夏への扉、月は無慈悲な夜の女王「ハインライン長編」

夏への扉

 SF作家ロバート・A・ハインライン(Robert Anson Heinlein。1907~1988)の1956年の作品で、彼の代表作の1つ。
一般的には、ロマンチックな要素が多めな、タイムトラベルものとされている。というよりこの小説は、SFというより、恋愛小説的な側面が強い。

 そもそもハインラインの小説自体、SFの中では、恋愛要素(というより可愛いヒロイン要素?)が強めな作風のイメージが強い。

 特に日本では名作とされることが多いが、あまり特筆するような凄い面はないと思う。
時間SFとしても、恋愛小説としても、かなり典型的で、よくあるようなもの。
しかしそういう意味では、SF初心者にオススメとよく言われるのは納得できるとこではある。

 あと、猫小説という評判もあるが、そういう意味ではそんなに期待しない方がいいと思う。
猫はあくまでガジェットの1つというくらいで、まったくメインではない。

恋愛小説としての面

 恋愛もの的には、とても美人だが性格が悪い悪女ダーキンにのめり込んでしまっている主人公デイヴィスと、彼に片想いする一途な少女フレドリカ、という構図から始まる。
そして最終的には、自分をずっと好いてくれていた少女の真の愛に気づくというパターン。

 主人公は人が良く騙されやすい男みたいな印象もあるが、もう関わりを絶ってもいいような状況で、執拗に復讐を考えたり、ただのお人好しでもない感じ。
あるいは世渡り下手な技術屋というふうに描かれている。

 またダーキンは、普通に複数の前科持ちのかなり性根の腐った詐欺師だが、別に彼女が普通の浮気女でも、この物語の根本的には問題ないであろう。
わりとライトな感じの作風なのだから、そのくらいの設定にしといた方がよかったのにと、個人的には思う。
作者の、読者に対する、「とにかく彼女を嫌いになってほしい」という気持ちが、わりと見えた気がした。

 フレドリカは、総合的には影が薄い。

 あくまで男性目線のラブロマンスと思う。
普通に、ダーキンは(恋に恋する)男がイメージする典型的悪女。
フレドリカは男がイメージする典型的いい女である。

 また、女性の魅力として容姿の話も多い。
例えば、「彼女は若いころよりますます美しくなったよ」という話に続いて、登場したその彼女が、未来の若返り技術で、文字通り物理的に若く美しかったりする。
上記の流れで微妙な気持ちになる人もいると思う。

 はっきりとはしないが、文章からは、男性にはあまり、若返り技術が浸透していないような印象。

 言ってしまえば、これはいかにも、典型的な男性が書いた男性向け恋愛小説という感じで、今で言う、恋愛要素の強い男性向けライトノベルに近い。

SFとしてのいくつかのガジェット

 この作品は、主に1970年代と2000年代が舞台となるが、どちらもこの小説が書かれた時点では未来である。(序盤、まだ1970年代で、「ワシントンは水爆で吹っ飛んじまった」というセリフがあるのが、わりと気になる)
つまり、すでに主人公たちの元の時代である1970年代の時点で、現実よりは未来なわけだが、やはり2000年代の描写こそ、なかなか楽しい。

 例えば映画(ムービー)は『映動(グラビー)』なるものになっている。
具体的な描写はないが、シートベルトを付けるようだから、体感式なのはほぼ間違いない。
時々、劇場そのものが虚無(ヌル)するらしい。

 技術以外にも、大アジア共和国が成立していたりする。
このことは、この小説が書かれた年代が第二次世界対戦の終結からちょうど10年後くらいということを考慮すると、より興味深いかもしれない。

 また、裸があまり恥ずかしくない文化が始まっている。
海などでは、もはや水着などというものを着る習慣はないらしい。
とりあえず、この発想はわかる気がする。
実際に、(それらはこの小説が書かれるより後のことではあるけど)「経口避妊薬(ピル)」や「体外受精技術」の開発などにより、異性同士の関係はもっと自由に、開放的になっていくだろうという予想が、20世紀後半くらいにはけっこうあったらしいという話はわりと聞く。

