「ドン・キホーテ」感想と考察。冒険喜劇小説、メタフィクションの大名作

笑って泣ける、そんな話

 ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ(1547~1616)の『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ(Don Quijote de la Mancha)』、あるいは単に『ドン・キホーテ(Don Quijote)』は、文学史上の最高傑作にあげられることも多い作品である。
と言われるようなことも多いだけあって、この話は本当に面白おかしいフィクションストーリー(創作物語)。
あるいは文字通りに機知に富んだ、素晴らしいエンターテイメントである。

 どうも19世紀くらいには、この物語が実は悲劇なのではないか、というような議論があったらしい。
しかし、17世紀という時代を感じることはあっても、悲劇的な印象を受ける人は、実際に読んでみれば少ないと思う。
むしろ以下に述べるように、この物語はやはり機知に富んだ喜劇であり、何より素晴らしい(作者がそう意図したかは微妙な感じもするし、異論もあろうが)ハッピーエンドの物語と個人的には思う。

 本当に笑って笑って笑って、最後には泣ける、そんな素敵な話

全体の構成について

 ドンキホーテは前後編に分かれている。
前編もおもしろく、有名な話はむしろ前編に多いような印象だが、面白さは後編の方が上と思う。
しかし後編の面白さは間違いなく前編あってのものである。
そしてこの話はエンディングが、もうそれは素晴らしいのだが、あの感動は、前編を読んでこそ楽しめる後編があってからこそであろう。

 また、若い人向けに、短くまとめられた読みやすいドンキホーテもあるが、長さ(多分、指輪物語と同じくらい)が苦にならない人なら、全訳版を読むべきである。
話の性質的には短くまとめたものでも十分楽しめるであろうが、しかし後編部分の面白さと、エンディングの感動は、短くしたものではどうしても下がると思う。

前書きのこと。セルバンテスのことなのか?

 他に物語としての面白さを抜きに考えても、この本には全編に渡って(特にイベリア半島の方の歴史や文化に興味ある人には)興味深い記述が多いのだが、前書きからすでにそうである。
スペインの山 「スペインの成立」イスラム王国の支配とキリスト教の抵抗の歴史
すでに本当の話かどうかはわからないのだが、どうも作者がドンキホーテという本の序文を書くにあたり、結局何も書くことが思い浮かばないのでやめようか悩んでいた。
しかし友人からアドバイスをもらい、結局はそうなるに至った経緯を中心として、前書きを書くことにしたというような内容となっている。

 個人的には作者が、この話は別にいろいろ世間で有名な科学者とかの話を参考にしてるわけじゃないから(おそらく当時の)多くの作品がそれをつけてるような有名な哲学者の注釈とかを書くことができないはず。
しかしそうした本は、大衆からバカにされたりするのでなかろうか。
というふうに悩むのに対して返してきた友人の自説がなかなか興味深い。

「そんなの、君が言うようなそういう有名な哲学者の名前を参考文献一覧としてずらり並べばいいだけさ。そうすれば、実際にはそういう本の数々が参考にされてるかどうかなんてことは、みんなどうでもよく、 この物語の中には、なんという素晴らしい叡知が秘められているのだろうと、尊敬してくれるよ。だってそれらの古今東西の有名な哲学者の本が、実際にその物語に参考にされているかどうかなんてことを調べる人なんてめったにいないし」
というようなものである。

前編。有名な話と、番外編が多い

騎士道物語にハマりすぎて、騎士になった男

 スペインはラ・マンチャ地方のある(それがどこかは最後まで(あえて)明かされない)村にて、(よく郷士ごうしと訳される)イダルゴ(hidalgo。スペインの下級貴族)の身分であるキハーダ、あるいはキサーダだかケサーダだか、そういう名前の50歳くらいの男が、自分こそが現代の遍歴へんれきの騎士ドンキホーテであるという妄想にかられ、好き放題に冒険をするというのが、この物語の大筋である。

 物語の最序盤では、彼、(名前は比較的どうでもいい要素っぽい)下級貴族が、なぜそんな、自分が騎士だなんていう妄想に囚われたのか。
その経緯が語られる。

 ようするに、いかにもファンタジーな騎士道物語にハマりすぎて、自分もまるでそういう物語に登場する英雄の一人かのように、思い込んでいったわけである。

 ただ実際、そういう物語にどれだけハマったとしても、それなりに教養高いとされている人物が、そんな妄想にかられるなんてことあるだろうか、というような議論も作中でちょくちょくされる。

