「クライオニクス」冷凍保存された死体は生き返ることができるか

驚異の人体冷凍保存技術

 一般的には1960年代から始まったとされる、いわゆる『クライオニクス(cryonics。人体冷凍保存)』とは、(生理的観点から、生きていた頃からの劣化がまだ少ない)死体を、冷凍保存する技術のことである。
当然、そんなことをするのは、その保存された誰かを、いつか未来の進んだ技術で蘇らせるためである。
「科学的ゾンビ研究」死んだらどうなるか。人体蘇生実験と臨死体験
 (それは確かにそうだろうが)現代テクノロジーでも、人を生き返らせることはできないが、冷凍保存しておく事ならできる(実はできないと考えている人の方が、科学者だけに限れば多いと思われる)。
実際に、クライオニクスを利用したビジネスが試みられた例もある。
ただ、何らかの問題が生じたために、死体でなくプロジェクトが凍結してしまうというようなパターンも多いようである。

 わりと楽観的と言われる見通しにおいても、人間を蘇生させるようなテクノロジーが開発されるのは、22世紀以降であろうとされている。
多くの人が共通して、「この人こそずっと生き続けるべき人だった」というように思われるような誰かでもない限り、大金を払ってどこかに冷凍保存させてもらっても、そこから蘇ることが出来るような時代まで、 その保存が継続される可能性は低いと考えられる。

 そもそも蘇らせてくれないかもしれないという不安を消し去るために、先に蘇ったら、その手で仲間を蘇生させるという契約を互いにかわしあっている団体もあったりするようである。

実際にプロジェクトが凍結してしまったパターン

 例えば、カリフォルニア州リバーサイドの『アルコー延命協会(Alcor Life Extension Foundation)』は、優れた冷凍保存機関として知られていたが、ちょっとした(喜劇的、ブラックユーモア的な)悲劇を演じている。

 ニューヨークのクライオニクス協会の初期会員であったというソウル・ケントは、同じく会員であった母ドーラが1987年に、いくつかの病気を抱えて寝たきりになった時、病院での延命措置はキャンセルして、彼女をアルコー協会へと連れていった。

 クライオニクスに関して常識とされることに、なるべく死後、間もない頃の死体を保存するのがよいという考えがある(本当は生きている時に保存するのが一番理想的だとされているが、それではたいていの国において、殺人法に引っかかってしまう)。
だから、死を確認したらすぐさま保存ができるように、死にそうではあるがまだ生きている状態の時に、準備を整えておくのは基本である。

 ドーラは、首から上だけを保存する「ニューロ・サスペンション」を希望していた。
これは資金的に安く済むから、身体全体を保存するよりも手軽だし、 どのみち死ぬ時の体にはいろいろ異常が生じているだろうので、むしろそんなもの捨てるほうが実用的だと考える人も結構いるという。

 我々という存在が本質的には意識で、その意識というものは脳が作っているから、端的に言って、その脳というもの以外は、復活に特に必要ないと考える人が多いのだろう。
コネクトーム 「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で
 そして1987年12月11日の真夜中。
ドーラの死は確認され、予定通り彼女の頭は切り離され、保存された(とされている)。

 ところが、ドーラの頭を切り離した者たちは、 保存を急ぐあまりに 重大なミスを犯してしまった。
確かに彼らは、彼女の呼吸や脳波が止まったことを確認していたが、ちゃんと死亡診断を行うことを怠ってしまったのである。
ようするに、その死を確認した者たちの中にちゃんとした医者がいなかったため、首が切り離された時、彼女の死はまだ、法的に認められていなかったわけである。

 翌日ソウルは、保存された頭以外の、母の遺体の火葬の許可をとるために、公衆衛生課に死亡証明を提出しようとしたが、医者が死を確認していないということで却下されてしまう。

 そしてこれが、ひどい計画的な、あるいはひどく愚かな殺人でないことを確かめるために、ドーラの遺体は解剖されることとなった。

 クライオニクスの課程では、大量の薬品が使用されるとされている。
まず、保存予定の患者(?)には、基本的に、なるべく後々生き返りやすいよう、普通に医者が(臨床的に)死んだばかりの人を助けるために行うような、一か八かの最後の手順のようなことも行う。
ただしそれによって、その時点で蘇生してしまったら問題なので、 そうならないように大量の睡眠薬などを併用するわけである。

