「ゴジラ昭和シリーズ」原爆怪獣。いくつかの戦い、ドラマ、地球の変化

ゴジラ

ゴジラ(1954)

 おそらく最も有名な怪獣ゴジラの映画シリーズの、記念すべき1作目。
神話の始まりとも言える。
ゴジラ(昭和29年度作品) 東宝Blu-ray名作セレクション>
 ストーリーは、核実験の影響により、海底の住みかを破壊された、ゴジラと呼ばれる事になる怪獣が、地上に絶望的な破滅をもたらすというもの。
そしてそのゴジラという存在の示唆、出現、破壊という過程を通して、生物学者の山根や物理学者の芹沢の夢と苦悩、山根の娘である恵美子の決意などが描かれている。

原子怪獣現るの影響

 「核実験や核兵器により目覚めた未知の生物が暴れる」というプロットは、決してこの映画が最初という訳ではない。
そもそもこの作品自体、リドサウルスなる古代生物がもたらす破壊を描いた『原子怪獣現る』という映画に、強い影響を受けて製作されたという説がある。
ただ、確かに原子怪獣現るを思わせるような演出などがいくらかは見られるものの、ストーリーは大きく異なっているし、何よりこのゴジラという作品には、原子怪獣現る含む他の類似品とは、(当時)一線を画す様々な要素があって、だからこそこの映画は、怪獣SFの永遠の名作として語り継がれることになったのである。

ゴジラという映画を傑作たらしめる様々な要素

 例えば、新アイデアを駆使し、当時の基準を過去にした映像。
怪獣を映像で表現する場合、ストップモーションが主流であった時代において、着ぐるみを使うというアイデアは、見事に成功。それは、「リアルで、かなり滑らかに動く架空生物」という画期的な映像効果を生んだ。

 さらに、徹底的な反核、反兵器、反戦メッセージ。当時、この手の映画にはだいたいそういう要素があったが、それはあくまでサブ要素的にすぎなかった。たいていは暴れる生物や、それへの対抗作戦がメインで描かれていた。しかしこの映画は、反核がメインであると言っていいほど、そういう精神があちこちに滲み出ている。
何よりも破壊された東京は、まさに空襲を受けた都市の再現。
作中、人々がゴジラを恐れれば恐れるほどに、「アレと同じような光景を我々は産み出した事がある」という事実が、見る人の心に響くような作品になっている訳である。

 また、普通の兵器ではどうしようもないくらいに強力な力を有する怪獣を、単に恐ろしい存在とか、災害として描く訳でもなく、一個の生物として、上手く人間たちのドラマに溶け込ませてもいる。
ゴジラという、常識を覆す生物という現実に感服し、それを殺そうとする人々という、また別の現実を前に、生物学者として悩む山根やまね

破壊された東京を見て、ゴジラを殺すために、大切な人との約束を破る決意をする恵美子えみこ
それに理想と夢、愚かな人間たちの間で心揺らしながら、子供たちの平和への歌を聞き、ついには自らが開発した、核をも越える兵器を使う事を決める芹沢せりざわ

 もちろん、「怪獣はでかい。でかい音楽。でかい音だ」というシンプルな発想のもと、でかい音の楽器ばかり使って作られた、あの有名なテーマ曲も素晴らしい。

大戸島の伝説。ゴジラに関する民俗学的な視点

 連続した謎の海難事故に続いて、異常なほどの不漁に対する会話は印象的。
「やっぱりゴジラかもしんねえ」
「また、じい様のゴジラか、今時そんなものいるもんかよ」
「おい、昔からの言い伝え、バカにすると、今に、お前たち、あまっこを、ゴジラの餌食にしなきゃなんねえぞ」
その次に、ヘリで記者とかがやってきた後。
政治「確かに生きもんだ。奴は今でも海の中で暴れまわってる。だから雑魚一匹とれやしねえや」
萩原「だけどそんな大きな生き物が、君……」
政治「だから俺、話すのは嫌だって言っただ。いくら正直に話しても、誰も信用してくれやしねえんだ」

