言葉使い師。いま集合的無意識を。敵は海賊「神林長平作品」

精神の謎、生物と機械、現実と非現実

 SF作家、神林長平の代表作といえば『戦闘妖精・雪風』のシリーズと思う。
「雪風」は、地球とつながった異世界空間から侵攻しようとしてくる謎の異星体ジャムと、空間同士の境目を防衛線とする人類側の特殊軍隊フェアリィ空軍の戦いを背景として、人間が認識する世界の実在性とか、人間と機械の愛や友情など、哲学寄りなテーマをいくらか含めた作品。
「戦闘妖精・雪風」謎の異星体ジャム。特殊軍隊フェアリィ空軍
 サイバーパンク系の影響かもしれない。雪風が、そういうシリーズというよりも、人間の精神について、生物と機械の境目、現実と非現実の違いと言った、(特に唯物論的世界観において、あるいはそのような世界観を前提とした)特に興味深い哲学的発想は、彼の作品において、たいてい目立っているように思う。

言葉使い師

 短編集。

火星の生きた岩石というような謎の生物が登場する『スフィンクスマシン』。人類文明が滅んだ後の世界で、イルカの文明が重要となる『イルカの森』、テレパシーが人間の当たり前の機能となり音の言葉が禁止された世界で言葉を操る者が、ある種の創作論的な考え方を語る『言葉使い師』など。

スフィンクス・マシン

 この話に登場するスフィンクス・マシンと呼ばれる火星の生物は、単に岩石の怪物とかそういうものでなく普通に知的生物
かつて火星探険隊は、何度かその生物の動きに巻き込まれるような形で全滅した。そして、ある時に生物学者グループが、岩石がDNAのような二重螺旋を形作る場面を見た。

 それは確かに岩石のようなもので、個々のユニットには意識はないが、集まると人間レベル(?)の意識をそなえるというような。
しかし各ユニットはそれぞれ独自の論理能力をもつようでもあって、例えば、コンピュータ言語における、IFとかTHENとかELSEというようなスイッチ的に機能するとも。
古代火星人の造ったコンピュータか、あるいはまさしく火星の生物なのかについての議論もある。
この生物は、物語の中のガジェットの役割的に、きっかけのような印象もある。つまり、生物の概念をどのように考えるかという問題について。
火星自体が母体となって何千年もかかって生んだような、つまり人間とは時間のスケールがまるでちがう生物かもしれない。だが同じように、地球のそのへんに転がっているような石もまた、何らかの生物の誕生過程なのかもしれないとか。
「化石の謎」大地の動きの理論、無生物起源説。いくつかの論争
 最初、合体して発生(?)したその意識と、人間とのコミュニケーションの始まりは、通信機が電磁雑音として捉えた彼らのつぶやき。それをコンピューターで解析して、相互意志伝達が可能にまでなっていった。
だが、スフィンクス・マシンの意識、あるいは人間と意思疎通が可能な何かというのは幻ではないか、という説も。つまりそれは、コンピューターの解析システムが生み出した虚構かもしれないとか。
コネクトーム 「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で
 そしてスフィンクスマシンの、人間に関する理解。
人間からは、心が読めるかのようでもあるスフィンクスマシンだが、マシンは、その心なるものがそもそも何か疑問を抱く。「脳を走るパルス群のことか?」と。
さらに、細胞が分裂していくからこそ、人間は支離滅裂なのかもしれないとか。人間はセルフモニタができないことから、論理的でないと考えられるとか。
セルフモニタというのは、文字通りに自身の物理構成を直接的に認識するような感覚、と思われる。これはむしろ、スフィンクスマシンのコンピューター的世界観とは違う、人間の特殊な精神性、精神構造を示唆している感じもある。

 さらには、人間が理解して語る人間という生物の説明、からスフィンクスマシンが導き出した、地球の生物世界の発生原理の説が、なかなか面白い。 
「絵も子供も宇宙船もみんな、人間が変化したものなんだ。人間は分裂増殖すると言ったじゃないか。地球に関することは知ってるよ。ユニットに記憶されている。ウィルスとかプラスミドとかファージとかも、みんな人間の体細胞が変化して人間から出たものなんだ。地球にはまず最初に、人間がいたんだ。人間からあらゆるものが生まれた……」
この後に、進化論が錯覚だと語っているのが、最も興味深いところかもしれない。作者(あるいはスフィンクスマシン)が、”進化”という現象をどういうふうに考えているかにもよるだろうが、その発想からは、宇宙システムの中で、生物世界というある種の物質世界において、(物質同士の相互作用の複雑さとかから生じると思われる)いわゆる自然淘汰の圧力があまり関係ない、複雑生物の誕生のシナリオ可能性を思わせる。