 ドーラの体を調べた検視官は、彼女が首を切断されたのは死後のことだと診断したのだが、しかし、体内に薬物の痕跡があることから、その死自体が、薬物によって早められた可能性があると示唆したのだった。

 とりあえずソウル・ケントは、まったく望まぬ形でマスコミの注目を集め、一躍、時の人となった。
そして頭の方も徹底的に調べる必要があるとされ、アルコー協会には警察が押し寄せる流れとなる。
すぐに釈放されたものの、社員の全員が逮捕もされ、教会内は徹底的に調査された。
しかし奇妙なことに、いつのまにか誰かに持ち去られていたというドーラの頭が見つかることはなかったそうである。

クローン問題

 しかし今のテクノロジーで、人間を蘇らせることはできなくても、生物と呼ばれるような何かを蘇らせることはできないものか。

 まずクローンはどうであろう。
それは基本的に、元となった個体と同じ遺伝子情報によって形成される(一卵性双生児も、基本的に同じ遺伝子情報を共有していると考えられている)。
誰かが死んでも、その誰かのクローンを作れば、その誰かは蘇ったといえるだろうか。
しかし、例え設計図である遺伝子が同じでも、その生成過程の変化により、結局最終的に存在する個体は異なることになる(エピジェネティクス)
卵 「胚発生とは何か」過程と調節、生物はどんなふうに形成されるのかの謎 「幹細胞」ES、iPS細胞とは何か。分化とテロメア。再生医療への利用
 では単細胞生物のクローンはどうか。
これは自然界で普通に生じることもあると考えられている。

 例え1個の細胞にも個性というものがあって、それらが違う存在なのだとしても、人間の一卵性双生児よりは、本質的に同じなのではなかろうか。

 もっと単純な領域で考えられるかもしれない。
まったく同じ原子の配列によって生じている物質が2つあるとしたら、それらはまったく同じものであろうか。
化学反応 「化学反応の基礎」原子とは何か、分子量は何の量か
 また、そういうのがまったく同じなのだとして、あるものがぶっ壊れた場合に、それとまったく同じものをまた用意した時、蘇ったと表現することは正しいだろうか。
同じものが2つ存在することと、前あったものと同じものを作るということに、何か差はあるだろうか。

意識も物質か

 ひとつ確かなことは、我々にとっては同じ物質であることが大切なのではない。
それよりずっと肝心なことは、我々のこの意識が蘇生可能かという疑問。
少なくとも多くの人が、そっちの方が自分にとって重要だと考えているはずだ。

 まったく別人の意識を持っているが、その体はどこを見ても前と同じ。
その体は前と異なるが、その意識は前と同じ。
あなたは、どちらのパターンが、より自分の復活だと感じれるだろうか。
そういう話だ。

 しかし、体だろうが心だろうが、結局は同じ疑問ばかりが生まれる。
それが壊れた後に、同じものを再現したとしたら、それこそが蘇りなのだろうか、という疑問。

 それに、同じものが同じ時間に同時に存在した場合、その場合は何をどう考えるべきなのか。

不死の展望

 クライオニクスというテクノロジーの本格的な始まりは、ボブ・エッティンガー(Robert Chester Wilson Ettinger。1918~2011)という人が書いた、「不死の展望(The Prospect of Immortality)」という一冊の本だったとされている。
例えば、ソウル・ケントが同志と共に、ニューヨーク・クライオニクス協会を作ったのは、この本が直接のきっかけだったらしい。

 エッティンガーは少年のころ、有名なSF雑誌である「アメージング・ストーリーズ(Amazing Stories)」のファンだったという。
そして彼が特に気に入っていた話のひとつが、1931年7月号に載っていた、ニール・R・ジョーンズの、「ジェームソン人工衛星」という話であった。
それは、ジェームソン教授なる人物が、死後に宇宙に打ち上げられ、何百万年という時間を、(宇宙空間の超低温によって)冷凍保存された状態でさまよった後、高度なテクノロジーを持つ機械人間たちによって、生き返らせられるという内容。
エッティンガーは、12歳の時にこの話を読んで、クライオニクス的発想に関して、夢を見るようになったのだという。