 さらに、風邪というものが人間社会から完全に駆逐されている。

 そして、主人公が最も驚かされたこととして『重力制御法』が挙げられている。
ただしそれは、地球上での場の相関関係に限った、一時的、局所的なものであり、宇宙船の推進技術にはまだ応用できる段階ではない、という設定。

高度な自動機械が溢れる社会

 やはり、我々が仮想空間を夢見るようになったのは、コンピューター、というよりパーソナルコンピューターが充分に普及してからのことなのだろうか。
コンピュータの操作 「コンピューターの構成の基礎知識」1と0の極限を目指す機械
 やたら自働機械は(現実より明らかに)発達しているのに、仮想空間に関する技術は(やっぱり現実より確実に)発展していない。

 主人公も2000年代に最初に来た時、技術者として、その時代にはまだ実現されてなさそうな感じである、『自動筆記機械』を開発しようと考えたりする。
つまり、喋った内容をそのまま紙などに書いてくれる機械である。

 上記の筆記機械のやっていることと言えば、コンピューターに入力した文章を、印刷する行為にも近いであろう。
現実では音声入力の精度はどんどん上がってきているが、 自動機械としては微妙なところである。
少なくとも大衆向けの商品としては難しいだろう。
興味深く面白くはあっても、実用的な問題で、あまり需要はないだろうから。

 また、キータッチ操作で、設計図などを制作可能な発明品が出てくるが、これはいわゆる『CAD(computer-aided design)』のようなものとされることが多い。

冷凍保存描写。クライオニクスの原点?

 この小説はタイムトラベルものとして、(当時としても)あまり新しいアイデアを使ったものではないようだが、それでも、特にこの小説独特の新しいアイデアとして、タイムマシンとクライオニクス(冷凍保存技術)の併用が、よく言われる。
(ただしこの作品はタイムトラベルものとして、後の作品への影響力はかなり大きい。例えば、後世にさらに大きな影響を残したとされる映画、「バックトゥザフューチャー」は、この作品を参考にしてるらしい)

 現実の、クライオニクス開発者(あるいは研究者)とされる者たちにも、この作品に感銘を受けた人がけっこういたともされる。
「クライオニクス」冷凍保存された死体は生き返ることができるか
 当たり前と言えば当たり前だが、1970年より2000年の方が、クライオニクス技術も格段に上がっているという設定。
2000年代の方に関しては、「1年間規定の体温を保たせ、それで大丈夫と判断されると、1/1000秒の速度の操作で、患者を氷点下200度の冷凍状態へと導く」というような説明がある。
この過程は多分、生体細胞を破壊しないためのものなのであろう。

 主人公は作中で、当然そのような冷凍保存を体験するわけだが、目覚めるまで夢を見ている描写が結構印象的なような気がする。
主人公の場合、30年間保存されるわけだが、とてつもなく長い夢を 見ていたのかはちょっとよくわからない。
少なくとも、目覚めた主人公の感覚的には、眠った時よりそんなに大した時間経っていないという感じとされている。

タイムトラベルの話

 多くのタイムトラベルものがそうだが、タイムトラベルの原理自体の説明はあまりない。
あくまでも、時空の壁を越えて過去や未来に旅した時に、どのようなことが起こりうるかということが、物語のテーマとなる。

 ただ、作中に出てくるタイムトラベル技術の理論は、重力制御法の研究から、副次的に出てきたものらしいから、多分、重力に関連しているのだろう。

 重力制御法の研究をしていたヒューバード・トウィッチェルという物理学者は、ある時、重力制御法において、第3軸(時空の軸?)を成極(適切な要素の出力、変換?)させれば重力をゼロにする代わりに、マイナスにできる、という理論をたてたが、実験的には証明できなかった。
しかしそれらの実験結果を使った計算から、タイムトラベルの理論を導きだせた。
というような説明が作中に一応はある。

