シルトの梯子。白熱光。順列都市。宇宙消失「グレッグ・イーガン長編」

イーガン作品はなぜ難しいと言われるのか

 SF作家、グレッグ・イーガン(Greg Egan)の作品は、「当たり前のように意味わからない」という話をよく聞くが、それは多分、作中の理論とか、テクノロジーとかの説明に関して、一般的なSF小説と比べても、もともと科学好きな人向けのポピュラーサイエンスか、あるいは専門書よりの書き方をしてるからと思う。そういう印象はある。

 ただ、プロット的には、意外とシンプルでわかりやすい流れの物語が多いと思う。まるで意味がわからないと言う人の間でも、「結構好き」という意見がよく見られるぽいのも、納得かもしれない。

シルトの梯子

 イーガン作品の中でも個人的にかなり好きな作品。
シルトの梯子
量子重力理論に影響を受けてる感じだが、これは(よく見かける)超ヒモ理論でなく、ループ量子重力理論の方をかなり参考にしている印象がある。その理論の創始において重要な役割を果たしたとされているペンローズ(RogerPenrose)の名も作中で言及される。
それは例えば、時空間の土台の上の素粒子世界というより、時空間そのものを構成している要素を宇宙の最も基礎として考えるような世界観。
11次元理論 「超ひも理論、超弦理論」11次元宇宙の謎。実証実験はなぜ難しいか。 ループ量子空間 「ループ量子重力理論とは何か」無に浮かぶ空間原子。量子化された時空
 物語としては、人類文明が銀河系世界に進出した時代。宇宙に関するある重要な理論の正しさを証明するための実験によって、発生してしまった、(全く別の理論か、あるいは違う過程のために全く変わってしまった)別宇宙(?)か別宇宙の何か。それがが全てを飲み込んでしまうかもしれない。という話。

サルンペト則は量子重力理論か

 確認されるあらゆる物理現象を、奇妙な崩壊なく説明できる いわゆる統一理論かもしれない『サルンペト則』というものが、特に重要なガジェットの1つとなる。
位置を持たない節点(ノード)を基とし、長さや形を持たない辺で、幾何学的見方において規則的につながり合い、あらゆる物理現象の根本的システム動作の原因となるネットワークを構築している。というようなイメージだろうか。
「グラフはある節点がほかの節点につながっているという事実のみから構成されている。存在しているのは、無限に繰りかえされるこのつながりのパターンのみ」

 サルンペト則はまた、宇宙の歴史の始まりの頃の状態を考えるための、数学的な道具にもなりうる感じ。
「ダイヤモンド・グラフの近くまでさかのぼる……ビッグバンにあってしかるべきあらゆるものがそこにあった」
むしろ注目すべきは、その、現在までの宇宙の、因果関係の歴史と矛盾しない理論を基盤とした道筋によって到達できる、始まりの頃の状態そのものか。
つまりは「低エントロビー粒子の生成」、「急速に膨張する空間」。もしかしたら、作中で言及される相対性理論や量子論の(例えばそれらが素晴らしい近似と語られたりする)話以上に、そうした初期世界観はサルンペト則が、20世紀~21世紀、ようするに現実の現代の物理学からの直接的な発展を思わせる。
(個人的には、はるか未来という世界観において、現代の科学的世界観のそれの延長線上みたいな理論設定は、正直微妙なのだが、こういうの好きなSF好きも多いと思う)

