サイバーパンク的に考えられる宇宙
ウィリアム・ギブスン(William Ford Gibson)と並び、”サイバーパンク”というジャンルを世に広めた作家として知られ、『ディファレンス・エンジン』では共同執筆者でもあったブルース・スターリング(MichaelBruceSterling)の作品。
ニューロマンサー。ディファレンスエンジン「ウィリアム・ギブソン」
高度なサイバネティックス(機械制御)が、人間と人間の世界というリアルの変化を加速させる未来。生物が昔ながらの意味での生物であることにこだわるような者たちと、テクノロジーによる宇宙の完全コントロール可能性を信じているような機械主義者たち。
『スキズマトリックス』
世界の背景の考え方としては、やはりサイバーパンク的と言えるだろうが、太陽系の資源をめぐる他星系生物との駆け引きなど、昔ながらの宇宙SFの要素も強いと思う。
「制御とは何か」コントロールの工学技術の基礎 「太陽と太陽系の惑星」特徴。現象。地球との関わり。生命体の可能性
機械で計算、制御可能な宇宙というパターン
かつてのバーチャル世界は、共有の難しい妄想世界のようなものだったのかもしれない。
だが、例えば数学的に理解できるシミュレーションを参考に、現実に思い通りの動きを実現させる。そのようなテクノロジーの時点で、宇宙は計算可能な世界かのよう。
もちろん現実のテクノロジーでも、すでにそういうことを考えることは可能だが、これは現実から離れた架空の未来世界であり、そのようなサイバネティックス管理の方法の凄さを、はっきりと実感しやすい。
そして計算可能な世界の中の要素には生物、人間も含まれる。少なくとも含まれている世界で、今のところ宇宙は(物理的には)何も問題はないだろう。
化学物質を使ったコントロール。それはまるで、薬というMOD(改造用データ)を使った、人間の改造のよう。
ただ、哲学的とか神学的とか言われていたような問題を、全く別次元へと変換してしまうかもしれない。「人間性だなんて偽善的なせりふもくそくらえだ。人類なんてもう過去の問題さ。魂なんてもうありゃしないんだ。ただの心の状態だ」
しかし人間を、機械(サイバネティクス)に改造した場合の何者か。生身の肉体を捨てた、永遠に生きると思われる何者かは、もはやただプログラミングがあるだけで、精神とか想像力とかないような(あるように見えても、それは完全に再現機械でしかない)、という考えも示されている。
すっかり調整して、生きるも死ぬも思い通りになるくらいに完全に自分自身という存在をコントロールしているような人間。コントロールできるようなシステムが用意された、あるいはその物理的構造と重ねられた、そういうサイボーグは、もはや哲学的生物としては死んでいるのかもしれない。
「死とは何かの哲学」生物はなぜ死ぬのか。人はなぜ死を恐れるのか
個体としての制御システムに比べた、より大きな共同体システムの制御の難しさも示唆されてるように思う。
人の生きる小世界としての惑星を安定させるための、微生物の利用に関して。
生物のために土という資源を有効利用するためには微生物が必要だが微生物を元々それがなかった環境に持ち込み、(生物機械、道具として)機能させれば機能させるほど、予想できない突然変異が大災害を招く可能性も高まる、というような。
DNAと細胞分裂時のミスコピー「突然変異とは何か?」 「ウイルスとは何か」どこから生まれるのか、生物との違い、自然での役割
強力な武器の考え方
強力な武器の危険と、抑止力としての有用性についての話もある。
小世界の連鎖する大きな世界で、しかし1つの小世界の破滅が、すべての小世界同士、あちこちの全面戦争にもつながるかもしれない。
古くから身近だったとも言えるだろう、生態系の複雑ネットワークも全然管理しきれていないような人間たち。連鎖世界は、言うなれば知的生物が作った複雑世界で、しかも、それを作った生物たち、太陽系世界においての人間たちが、おそらく強すぎるようなバランス。