短く終わった最初の旅立ち

 ドンキホーテは三回村から旅立っている。
そしてその一度目の旅立ちにおいては、物語において、第二の主役、あるいは裏の主役ともいうべき従者サンチョが同行しない。

 旅立って間もなく、訪れた宿を城と思い込み、水商売の女をやんごとなき姫たちと勘違いしたりなど、狂人ぶりが全開であるが、 この1回目の冒険はすぐに終わる。

 ドンキホーテは作中なんども、無礼だったり、敵対する騎士と勘違いした商人や聖職者などに(結果的には)喧嘩をふっかけ、たいていボコボコにされたりする(ただしドンキホーテは作中、(騎士の決闘のつもりの戦いに)何度か勝っているか、勝っているつもりになってたりもする)。
そうした戦いの一度目は、 無残にもボコボコにされて終わり、朦朧もうろうとした意識で、彼は愛馬ロシナンテ(ドンキホーテは名馬のつもりの、普通の飼い馬)にしがみつきさまよっていた。
そこを偶然、彼を知っている者に保護されたわけである

 そしてドンキホーテは、りもせずに、やたら騙されやすい農夫の男サンチョを従者として誘い、二度目の冒険に旅立つ。

 物語全体としてはこの二度目の冒険までがおそらくプロローグ的なもの。
前編が主にこの二度目の冒険。
そして後編が三度目の冒険で、最後の帰郷からドンキホーテことキハーダが死ぬ時までが、エピローグという感じだ。

 サンチョは、この男もまた、主役よりむしろ主役とか、こいつの方が絶対に主人よりおかしい、というような意見が作中で飛び交うくらいには、(魅力的な)変人として描かれている。

全部悪い魔法使いのせい

 とにもかくにも、また旅立つドンキホーテだが、友人である司祭や床屋、それにドンキホーテに正気に戻ってほしい家政婦と姪らが、話し合い、あわれな郷士のコレクションを燃やしてしまおうとするシーンは、必見である。
この本は希少だから残しておくべきとか、この駄作こそさっさと灰にすべしとか、本の運命を決定していくわけであるが、これがなかなかウィットに富んでいて(ようするにどことなくユーモア混じりで)面白かったりする。

 ちなみにドンキホーテは、自分の行動が災難を招いた時に、そのほとんどを、騎士道をしっかりと守らなかったせいか、あるいは自分のことを嫌っている邪悪な魔法使いの手によるものとして納得するが、本のコレクションがなくなったのも、魔法使いのせいとなる。

 この全部悪い魔法使いのせいにしてしまおう精神は、物語が進めば進むほどエスカレートしていく感じで、面白いというか、とにかく前向きで楽しい。

 それと、これは後編の話だが、自分が仕掛けたインチキまでも魔法使いのせいということを信じてしまうことになるサンチョは、ただのバカと言ってしまえばそれまでなんだけど、だけどどこか、何かを信じる難しさへの抵抗のようにも思えなくもない。

いろいろな恋愛事情について

(ドンキホーテの前編が普通に出版されていて、それを読んでいる人も結構出てくる)後編で指摘されるように、前編はややサブストーリー的なのが多い。
基本的にはドンキホーテと関わることになる登場人物の過去話的なものが多く、普通に大真面目な話ばかりである。

 そうした様々な物語の内のかなり最初の方、美しい少女マルセーラに恋い焦がれた死んだ詩人の話で、詩人の墓に現れたマルセーラの弁解はけっこう印象深い。

「人は自由。美しく生まれた女は男たちに言い寄られ、たとえそんな気を見せなかったとしても、勝手に失恋され、勝手にショックを受けられ、死なれてしまったりする。だがそれを誰も願ったわけでもないにもかかわらず美しい容貌に生まれた少女のせいにするというのは、どう考えてもお門違いである」というような話。
美人のファッション 可愛い子はずるいのか?「我々はなぜ美しいものが好きか」
人間的(あるいは生物学的な)欲に対抗したい心理がここに見えるようにも思える。
ドンキホーテが彼女を称賛してる辺りが特に。

ミコミコンのミコミコーナ姫の芝居の楽しさ

 風車を巨人と勘違いしたり、 羊の大群を戦争中の軍と勘違いしたり、かなり適当な感じの製法の聖なる霊水で従者を死にかけさせたりと、やりたい放題な旅を続けるドンキホーテだが、前編の中盤に、友人の司祭と床屋にまた見つけられる。

 そしてすでにドンキホーテの狂気がどのようなものかを完全に理解しきっている二人は、一計をめぐらして彼を村に連れ戻そうとするのだけど、そこから村に帰るまで、だんだんと仲間(というか旅の道連れ)が増えていくのが妙に楽しい。

 特に本編とさほど関係ない愛憎劇を繰り広げた複数の男女ペアが、真面目な過去話と対照的な、今の喜劇を楽しむ様が、なかなかよくできている。

 ちなみに紆余曲折の末に仲直りすることになった恋人といちゃつきすぎて芝居がばれそうになったりする現代のラブコメみたいな一幕もあったりする。

 とりあえずドンキホーテを連れていくため一芝居に登場する架空の国ミコミコンのミコミコーナ姫を演じることになったドロテーア嬢なんかは、後編に登場しないのが残念なくらいに、いいキャラと思う。
この人かなり聡明な感じで描かれてるけど、それでも(周囲の人に取り入って逃げ場をなくして)関係を持つや、自分を捨てた遊び人に恋を続けるのは、人によっては違和感あるかも。
リアルな人の感情(というか依存)を上手く描いてるともいえるか。