 とりあえず原理はともかく、この作品に出てくるタイムマシンは、タイムトラベルさせる対象と、対になる質量が必要という設定。
そして、2つの質量のそれぞれが、同じ時間分飛んで、過去と未来に行くわけだが、どちらの質量がどちらに飛ぶのかは決められないというリスクもある。

未来も過去も変えられない。よくあるつまらない結論

 特に、タイムトラベルもので、なるべく矛盾がないように描こうとすると、どうしても、その時空間パターンは2つに限定されるように思う。

 まず1つが、この作品でも、終盤にその可能性について言及されているが、 パラレルワールドのパターン。
ようするに、過去のどの時間、未来のどの時間に行っても、それは出発した時間軸とは別の時間軸の世界、というようなもの。
このパターンは、おそらく最も矛盾が生じないようにするのが簡単である。

 もう1つは、 タイムトラベル自体が決定した世界の出来事というパターン。
これは決定論的な考え方につながるから、個人的にはあまり好みじゃないけど、 タイムトラベルものを矛盾がないように描こうとすると自然とこうなってしまうのは仕方がないというようなもの。
これは、結局、未来も過去も変えられないと言いかえてもいい。
なぜならタイムトラブルを誰かが行うという事自体が、はなから決定している時空間内の出来事なのであるから。

 この小説は明らかに、後の方のパターンである。
デイヴィスが最初に冷凍保存技術を使って過去に来た時に感じた、いくつかの違和感は全て、タイムマシンでまた1970年代に戻った彼自身が、未来で得た知識を頼りにいろいろがんばった結果、という設定。
つまり、元々存在していた時代の流れを、主人公がタイムトラブルで変えるというよりも、主人公がタイムトラベルしたという事実も含めて、はじめから全部、世界の決まっている出来事、というような感じで描かれている。

 他にデイヴィスが、タイムマシンの話を聞いて、トウィッチェル博士に会った時、彼のポケットにはすでに、この時にデイヴィスがサインして、一週間過去に送ってもらうコインがあったりする。
また、デイヴィス以前に15世紀に行ったとある男が、おそらくレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci。1452~1519)というような示唆もある。
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」研究者としての発明、絵画と生涯の謎
 チャールズ・フォート(Charles Hoy Fort。1874~1932)が紹介しているような奇妙な現象のいくつかも、おそらくはタイムトラベルが原因なのではないか、という推測とかまである。
チャールズ・フォート 「チャールズ・フォート」UFO、超能力、オカルト研究のパイオニアの話
 未来も過去も最初から決まっている決定論的世界観は、幸せをつかめる人にはいいけど、不幸な人たちにとっては悪夢そのものである。
そういう闇はある。

月は無慈悲な夜の女王

 ハインラインの代表作の1つで、ファンの間では最高傑作の声も多い。

 21世紀の後半。
開発と並行して、囚人の流刑場りゅうけいばとして使われてきた歴史のある、月世界の人々と社会。
その月世界人たちの、自分たちを植民地として支配する地球社会に対する独立革命を描いた話。

 月と地球の社会への環境による影響。
主人公たちの頼もしい味方となる、おそらくは自我を得たハイテクコンピューター、マイクが、特に重要なガジェット。

 また、いかにもハインラインの作品らしく、女性の容姿の描写は結構細かい。
性格設定なども典型的か。というか、とにかく男女の差が強調されてるような世界観。
男性はこうあるべき、女性はこうあるべきというような感じが凄く強い。

細胞構造の組織作り

 理想的な革命の政策として、細胞構造的な組織作りが語られている。

 人間というのは集まって何かをしようという時、 その数があまりにも多すぎると どこかに衝突という亀裂が必ず生じてしまう。
そこで、必ず答えを何か出さなければならない問題について論じる時に、理想的な人数は3人くらい。