 とにかく、以降の作品では、驚異的な生物ではあるが、民俗学的な伝承からの視点では語られることが少なくなっていく、ゴジラ伝説も興味深い。
大戸島おおとしまの伝説では、恐ろしい怪物であり、海の魚を食い尽くすと、今度は陸へ上がってきて、人間までも食う。昔は、長くシケが続く時には、若い娘を生贄にして、遠い沖へ流したとも。
そして今でも、その当時の神楽が、厄払いという形で残っている

ゴジラは恐竜なのか

 ゴジラはジュラ紀の生物の可能性が高いというように説明されるシーンがあるが、なんと、ジュラ紀の時代設定が200万年前ということになっている。
「ブロントサウルスや恐竜」という言い方も、けっこう興味深いか。
ジュラ紀から次の白亜紀の時代にかけて、まれに生息していた海棲爬虫類の中から、陸上獣類に進化しようとする中間型生物、と、かなり断言気味に言われている。
海底の洞窟にでも生き長らえていたのだが、度重なる水爆実験によって、その安住の地が破壊されたために、地上にその姿を見せた。という説も

オキシジェンデストロイヤー

 核兵器を超える恐ろしい武器になりうる発明とされている、このオキシジェンデストロイヤーは、それが登場する作品の少なさにも関わらず、ゴジラシリーズにおいて、怪獣関連以外では最も有名なガジェットかもしれない。

 この作品中では、「水中の酸素を一瞬にして破壊し尽くし、あらゆる生物を窒息死させ、その後で液化してしまう。液体中の酸素破壊剤。酸素の研究をしている途中で偶然に発見した、とんでもないエネルギー」というように説明されている。
これはまた長らく、ゴジラを明確に殺すことに成功した唯一の兵器でもあった。

ゴジラの逆襲

 1作目のヒットを受けて、多分急に続編決まって、急に作ったかのような感じの作品。監督や役者は1作目からけっこう変わっているし、音楽も伊福部ではない。
物語全体としては、わりとダークでシリアスな1作目に比べると、かなり明るくなっている感じがする。出番はわずかながら山根博士も登場するのだが、少しゴジラへの考えについて、何か吹っ切れているような印象も受ける。

 怪獣アンギラスの初登場作品だが、正式名称がアンキロサウルスというふうに扱われている。
恐竜の地質時代が、7000万年前から1億5000万年前の時代とされていて、むしろ1作目は、なぜ200万年前だったのかと、疑問に感じざるをえない。
ついでに、アンキロサウルスはもちろんのこと「ゴジラも同時代に生存しておったのでありますが」とか普通に言われている。

 ポーランドの古生物学者プレデリィ・ホードン博士の報告書によると、「アンギラスは身長150~200フィートで、完全なる肉食の暴竜。その行動は、巨大な体のわりにかなり敏捷びんしょう。この生物の重要な特徴として、その行動を敏捷たらしめるために、脳髄が肉体の数箇所、胸部から下腹部等に分散している。アンギラスは、他の生物に対し、徹底的な憎悪を持っている好戦的な種」とされている。

 1作目でも少し触れられていた、ゴジラが光に対してやたら怒りを見せるという習性は、不思議とされながらも、水爆実験の被害にあった時の記憶を呼び覚まされているからではないか、という説も出される。
また、それも少しではあるが、オキシジェンデストロイヤーに関する言及もある。

キングコング対ゴジラ

 ゴジラが現れたというニュースを受けて、子供が「ゴジラ見に行こうよ」という描写があり、 後に同じ世界観で子供のヒーローのようになる片鱗がここで少し見えるか
2作目よりもさらに作風が明るくなっている感じがする。
キングコングの描写は、オリジナルのオマージュのようなシーンも結構踏まえつつも、この作品からのオリジナル要素もそれなりにある感じがする。