最初の構造は粒子か、形の一点か

 サルンペト則は、宇宙の全体としての構造自体から説明を始められるようなものであるから、当然と言えば当然かもしれないが、けっこう細かな要素まで、”動作”というよりも”原理”で説明される(例えば、ボールの動きを説明する際、”空間を動くボール”というより、”空間内物理要素の変化模様として、その位置の移り変わりを定義する”、というようなイメージだろうか)
「サルンペト則は、別グラフに変化する確率に量子振幅をあたえる。サルンペト則が予測するさまざまな事柄のひとつは、もしグラフに三つの三価の節点と三つの五価の節点が交互に並んだループが含まれているとしたら、そのグラフは、同じパターンを持つけれど隣接する節点の集合へ移動したものに変化する確率がもっとも高いだろう、ということだ。このようなループは光子として知られる」というように説明される対称性と相互作用パターンは、素粒子物理のデータと一致するという。
量子 「量子論」波動で揺らぐ現実。プランクからシュレーディンガーへ 素粒子論 「物質構成の素粒子論」エネルギーと場、宇宙空間の簡単なイメージ
 ループに沿って電子のような粒子を一周させる場合の、粒子の
スピンという固有の数値(量)に関して、振幅を計算。その値は空間の幾何学に依存する。スピンを有する粒子が通る経路をすべて含んだネットワークが空間の全方向に広がっているなら、粒子が出会う交差点でスピンを比較することで、ネットワーク時空のあちこちの物質(量子)状態を定義できるかもしれない。そうしたスピン・ネットワークの宇宙の全要素に関して一般化を推し進めたものがサルンペト則というようにも。
「いかなる種類のあらかじめ存在している空間という概念も捨て去り、あらゆるものを、空間、時間、幾何学、物質を、ネットワークを用いて定義」
つまり、粒子というのも「ネットワークに編みこまれた、価数が変化したループ」。ようするに、宇宙を構成している全ての要素は、どの階層のものであっても、実質的には節点の数の異なる幾何学的構造。
よく考えてみればこれは、古い原子論にも近い考え方かもしれない。最初の物質を形として定義することはできないが、しかし要素の幾何学構造が、ネットワークを構成する1つ1つの点の数の違いで、そしてそれらの点が同じ数では、全く同じ構造であり、同じ要素と考えれるなら、各点もそれぞれ単体では全く同じものと考えられないだろうか。つまり真の意味で1つの種類しか存在しない基本構成要素みたいに考えることも(実質)できるかもしれない。
例えば基本素粒子としての四大元素は、基本構成要素がすでに複数種類。あるいは(この作品の時代設定が遠未来ということも考えると、その言及が全然ないこともちょっと興味深いか)超ヒモ理論にしても、ヒモ素粒子は全て同じものであっても、少なくとも最初からその動作という個性があるというイメージが一般的と思う(素粒子の種類は、ヒモの振動の仕方と関連する)

物質はどこまでコントロールできるか

 環境に合わせて、虫くらいのスケールの体でいたりと、物質の操作テクノロジーが、例えば人間を人間のままかなり自由自在に変化させられるようになっている。
生物まで含めた世界システムを、唯物論的に捉えているようなサイバーパンク的な設定は、イーガン作品では一般的に思うが、この作品は、そうしたパターンの世界における、未来の大きな可能性をだいたんに描いてる印象。
もっとも、物理的肉体を捨てて、情報空間に心を置く、いわゆるマインドアップローディングのテクノロジーもかなり普通にあるのだが、それの応用で(例えば、部分的に情報空間を利用する方法などで)、肉体スケールの変化ぐらいなら、実は結構簡単なのかもしれない。

フェムトマシン。エキゾチックな原子核コンピューター

 エキゾチックな原子核から造られるという『フェムトマシン』という特殊コンピューターが、その基本設計開発からまだ数千年ぐらいという、テクノロジーのガジェットの中では最新と思われるものとして登場する。
コンピュータの操作 「コンピューターの構成の基礎知識」1と0の極限を目指す機械
 普通、物理学において”エキゾチック”という言葉が使われるのは、普通に考えられるようなものとは違う性質の物質(例えばよく例としてあげられるのが、マイナスの重さの物質)。
ただ、ここでのエキゾチックというのが、未来世界基準なら、物質の操作テクノロジーが非常に発展した世界において、通常とは異なる原子核。しかし、サルンペト則によれば原子核の構成要素も結局は特定の幾何学パターン。
いったいどのように考えるべきか。どんな考え方ができるか。
反物質 「反物質」CP対称性の破れ。ビッグバンの瞬間からこれまでに何があったのか?
 とりあえずフェムトマシン自体は、特殊目的コンピュータとされ、速度が早いが、数ピコ秒以上の時間を安定させることも難しいという問題がある。崩れやすい幾何学構造なのだろう。
しかし、わずかな時間内で膨大な計算が可能。ただし人の理解として成果を得るには、残骸から情報を引き出す必要がある。普通なら多くの情報は失われてしまうようではあるが、しかし例えば分解の過程がある程度予測できて、変化のフィードバックのシミュレーションから計算結果が出た瞬間の情報を得たりすることもできるのかもしれない