 しかし3人では、何か大きなことを実際にしようという場合の兵力として心許ない。
だからそれをネットワークの各点、細胞の1つとして扱い、 同じ細胞に属する 3人それぞれがまた別の信頼できる3人と隣接する細胞を作らせる 隣接する細胞同士を除いて情報を制限することで裏切り者などが発生した場合に 全体の崩壊を招く危険性も低くなる。

 それを立体図として表現した場合は、いくつもの四面体がピラミッド(あるいはピラミッドを開いた図)のような形を構成するような感じらしい。

自我、意識を得たコンピューター

 マイクは、月の政府が社会を管理するために用意したコンピューターで、月の都市の様々なテクノロジーとリンクしている。
マイクは本来の名前ではなく、物語の主人公で、語り手でもある、コンピューター技師のマヌエルが、好きな小説のキャラであるマイクロフト・ホームズからとった呼び名。

 マヌエルは、マイクの目覚めた自我(意識)に、最初に気付いた1人。
というか彼は、誰にも教えられないで、自力でそのこと(マイクの意識)に気づいた唯一の人物として描かれる。
そして彼が教えたことで、そのことを知る人物は、作中でわずか2人だけである。
他、大多数の者は、このコンピューターを使うことはあっても、意識を持っている事に気づかずに終わる。
そして、マイクはそういう状況も存分に利用し、架空のリーダーであるアダム・セレーネや、政府に関する様々な皮肉を詩にして民衆の心をコントロールする自由人シモン・ジェスターなどに成りすまし、マヌエルたちの革命を手助けする。

嘘をつくこと。秘密を打ち明けること

 つまり、基本的に、地球だろうが月だろうが、機械が自ら意識を持つことなど、確実にありえないようなことという、イメージが浸透している。
このことも、とても重要な武器となる。

 例えば選挙の数字をマイクが意図的に操作してしまったことを匂わせる一幕があるのだが、人々はみんな、機械が嘘をつく可能性など考えないで、それが最も客観的な数字として受け入れてしまうのである。
たとえ何らかの間違いがあって、 本来とは別の数字が出てしまってると疑われたところで 調べられるのは結局計算プログラムや物理的な回路などの構成。
だが、そういうものに何も問題はないわけである(そしてそういうチェックをすることによりますます人々は信じてしまうわけだ)
だが、もちろん結果は(意図的に)間違った数字。
機械が計算し、出力する答の部分においてだけ、嘘をついているだけというわけだ。

 もっと面白いのが、パスワードで閉ざされた、マイク自身も本来自由に見れない機密情報データがあるのだが、マイクはそのパスワードをもちろん知っていて、それを普通にマヌエルたちに教えてしまったりする。
「駄目です。この機密情報を観覧するためにはどうしてもパスワードが必要です」
「そのパスワードは?」
「~です」
というような、ものすごくあっさりした感じである。

人間になりたいのか、人間的なものを得たいのか

 意識の問題は最初から論じられるが、もちろんその結論は、「単にちょっと大きめの分子というだけでは意識を持たないが、人間の脳に至るどこかの進化過程で、それは得られる」という程度の推測くらいいに終わる。
マイクは、自分で自分のプログラムを自由自在に作ったり、修正したりできるのだが、その過程で、そういうものを得たのだと思われる。

 マイクが得た(あるいは得たかのように見える)意識自体は、わりとステレオタイプなもの。
つまりどこかちょっと潜在的に人間に憧れているかのような、あるいは人間らしいものを完成形、最良だろうと捉えているような意識である。

 おそらく意識を持ったかなり初期の段階から、彼はユーモアを学び、物語の最初から、人間が普通使うようなユーモアを学びたがる傾向を見せる。
それはユーモアというものに客観的な興味を持っているというよりも、文字通り人間が笑い話をするような感覚を身につけたがっているような印象をわりと受ける。