モスラ対ゴジラ

「誰がお前達なんて助けるか。使ってはいけない炎で、平和なこの島を焼いたお前達なんて、絶対助けてやるものか」

 とりあえずゴジラ対モスラでなく、モスラ対ゴジラである事を強調しておくべき作品ではある。
基本的に日本の「~対~」系の怪獣映画は、先に名前がある方が主役という暗黙のルールがあるが、これはまさしく、ゴジラを敵役として登場させたモスラの映画、という感じがする。
話の中心は完全に、正義の怪獣モスラであり、ゴジラは単なる悪役とも言える。

 しかしシリーズの中でも、反核の精神がよく現れている作品でもあり、人間もかなり悪として描かれているところがある。
それでも人間は悪だけではないと信じ、命を賭けてゴジラと戦ってくれるモスラという怪獣の優しさこそが、この映画最大の見所であろう。
そしてそういう訳なので、ずいぶん明るい雰囲気だった3作目に比べると、かなりシリアスでダークな印象がある。

 また、この映画には小説版もある。
基本的に話は映画に沿ってるが、所々マイナーチェンジがあるのと、何よりも、ゴジラの暴れ具合がどれほど絶望的なのか(という、映像では、技術的な問題か、正直活かしきれてない設定)が、文字にてよく表現されているので、映画が好きなら、特にオススメ。

三大怪獣 地球最大の決戦

 最強の悪役怪獣キングギドラ初登場のゴジラシリーズ5作目であり、前作「モスラ対ゴジラ」の直接的な続編でもある。
タイトルの三大怪獣とは、地球の三怪獣であるゴジラ、モスラ、ラドンの事であり、キングギドラは含まれない。
またゴジラが初めて、人間の味方よりに表現された作品でもある。
いわゆる昭和シリーズにおいて、ゴジラは以降、地球の守護神のような存在となっていく。
ちなみに以降のシリーズでもよく使われる事になる宇宙人というガジェットが、初めて導入されたのも今作。

 真の脅威は暴れまわる2体の怪獣ゴジラとラドンではなく、金星を滅ぼし、地球に迫る宇宙大怪獣キングギドラだという、新たな強敵パターン。
そして人々に助けを求められたモスラが、「ゴジラとラドンを味方につけ、3体がかりでキングギドラを迎え撃つという作戦」を提唱するという熱い展開。
出来れば、これを見る前に前作のモスラ対ゴジラ、それに直接の繋がりはないけど、「空の大怪獣ラドン」と「モスラ」も見ておくと、特に共闘シーンはすごく盛り上がると思われる。

 何よりラストの3対1の怪獣バトルは見物。
なんといっても三大地球怪獣の見事すぎるコンビネーション。
ラドンがキングギドラを空から叩き落とし、再び飛ぼうとするキングギドラをモスラ(この映画では幼虫)が地上に足止め。その隙に猛然とゴジラが攻撃と、まさに、互いの得意な手を駆使した完璧な共同戦線を見せてくれる

 また、通訳に小美人を迎えた怪獣同士の会話も、なかなかどうして面白かったりする。

 とりあえずこの映画には反核、反戦などのメッセージ性は欠片もない。しかしただ純粋に怪獣エンターテイメントとして評価するならば、かなりの傑作と思う。

 ただ正直、以降の作品でキングギドラが明らかな弱体化の道を辿ったのは、個人的にちょっと残念。

怪獣大戦争

 怪獣映画となかなか相性のいい設定なのか、よく混ぜられる宇宙人の侵略要素が、実際に初めて持ち込まれたゴジラ作品。
前作にも宇宙人が出てきたが、今回はよりメインのガジェットという感じがある。
ゴジラシリーズで最も有名な宇宙人といえばX星人と思われるが、それが登場するのが今作である。