イルカの森

 文明を作る知的生物としての人間という種が衰退し、知的生物としてのイルカが繁栄した未来。
人間の時代の終わりとか、イルカの時代の始まりというよりも、地球システムの物語とも言えるかもしれない。
例えば、地球が、無数の意識の集合体、というようにも。

 普通に考えるなら利用可能な物質量か、存在可能な空間の大きさの問題だろう。ある特定の種が繁栄しすぎると、別の種はどんどん生きにくくなっていく。
まるで、表面の生物世界のバランスを整えるために、地球という集合意識が意図的に人類を衰退させた、というような話も出てくる。しかし、人類が文明を失った理由が、知的能力を狂わされてしまったためで、それもテクノロジーの発達が知的能力を弱めてしまったというような可能性も示唆されているから、実際的には単に意識とか関係ないような自然現象かもしれない、というように描かれている感じ。

言葉使い師

 IFの世界の話だが、テレパシーを普通に使えるようになったとすると、人間が言葉を使うのやめてしまうというような可能性、あるだろうか。
神林長平は、ディック(Philip Kindred Dick。1928~1982)に近い作風と言われることもあるようだが、これは特にディック風味な作かもしれない。
アンドロイドと電気羊。ゲームプレイヤー。太陽系外の友達「ディック長編」 マイノリティリポート。まだ人間じゃない。パーキー・パットの日々「ディック短編」
 AR(拡張現実)的な、作られた物語を体験できるというような”感応劇”なるものが、例えば映画的な感じで存在している。しかし、それは単に、人間が言葉なしで認識する世界をわかりやすくするためのガジェットで、やはり重要なのは、途中の言葉使い師の語りと思う。
「……言葉はもう一つの現実だ。人間とは別の生き物といってもいい」
テレパシーは心の声での会話であって、直接的だが、音や記号である言葉は、共有される物理的現象とも言えよう。ようするに、それは心の声と違って真実を確実に伝えるとは限らない。例えば1つの記号の意味を共有していても、認識されている意味にズレが生じることもあるだろう。
そして、言葉を使って表現されるものは、たとえそれが何を伝えようとしたものであっても、誰かに読まれる時、それを書いた者からも離れた存在であって、そしてそこに含まれる意味は、その言葉を読むものによって変わってくるだろう。だからこそ、言葉は生き物、みたいな。

いま集合的無意識を

 これも短編集。

「雪風」の外伝的作品である『ぼくのマシン』。主に心の再現機械についての『自我像』。量子論的世界観での、ある宇宙生物の地球侵略を描く『かくも無数の悲鳴が』など。
表題作は、自伝的な作品かもしれない。まだ若くして亡くなってしまったが、人気の高いSF作家である伊藤計劃(1974~2009)の作品に対する、作者的なアンサーみたいな話も含まれている。
「虐殺器官」人の残虐性の正体。認識される実体と兵士

ぼくのマシン

 「雪風」の主人公である深井大尉の、少年時代に関しての物語。普通に過去の話というものではなく、現在の機械的人間とも言えるような彼が、そんなふうになってしまったきっかけが彼の人生のどこかであったのかを、彼自身が語る子供時代の思い出を手がかりに、(本編の方でも登場する)軍医のエディスが探る。というような話。

 機械のネットワークは、多くを共有することを可能にしてきたが、そうした社会が個人のアイデンティティというものを破壊してしまうかもしれない。
これは、パーソナルコンピューターの絶滅を語った物語でもあるが、。