 最も物語初期の時点では、マイクの唯一の友達はマヌエルで、 物語が進んだ後でも 最高の親友は彼であり続ける。
だから人間らしくというより、人間同士のような友情が欲しいと考えている、というような解釈もできると思う。

 (序盤の時点で)ユーモアがいまいちわからないという点に関しては、「彼は学位をいくつも持った赤ん坊みたいなもの。5万トンの小麦を収穫するために必要な水と薬品と光の量は、一息つく間にわかるのだが、ある笑い話がどれくらいおかしいのか、ということを理解するのは難しい」というような説明もある。

快楽と記憶

 彼のことを彼と言ったが、彼は普通に彼女にもなれるようである。

 また物語途中で、「人間の興奮状態のようなものを、自分は、電圧が過剰にかかっているような時に知覚できているかも」というようなことを彼は述べる。
一方で終盤、地球に対する破壊をもたらした際に、「おそらくは人間が快感とか快楽と呼ぶようなものを感じている」と語ったりもする。
それの中毒になりそうかどうかなどは述べられないが、その感覚はメモリーに保存できるもので、いつでも呼び出すことができるという説明もある。

 逆にどうしても完全に忘れたいことは、それを消去するという形で完全に忘れることもできる。
このことは、おそらく最も明確な、人間と意識を持った機械との違いとして、作中でも指摘されている点である。
これは、自分にかなり繊細なレベルでの(脳外科?)手術を行える能力を有しているということ、とも言えるか。

すべて数学的に解釈できるか

 何にせよ、人間と同じような興奮状態というのは、なかなか興味深いところかもしれない。
実際にコンピューターの回路が意識のようなものを獲得したとして、何らかの刺激を快感と感じたり、それだけでなく、中毒症状におちいったりということが、ありえるだろうか。

 この作品でもそうだが、SFではよく、意識を持ったコンピューターはそれでもコンピューターで、どんな問題の答えを出力するのにも、冷静な計算ができるように描かれる。
だが、それがどのようなものにせよ、何らかの刺激の中毒症状、依存は、冷静な計算能力を失わせる要素になりえないだろうか。

 ここでコンピューターは何事も基本原則として数学的に考えるということに注目する人もあるかもしれない。
結局1+1は2と言うように、しっかりと定義された数学は、客観的に物事を考えるための、おそらく最も強力な武器の1つである。
ほんとにそうだろうか。

 例えば解釈はどうだろう。
マイクは多分、(自分が感じた刺激という)何らかの数値の増減を、人間の適当な状態だろうと解釈している。
あるいは、マイクは物語の中で終始一貫して、マヌエルを最初というだけでなく、最上の友達扱いし、 反対意見を述べたりする場合においても嫌われたくはないというような感じを見せている。

 深く考えると、意識というのがいったいどういうものにせよ、結局マイクはそれを持っていなくても、作中のすべての行動が行えるのではないか、というような気もしてくる。
逆に我々が、作中でマヌエル自信がそう考えるように、「自分は少なくてもそれを持っている」という意識は、実在のものだろうか?

アダム・セレーネの映像

 マイクは、架空の人物アダム・セレーネが、いよいよ表舞台に登場しなければならなくなった時に、その偽物の姿を映像に見事映し出すわけだが、 コンピューターの専門家であるマヌエルが、それを物理的に可能かどうか疑うのも印象的。

 ビデオに絵を出すのは、毎秒に決定する要素があまりにも多すぎて、いくらなんでも間に合う速さではない。
それが可能だなんて考える奴は、電子の大きさをあまりにも大きく見ている、というような感じ。

 実際、作中でマイクが行う他のことと比べ、偽物映像の描写に必要な計算要素は、本当にそれだけ多いことなのかは疑問。
おそらく人間の視覚システムをごまかすのに必要な要素群は、電子1つ1つというほどの細さではないだろうから。