 大人になったエッティンガーは、SF作品も書く科学者となったが、しかし特に強い関心を持っていた死体の冷凍保存技術に関して、本格的に研究しようとすればするほど、彼は現実の科学界というものに失望した。
彼は、それに関する論文も何度か書いてみたらしいが、誰にも相手にされることはなかった。
どいつもこいつも、彼が最も重要なことだと考えていた、「人はどうすれば永遠に生きれるのか」という問題になど、大した興味がないようだった(本当にそうだったのだろうか?)。
「死とは何かの哲学」生物はなぜ死ぬのか。人はなぜ死を恐れるのか
 そして業を煮やした彼は、愚か者たちの目を覚まさせるために、自分なりの不死研究に関してまとめた本を、1962年に自費出版した。
それが、「不死の展望」という本だった。

 その本は出版から2年後、ダブルデイ社に改訂版の権利が買い取られ、4ヶ国語に翻訳され、後にはクライオニクス関係のバイブルとまで呼ばれるようになったのだった。

 本の内容は、冷凍死体を生き返らせるのは論理的に可能であるということの、科学的根拠を次々紹介するというもの。
例えば、オードリー・スミスという人の、ゴールデンハムスターの体液を、ほぼ全部氷になるように冷やし、それからまた温めたところ、基本的には何の損傷もなく、凍らせる前の状態に戻すことができた、というような実験などが紹介されているという。

死にながら生きている状態

 もちろんクライオニクスというのは、生きた人間を凍らせて、その氷を溶かして、元に戻すというような技術ではない。
臨床的、生理的に、死んだと診断されるような人を氷漬けにした上で、その保存の終了とともに蘇らせる技術である。
だから概念的には、冷凍保存しているのは死体である。
「元の状態に修復が可能なレベルまでしか、損傷を受けていない状態」を維持するのが、クライオニクスなのである。

 そのような状態は「バイオスタシス」とも呼ばれる。
いずれにしても、やがて蘇る冷凍死体は、完全な死体とは考えられない。
他に「デアニメーション(不活性状態)」とか、「イスケミツク・コーマ(虚血性昏睡)」、「アメタボリック・コーマ(不代謝昏睡)」、「バイオスタティック・コーマ(生命停止昏睡)」など、その呼称は様々である。

 ただそもそも、凍らせたり、解凍したりするという行為自体が、生体に損傷を与えてしまうとされているから、保存はそこまで計算に入れておかなければならない。
例えば生体組織を冷凍保存すると、その要素として多量に含まれている水分が凍りつくことで膨張し、細胞などを破壊する原因となってしまう。
(水という物質のやや特殊な性質として、固体化した時に、体積が増えるというのがある)

 今の技術で不可能なこととは、ある状態における生物の修復ということになる。
ただもしゼロから、望むとおりというような誰かを再現できる技術が登場したら、保存されるのは首だけでもなく、その人の構造体としてのデータのみでよくなるかもしれない(それはDNAだろうか?)。
細胞分裂イメージ DNAと細胞分裂時のミスコピー「突然変異とは何か?」
 もしかしたら遥か未来では、例えばアインシュタインのような、歴史の中で天才と呼ばれるような人物を再現するために、 記録資料などからその構造体データを、なんとか算出しようとする者とかも現れるかもしれない。
「アインシュタイン」人類への功績、どんな人だったか、物理学の最大の発明家
 ちなみにどうでもいい話かもしれないが、アルコー延命協会は しっかり現存していて、現在2000人くらいの会員がいるらしい

ナノテクノロジーは命を作るか

それで不老不死を得る

 生物構造体の修復技術として、実際によく期待されているのが、『ナノテクノロジー』である。

 エリック・ドレクスラー(Kim Eric Drexler)が1970年代に考案したとされるナノテクノロジーは、原子スケールの操作技術。
ようするに、分子を操作するための分子サイズのロボットである。
「ナノテクノロジー」未来、錬金術、世界征服。我々は何をしようとしているか
 実際、我々のようなマクロな領域における物質操作をそれで実現するためには、ロボットというよりロボット群が必要になる。
あるいは大量の、それら分子サイズのロボットを手足とする、マザーロボットがいる。

 現在のところ、我々はこの地球においては、 生理的な問題を扱う時に、原子以下のスケールの構造などあまり気にする必要はないと考えるの普通である。
他が極端なのか、地球環境が極端なのかはともかくとして、そういう状態(原子1つは安定している状態)が、長いこと、この惑星においては維持されてきたとされているから。
もちろん放射性物質とか、例外もあるが、 生物の構造体は、少なくとも神経系においては、重要なのは安定している原子とされている。