自我像

 ドゥウェルなる、言語駆動装置で自我を発生させられているという機械の話が出てくる。情報空間(バーチャル)で構築されたソフトウェアであるのだが、ハードウェアを介して現実(リアル)と繋がれるような。
端的に言えば、意識を持ったロボットだろうが、リアルでの固定的な体はない。ある種のの情報生物と言えるかもしれない
作中では、「心を再現したロボット」とか「〈身体〉でなく、〈心〉のロボット」とも。
共有されるAI(人工知能)的でもある。全世界をつなげるコンピューターネットワーク上に構築されているとか、ただネットを利用しただけでその誰かが(それに参考になる)情報をもたらす。と、そうしたAIとして考えるなら、いわゆる”LLM(LargeLanguageModels。大規模言語モデル)を連想しやすいかもしれない。しかし、普通はデータセットから算出した、適切である可能性が高いとプログラムに判断された動作を行う(と思われる)、現実のチャットAIとは違い、これは明確に意識というものを持っている。だが言語道装置というのは、それによって発生させられる自我とは、どういうものなのか(もし、ネットの多量のデータを用いた実質的、というようなものなら、優れたLLMも同然だろうか)
人工知能の基礎 「人工知能の基礎知識」ロボットとの違い。基礎理論。思考プロセスの問題点まで
ドゥウェルの思考関係の描写などには、実際この意識が見せかけかもしれない印象も受けるかもしれない。
ただ、少なくともこれは物理システムで、さらに「いわば人類の意識をよせ集めた……ドゥウェル自身にとってのそれは集合的無意識のようなもの」というような見方も示唆されている。人間の意識も、物質的に完全に再現可能かもしれないし、そうでないとしても、意識が物理システムに直接的に利用できるようなもの、なのだろうか。

かくも無数の悲鳴が

 量子論における、不確定性原理の解釈と関連した物語としては、典型パターンな印象。
また、時間というものが、我々の常識的にどのくらい機能しているか曖昧な感じもあるが、一応は(神林作品の中でも特に)かなり未来の話と思われる。

 存在の不確定な量子的世界に閉じ込められたような、知性体としての人間たち。そして、実際その量子論的世界というものをどういうふうに考えるべきなのかを理解するための実験ゲーム。というような話だが、どこまでを真実と考えるべきかもわからないような物理的侵略の影響を受けた地球生物たちの話も、なかなか興味深い。
つまり、侵略され、生まれ故郷である地球を追い出されてしまった。というのは、あくまでも人間の史観であって、例えばゴキブリやネズミは、異星人の侵略が、むしろ宇宙のあちこちに広がるためのきっかけだった、というような。

 グレッグ・イーガン(Greg Egan)とかも似たような考えを示唆していたように思うが、量子のシステムが、あらゆる可能性の世界を分岐によって生み出すのだとして、(方法はともかく)その収縮のために他の多くの世界がなかったことになった場合、それはなくなってしまったあらゆる宇宙の生命を殺すこと、に等しい。というような考え方も示唆される。
シルトの梯子。白熱光。順列都市。宇宙消失「グレッグ・イーガン長編」
一方で、多世界解釈なんてものが真実なら、哲学的にあらゆることの意味が失われるのではないか、という不安も。

敵は海賊

 この作者の作品としては、色々と異色な作と言われることもあるシリーズものだが、世界観の作り方みたいなものは、特に他の作品と大きな違いはないように思う。
むしろ、これは宇宙の時代に、宇宙海賊、その宇宙海賊を敵とする海賊課の破天荒なチームの戦い、に関するどこまで本当かわからない、公式または非公式記録を参考に書かれた、その世界観の中での創作作品という設定。いわゆるメタフィクション的なもので、さらには話の中に、認識される世界や自分自身の認識についての疑問みたいなものが示唆されてる感じもあり、現実と非現実の境目はどこか、というような(作者が好んでそうな)哲学的テーマも、しっかり取りあげているようにも思う。

 よくも悪くも、文体に関しては、他の作品から結構変えてる印象だから、人によっては他作品より読みやすかったり(または読みにくかったり)するかもしれない。

 脚色されてる部分もあるのかもしれないが、かなりぶっ飛んだ内容というか、ファンタジー的な内容もわりと出てくる。
生の光と死の闇が同じくらいに存在してバランスよき世界。しかし、死を嫌う知的生物のせいで、崩れつつある宇宙。バランスを取り戻すためには戦乱を引き起こし、大量の死をもたらす必要がある。それこそが、今の宇宙にとっての正義となる。というような。

シミュレーション宇宙の可能性

 しかし、例えば1作目の長編である「敵は海賊、海賊版」は、人工知能CAW・システムが書いた設定(後の作品では、この人工知能がどんな経緯で作品を書いたかの議論もあったり)だが。時にソレ自体が「すべてはわたしが支配する」などと書いたりもする。
そもそも、シミュレーション宇宙を思わせるような描写も時々あったりして、(多分)多くの人にとって気軽に楽しめるような感じでありながら、深読みを楽しむための仕掛けも散りばめられた、わりと欲張りな作と思う。

 いくつかの作品では、エピローグ的な感じで、実際の海賊課チームへのインタビューなどがあるが、キャラクターが好きな人にとっては、むしろそっちが本編的に楽しめるかもしれない。

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