「昔、流行ったおもちゃの話」喋る人形。特撮、アニメグッズ。仮想ペット

ビスクドールと市松人形の関係。1867

 伝統的な西洋人形の中では、『ビスクドール(bisque doll)』は日本人にも馴染み深いとされる。

 現在は「アンティークドール」とも呼ばれるビスクドールは、19世紀、ヨーロッパのブルジョア階級の貴婦人や令嬢たちの間で流行していたとされる。

 「粘土(clay)」などを加熱処理して作る「やきもの」、いわゆる「陶磁器とうじき(pottery and porcelain)」は、大まかに「陶器(pottery)」と「磁器(porcelain)」に分類できる。
区別は曖昧だが、簡単には、普通に粘土を材料としているのが陶器。
粘土や石を砕いた粉末を材料としているのが磁器などと言われる。

 ビスクドールは基本的には磁器とされている。
ビスクという名前は、二度焼きする製法のことだという。
一方で、1840年代くらいからドイツで作られていた、ビスクドールの前進とされている人形は、陶器であったようだ。
ドイツ「ドイツ」グリム童話と魔女、ゲーテとベートーベンの国 ビスクドールは、そのドイツの古いものとも区別し、『チャイナドール(China doll。磁器人形)』と呼ばれることもある。

 ところで、1867年に開催された「パリ万国博覧会」にて、 鎖国している期間が長かった日本の展示品はかなり注目を集めたとされる。
浮世絵や着物、日本刀や甲冑。
中でも特に注目を集めたひとつが、伝統的な日本の『市松人形いちまつにんぎょう』であった。
(まだ日本が公式に参加していない1855年にも、市松人形は出展されていて、すでに注目を集めていたという説もある)

 当時のフランスは人形に関して、ドイツからの輸入に頼ることが多かったが、市松人形の美しさは、それを見たフランスの職人たちを大いに刺激する。
そうして始まった、フランス流に市松人形的な美しさを目指そうという運動や思想が、「ジュモー(Jumeau)」や「ブリュ(Bru Jeune et Cie)」といったドール製作会社がしのぎを削りあう、フランスのビスクドール黄金時代へと繋がっていったのだとも言われている。

テディベアは、セオドアのクマ。1902

 『テディベア(Teddy bear)』といえばクマの「ぬいぐるみ(Plush Doll)」のことである。

 1902年のある日。
アメリカ合衆国第26代大統領のセオドア・ルーズベルトが、趣味であったクマ狩りに出かけた。
しかし運悪く、なかなかクマと遭遇しない。

 そこで同行していたハンターが気を利かせて、年老いて弱っているクマ(あるいは子グマ)を追い詰め、とどめの一発を大統領に譲った。

 しかしルーズベルトは撃ちはせずに、言った。
「ダメだ。スポーツマンシップに反する」

(命は助かったものの、クマにとっては迷惑な話でしかないが)上記の話は美談として、マスコミに広められた。
そしてこの話に、すかさずとばかりに目をつけたモリス・ミッチタム(1870~1938)という人が、セオドアの愛称であるテディの名を冠するクマのぬいぐるみを発明。
そのぬいぐるみはミッチタム自身が設立に関わる「アイデアル社(Ideal Novelty & Toy。理想的な斬新さとおもちゃ)」から販売され、大ヒットとなった。
以降、クマのぬいぐるみはテディベアと呼ばれるようになったのだとされている。

 10月27日は「テディベアの日」とされるが、この日はセオドア・ルーズベルトの誕生日である。

 時期的(1902年)に、最初のテディベア(クマのぬいぐるみ)を販売したのは、マルガレーテ・シュタイフ(1847~1909)が創業した「シュタイフ社(Steiff firm)」という説もある。
シュタイフ社はドイツのメーカーで、マルガレーテは、世界で最初のぬいぐるみ(甥や姪のためのゾウのぬいぐるみ)を作った人という説もある。

鉄道模型とスロットカー。1912

 鉄道模型メーカーの「ライオネル(Lionel Corporation)」が、鉄道模型のシステムを応用し、「スロット(溝)」のレールを電気仕掛けで走る、おもちゃの「レーシングカー(racing automobiles)」を開発販売したのは1912年のことだったという。
ゼンマイ仕掛けでない、自動で走る車の玩具は画期的で、 割と高価だったでも関わらず人気を博した。
しかし、なぜかライオネル社は、1915年(あるいは1916年)に、その製造を中止したそうだ。