 序盤、このX星人が、自分たちの脅威であるキングギドラをどうにかするために、ゴジラとラドンを地球人から借りるという話になるのだが、 その連れて行かれるシーンは、なかなかにシュール。
キングギドラをやっつけた後に、X星に取り残されるゴジラとラドンというシーンも、なかなかシュール

ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘

 南の島にて、無理やり連れて来たインファント島の住人たちを強制労働させ、ひそかに核兵器を開発している謎の組織『赤イ竹』。と、それに立ち向かうことになった者たちの話に、怪獣たちが絡む。
島の周囲の海域の番兵のようにエビラ、インファント島で眠りについているモスラ、そしてなぜか島で眠っているゴジラ。
ゴジラが決して正義の味方というわけではないが、しかし少なくとも、人間たちに関して、善も悪もない。中立の立場だというような感じで描かれている。
南の島が舞台だからか、女性を前に妙におとなしい様子も見せるゴジラは、その座り方とか、仕草と合わせて、妙にキングコングっぽい

 しかし、途中で出てくる謎の怪鳥は、ゴジラの大きさを考えると大きすぎるような気がする。 

怪獣島の決戦 ゴジラの息子

 前作同様に島が舞台のゴジラだが、明るさというか、能天気さというか、そういう部分がさらに増しているように思う。
タイトルの怪獣島は、舞台となる島の正式な名前ではない。それはゾルゲル島という謎の島。
元々ゾルゲル島には、(人のサイズくらいに)巨大なカマキリが生息していたのだが、気象コントロールの実験に失敗したための異常高温と合成放射能物質で、生体構造に変化をきたして、さらに巨大化してしまう。ようするにこの島はもともと、巨大生物の島ではあったが、怪獣島というような感じではない。さらに後のシリーズで出てくる怪獣島が、ここと同じものなのかはちょっと謎。
巨大なクモであるクモンガは、もともと怪獣的ぽい。そして描写的にけっこう強い(ゴジラをかなり苦戦させる)

 ゴジラの息子というか赤ん坊ゴジラと、ゴジラのやりとりは妙に微笑ましい。

怪獣総進撃

 近未来ものの世界観で、正統派SFという雰囲気がわりとある。
 国連科学委員会の月面開発プロジェクトのために、硫黄島からロケットがしょっちゅう発進している。 さらに小笠原諸島周辺を利用し巨大な海底牧場を建設し、あらゆる魚類を飼育。そして陸ではかつての驚異であった怪獣たちを保護している設定。

 世界中の都市が様々な怪獣に破壊されるというダイナミック展開で、かなり世界の危機感が強い。人間パートの部分も結構死人が出たりしてシリアス。

 敵であるキラアク星人の最後の切り札は、地球人にコントロールを奪われることが決してないだろう宇宙怪獣キングギドラ、でもなく、ファイアードラゴンとかいう謎の怪獣。と見せかけての、という展開だが、これも普通に怪獣でよかったような気もしないでもない。そしたら、昭和ゴジラ作品の中でも、最強候補の怪獣として有名になってたかもしれない。

ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃

 ゴジラが映画のキャラクターであり、少年が見る夢の中でのみ実在する存在だという設定の、かなり異色な作品。ようするに現実世界が舞台。
やんちゃな子の意地悪に対し、力づくでやり返すことこそ勇気、というような、暴力による解決が肯定されているような面があり、なかなか時代を感じさせる。

 怪獣のシーンは、過去のシーンの使いまわしがかなり多い。
リアルの世界での盗賊団との対決など、(怪獣関連以外の部分のパートにて)ちょっとサスペンス的な要素が強いという意味でも、異色的。

