宇宙国家の戦いと政治的戦略
『銀河英雄伝説』は全10巻のSFシリーズ。アニメ化もされていて、少なくとも日本においては、普段はあまりSFに興味ない者たちの間でもかなり知名度高い。
大まかな内容としては、長く続いてきた銀河帝国と自由惑星同盟の戦争と、中立あるいは第三勢力的なフェザーン星系の政治的な策略などを背景に、様々なキャラクターの戦いや成長が描かれる、というようなもの。
『銀河英雄伝説』
SFとしては、アイザック・アシモフ(Isaac Asimov。1920~1992)の『ファウンデーション』シリーズの影響を受けている、という話も聞いたことあるが、そんな感じも確かにある。
ファウンデーションは、銀河帝国崩壊後の知的生物としての人類の長い暗黒時代をどうにか縮小するための歴史操作の物語とも言えるだろう。作中での多くの危機の中には、帝国の衰退の未来を認めない者たちとの戦争や、政治的関わりも描かれている。
多分、この銀河英雄伝説という作品は、その戦争や政治の部分(パート)を拾って、大長編にしてみたというような。
「ファウンデーション」銀河帝国の衰退と復活への道しるべ。セルダンプラン
宇宙版の三国志演技か
しかし、一般的には大作SFとして名高い(と思う)このシリーズだが、個人的には、(特に世界観的に)純粋なSFとしての面白さはかなり微妙。
内容的に、(例えばファウンデーションよりもずっとわかりやすい)三国志(三国志演義)の影響がかなりあると思う(そうでないのだとしても類似要素がかなり多いと思う)のだが、むしろ未来の宇宙が舞台になっているだけの三国志的戦記もの、というような印象も強い。
現代どころか、過去であったような戦争の物語を参考に、というよりむしろ、そのような戦争物語の、背景設定とかキャラクターを変えたIF的な作。加えて、「時代が変わっても、愚かな人間の本質は変わらないかもしれない」というようなテーマも感じれる。そんな訳で、科学テクノロジーは明らかに発達しているというのに、 というかテクノロジーだけが発達していて、人間社会に関してはほとんど何も変わっていないというような世界観。
ようするに、そもそも未来の世界とか、宇宙を舞台にする意味が薄い。
ただ、世界観が文字通りに背景的な、言わば人間ドラマに特化した作品とも思える。あまり宇宙に興味ない人でも楽しみやすい宇宙小説、とも言えるかもしれない。
戦いを好む知的生物。矛盾だらけの人間の世界
では、SFでなく戦争の物語としてどうかと言うと、つまり三国志的な物語のだから、三国志が好きな人にはオススメできるような感じ、とは言えると思う(もちろん三国志の人気を考えれば、このこの小説を好む人が多いのも納得しやすい)。
ただし作中での戦略の多くは(特に、自由同盟側の主人公と言えるヤン・ウェイリーなどは、 実際にそういうのを参考にしているという設定なので必然的に)、歴史上(この物語の世界観においては昔の地球)で強力に機能したとされている戦術が使い回されているので、見方によっては、いわゆる知識チート的な感じに読めなくもない。
戦争の正当性や、平和をどう考えるべきか。個人の自由と、組織の必要性。誰かの正義と対立する正義。
そして、戦争において、英雄を崇拝する大衆。悲惨な運命に出会い、悩む者たち。 時には、多くの犠牲と痛みを伴う、人間の欲望とか野心、夢。
ここには、戦いを好む知的生物というステレオタイプの人間のイメージが、戦争の物語を介してはっきりと示されているのはまず間違いない。
歴史は本当に繰り返すか
まず、普通、人間自身の性質というか、文化や社会の体制などをあまり変えずに、(この作のように)ほんの数千年程度で銀河系内の多くを支配しているというのは、やはり「人間はテクノロジーや世界がどういう方向に向かっても、結局は本質的に人間らしい部分があって、そこを変えることが難しい」というような悲観的な見方を思わせる。あるいは、性格変えなくても、人類はこれからも素早く発展していけるだろう、というような楽観論もありうるか。
