えればよいか。
銀河の列強諸国は、進化が生物にどのような影響を及ぼしやすいのかを、自分たちも含めた数多くの例でよく理解しているようである。表面上はともかく、内部構造については生命体のそれは無限とも言えるバリエーションがあって、各惑星は独特の生物多様性の素晴らしい実験場というようにも語られるが、そこまで様々な生物のバリエーションがありながら、やはり知性だけは、何らかの意味かで特別かのようにも。

 また、別知的種族同士の結婚とか、そのために生じる、遺伝的違い、性的違いの問題など、この辺りの生物種の制約については、やはり、遺伝生物と2つの性別という要素は、強く関連していることを考えさせられる。

チンパンジーたちから見た人間たち

 ある知的生物が、自分たちの利己的な目的で、準知的生物を好きなように改造するということの危険性については、前作よりもさらに強く、批判的に描かれているように思う。これはチンパンジーが(元々人間により近い系統なためか) イルカよりも人間に対して厳しい目で見ているような印象もあるからだろう。前作のイルカたちの人間に対する考察と合わせると、今作のチンパンジーたちの人間についての議論は、より興味深いものに思えるかもしれない。
「人間の管理するシステムだってひどいものだけど、銀河文明のもとではもっと悲惨な目にあうだろう。人類だって充分に傲慢。でもその傲慢さにうしろめたい気持ちをいだいてる人もおおぜいいる。そしてその傲慢さを抑えようとする。自分たちの悲惨な歴史から学んだから……神のようにふるまい、やがて自分が神であると信じこむことが危険だと、人間はよく知ってる。でも銀河文明は、他種族の遺伝子をかきまわすことに慣れきっている。そんな不遜なこと に対して、これっぽっちも疑いを持っていない。おそろしく独善的で、虫唾が走る」
もちろん、すっかり知的種族らしく、激しい言葉には感情的な理由による誇張があるのではないか、という疑いも示されたりする。

地球生物たちの見つけた希望

 結末が最も感動的だと思う。あるキャラクターの演説でら、おそらく作者がこのシリーズ全体を通して言いたいこと、理想的と考えているの思想のいくらかが、うまくまとめられている。
「みずからのとるにたらない命がかけがえのないものに思えますが、この世界、この創造のゆりかごを前にして、そんなものにどんな価値があるのか。これこそわたしたちが命をかけて守るべきもの……わたしたちは幸運だといえます。わたしたち地球の種族は生がいかに不公正になりうるかを痛いほど知っています。おそらく始祖以来このかた、これほど身を持ってそれを知った種系列ははじめてでしょう。 わが愛すべき主族、人類は、さらに愛すべき母なる地球すらもう少しで破ぼしてしまうところでした。チムやイルカやゴリラは、間にあう内に知性化されてなければ滅びさっていたであろう種のリストの、ほんの一部にすぎません……知的生物保護のための戦いは、はるかなむかしから行なわれてきました。 それがここでおわることはありません。それはこれからも、決して……」

変革への序章

 2作目「スタータイドライジング」からの直接的な続きとなる、「知性化の嵐」三部作の一作目であるが、ある意味、前作以上にストリーカーの話題はない。
主に、地球生物の視点で物語が描かれていた前作までと違い、ある閉鎖された環境の惑星ジージョに住まう、人間含む6種の宇宙知的生物たちの共存社会と、そこに突然現れた恐ろしい侵略者の戦いが描かれる今作からは宇宙生物の視点がかなり増える。
6種の宇宙生物たち、特に人間がもたらした影響と、そもそもなぜ6種がそこに来たのかの謎が重要になる。
三部作それぞれを1作ずつと考えても、全長編の中で最も閉鎖的な世界観で描かれている。大部分で、宇宙文明がまるでおとぎ話か昔話のように語られるだけのような感じだから、そういう意味で、最もファンタジー色が強い作品と言えると思う。

 誕生したばかりの頃から種族が、あらゆる自然法則の知識を教えてくれる、多くの銀河種族には見られなった、ヒトの奇妙な癖として、 様々なものに架空の生物を想定したりする、幻想的な世界観がある。例えば視覚的な星を集め、生物にしたりすること。だが自然法則を、人は今でも、架空の話を例えとして使ったりして理解したりするわけだが、あるいは教えるためにそうした方法を取るわけだが、銀河種族においてはどう考えればいいのか。あるがままの自然法則を、どんな知的生物もしっかりそのまま理解できるだろうか。
そうした架空の物語を利用したりする習慣が、銀河種族にどんな影響を及ぼすかの議論について、それを好む科学者たちはその習慣は心をほがらかにし、優れた芸術の基礎となるというようにも