 作中では、フェムトマシンのかなり直接的な成果獲得方法として、『フリースタイル』での利用が出てくる。
フリースタイルは「ある人の精神を、これから量子的分岐する回路基板上で実行すること。一方向は、計算のいかなるバージョンの最終結果も回収して、その人の通常のハードウェアに返写することがまったくできないことを意味する」というように説明される。ようするに、この場合(フェムトマシンに利用する場合)は、原子核領域に精神のコピーを置いて、あるいは量子的な分岐存在を原子核化することで、実際的には、その精神はフェムトマシンの崩壊とともに消えてしまうだろうし、結局のところ情報を獲得することはできないが、しかしその崩壊する精神は、崩壊するまでの時間において、マシンの計算成果を理解することができる。というようなものと思う
コネクトーム 「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で

新真空とプランクワーム

 サルンペト則から予測できなかった、全てを飲み込みそうな『新真空』。この話の短い第一部は、その発生までの話。第二部は、その発生からさらに時間が経ってからの話で、銀河系最大の物体となったそれの研究と、対抗計画が物語の主軸となる。
また、宇宙に生じたその新しい真空というのが結局どういったものなのかという謎解きの他、どういう対応を取るかという方針で内輪揉めする人間たちや、ちょっとした恋愛などの要素もある。

 新真空に対する「実際的なツール」、あるいはありうる影響力として、「それを食べて、それよりは良性のなにかを排出する、量子グラフ・レベルに埋めこまれた自己複製パターン」というのが出てくる。作中では、「プランク・ワーム」と呼ばれるもの。

 また、その真空の領域に生物群、あるいは生態系かもしれない反応が確認できた時点では、推測できる情報から「時空を食べるウイルス」というような表現が使われている。
「ウイルスとは何か」どこから生まれるのか、生物との違い、自然での役割

白熱光

 これも遠未来。
銀河系のかなり広範囲にわたって、電脳化が進んだような「融合世界」と、(融合世界の認識では)情報地図が途切れてる「孤立世界」。それぞれの世界における話が一章ごと交互に繰り広げられる。融合世界側の話は探索で、孤立世界側の話はある閉鎖系領域における短期間での発展の話。
また、(人類世界の延長線上でもあるような)融合世界側の調査によって、色々明らかになる事実(あるいは立てられる仮説)が、孤立世界側の起源などを示唆しているような構成となっている。
白熱光
それぞれの話のキャラクターが直接に接触する描写はない感じで、孤立世界側の話は独立した物語感が強い。

物理研究の謎。近似の一致はどういうことか

 正直、個人的に孤立世界側の話は、あまり面白くなかった。
ブラックホールの周囲を巡る、洞窟の国と言えるような環境で、非ヒト系の知的生物が、実質的に1世代で、物理学についてかなり無知の状態から、20世紀くらいの物理学まで発見していくという流れ。なのだが、人類の場合とは別の環境での(その理解の速さ的に当たり前だが、道筋を逸れることがあまりない)、その発見の過程を、if史か、ifシミュレーション的に楽しめないなら微妙と思う。特に文字通りに空想科学を求めているなら、ここで登場するのは、ほぼ実際の物理学の話と、それまでの物理学史における誤解いくらかと思われるので(参考までに、自分は物理学の歴史に、ちゃんと興味はあるが、別にフィクションで描かれる架空の領域での歴史にはそれほど関心はない)。
「古代ギリシアの物理学」万物の起源を探った哲学。遠い現象の原理 太陽系 「地動説の証明」なぜコペルニクスか、天動説だったか。科学最大の勝利の歴史
 ただ実質、(少なくとも銀河系内における)物理学普遍性の可能性が示されてるとも思う。
例えばその生物は、物理現象を幾何学的に考える研究から”相対性理論”を発見するわけだが、これを「発見された」と言う場合、どう考えるべきか。
相対性理論が(これが完全な物理学的真実にせよ、あくまでももっと深遠なる理論の近似にせよ)、そこ(最終的な答)までに必ず必要な段階か、あるいはある段階での唯一の近似という可能性も思わせる。つまり、この宇宙に真の統一物理理論が1つしかないのは、おそらく”当然”として、知的存在がそれを発見するまでの流れの中も、(固定的な進歩の進化論のように)1本道か、はしご的というような世界観。もしそうでないなら、つまり最終的な答の近似がいくつもあるなら、この話のような発見の流れは、けっこう凄い確率の偶然と考えた方がいいのかもしれない。
単にその生物と人類が、知的存在として近しい存在である確率が高いだけ、と考えてもいいのかもしれないが。
時空の歪み 「特殊相対性理論と一般相対性理論」違いあう感覚で成り立つ宇宙
 また、その宇宙生物の設定の魅力はどうかというと、そもそも結局、孤立世界側の話では、生物設定、環境設定自体はあくまでただの舞台装置的な感じで、メインはやはり発見物語。自分がまさにそうだったが、そっちの方の設定の方が(単なる発見物語より)よほど興味深いという人は、融合世界側の話の方が楽しめると思う
孤立世界、正確には孤立世界の中の、その1つの領域において、それまでの状態から物理研究が一気に進んだ理由に関しても、融合世界側の話の方で示唆されている。

