「指輪物語」ホビット族。剣と魔法と仲間たち。ひとつの世界のファンタジー

王の帰還

まさに剣と魔法の世界の王道

 『指輪物語(The Lord of the Rings)』と、その関連のシリーズの最大の魅力と言えば、著者トールキン(1892~1973)によって練るに練られた世界観。そしてその、架空の領域に住まう多種多様な種族であろう。

 指輪物語は、ホビット族の主人公、フロド・バギンズの冒険と戦いをメインとしている。しかしもちろん全三巻の紙面を用いて、単なるひとりの冒険ばかりが描かれる訳ではない。メインシナリオのサイドでは、それぞれの種族、キャラクターの戦いも描かれる。

 ホビット族に関しては、トールキンの創造したオリジナル種族であり、かつ物語の最も重要な立ち位置なので、最初に解説もある。

旅の仲間(The fellowship of the ring)

 特別なひとつの指輪を手に入れてしまったために、世界を救うために旅をする運命を背負ってしまった、ホビット族のフロド・バギンズ。第一部では、彼の旅立ちと、仲間たちそれぞれの決意、そしていくつかの別れが描かれる。

4人のホビット達の友情

「僕たちは凄く怖い、でも僕たちはあなたと行くのです」

 この小説の一番のテーマは、多分「友情」であろうと思う。
冒険やら戦いの描写もあるが、単にそういうものを描いたエンターテイメントファンタジーというだけでなく、ファンタジー世界での冒険や戦いを通して描かれる友情ドラマが、とても素晴らしい。

 物語の序盤、主人公のフロド・バギンズは、悪の冥王サウロンの、魔法の指輪を手に入れる事になる。
冥王サウロンはかつて人間とエルフの連合軍に敗れたのだが、完全には滅びず、まさに復活の時を迎えていた。彼の魔法の指輪は、この世界の全てを滅ぼせるほどに強力であり、再びそれを手にいれようと、あらゆる刺客にそれを探させていた。

 そんな、恐ろしい指輪を葬りさるための旅に出なくてはならないフロド。その、彼を助けようとする3人の友人、サム(サムワイズ)、メリー(メリアドク)、ピピン(ペレグリン)の、密かな陰謀と、それを暴露するシーンは、本当に絆というものを感じれる。

旅の仲間の絆

「この旅に必要なのは戦いの強さじゃない」

 第一部の中盤、指輪を捨てるために、サウロンの国モルドールへ(指輪を葬れる場所が、モルドールの「滅びの山」だから)向かうパーティが結成される。
旅のメンバーはフロドと3人の友人のホビット。偉大な王の血筋であるアラゴルンと、人間のボロミア。魔法使いのガンダルフ。それに、エルフのレゴラスと、ドワーフのギムリである。
最初このパーティは一枚岩という感じではない。特にエルフ族とドワーフ族は、互いにあまり友好的ではなく、レゴラスとギムリはあまり馴れ合わない。しかし、それがいつの間にかすっかり親友同士になってるのはいい。
そして、そうして結束を高めた矢先だったからこそ、第一部最後の、一行の離散がよりドラマチックであるのだと思う。

ホビットの冒険を先に読むべきか?

 指輪物語三部作は、一応『ホビットの冒険(The Hobbit)』の続編的作品である。ホビットの冒険の主人公は、指輪物語の主人公フロドの義父にあたるビルボ・バギンズ。他にも、両方の作品に登場するキャラはけっこういる。
ただ、確かに共通のキャラクターなどはいるけど、先にホビットの冒険を読んだ方がいいかと言えば、別にどちらが先でも問題ない気はする。
むしろ雰囲気違いすぎるので、どちらかが面白かったならこっちも、というような感じではない。逆にどちらかがおもしろくなかったとしても、もう片方は面白いかもしれない。