戦乱の大地

 三部作の2作目。
ややファンタジー的な印象すらあった前作の閉鎖世界も、 今作からはストリーカー問題を通じて、銀河文明と関連がはっきりし、 残された謎もそこそこ明らかになっていく。ただしどちらかと言うと、第三部のためのさらなる伏線をはるための、繋ぎの話みたいでもある。酸素呼吸生物(と水素呼吸生物)以外の系統の宇宙生物に関しても、その存在性がはっきりと示される。つまりは『機械類(mechanical)』、『思念類(memetic)』、『量子類(quantum)』、『仮想類(hypothetical)』、『隠棲類(Old Ones)』、『超越類(transcendent)』。
また、宇宙構造について、プログラム宇宙説的な考え方も。

 追い詰められた惑星からの脱出劇という点では、スタータイドライジングを連想させる作品とも言えるか。

 いくらか時空間物理に関連する情報が出てくる。有機的に折りたたんだ時間で作る疑似物質、あるいは時間の分泌である『時縛膜』。銀河種族たちには評判が悪く、結局のところ超光速の航法などライブラリにいくらでも方法があるということで、ほぼ忘れ去られたアインシュタイン流の相対性理論など。 これらもまた次の作で示される、宇宙構造そのものの進化方向(?)に一応は関連してくる。

 宇宙の複雑性については、このような見事なデザインを設定するにはコンピューターが必要だったはずという説が語られたりする。ただいかなる現実であれ、その現実の中に属する計算エンジンによって完全に構成されることもまたありえないはず。それでも神は世界をつくるにあたって数学を使ったはず。そしてまたこの宇宙の設計に使われたのがコンピューターでなくただの数学だったとしても、そうした世界システムを維持するためにはやはりコンピューターが必要なはず。

増殖論理のパラドックス

 生物が自力では知能を獲得できない根拠となる理論のひとつとして、『増殖論理のパラドックス』というものが出てくるが、それがあらゆる特殊な環境に適用できるかと考えると、ちょっと微妙かもしれない。
ようするに、「無数の多様な惑星で発生する生物体の共通特徴として、自己複製がまずある。種によっては、それは子孫を持つことの意識的欲求となって現われることもある。また子孫をもうけようという意識とは無関係に、個体が異性に対する原始的本能に衝き動かされた結果である場合もある。だが生殖過程の詳細が異なっていても結果はつねに変わらない。各種はそれぞれの性質に応じたやりかたで、死亡率を上まわるペースで個体数を増やしていく。そして宇宙的スケールでは短い期間で、個体数の膨張は生態系を不安定にしてしまう……そもそもが、生殖の資質に欠ける個体は子孫を作れない事実からして、生殖を促進する資質が増大していくことは避けられない(この進化の流れは水素呼吸生物の生態系マトリクスにもあてはまるが、自己複製に厳しいセーフガードを適用できる機械生物はこのかぎりでないとも)……自然の生態系では、非知性動物種はそうした破滅的な個体熱膨張は、餓死や捕食などの抑制要因で止められ、均衡状態が生まれる。だが準知性生物となると、しばしば新たに手にした知恵という武器を用い、競合種を滅ぼし、野放図に増殖し、資源の枯渇を招いてしまう。避けられない破滅をそれでも避けるために、適切な指導がやはり必要。そして、だからこそ自然のままの生物種が自力で完全な知性を獲得することはない」

 準知的生物(というより自力知性生物?)が、理由はともかくとして破滅的だと考える時、それはそもそもどういう意味で、どういう視点でなのだろう。
この地球でも人類がよく自滅する自滅するというような話題が現実に言われるが、実際のところ、人間が地球生物全てを滅ぼすことは相当難しい(これ自体楽観的な見方なのかもしれないが、おそらく動植物系統を絶滅させることすら、現時点ではまだ不可能なんじゃないかと思えるが)。 少なくとも本当の意味でそれが可能になるくらいに高い知能を得られたならば、このシリーズで描かれる銀河種族程度の道徳感なら得られるのでなかろうかと考えたくはなる。

星海の楽園

 三部作の最終作で、スターライトライジングに始まるストリーカー騒動ものの完結編とも言えよう。

 宇宙膨張理論が示唆する、超空間ネットワークの「大断裂」と呼ばれる崩壊。さらには、生命の進化の行き着く先のさらに向こう。 宇宙構造の深淵に切り込んでいる意欲作。
たいていこの手の作品は、これまでの大筋とかが、わりと適当になったりしがちだが、この作品に関しては、ちゃんと生意気で孤独な地球種族たちと、銀河列強の悪玉たちとの戦いにひとまず決着がつく感じで、スケールこそ一気に大きくなるものの、あまり関係のない話には走ってないと思う。
また、ストリーカーが発見した、始祖のものかもしれない大船団の遺物の何が問題だったのかということに関しても、ちゃんと明らかになる(例によって宗教的な理由だが、例えば「地動説や進化論を信じたがらないキリスト教」というようなイメージがやや近い、実際的な理由)