 ライオネルのレーシングカーは、後に「スロットレーシングカー」とか、「スロットカー」 と呼ばれるようになる、スロット上を走るおもちゃの初期作品とされる。

 そしてライオネルから40年ほど。
1957年に、イギリスの「ミニモデルズ社(Minimodels)」は、1/32スケールのスロットカーレーシングセット「スケーレックストリック(Scalextric)」を発売した。
このスケーレックストリックの成功をきっかけとして、ブームは世界に広がっていき、日本にも1963年に、「レベル(Revell Inc)」、「モノグラム(Monogram)」、「コックス(COX)」といった米国メーカーの商品が、輸入されてくる。
当初、日本では「走るプラモデル」として紹介されたという。

 スロットカーは、ブームの最初の頃から大人の人気が高いこともあり、日本ではむしろ、子供人気がそれほど得られなかったようだ。

子供の憧れる、大人のアイテムだった電話のおもちゃ。1954年

 普通に携帯電話を持っている今の子供には想像しづらいのでなかろうか。
昭和(1926~1989)と呼ばれるような時代の頃。
電話というのは基本的に。 大人専用のアイテムであって、 壊してしまう可能性のある子供が触ることを禁止している人も多かったようだ。
そんなだから、電話に対する子供の憧れはかなり大きかったという。

 実際に、15メートルほどのコードを介して、通話のできるおもちゃ電話が登場したのは1954年。
その当時は電話自体の普及率がまだまだということもあり、おもちゃでありながら、実用的な用途に使われることも多かったようだ。
大した距離ではないとはいえ、離れたところで会話ができる機械は便利であったのだろう。

 おもちゃ電話は、1970年代くらいまでは定番のおもちゃであり、 ダイヤル式や公衆電話など様々なタイプも生み出された。
特に1970年の大阪万博にて(かなり高価な高性能機器とされていた)テレビ電話を模したタイプは、ずいぶんシンプルなコマ送りのモニター程度のレベルではあるが、子供たちに豊かな未来を想像させるのに、うってつけであったという。

最初の着せかえ人形バービー。1959

 1959年。 
アメリカの玩具メーカー「マテル社(Mattel, Inc)」の創業者の一人であり、社長であったルース・マリアンナ・ハンドラー(1916~2002)は、ある時、「ファッションブック」という雑誌についていた、着せ替えを楽しめる紙人形を、幼い娘バーバラに与えたところ、これがかなり楽しそうであった。

 そして、バーバラが人形を、まるで大人に見立ててファッションを楽しんでいることにルースは感づく。
当時の人形市場は、友達的な子供人形が主流であったから、ルースはこれは市場に穴が開いていると考える。

 そして、ビルド・リリーというドイツの人形を参考に、ルースは(その名はバーバラにちなむ)「バービー人形」が生み出されたのだった。

 バービー人形がそれまでの着せ替え人形と一線を画するのは、やはり流行りのファッション性を取り入れているということだろう。

 大ヒットし、人気も長く続くバービー人形は、その販売する時代や地域の最新の流行りを取り入れて、容姿も変化をしてきている。
そこで初期の、ポニーテールで細い目のバービーは、今では「オールドファッション・バービー」と呼ばれている。

おしゃべりキャシーちゃんの衝撃。1959

 ファッション性を取り入れたバービー人形を成功させたマテル社は続いて、喋る人形である「おしゃべりキャシーちゃん(Chatty Cathy)」もヒットさせた。

 紐を引っ張ると、内蔵された「フライホイール(flywheel。はずみ車)」という回転の機構が、音声の録音された「磁気テープ(テープ状の記録メディア)」を回すという仕掛けであった。
おしゃべりキャシーは、十数種類の決まった言葉を喋るだけだったようだが、それでも、当時の子供たちによく愛され、大ヒットしたという。
電気回路「電気回路、電子回路、半導体の基礎知識」電子機器の脈雷「電磁気学」最初の場の理論。電気と磁気の関係  後には、小型の「レコード(record。主に樹脂などでできた円盤タイプの記録メディア)」を交換し、しゃべる言葉をある程度カスタマイズできる人形も登場した。

 さらに、「半導体(semiconductor)」のチップを埋め込み、 しゃべるバリエーションもちろん、使用頻度や、時間帯や季節などによる変化の設定なども簡単にできるタイプなど、喋る人形は次々と高性能化を続けている。
コンピュータの操作「コンピューターの構成の基礎知識」1と0の極限を目指す機械  とこれで、そういう喋る人形の起源であるが、意外と古く、19世紀にはヨーロッパですでにさかんな開発が成されていたようだ。
その正確な起源は不明。
しかし、「ふいご(Bellow。空間の体積を変化させて、空気の流れを意図的に作る器具)」などで、調整した音を立てるような古い仕組みは、技術的には相当な昔から可能ではあったと考えられる。