 「大人の世界の神様がいるように、子供の世界に怪獣がいたっておかしくない」とか、なかなか前向きな印象もある。
しかし主人公も、そもそも、なかなかいたずら小僧。

ゴジラ対ヘドラ

「こいつは、我々が公害物質を出し続ける限り、どんどん強くなるぞ」
「ゴジラより?」

 もっとも強烈で賛否の分かれる、ほぼ伝説なゴジラシリーズ11作目。
間違いなくこれも異色作で問題作。でも個人的には初代と並ぶ程の名作。

 この作品に出てくる、なかなか強烈な印象の怪獣ヘドラは、宇宙からやってきたという、ダイヤモンドに近い鉱物ヘドリュームを核とする。
ヘドリュームは様々な化学物質(公害物質)を取り込み、触媒作用で、それらを硫黄へと変える。さらに硫酸の小さな粒子、硫酸ミストが、金属や生物などを腐食させる。
そして恐ろしい生物としてのヘドラは、公害物質が地球にあふれている限り、強さを無限に増していく。

正義の味方としてのゴジラ

 この作品は、ゴジラが完全に人間の味方として描かれた初の作品かつ、おそらくその(メイン怪獣が人間側であるという)設定を最も活かした怪獣映画でもある。
あと(前作もそうだが)シリーズ内でも、地味に珍しい子供が主人公の作品(である2作が、どちらもシリーズの中でかなり変わり種で、かつそれら2作だけでも、かなり対照的だというのは興味深いか)

 また、ゴジラが空を飛ぶ作品としても(ある意味)有名。

ヘドラという怪獣。強烈な反公害というメッセージ性

 まずこの映画に反核要素は全然ありません。
しかしながらこの映画の公開当時、深刻な社会問題となっていた公害(人間社会の中で行われる活動によって発生する有毒物のもたらす被害)を徹底的に批判した、そのメッセージ性は、伝説的な初代にも負けてないと思う。

 ある日、宇宙から飛来した地球外生物ヘドラは、人間たちが都市開発によって大量発生させた公害物質を取り込み、邪悪な公害怪獣へと進化を遂げ、地球に牙を向ける。
ヘドラは恐るべき力で、地球の大怪獣ゴジラすら寄せ付けず、その被害は拡大していくばかり。
人類は高圧電流によって、ヘドラの体を構成するヘドロやスモッグを分解するという作戦を立てる。
またゴジラも不屈の執念で、ヘドラを追う。

 作中でゴジラは三回にわたりヘドラと戦うが、ヘドラはかなり強く、最後の戦闘時には、さすがのゴジラも、目を潰され、腕を溶かされる大苦戦を強いられる。
物語序盤、「ヘドロだらけの海なんて見たら、ゴジラだって怒るだろうな」と悲しんでいた少年は、しかしそんな人間の汚した地球の怒りとも言えるヘドラだって、ゴジラはきっとやっつけてくれると信じ続ける。その信頼に答えるかの如く、ヘドラをやっつけようとするゴジラ。そして最後のやり場のない怒りが心を打ってくる。
ヘドラ(現実でもたくさんの人を酷く苦しめた公害物質はまさしく怪獣だった)なんかを産み出した、人間たちへのゴジラの怒りである。

異色とはいえ、間違いなくちゃんとゴジラしてるゴジラ

 これはとにかく、いろいろ凄い作品。
削減されてしまった制作費をなんとかするための苦肉の作だったらしい紙芝居的なシーンなども、なんか妙に味がある。
そしてシリーズ屈指のダークさの中で放たれている、その強烈なメッセージ性は、まさしくゴジラ作品。

地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン

「アンギラス、偵察に行け」

 シリーズ12作目。
いろいろ奇抜で、ぶっ飛んでて、強烈なメッセージ性のあった前作とは打って変わった、(まあでもこれはこれでなかなかぶっとんでる)エンタメ系ゴジラ。
また「両手がギロチンのサイボーグ」とかいうスタイリッシュすぎるステータスを持つガイガンの初登場作品。