超空間連続体。始祖の伝説

 そしてここに来て世界観を大きく広げる、新しいガジェットがいくつか登場する。
まず思念生物が生きる、Eレベル空間と呼ばれる超空間。奇妙な半論理、反現実、眠りを弄ぶ。Eレベル連続体は、ときどき物理的物体に対し、ぞっとするほど奇怪に、致命的な影響をおよぼすこともある。そういうもの。特に「二次元的な障害物に見えるものは、かならず二次元的な方法で克服しなければならない。それがE空間におけるロジックの働き」というのは特に興味深いか。

 さらには酸素呼吸生物の伝説の始祖の新たな伝説として、知性化の大連鎖を創始する以前、つまりは知性化夜明けの前に、あちこちの銀河系に酸素生物たちが共有することになるDNAをばらまいたという話も。

超空間で出会う、別の系統の生物群

 酸素呼吸生物以外の生物の系統に関しても、銀河系(むしろ通常物質世界?)を繋ぐ超空間ネットワークとも合わせて、いろいろ説明が入る。
「機械種属は謎が多く、宇宙のはるかな深淵で相互に設計し、建造しあい、足で立つ大地も呼吸する風も必要としない存在」
「知性の量子系統に属するメンバー……量子類なんて見たことがない……量子類はE空間をきらってるとばかり思っていた。……有機体が真空のなかでどのように感じるかを想像してみてください。テクノロジーによる保護層がないと、あなたがたはしなびて死んでしまう。同様に、E空開特有の主観性の揺らぎも、他の生命系統の存在には危険をもたらします。とくに、量子類にとっては不快感が大きい。 受けるダメージは、機械系統のメンバーが受けるよりもはるかに甚大……たいていの量子存在は、宇宙の泡の隙間に住んでいて、他の生命系統のメンバーからは見えない状態。固い岩のなかに棲息するバクテリアのようなもの。量子類との意識的接触は、一億年弱前、ライブラリ協会の専門家によってなされた一例しか知られていない」
量子類については、不確定性原理、つまりは存在の不確かさを有したままあるいは不確かな状態こそがこの生物の最も安定した状態かのような印象すらもある。監視は、量子類には危険になりうるとか。
そして「水素呼吸類の気球のような乗り物(体?)は、どの連続体でもおなじように見える……水素類は、本来の生息環境である木星型惑星から、別の木星型惑星へと移動するさい、近道としてE空間を通ることを好む。AレベルやBレベルの超空間のほうが効率よく、遷移点間移動のほうがずっと速いのに」

 酸素呼吸生物に関しても、他の系統と比較しての様々な特徴があらためて語られる。「もっとも活発……水素類、量子類、思念類その他の系統の生命たちは、酸素呼吸生物と比べると時間の経過に対し不思議なほど無頓着のよう」

 そして、1つの銀河だけでなく、全ての宇宙にまつわる新たな謎。様々な特殊な生命体が知られながら、数えきれないほどある他の銀河系に知的生命の兆候が全く見つからないという事実。それは「もしそうなら、なんという潜在性の浪費か」と語られもする。
そして、あらゆる生物の始まりの謎についての様々な推測を通して、宇宙構造そのものの仮説が示されるが、水素呼吸生物と機械生物の知性は共通して、コンピューターシミュレーション的な宇宙を語る

酸素と水素

 現代の物理学の知識から見ても、微妙さの度合いは低いと思われる水素呼吸生物に関しては、やはり特に記述が多くなっている。
酸素類と水素類は、炭素分子を基盤としている点はおなじ。だが前者は、酸素の豊富な大気における化学反応を利用し、液体の水を必要不可欠の溶媒としている。この種の生物の出現環境はかなり限定的で、酸素類が宇宙空間へ出ていくには、環境ごと持っていかなければならないのが普通。

 酸素類の住めない苛酷な環境で出現するのが水素類。厚い大気の層、動きのはげしい対流圏などがあるガス惑星などの場で、荒れ狂う広大な空に生まれる。強力な流れと圧力の 影響のために小型の生物はそもそも長期的に存在することが不可能。安定した最初の生物はある程度以上の大きさが確実になる。小型生物が出現して、それが集まる形で大型化(複雑化)していく酸素呼吸生物とは対照的というふうに説明される。
最初から巨大な水素類が飛翔する空は広大で。進化は変化をうながしはするが、それはゆっくり。その変化が生殖と遺伝を通じてとかぎらないというのは特に興味深い。小さな細胞同士が共生関係を作る進化をする酸素呼吸生物に対しする方法。自らの部分部分をある程度独立させて実質的な自己ネットワークを生成、つまり分離によるパターン増加。言わば、競争関係のないところに成長はないとし、水素類は、会話、評価、理解する相手をみずからの内部に求める。それは奇妙だが、ヒトが想像力を使って未来の可能性をさぐるのに似ているとも。