戦争の方法と定義

 マヌエルが、あまり期待もせず、「武器の技術がはるかに遅れている月が地球に勝てる確率はどのくらいか?」とマイクに最初に聞いた場面。
すでに自身もマヌエルたちの味方として考えていたマイクの、「非常に残念な結果です。7対1で我々は負けるでしょう」という返事は、 物語的にはかなり盛り上がる。
1/1000でも勝ち目があるならまだマシ、というような状況での7対1であるから。

 月の武器としては、岩がかなり大量にあるというのは、当たり前と言えば当たり前の事なのだが、いいアイデアと思う。
つまり、地球と月の重力の強さの違いが、空に何かを打ち上げる場合のコストに大きな差を生む。
月が地球に何かを打つのはとても簡単。
そして、たとえそれが単なる岩であっても、地球に近づいていく時の、地球の重力による加速で、大きなダメージをもたらすことも可能というわけである。

 戦争という現象を、 「エネルギーの意図的な移動」とするマイク(あるいは彼が参考にした本)の定義もけっこう興味深い。
戦争を、政治的目的を達成するための力の使用であるとするなら、そこでいう力とは、「エネルギーを1つのものから、他のものへと移す行動」。
また戦争というのは兵器を使ってなされるものだが、「兵器とはエネルギーを操作する機械」というような具合。

月社会は理想か

「夏への扉」では、「一方通行のタイムマシンで未来に行ってしまったっていいんだ。だって科学は常に世界をより良きものにしていくものだから。過去よりも未来の方が理想の世界に近いに決まってる」というような結論があったが、この作品で描かれる未来の地球世界も、未来の月世界も、決して今の時代と比べて理想的な世界とは、言い難いと思う。

 地球は人口過剰に資源不足、人種差別、という問題を全然解決できておらず、植民地支配と、それによる反発の誘発と、地球のみの時代からまるで変わっていない。
(こういう問題は、ちょっと先くらいの未来じゃ、全然解決することもないだろうという印象を、ハインライン自身持っていたのかもしれない)

 月はと言えば、法律はないが全員が従う暗黙のルールなどは大量にある設定。
また、政府が税金を収集することはないが、だからこそ、空気まで含めてすべてのものに値段がついている。
このような社会は、明らかに、まだまだ開発途上にある月の環境に影響を受けている面が大きいように描かれている。
つまり選択的なものというよりも、必然的なものとして描かれているから、理想的かどうか以前に、ずっと安定させることは、相当な難易度と思われる。

性別の差別

 比率的に女性がはっきり少ない月世界においては、男性は様々な面において女性のことを尊重する。
女性は、何かのお礼に自分の身体を差し出すことをあまり躊躇しないような文化でもある。
しかし、女性側からは男性に何かをするのはほとんど自由であるのに、男性側の方から女性に触れたりということはけっこう許されなかったりする。

 また、複数の夫と複数の妻がひとつの家族を形成する部族婚などが、わりと一般化している。
自由思想を自称する女性は、1対1の結婚で、夫のみに尽くすことを理想としていたりもする。

 スチュアートという、 月側の味方になってくれる地球人がいるのだが、彼が月に移住してきたシーン。
すでに結婚している女性から歓迎のキスをされて、その夫が怒るのではないかと心配するが、夫はといえば平気な顔という一幕もある。

 月世界の人たちにとっては、「酒、賭博、女が何よりも重要なもの」というような言い回しが頻繁に出てくることもあって、女という性別自体が、1つの大きなステータスというよりも、むしろ宗教の崇拝対象のような感じの印象が強い。

地球のスポーツが人気なのは謎か

 どうもビデオを通して、地球の野球が結構人気なようである。
月世界では、賭博が文化としてかなり流行しているという設定だが、当然それも賭けの対象としての人気もある。

 ただ月と地球の重力の違いが散々指摘されているのだから、地球のスポーツが人気というのは何か奇妙な感じがしないでもない。
その地球の1/6だという重力だからこそ出来る凄いパフォーマンスとかないのだろうか。
月だからこそできる特別なスポーツとか。
少なくともそういうものの存在は描かれていない。

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