 ホビットの冒険は、単純にワクワクドキドキの冒険活劇というような話。一方で指輪物語は、シリアス度が高くなっていて、前述のようにドラマ要素がかなり強い。

 ビルボの前の指輪所持者であるスメアゴル、通称ゴクリに関しては、特に(ホビットの冒険を読んでいるかどうかで)印象が変わるかもしれない。 

ホビット族について

 指輪物語第一部の最初には、「この物語は主にホビットの物語」とあるように、確かにこれはホビットの物語。

 ホビットは、あまり表にでたがらない、平和と静けさと、肥えた大地を好む種族。
基本的には陽気な気質。
通称、「小さい人」であり、大人でも人間の子供くらいの背丈しかない。
手先は器用だが、あまり複雑な機械は好まない。
耳も目もよく、太りやすい体質たが、動きはそれなりに機敏。
ホビットから見ればたいていの種族がそうなってしまうが、基本的に自分たちより大きな者が苦手。
そういう苦手な者たちに見つからないように、こそこそ隠れるのが非常に上手く、他種族から見ればもはや魔法の域。

 そして大事なことは、ホビットは恐ろしい悪の誘惑に立ち向かえる唯一の種族だという事。ホビットは悪の作った魔法の指輪に対抗できるほどに大きな勇気を持っているのである。
指輪物語は本当に計算されつくした見事なプロットで、その勇気が悪に討ち勝つ様を描いている。

二つの塔(The two towers)

 第二部。

 上巻は、指輪の護衛を断念し、捕らわれたピピンとメリーを助ける決心をする、アラゴルンとレゴラス、ギムリの三人のシーンから始まる。
やがて、2人の行方を追うアラゴルンらの前に現れたのは、全く思いがけなく、生きていたガンダルフ。 
一方オークから上手く逃げたピピンとメリーは、古の時代より生きる、生きた木であるエント族と出会う。という内容。

 下巻では、仲間たちから離脱したフロドとサムの旅路。
襲いかかってきたのを逆に捕らえてやったゴクリや、偶然にも出会ったボロミアの弟ファラミアとの駆け引きなどが描かれる。

読む順番について

 上巻と下巻は同時期くらいに、別々の場所で起きてた話を描いてる。
下巻から読んだ方がいいかもしれない。
下巻では、だんだんと世界を覆う絶望の闇という描写が多く、自分たちはもう手遅れではないか? 例え指輪を葬ったとしても、その時すでに生きてる者など誰もいないのではないか? と、フロドたちが不安を抱く場面とかも結構あったりする。
上巻で描かれているのは、いわばその、高まり続ける闇の勢力への、残された仲間達の抵抗と反撃である。

類い稀なる追跡劇

 作中でそう評されるくらいに類い稀なる、人間、エルフ、ドワーフのチームによるオークの追跡劇。
エルフが一番体力あるし、目もいいので、ひとりの方が追跡できるのではないかという印象は正直受ける。そこらへんの、それぞれのキャラクターの心情は、あまり描かれてないので、逆にいろいろ考えさせられるかもしれない。

 もっと後だけど、武功を競い合い、時には互いを心配する、もうすっかり仲良しなレゴラスとギムリは微笑ましい。平和になったら相棒同士になって、各地を再び旅する約束までしている。

木の髯

 彼らもわりとオリジナルなものだが、やはりその興味深い設定のためか、ホビット同様に他作品にもよく取り入れられることになる。

 木の髯、エントは長い時間を生きながら、そのマイペースぶりのせいで、いつの間にか世界に忘れ去られつつあった種族。ずいぶん昔に女エントがいなくなってしまい、絶滅の危機でもあった。
それが二人のホビットとの出会いをきっかけに、立ち上がる展開も熱い。

 フロドたちとも、闇の勢力とも敵対する第三勢力として指輪を狙う、悪に堕ちた魔法使いのサルマン。賢者であったのに、というかおそらく欲に負けて賢者でなくなったために、彼もエントの事を忘れていて、それが仇となる流れはよかった。
 