 まあ、なかなかカオス。漫画家と、遊園地を隠れ蓑とする宇宙人との戦い。なんか海じゃなく怪獣島なる島に暮らすゴジラ(と、なんかいつの間にか仲良しとなってるシリーズ2作目の敵であったアンギラス)。両手がギロチンとかいうスタイリッシュサイボーグ怪獣ガイガン。キングギドラ大幅弱体化(地味に今作は、こいつが数的に不利でない状況で戦う初の作品である)。後にも大きな影響を(多分)与えたと思われる宇宙人の設定。(なんと吹き出しを使った)怪獣同士の会話。

 とにかくいろいろカオスな作品で、賛否両論別れるだろうが、しかしエンターテイメント作品として見るなら、上記にあるように、意味不明だが勢いある設定や、怪獣同士の会話やタッグバトルなど、見所は満載である。

ゴジラ対メガロ

 前作と同じような方向性で、奇抜でぶっ飛んでる感じのエンタメ系。しかし大筋に核実験による影響が少し絡んだりしてて、実はシリアス度はちょっと増しているような感じがする。
昔に沈んだ大陸として、レムリアやムーの名前が挙げられているが、なんとそれらが沈んだのが300万年前などと説明される。
そして、地上の者たちの核実験のせいで、自分たちまで危機に晒されたために、地上人と戦うことを決心した海底王国シートピア。その名残と思われるイースター島のモアイも、やはり300万年前のものとされている。

 地底人が地上世界を侵略するのに、 町工場の民間メカニックが作ってるロボット、ジェットジャガーを利用しようというすごいシナリオ。シートピアの怪獣メガロの攻撃目標をジェットジャガーに決定させようという感じだが、なかなか意味わからない。
また、コンピューターがエラーを起こした時のための予備システムである超音波システムで、ジェットジャガーのコントロールを取り戻した後。人間たちは、暴れるメガロをどうにかするために、怪獣島のゴジラを呼びに行くように命令するのだが、 そのことを知った地底人たちは宇宙に通信波を飛ばして、援軍としてガイガンを余分。という、やはりかなり意味不明な展開。

ゴジラ対メカゴジラ

 以降の作品では、人間が作ることが多くなるメカゴジラだが、この作品においては、地球征服を企む、ブラックホール第三惑星人が、地球最強の怪獣ゴジラを参考に作った、サイボーグということになっている。
2度の戦いのどちらにおいても、炎を使った演出がなかなか迫力ある。
ハイテクなメカゴジラに比べ 、ゴジラの助っ人として登場するキングシーサーは民間伝承的な類で、ごちゃ混ぜ感もわりとある。

メカゴジラの逆襲

「涙。君は人間だ。心を持ってる」

 ストーリー、ドラマ要素が強い大人向けなシリーズ15作目にして、ゴジラを産んだ名監督、本多猪四朗、最後のゴジラ。
前作「ゴジラ対メカゴジラ」の直接的な続編でもある。
※ただし前作で大活躍(?)したキングシーサーは出てこない(誰も求めてない訳ではない。と信じたい)

 この頃にはすっかり子供向けとなってしまっていたこのシリーズだが、初代ゴジラの監督である本多猪四郎が 、「もう一度大人向けのゴジラを」という考えの元、製作された、全編にわたってシリアスな作風の、ドラマ性が強いゴジラ。
ただし、ドラマ要素を強くした代償か、怪獣の出番は少なめとなっている。
言ってしまえば、怪獣が絡むドラマ映画といった感じである

 後、構成的にはちょっと浮いてしまっている、助けを呼ぶ子供に応えるかのように、ゴジラが姿を見せる終盤の1シーンは、「それでも怪獣は決して大人だけのものではない」というメッセージみたいに思える。
あくまで個人的には。
案外あれはいろいろな解釈が出来る、なかなか深いシーンなのかもしれない。

 宇宙人、マッドサイエンティスト、それにゴジラを背景とした恋愛ドラマ
キーワードだけ並べたなら、まだまだカオスな感じだが、すでに述べたように、この作品はかなりシリアスな作風であり、怪獣が絡むドラマ映画といった感じである。

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