生物のシミュレーション

 融合世界側の話においては、例えば「孤高世界も自分たちと同じ通信テクノロジーを使っているだろうか?」というような疑問が出てくる。「テクノロジーの収束ということは確かにあるが、〈探検の時代〉の旅行者たちは、同じ問題を解決するためにほかのさまざまな文化が無数の方法を見つけだしていることに仰天したものだ。少なくとも、自分たちの文化が考案した方法がぞっとするほど忠実に再現されているのを見て、びくっとするのと同じくらいの頻度で」と。
もし物理法則に関して、その発見過程の道途中の近似まで一致しているくらいに(もしかしたら現象の階層構造のどこでもパターンが少ない)世界観だとしたら、しかしそれを利用するテクノロジーには文化的な違いがけっこう生じるというのは、何か奇妙だろうか。

 また、生物の細胞を分析し、胚の成長をシミュレートするだけでなく、実際に、視覚的に確かめたりもできるような感じのバーチャル生物再現したりするテクノロジーなどは、イーガンらしいと思う。電脳、あるいはバーチャル空間利用の可能性。
卵 「胚発生とは何か」過程と調節、生物はどんなふうに形成されるのかの謎
 おそらく孤立側のキャラクターたちと起源を同じくする、しかし別の船の生物との出会いと、その後の話では、遺伝情報操作による、知的生物の社会そのもの(それを構成する感情とか)の調整、みたいなアイデアが出てくる。
イーガン作品でよく出てくるテーマ関連の設定と思う。自分自身という存在もコントロール可能と考えられるような物質世界において、本来の存在、アイデンティティというものをどう考えるべきか、みたいな。

順列都市

 これは、イーガン的なサイバーパンク作品として、とても傑作だと思う。
順列都市 上
順列都市 下
コンピューターというか、計算システム上に再現されたコピーの知性を、生物として考えられるか。
あるいは、ある物理法則に従う宇宙のシミュレーションは、どこかで、それが作られた世界からも独立することがありうるか。
「宇宙プログラム説」量子コンピュータのシミュレーションの可能性

オートヴァース。おもちゃの宇宙

 この作品で重要なガジェットは1つはコピー。そしてもう1つが『オートヴァース』というもの。それは「おもちゃの宇宙」とも表現される。

 それは宇宙の完全再現というよりも、いくつか現実から要素のための階層を減らした、つまりは単純化された宇宙というようなもの。例えば原子が、文字通りの素粒子だったりと、イメージ的にはむしろファンタジー創作でありそうな世界観と言えるかもしれない。ただし、完全にただ単純化してるというより、単純化するためにいくつかの特別なシステムを追加している印象もある。

 少なくとも、それが普通のコンピューターシミュレーションとして考えられる時、外部からの操作もできる。おそらくそのシミュレーション世界側からしてみると、ゼロ時間か、あるいは完全に物理法則を離れた変化もありうる。
しかしオートヴァースというのは、外部からの余計な操作がない場合、確かにその設定された「物理法則のための変化の連続」がひたすら続くと思われる、言わば現実と同じような世界。では、なぜ現実世界では最低限の条件さえ整えば簡単に起こりそうな現象(例えば自然淘汰)が、オートヴァースでは起こらないのか、というような疑問。実際のコンピューターシミュレーションの背景原理や、未だに地球以外に生物の系が発見されていない(とされる)事実などを合わせて考えると、けっこう興味深いかもしれない。
「ダーウィン進化論」自然淘汰と生物多様性の謎。創造論との矛盾はあるか