しかし実際のところ、歴史が繰り返すというのは、どういうことか。それがある特定の過ち(あるいは過ちに繋がるような何らかの出来事)を繰り返すというようなことならば、その何かを起こす性質が、歴史の中で普遍的に存在しているということになると思う。
しかし生物は、明らかに長い時間をかければ、変化する。
変化によって得られるものも失われるものもあるだろう。にも関わらず普遍的な要素というものが本当にあるだろうか。
歴史の繰り返しから抜け出せるようなくらいに人間の性質を失ったものは、もう人間でない。と考えることもできるかもしれない。だがそうなってくると、そもそも人間とは何か。
また、たいてい知的生物の未来のことを考える時に、問題となってくるのが、テクノロジーによる変化速度の加速。 特にこの小説は、数千年で銀河国家を作るくらいに、テクノロジーがすごい。
(実際のところ、数千年というよりも数百年で言った方が正しいかもしれない。まず『西暦二八〇一年、太陽系第三惑星地球からアルデバラン系第三惑星テオリアに政治的統一の中枢を遷し、銀河連邦の成立を宣言した人類は、同年を宇宙暦一年と改元し、銀河系の深奥部と辺境部に向かってあ くなき膨張を開始した』というような設定であるから。ちにみに、西暦二七〇〇年代の戦乱や無秩序は発展を停滞させていたとも。また、 宇宙の領土を広めるのに重要であったテクノロジーとして、”亜空間跳躍航法”、”重力制御”、”慣性制御”の3つが挙げられている)
「特殊相対性理論と一般相対性理論」違いあう感覚で成り立つ宇宙
しかし、それこそ人類の歴史を参考にするというのなら、テクノロジーの発展は社会の体制への影響が大きい。これは逆にも言える。例えば多くの頭脳が協力できる立場にあるならば、多分テクノロジーの発展を意図的に加速させられる。
戦争はどうだろう。これは現実がどうとかじゃなく、この小説の中でもたびたび語られているのだが、「それは社会の弱体化を招く」。だがそうだとすると、やはりこの世界観は奇妙じゃなかろうか。
もっとも、例えば武器に応用できるようなテクノロジーの発展は、戦争によって加速することもあるだろう。それに戦争の招く弱体化とは、つまり全体の弱体化で、部分的な結束力などはむしろ強化するファクター(因子)になりうるかもしれない。
しかし、それならまたそれで、 武器よりも戦術を重視しているようなこの作品の戦争の考え方をどう見るのがよいのか。
むしろ、人類を全滅させかけた核戦争の結果として、核分裂兵器が全廃された。という話があるのが、 この世界観において特に興味深いかもしれない。
「巨人の星シリーズ」どこか楽観的、地球外生物ガニメアンとの友情SF
いくらかSFガジェットに関して
この作品の、特に世界観に関して、SFとしての面白みは微妙とは言ったが、むしろだからこそな興味深さもあるかもしれない。
銀河帝国の優生学
銀河連邦を崩壊させ、新たに立ち上げられた銀河帝国の初代皇帝ルドルフ。彼自身が理想としていた、強力な指導者の名の下に徹底的に管理されている社会。その理想と関連している、帝国暦九年に発布された「劣悪遺伝子排除法」。
それはつまり「宇宙の摂理は弱肉強食、適者生存、優勝劣敗」という、いわゆる優生学的な考えを参考とした、社会の成員としての人間の選別、間引き。
人類の永遠の繁栄のため、生物種としての人類を弱めてしまう悪い要素の排除計画だ。悪い人間とは、 人間の世界の中で 足手まとい となるような存在 資源 ばかり 消費して利益を生み出さないような存在、ここでは、身体障害者や貧困層とされる。「断種の強制と、精神障害者の安楽死、弱者救済の社会政策の全廃」と(しっかり、それは『西暦二〇世紀から二一世紀にかけての社会ダーウィニズム』の影響というような説明もある)
別に、今現在の我々が言う意味での優生学(社会ダーウィニズム)の誕生を待たずとも、 役立たない者(これは弱者ではなく、例えば他の者に害を及ぼす犯罪者とかの場合も多い)を徹底的に排除しようというような政治のやり方は、 少なくとも人間の文明の歴史の中ではかなり古くからのスタンダードと思う(ルドルフがまさにそういう存在というような設定と思われるが、いわゆる遺伝決定論的な考え方をする者が、そのような政治の方法を取ろうと考えた場合、結果的には次世代の調整という方向に向かうというのは、特におかしな流れでないだろう)