木の髯の圧倒的な強さ。サルマンの地味ながら凄い悪あがき

「わしらの道はひとつ、アイゼンガルドに向かって」

 いざサルマンの砦アイゼンガルド。に着いたけど、もうすでにズタズタのボロボロでした展開は、わりと笑ってしまう。貯蔵庫から失敬した食べ物で、余裕の宴会をしているピピンとメリーに「俺達はあんなに心配していたというのに」と喜びながらも怒るギムリが哀れである。

 その後、追いつめられたサルマンの最後の抵抗ともいうべき、ガンダルフとの戦いは、 作品全体の魔法描写と合わせて、なかなか興味深くもある。

生かすべくして生かされたゴクリ

「誓うだと、こんなものに」

 フロドとサムが襲いかかってきたゴクリを、捕らえてから、結局彼を殺さず、モルドールまでの道案内を任せる決断をするまでのシーン。
かつてガンダルフに「あいつに哀れみなど感じない」と言っていたフロド。しかし指輪の事を、今や身をもって知るフロドが、彼に同情し、サムを驚かせる場面は、指輪の恐ろしさがよく伝わってくる。

意地汚いゴクリ。怪しいファラミア

「そなた達には人間を見る目がないな。私は嘘はつかぬ」

 フロド、サム、スメアゴルの心理描写は特に見事と思う。
様々な葛藤に苦しむゴクリことスメアゴル。
なんだかんだ、ゴクリの苦しみを理解して同情しながらも、信用は出来る訳ないフロドとサム。しかし恐ろしき世界モルドールを前に、多少は彼を信用するしかない2人の葛藤。
中盤、肉が食いたいサムとゴクリのやりとりは、特に互いに不本意な感じが面白い。

 そしてファラミアとの出会い。多分この第二部において、彼の存在はゴクリとの対比として描かれている。
個人的には、この話こそ指輪物語の、ひいては、トールキンの真骨頂じゃないかと思う。
「旅を続けるなら、思わぬ友情と出会う事もあろう」
それはまるで、エルフのエルロンドの言葉が現実になった瞬間。思えば苦難しかないような旅なのに、ファラミアはフロドらの心を軽くしたろうと思う。

怪物蜘蛛との対決

「この道は行く。でもその前にお前を片付けてやる」

 結構熱いシーン。
絶対絶命の危機にこそ、勇気と力を沸き起こすホビット族。
サウロンが可愛いペット扱いし、その恐ろしさに関しては、オークよりずっと役に立つと考えている怪物蜘蛛のシェロブ。そのシェロブの巣に入り込んでしまった時、フロドとサムはそれぞれに、そんなものが自分にあるとは思わなかったほどの勇気と(特にサムは)底力を発揮する。
敵が蜘蛛という事もあって、この恐ろしい敵が、倒すべき相手に変わる場面は、「ホビットの冒険」で、同じく蜘蛛を相手に、初めてビルボが勇気を奮い起こすシーンも彷彿とさせる。

王の帰還(The return of the king)

 第三部。

 上巻は、ついに王を迎えた人間たちと、旅の仲間の前に立ちはだかる最後の試練。
下巻は、指輪所持者(たち)の、闇の力との最終決戦と、使命を終えたキャラクターたちのその後が描かれている。

 描写や登場人物の台詞などから察するに、時系列的には、
「二部上巻=二部下巻の前半→二部下巻の後半=三部上巻の前半→三部上巻の後半=三部下巻の序盤」
という感じに思われる。

 第二部と同じで、上巻に主人公であるフロドは一切出てこない。そして、下巻の前半で大筋の戦いは終わるから、全体的にはあまり出番がないはずなのに、誰が主人公ぽいかと言えば、やはりフロドが主人公。
フロドが出ない上巻でも、一番大切なのは指輪所持者の使命であるのは、何度か言及されているし。それに、フロド以外の仲間たち側の話は、悪の注意を引き付けるための抵抗、という流れなので。