コピーはどのくらい生物でないか

 誰かのコピーは、その誰かの記憶を持っているから、深く考えずに、ただその記憶だけを真実と認識するならば、コンピューター上に再現される以前は、コンピューター外で生身で生きていた、ということになるはず。だがもちろん、それは違う。誰かを再現したコピーは、それが再現された時に初めて生まれたものだから。
では、コピーは生物と考えていいかと言うと、少なくともこの(現実の)宇宙の生物や、オートヴァースの生物と比べても、それは明らかに、本質的には生物らしくないとされている。

 ただ、現実宇宙もオートヴァースも、そこで発生する生物が、本質的に生物と思われる理由は、つまりそれらの世界が、ある物理構造を底として、段階的にボトムアップ(下から積み上げ)していった結果としての構造であるから。その上位層(と言えるかはともかくとして、いくらか総合的に最低限必要な複雑性を定義できる層)において、生物は発生、あるいは存在できるが、もちろんそれは、その世界の物理法則階層の中の要素だけで説明できる現象と言える。だがコピーは、単にある世界の、ある物理階層に生じている構造を、そのまま再現しているだけ、というようにも説明される。
しかしそもそも、(この作品のような、コピーとか、新しい宇宙とかがありえるくらいに、唯物論的な世界観を前提とするならば)そのコピーを生成するコンピューターシミュレーションというのも、この現実宇宙の現象。コンピューターを造って、シミュレーションのプログラムを考えた人間という知性もそう(この宇宙の現象)。と考えられるかもしれない。だが、そうなるとこの小説の設定はどういうことか。
ただ、バーチャル空間の利用の比率とかが重要かもしれない。
しかし、生物として成り立つために、1つの系における基本的構造からのシステムが必要。あるいは部分部分に分けた時の要素に関係なく、ただ組み立てただけでは(知識も、もしかしたら意識すら芽生えるのに)生物になる確率が低い。そういうことなら、生物はやはり、けっこう特別だろうか。
人間原理 「人間原理」宇宙論の人間中心主義。物理学的な神の謎と批判
 この作中では、例えば「コピーにとって、時間が経過するとは、コピーを定義する数字が瞬間ごとに変化することだ。何度も何度も再計算される〈コピー〉は、一連の寸描(スナップショット)で、連続した映画のコマに似ている……だが、いったい正確にどの時点で、そのスナップショットに意識的な思考が生じるのか?」というような疑問が、コピーならではみたいな印象だが、別に普通の生物でも言えると思う。
普通の生物がコピーと違うのは、システム要素として、例えば原子や素粒子の振る舞い。コピーがいくら人間みたくあっても、その背景には原子や素粒子でなく、バーチャルの数字システム(すなわちプログラム)と。しかし、そもそも普通の生物から、その原子や素粒子といった要素を取り除いていった時、どこで意識が途切れ、(そして唯物論的世界ならそうなるはずだろう)取り除いた粒子を戻して行った時どこで意識が復活するのか。
「オートポイエーシスな生命システム」物質の私たち。時空間の中の私たち

塵理論。ある宇宙のパターンがいかにして生じるか

 中盤から終盤にかけて重要となるのが、『塵理論』というガジェット。

 つまり宇宙から、構造、位置、配列、順番とあらゆる要素を取り除いていったら、最終的には素粒子の場の、おそらくは(量子力学的不確定さのため(?)の)ランダムな数字群が残る。そして全てが要素の組み合わせというなら、バラバラのそれぞれの要素がただそこに存在する、という事実だけで、そこに確かに宇宙は存在している。それは本質的には、物理法則とか因果関係とか別に定義してもしなくてもいいような世界。つまりランダムな塵の集合。
だが(知的?)生物構造は、そこに1つの宇宙を定義できる。塵の集合に、規則的なパターンを見出すことができる。
こうなってくるとオカルト的に考えないでいることも難しくなってくるわけだが、とにかくある物質宇宙は、生物構造から生じる精神が感知する、本質的には幻想的とも言える規則的なパターンと関連した領域、ということになる。そしてこの場合、塵の集合とどこかで繋がった生物構造が生じさせる宇宙パターンがたった1つであると考える理由などない。むしろ、たくさんある方が当然だと思えるでないか。
そこで、この作では、本来コンピューターシミュレーションによって造られたバーチャルの物理世界においても、そこでの生物構造との繋がりのために、本質的な塵の集合から、新たな宇宙が生じておかしくない。というような話になってくる。
ビッグバン 「ビッグバン宇宙論」根拠。問題点。宇宙の始まりの概要
 よく考えてみたら、この場合、コピーが生物でないというのは、それが塵の構造から宇宙を生じさせるようなものではなく、そうして生じた宇宙内で、宇宙内要素のみで再現されている機械的存在だから、ということなのかもしれない。