だがこれを、銀河帝国というかなり広い範囲を一つの国としてまとめた巨大共同体で行うことは、地球の中での 1つの地域の国で行ったりする そういう方法よりも、いくらか、少なくともそれを行う者たち の感覚的には、有効的だったりするだろうか。
しかし普通に考えるなら、 この世界観では、生物学に関するテクノロジーのレベルは、現代とそこまで変わっていないかもしれない、という印象すら受けるかもしれない。
仮に、人間に悪い遺伝子というものが本当に存在していて、それを排除しようという考えが強い影響力を持ったとする。だがそれを行う手段が、悪い遺伝子を持っていると思われるものに 子供を産ませない(断種にしても、殺すにしても、つまりそういうことだろう)というようなもの。
おそらく生まれてくる子の遺伝子編集とかはできないのだろう。あるいは、何か悪い性質や形質を発生させる遺伝コードを持っている者であっても、物理構造の調整によって、その遺伝コードの影響力を弱めたりとか、悪い性質を変えてしまったりとかも。
しかしもちろんコスト的な問題の可能性もある。
ただ、いくつかの描写は、生物の(今よりも)高度な調整技術の実用化を(微妙だが)示唆してるようにも思う。
例えば「皇帝は一〇年前に皇后を失った……肺炎にかかったのである。ガンは遥かむかしに克服されたが、風邪を病名のリストから追放することは不可能だった」。
つまり人間に害をもたらす微生物より、異常細胞のガンの方が、消すのが容易だった。この「克服した」というのがかなり完全な意味でだというのなら、生物の物理的調整のテクノロジーはかなりのレベルなのではないだろうか。
それとも、あらゆる人間の物理状態に関するデータが徹底的に記録され、どのような症例の時にどういう対応すればいいか、みたいなことが完璧に理解されているだけとか、そういう感じなのだろうか。だとすると、微生物が機能する領域はより広い複雑系と言えるかもしれないから、攻略に時間がかかるのも納得しやすいが。
また、色彩、光熱、音響など外界の刺激から隔離させ、適切な水温に浸からせて、身心のかなり高いリフレッシュ効果を実現するタンク。
人体細胞を活性化させ、自然治癒能力を飛躍的に高め、さらにサイボーグ技術も合わせた治療法など、個体の物理的状況に、外部の影響で対応する方法はかなり発展している感じである。
氷の宇宙船
氷の宇宙船。つまりは、奴隷星系脱出のための、大部分自然産の宇宙船というアイデアは、あまり目立たないこの作品のSF的ガジェット群の中でも、突出して注目すべきものかもしれない。
天然のドライアイス(固体二酸化炭素)が豊富な惑星で、密かに造るドライアイスの宇宙船。自然にできた巨大な塊の中に、動力部と居住部を設けたもの。
宇宙空間は寒く、ドライアイスは気化しない。動力部や居住部からの熱を遮断すれば、宇宙船のボディとして使えるはずと。
宗教への批判精神。地球協会は十字軍か
作中では、少なくともキリスト教は、遠い昔にもう忘れ去られた過去の宗教というように示唆されている。
そして、「地球教会」なる人類の故郷を聖地として崇める宗教が登場する。
しかし「……八世紀も昔に、地球は人類社会の中心であることをやめた。文明のおよぶ範囲が拡がれば、その中心も移動する。歴史がそれを証明している」とは言うものの、宇宙スケールにおいても、同じような流れだろうか。
「十字軍遠征」エルサレムを巡る戦い。国家の目的。世界史への影響
聖地を取り戻すための聖戦と、(作中でも言及されているように)かなり十字軍的なものだが、その狂信者のバカバカしさについての話などは、宗教というもの自体、知的文明にふさわしくないというか、(つまり悪い遺伝子的な)悪いものとしているような。まるで宗教信仰は、無知の証明というような感じの印象すらもある。そのような無知な大衆を思い通りに動かすための道具的な役割も。