 現在のように、あらかじめ録音された音声を再生する仕組みの人形を開発したのは、記録だけでなくちゃんと再生機能を有する「蓄音機ちくおんき(Phonograph。古い時代の録音機)」の発明者として一般によく知られているトーマス・アルバ・エジソン(1847~1931)である。

 エジソンはもともと娘のためにこの蓄音機人形を発明したのだが、1878年には特許も取得し、商品化もされたという。
しかしあまり売れずに、数週間で製造中止になったらしい。

 また、エジソンはやはり実業家で、最初に作った蓄音機人形には、娘への愛だけでなく、蓄音機ビジネスの可能性の追求という側面があったろうと考えられている。

ほんとにホットケーキを作れたママレンジ。1969

 「アサヒ玩具がんぐ」という会社が販売した『ママレンジ』は、2500円という、販売当時としてはかなり高価なおもちゃとして売り出されていた。

 参考までに、当時の大卒の初任給は3万5000円ほどだったそうである。

 とにかくママレンジは高級であったが、しかし大ヒットした。

 これのすごかったところは、ただのごっこ遊びの枠にとどまらない、本当に(当時まだ普及段階といえた)調理コンロを小型化したものであったこと。
ママレンジは付属しているフライパンを使い、目玉焼きやホットケーキを実際に作ることができたのである。

 当然ながら安全対策として、コンロの中央部にスイッチを起き、フライパンが置いていない時には、コンロは起動しないようになっていた。
また、最大1000万円という高額の保証が、メーカーから付けられていた。

 ヒット要因のひとつとして、CMの活用が上手くいったからとはよく言われる。
テーマソングに合わせて小学生くらいの女の子がホットケーキを作る映像は、たくさんの人の心を動かしたという。

 そもそも実際に食べるものが作れるということで、かなり画期的であった。

 その後、アサヒ玩具は、ポップコーンが作れる『ママポッピー』や、綿菓子が作れる『ママスイート』を発売。
いずれもヒットした。

 ただし、実際にCMの通りに、ホットケーキを上手く作ることは、やはり難しかったようである。

仮面ライダーのリアルな変身ベルト。1971

 石ノ森章太郎いしのもりしょうたろう(1938~1998)の漫画を原作とした特撮ドラマシリーズ「仮面ライダー」の第一作が放送開始したのは1971年。

 その1971年に玩具メーカー「バンダイ」の子会社である「ポピー」も設立された。
そして仮面ライダーの「変身ベルト」の玩具は、すでに「タカトク」という別のメーカーが販売していた。

 後にバンダイの会長にまでなる、当時のポピーの商品企画担当者杉浦幸昌すぎうらゆきまさは幼い子供のためにタカトクの変身ベルトを買ってやったが、子供は不満そうであった。
彼から「こんなのテレビのやつと違う」と言われたことに幸昌は衝撃を受ける。

 確かにその通りだった。
仮面ライダーの変身ベルトの、バックル部に備わる「タイフーン」は光りながら回転するが、タカトクのベルトは、ただのベルト以外の何でもなかった。

「テレビと同じものを子供たちは求めている」
そう確信した幸昌は、すでに他社にライセンスがあるため、粘り強い交渉をしても、値段を数倍にせざるを得なかったにも関わらず、しっかり電動式で回転するベルトを商品化させた。

 読みは正しく、新しいポピー製の変身ベルトは大人気となった。
ポピーのこの成功は親会社のバンダイ、玩具業界全体にまで影響を与え、再現性に拘る商品を増やしていくことになったという。

マジンガーZの超合金の正体は何か。1974

 ロボットアニメというジャンル自体に大きな影響を与えている永井豪ながいごう原作の「マジンガーZ」。
このマジンガーZ関連の、期待の新商品であった『超合金マジンガーZ』は、1974年の販売。

 前年には、60cm程もあるポリエチレン製大人形の『ジャンボマシンダー』も成功を収めている。

 超合金は、ジャンボマシンダーよりサイズこそ小さいものの、名前のイメージ通りに、しっかりとした金属の質感と重量を持っている、クールな玩具だった。
超合金は、マジンガーZの作中に登場する架空の金属であるが、実際の商品は亜鉛合金製だという。

 そしてこの超合金という言葉は、ポピーの商品のブランド名となり、多くの商品にこの名がつけられることになっていった。

機動戦士ガンダムと、空前のガンプラブーム。1980

 有名なロボットものアニメである「ガンダムシリーズ」の一作目、「機動戦士ガンダム」の放送が開始されたのは1979年4月。

 ガンダム作中では「モビルスーツ」と呼ばれる様々なロボットと、「モビルアーマー」というその他兵器が登場するが、それらの「プラモデル(組み立て式の模型)」を総称して、『ガンプラ』と呼ぶ。