 後、エピローグというか、アフターというか、この手の話としては、ラスボスを倒してからのその後の話が長めと思う。ここは賛否別れるとこと思うけど、個人的には好きな部分。

人間の王

「いや、なんだってこんな小さな村の安酒なんか王様が知ってるんで?」

 アラゴルンは、人間の王に返り咲き、人間の王として、呪われし死者達すら味方につける。
また王の癒しの力で、仲間達の傷を癒し、最後の戦いに挑む流れ。
アラゴルンなら指輪を持ったとしても、それでサウロンを倒した後、それを正しい事のみに使えたかもしれない。とまで彼を評するレゴラス。

 闇の勢力との戦いが終わった後、王として各地をよくしていこうと決意するアラゴルンだが、その彼のお気に入りだった、ブリー村での酒場でのフロドたちと店主の会話は必見。

デルンヘルム

「人間の男に我は殺せぬわ」

 フロドとサムは最も困難な指輪を葬りさるための旅。
アラゴルン、レゴラス、ギムリは死者の道へ。 
ガンダルフとピピンは、闇の勢力との直接の戦い。
旅の仲間で唯一、置いてけぼりをくらってしまったような状態に悩むメリー。その彼と共に戦うために、彼を馬に乗せる若き兵士デルンヘルム。

 デルンヘルムの正体、その苦悩、戦いの流れもよく出来てると思う。

最終決戦

「裏切り、裏切りがあるだろう。あの哀れむべき奴の裏切り」

 騙され、罠にはめられた後、次にゴクリと会ったなら、もう容赦はしない、と決めていたはずのサム。しかし彼も一時期だけ指輪所持者となり、その苦しみを知ってしまう。
ついに滅びの山の火口を前にして、力ずくで襲いかかってくるゴクリ。それまで不利益ばかり生んできたゴクリが、ここで役に立つ。
そしてゴクリにとどめをさせないサム。

 最後の時。最後の瞬間。しかし、その最後の最後に、指輪はついにフロドの心をも捕らえてしまう。

 全ての後。
指輪が滅びてから、正気に戻ったフロドとサムのやりとりはなかなか印象的である。

9本指のフロドの伝説

「いつか子供たちは揃って言う、「9本指のフロドと指輪の物語」を聞かせてよ」

 使命を果たしてから、力尽きようとしたフロドとサム。サムは、最後に力を振り絞り笑顔を見せる。二人はしかしガンダルフに助けられる。
そして、まるで全ては夢であったように思うサム。しかし夢ではないどころか、自分の語った話が現実になっていく。

 指輪物語は本当に、その後の経緯を上手く描いてると思う。
闇の時代の終わりと、人間の時代の始まり。
サルマンの最後も、ホビット達の結末も。
 

ifの指輪物語について

 指輪物語が書かれたのは、ちょうど世界対戦の時代。そこで発表当時から、この壮大な物語には、作者トールキンなりの自論や哲学、社会への風刺などが盛り込まれているのかもと、考えられたりしたらしい。
ただトールキン自身が、後書きでしっかり書いている。この小説に、そういうメッセージ性とかを込めたらつもりは一切ない。指輪物語という話は、あくまでも純粋なフィクションであると。

 しかしトールキンが、もし世間の情勢などへの自らの関心が作品に影響を与えていたら、指輪物語はこうなってたろう、とするif設定は、なかなか興味深かったりする。

 例えば、書き始めの当初から想定されてたように、話の最後、指輪が葬られる事によって、悪は滅んだ。しかしトールキン曰く、もし世間の話題などを取り入れてたなら、指輪はおそらく葬られなかったらしい。主人公たちは、指輪を葬る道ではなく(実際、作中で何度か言及されてるように)それをあえて利用して、戦う道を選んだであろうと。
また、サルマンが、その指輪に関する叡知を存分に集結し、第二の指輪すら作ったであろう。というふうにトールキンは述べている。

 これはこれで面白そうだと、個人的には凄く思うが……

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