 損傷というのは、原子が作る構造体の損失である。
そこをナノマシンで、地道にコツコツ修正するわけである。

 その構想から明らかなように、ナノテクノロジーによる生物の修復は、死からの復活だけじゃなく、若返りなども実現できるかもしれないとよく考えられている。

生前の罪はどうなるか

 ゼロから再現するにせよ、傷ついた部分を修復するにせよ、それを行うナノマシン(それにそれをコントロールする者)は、おそらく対象とする人物の、生物としてのあらゆる情報を入手できる。

 蘇らせられた者の心は、それを構成する要素全て、つまり記憶とか、願望とか、ひそかに苦手なものなどすべて、蘇らせた者たちにすっかり知られているのではなかろうか。
そういうことを危惧する者もいるという。

 例えば、冷凍保存される前の人生において、(それが立証されているかどうか関係なく) 犯罪や、そういうふうに取られてもおかしくないようなことをしていたなら、未来の者たちは受け入れてくれないかもしれない。
罪人として、酷い強制労働者の地位に落とされるのではあるまいか。
そんな事になってしまうなら、死ぬ時にちゃんと死んだ方がマシかもしれない。

 しかしよくよく考えたら、物質的な構成を再現して、心まで含めたその人の全てを復活させることができるというのなら、悪いことをする原因もまた、物質の構成のせいということになる。
それがわかるのなら、復活させるにあたって事前に取り除くくらい、できるのでなかろうか。

 そんなこと本当にあるだろうか。
では良心とは何であろうか。

そして人からコンピューターへ

ダウンローディングの概念

 人間の神経系をコンピューターとして再現することはできるだろうか。
もしも、意識や記憶というものが物質的なものにすぎないというのなら、それを再現してしまえば、そこにはまた前と同じ意識と記憶が現れることになろう。

 壊れそうな古いコンピューターから新しいコンピューターへと、その内部データを『ダウンローディング(転送)』するように、自分という存在を、コンピューターに移し替えることはできるだろうか。
そこから、またさらに別のコンピューターに移し替えることができるなら、万物が不変でなくても、自分というデータを擬似的に永遠なものとして変換し続けられる。
コンピュータの操作 「コンピューターの構成の基礎知識」1と0の極限を目指す機械
 これはまさしく、昔の宗教家たちがイメージした、神の救済による生まれ変わりのようなものなのではないかと考える人もいる。
我々という存在は、この体というものでなく、この意識である。
意識だけ再現して、体は再現しないならばどうだろうか。
多くの禁欲主義者たちを悩ませ続けてきた、肉欲という本質的な悪を、自分という存在から排除できるかもしれない。
それこそ、我々が理想なる存在とした、天使そのものなのではないだろうか(コラム)
「天使」神の使いたちの種類、階級、役割。七大天使。四大天使。

(コラム)神をどう考えるべきか

 創造主が、意識だけの、つまり我々が霊的と表現してきたような存在であるとするならば、現代的な観点から考えると、それはコンピューターのような存在になるのかもしれない。

 だが現にコンピューターには実態がある。
それは結局コンピュータも、生物や神経系と同じように、物質の相互作用によって発生させられた現象であるからに他ならないだろう。

 ここで、そこに意図的な要素があるかどうか以外に、コンピューターの相互作用や生命体の相互作用と、自然に生じるような物理的現象との違いを示すのは非常に難しい事実を考える。
そうすると、やはり神という存在を最も説明しやすいシナリオは、この宇宙自体を丸々一つのコンピューターの箱の中とするものでなかろうか。
「オートポイエーシスな生命システム」物質の私たち。時空間の中の私たち 「宇宙プログラム説」量子コンピュータのシミュレーションの可能性

バージョンアップされる心

 意識などは自分のまま、ロボットの体でも持てば、驚異的な身体能力などを獲得できるかもしれない。
人によっては、そんなことよりも何よりも魅力的な改造シナリオは、精神能力の強化であろう。

 神経系をコピーするだけでなく、そこに手を加えて、膨大なメモリー容量(記憶力)や、意志で利用可能な高機能演算チップ(計算能力)なども、我々は獲得できるかもしれない。
他人の精神との同調(完全なる愛の営み)というのも考えられるだろうか。

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