 実は初代ガンダムのアニメは打ち切り作品であった。
シリーズ化するような人気は、ガンプラの影響が大きい。

 打ち切り作品でありながら、なぜか放送終了後にプラモデル化の要望が多かったため、1980年に、バンダイはガンプラ一号である1/144サイズのガンダムの発売する。
300円という低価格であったという。

 さらに模型雑誌に紹介されると、これが大ブームを巻き起こし、 販売からわずか半年で、ガンプラは累計100万個以上の大ヒットとなったのだった。

 その売れ行きは凄まじく、工場の生産が追いつかなかったことに対してマスコミは、「品物を出し惜しみしているのではないか」と煽った。

 さらにその人気を利用し、「独占禁止法(Antitrust law)」という法律にて不公正な取引形態にあたる「抱き合わせ販売(Tying sales)」をしているのでないか、という疑惑も発生。
通称「公取こうとり」と呼ばれる内閣府ないかくふの外局である公正取引委員会こうせいとりひきいいんかい(Japan Fair Trade Commission。JFTC)の調査がバンダイにメスを入れるほどの事態にまで発展した。
霞が関「中央省庁」一覧と役割。霞が関にて並び立つ行政機関 バンダイは、 ガンプラ以外の全てのプラモデルの生産を一時中止し、ガンプラの生産のみに尽力することを、消費者の声と、公正取引委員会の追及への回答としたという。

消しゴムじゃないけどキン消し。1983

 『キン消し』というのは消しゴムのことではなく、大人気となったプロレス漫画「キン肉マン」の「ポリ塩化ビニル(polyvinyl chloride。PVC)」の(業界では「塩ビ人形」と呼ばれているらしい)人形のこと。
単純に消しゴムぽいから、キン消しと呼ばれるようになったという。
ペンいろいろ「ペンと消しゴムの歴史」イギリス生まれの鉛筆。パンと代えられたゴム  ポリ塩化ビニルは「合成樹脂(プラスチック)」の一種であり、消しゴムの素材としてもよく使われるから、似ているのは当然。
プラスチック「プラスチック」作り方。性質。歴史。待ち望まれた最高級の素材  主に「ガシャポン(カプセルおもちゃ自動販売機)」で販売されたこのキン消しは、一大ブームを巻き起こし、ガシャポン自体を盗む事件まで発生したという。

 またキン消し以降、ポリ塩化ビニル製の人形を「消しゴム人形」と呼ぶのが一般的となったが、この類のおもちゃ自体はキン消し以前から普通にあったようだ。

カリスマ歌手もハマっていたたまごっち。1996

 『たまごっち』は1996年の年末商戦用であった、主に女子高校生をメインターゲットとしたバンダイの新商品であった。
携帯品サイズの画面に映ったたまごっちなるキャラクターを、餌やりや糞の処理をしたりして育てていくというもの。

 たまごっちはコミュニケーションの取り方により機嫌が変わり、ある程度してから、育て方に応じて「~っち」という名称の様々な新キャラクターに変身する。
また、たまご+ウォッチ(時計)という名前由来通りに、普通に時計としても使える。

 たまごっちは、1990年代に流行っていた(キーホルダーサイズの)携帯ゲームとしては後発な方でありながら、値段は高めであった(中国製の半導体を使ったものが1000円以下で売られていたのに対し、たまごっちは1980円だった)。
にも関わらずたまごっちは、本来のターゲット以外も含め、玩具として異例の大ヒットを記録。

 ブームの火付け役は諸説あるが、当時、日本の若い女性たちの間でカリスマ的な存在であったという歌手の安室奈美恵あむろなみえが、テレビで、「たまごっちにハマっている」と発言したことが、ひとつの転機だったのでないかと考えられている。

 また、この頃に一般に浸透し始めたネットの影響も大きかったと考えられる。
従来のメーカー側が出したい時に出す。 宣伝方法とは異なり、口コミで勝手に広がるネットによって、たまごっちは予想外すぎるヒットを記録したというわけである。

 当然のように、爆発したたまごっちの人気にメーカーの生産は追いつかず、特に希少とされ人気であった白色のたまごっちなどオークションで普通に数万がついたという。

 あまりに流行りすぎて、たまごっちを目的とした恐喝や詐欺が社会問題となり、品切れ状態が続きすぎたことについて、メーカーは異例の謝罪広告までだした。

 そしてこれほどの大ヒットに関わらず、あまりに予想外すぎる事態に、 とにかく必死で、在庫を大量に生産し続けたバンダイは、結果、ブームが落ち着いた後に、それらの在庫を大量に抱え込むはめになってしまった。
そこで「たまごっちは失敗であった」という意見まであるほどだという。

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