後編。メタフィクションとして素晴らしい

学士カラスコの登場

 司祭たちの芝居により、見事に村に連れ戻されたドンキホーテが、再び旅立つとこから始まる。
のだが、その前に、聡明な学士のカラスコとドンキホーテ自身の、すでに作中で出版されているドンキホーテ前編の内容についての議論があったりする。

 作中の時間を考えると、いくらなんでもその出版があまりにも早すぎるが、作中でそこに関するツッコミが入っていないあたり、そこはツッコんではいけないところなのであろう。

 ここでは、作者がおそらく前編出版の後に聞かされたのであろう、矛盾点や批判などに関する弁明的な話もでてくる。
特に「愚かな物好きの話」という作中作の小説の話に関しては、(まさにこうして、この話が好きで、感想などを書いてる僕自身が最初に読んだ時に、これはなくていいな、と思ったくらいには)本格的にいらない話なのだが、しっかりそこは指摘されている。

 後に、飽きさせないための工夫とか、弁解も書かれてたりして、作者の苦悩が見える。
ただ、作中で盗まれたロバがいつの間にやら戻ってきていた矛盾に関して、印刷屋のせいにしてるのは、ちょっと笑える(決して作者の記憶に欠陥があって、忘れてただけとかではないらしい)。

 また、作中で、本来とは別の作者が書いた勝手なドンキホーテの(実際にあったらしい)続編に関する話に対する批判も出てくる。

 しかし学士カラスコだが、 最初は普通にドンキホーテをからかってるキャラかと思いきや、結構真剣に彼のことを考えている、よき友人で、この後編では彼を連れ戻すためにちょっとした災難にあったりする。

 ただ復讐を誓うから、今後どんな展開になるんだろうと思いきや、別に大したこともなかった。
まあ、そもそもそんなシリアス展開にいくような物語でもないのだろうが。

モンテシーノスの洞窟とは何であったのか

 モンテシーノスの洞窟なる場所に迷い込んだドンキホーテが、(作者曰く) 物語全体の中で最も非現実的な体験については、いろいろと心理学者とかの議論もあるらしい。
実際、心理学とか以外でも、この話はいったいどういうことであったのか、読者にいろいろ考えてほしいっていうような狙いが、かなりはっきり感じれる。

 話としては、妖精の国の典型のような話である。
ほんの一時間ほど洞窟に迷い込んでいただけのはずなのに、三日間、花咲き誇る王国で歓迎されていた、というような話だ。 

 むしろ、この話だけはさすがに非現実的すぎるから、完全な作り物。
他の話は(ドンキホーテの妄想解釈を別にすれば) 現実的な話としている作者の見解が興味深い。
案外この小説、17世紀のスペインではどのような話が現実的であったのかの参考としてよいかもしれない。

ドンキホーテのファンたちの悪ふざけ

 ちなみにドンキホーテの前編がすでに出版され、人気を博しているというメタ設定から、彼の狂人ぶりを知っていて、あえて楽しもうとする輩も結構出てくる。

 特に、どこの公爵か明かされずに終わった、ドンキホーテのファン(?)である公爵夫妻の悪ふざけが、文庫本一冊分くらいの量ある。

 夫妻が、まるで騎士道物語の世界を再現したかのような歓迎をドンキホーテに対して行ったことで、ドンキホーテが完全に、自分こそ本物の騎士である確信を持ったという部分など、わりと印象的。
少しでも疑いが残ってたのだろうか。

 この夫妻も含め、物語で事前にドンキホーテらを知っている登場人物の多くが、実際に彼らと話して、前編があまりにも脚色されていないことに驚くシーンが多いのが笑える。
それにドンキホーテに関して(狂人だけど) その立派な思想などに関心する人とかも多かったりする。

 会ったこともないたったひとりの愛しい人に自分の全てを捧げ、すれ違う苦しむ者たちを無償で助ける。
騎士というか、ある意味理想の人間なのかもしれない。

見事なエンディング

 前編に比べると後編は、(あらかじめ知ってるがゆえに)ドンキホーテとの出会いや話を楽しむ人が多いのだが、そんな中、カラスコの策略が上手くいって、ドンキホーテが村に帰ることになる。
と、それを知った人の中には「あんな面白い人を正気に戻そうとするなんて、世界の損失だよ」みたいな意見まで出てくる。

 そしてそんなだから、村に帰り、病に倒れた後、死ぬまでのわずかな期間、正気に戻った彼の遺言はとてもよい。
本当に、死を描いたエンディングなんだけど、とても救われたエンディングになっていると思う。

正気であろうと、狂人であろうと彼は…… 

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