誰も死なない極上のミステリーエンターテイメント
この小説のいい所は?と聞かれたら。
・敵味方(というより立場)問わず、しっかりとディテールの設定された魅力的なキャラクター達。
・思わず笑みをこぼしてしまう、素晴らしいアイデア。
ぶっ飛んだ展開。
大胆なシチュエーション。
見事なトリックの数々。
・片時も退屈させてくれない、計算され尽くした完璧すぎるプロット。
と、ぶっちゃけ「その全ての要素がいい」としか答えようがないほどに、凄く面白いミステリー小説。
個人的な好みも何も関係なしに、まず、間違いなく、日本ミステリー史に輝く大傑作と思います。
子悪党だけど憎めない主人公達
よく悪人が一人も登場しないと言われるが、主人公達三人は、普通に小悪党だと思う。
特にリーダー。
確かに、道を外れてしまった経緯については、同情的な部分もあろうが、彼らが悪人でないなら、そもそも世の中の大半、悪人でなくなると思う。
そうすると、とりたてて言う事ではなくなる。
むしろ悪人が出ないお話というのは、至って普通の話になる。
普通に生きられないような環境にいるしかない人達が多いという、社会というものの問題を浮き彫りにはするが、かといって別に、身代金目当てにお婆ちゃんを誘拐しようとした人達を、仕方がないという訳にもいかないと思う。
これは、諸悪の根源は社会であって、勇気あるお婆ちゃんが、悪をもって悪を制する。(ある意味、というか普通に、おばあちゃんのせいで大事になったのだから)
そういう話。
でも現実には、悪をなんとかするために、悪を利用しようと思っても、上手く利用しきれる人なんていない。
少なくとも、それですっきりした例なんてない。
でもそのIFを描いているからこそ、この話は、楽しくて、魅力に溢れ、心を震わせてくれるのだと思います。
ストーリー
刑務所から出所したばかりの小悪党、戸並建次(となみけんじ)は、もうこれからは真っ当に生きていこうと決意するも、その為の元手もない。
そこで仲間ふたりと共に、最初で最後、一世一代の大勝負を決意する。
それは日本有数の大富豪、柳川とし子(やながわとしこ)の身代金目的の誘拐。
あまり出歩かないとし子に苦労させられながらも、なんとか彼女の誘拐に成功した建次達。
しかし、このとし子という老婆こそ、まさにくせ者であった。
誘拐された身でありながら、実に平然としていた彼女は、なんと建次達の話す計画の欠陥を、鋭く指摘。
さらにはアドバイスのみならず、隠れ場所まで提供。
そして決定的に事態が変わったのは、その身代金額を建次達が打ち明けた時だった。
5000万というその金額に、なんととし子は激怒。
「私はそんなに安くない。身代金は100億円だ」
ここに人質であるはずのおばあちゃんか指揮する、たった三人の(後に「虹の童子」と名乗る事となる)大盗賊団の大冒険の幕が上がった。
というようなお話。
とにかくキャラクターが魅力的
どういう訳か、自らが誘拐犯達を指揮する事となるトンデモおばあちゃんのとし子はもちろん、登場するどのキャラクターも生き生きしてて魅力がある。
実はとし子が投資していた孤児院の出身であり、とし子と話す内に、だんだんと本当の自分を取り戻していく主人公の建次。
とし子に絶対の信頼を置き、とし子から「太陽は西から昇る」と言われたら、間違ってるのは東から昇る太陽なのだと考えちゃうほどに能天気な、くーちゃん。
これまた、とし子に恩があり、動かせる全勢力を駆使して誘拐犯達を追う、和歌山県警の井狩大五郎(いかりだいごろう)
「確かにやつらは本気で命懸けらしい。でもそれはこちらも同じ事だ」うんぬんのセリフは本当に熱い。
また、建次がとし子に自分の事を打ち明ける場面や、若い頃の大五郎ととし子のエピソードなどは、特にドラマチックで感動的である。
映画版について
たった一人の誘拐事件としては異例な額であろう100億円という身代金から、最終的には世界中に注目されながら、警察を翻弄し、マスコミを利用し、本当に最後まで(例え予想がついてても)ハラハラドキドキさせられる展開の連続のエンターテイメントながら、しっかりとドラマを盛り込んだ、まさに傑作中の傑作ミステリー小説。
それがこの「大誘拐」。
また、この作品は、1991年の映画も、素晴らしい小説を、かなり忠実に映像化していて、素晴らしい出来。
役者のとぼけ気味な演技のおかげで、原作よりも、コメディ成分が多いような感じする。
映画では、いくつか説明されない設定があるから、両方楽しむとするなら、おそらく原作から読んだ方がよいかな。