 そしてこの塵理論関連のアイデアの中で、特に興味深いものが、やはり永遠のパターン可能性だろう。
つまりは、利用可能な塵の総量が有限であったとしても、再配達可能なパターンが無限にあるのなら、ずっとそれを続けるか繰り返すことで、実際的に、永遠に存在する宇宙のパターンが可能かもしれないというような。

宇宙消失

 ある日、太陽を中心にした半径百二十億キロ(冥王星軌道の約二倍)の範囲を包んだ、〈バブル〉と呼ばれる謎の何か。その〈バブル〉が夜空の星々を消してしまった近未来。また人々が、世界をかなりゲームシステム的に認識し、精神に影響を与えるモッド(改造ツール?)や、サイボーグというか改造動物とかをかなり一般的に利用したりする社会で、〈バブル〉を造った〈バブルメイカー〉とか、脳に何かあると獲得できるようである超能力などに関しての謎解きの話。
宇宙消失
 重要な鍵となるのが、量子力学における、波動関数関連の謎。

波動関数の収縮とは、多世界の破壊か

 波動関数の収縮(ようするに量子論的宇宙における、複数可能性が重なった状態から、1つの認識される現実のみの顕在化)という現象が実際に起きるものだとして、そうした現象がいつ起こるかというのは、現代でも終わりの見えない理論である。
普通、複数可能性の波動は物質の観測時に収縮すると考えられている(しかし数学的には、この収縮というのは、計算から自然に現れる過程でなく、普通にある時点での現実の観察結果との矛盾をうまく説明するための飛躍。言わば収縮というのは誰も書けたことのない”途中式”みたいなものだ)が、この作品では、観測装置での観測はだめで、観測者が必要とされる。つまりそれは、人間、あるいは地球生物の神経系の動作にための現象と。
つまり、宇宙は本来、様々な可能性がいくつも同時に存在しているような世界だったが、それを、ある時に宇宙に現れた、特殊な知能を有する生物が、1つの現実へと収縮させていった。というような世界観。

 しかし、人間のような生物が、多様性に富んだ複雑な世界を、たった一つに収縮させてしまうという時、その収縮のために消えてしまう全ての世界(可能性世界?)は、そこに生きていた全ての生物とともに滅ぼされている。いわば宇宙の収縮は、驚くべき規模の大量虐殺、というような(この作でかなり普通に採用されている)見方は、(これは特に微妙だが)例えば一般的なタイムパラドックス(タイムマシンで過去に行って自分の両親の出会いを邪魔したら自分は生まれない。しかしそもそも自分が生まれないならば、タイムマシンで過去にやってくる自分もいない)のと似たような疑問を生じさせるかもしれない。
つまりは、収縮で消えてしまう宇宙は、収縮後の1つの現実においては最初から存在しなかった宇宙。存在しなかった世界と、存在しなかった生物を、虐殺したと言えるのかどうか。
タイムトラベル 「タイムトラベルの物理学」理論的には可能か。哲学的未来と過去
ただ、イーガンは他の作品でも、”多世界解釈”(つまりいくつも存在する可能性世界は、全て実在するパラレルワールド)よりな考え方にかなり影響受けてる感じだから、どちらかというとこの世界観も、本来の宇宙は波動関数が収縮しない世界というよりも、多世界(もようするに波動関数が収縮しない世界なのだが)ということなのだと思われる(多分だからこそ、世界がいくつも存在した時の痕跡が収縮後も残る)。
だが普通、多世界解釈におけるパラレルワールドは、可能性世界とか言えるようなものでなく、普通に実在的なものと思う。何らかの知的機能により、それが消えるというのは、まるで最終的に収縮された1つの世界そのものにもともと備わっていた何かが影響を与えてるかのようだ。地球生物も、ある時に一瞬でそのような収縮機能を獲得した、というわけでもないのなら、他のパラレルワールドでの地球生物の収縮機能も、他の世界と共に消えてったりするだろうか。
結局いったい収縮はいつ起こることか。この話の設定では、むしろその疑問は大きくなるかもしれない。

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