それで、この小説で語られているような、小さな各世界が、それぞれに世界を崩壊させかねない兵器を有しながら、あえてそれを使うことはない。それを使わず、互いを監視し続けるような方法が、実質的に安全、という考え方も出てくる。
小説「三体」で語られた、暗黒森林理論などは、このような考え方の延長線上のもの、と言えるかもしれない。
「三体」11次元の考察。三重連星の世界観。心に隠された計画。宇宙の最期の時
ポストヒューマンの太陽系という構造世界
太陽系世界が、基本的には人間の文明世界かのよう。しかしそういう世界は人間のものか、地球生物のものか。
ある生物が”所有している”と定義できるような世界の領域があるとして、それはある生物たちの認識で共有されるものでしかないのか、あるいは宇宙全体においてのルールでも設定できるか。
この宇宙には、物理ネットワークと関係ない、精神と呼べるようなものもあるかもしれない。そういう可能性も示唆される。しかしそうではあっても、基本的にはあくまで宇宙や生物の普通の現象について、つまりあらゆる現象に唯物論的な説明を付けられる。そういう世界観において、あくまでも物質世界であるがゆえの、集合構造の避けられない脆さも、描いているようにも思う。
人間はいつから人間でなくなるか
スキズマトリックスとは、「ポストヒューマン(人間後の人間。新人間)の太陽系」とも表現される。分離されながら、しかし統一された世界。
構成的にこの小説は、そのスキズマトリックス、リアルにせよ、バーチャルにせよ、ネットワークにより繋がりが深まったような人類種の、あるいは内部の客を含む全太陽系、未来の多重構造世界(?)形成過程、あるいは初期の考察物語。というようにも言えるかもしれない。
しかし、人間はいつからポストヒューマンか。いつから人間でない人間と言えるようになるのか。
進化は、多くのSFにおいても、(例えば一般的物理原理以上という印象すらあるくらいに)最も普遍的現象として扱われているが、この作品でもそうである。
特定の小惑星の状態変化や、植民地惑星の開拓の難しさなどの話は、自然世界の進化を示唆してるかもしれない。変化する系と時間の経過さえ存在するならば、進化はどこにでも起きる。
それで、〈機械主義者〉と〈工作者〉みたいな、社会の中での党派的なカテゴリー分けはもはや古すぎる(社会だろうが構造世界だろうが、人間の世界も、普遍的な生物世界に乗っかっているようなものかもしれない)。系統分岐(クレード)、血縁子孫分岐が進み、もはや人類は「ただ一つの真の運命」を主張できなくなった。
つまり「人類という種はもう存在していない」というようにも語られる。
しかし、そんな説が正しいとすると、人類の世界という意味での構造世界は危機なはずとも。
コンピューター的な宇宙での謎の時空
また〈投資者〉を名乗る異星生物が、他の星系の生物たちとも関わりがあって、貿易ネットワークの繋ぎのような役割を果たす。
〈投資者〉は、星間飛行以前の歴史を覚えていないくらいに古くからの宇宙種族。強力な恒星船を利用した星系から星系への貿易ルートが、19の星系知的種族を繋げている。しかしとても賢いというより、例えば欲望に非常に忠実なだけとも。
また、描写のあるどの宇宙生物に関しても、 やはり機械制御が可能な物理存在のようで、コンピューター的宇宙の中での要素的。
そして、それに関する様々な議論と並行して、変わりゆく世界。人類が変えようとしている世界は、人類という種の哲学のせい、というような示唆もある。
〈投資者〉は、形而上学的な問題のために新展開に入ろうとしている人類に関して、交易を続けたいと考える自分たち側のリスクの説明もする。人間の変容に巻きこまれるのは恐ろしいから、もしその方向で人類が進み続けるなら、間もなく自分たちは太陽系から去らなければならないだろうと。
つまり「人類の進歩を現在の段階に凍結させようと意図された警告」。分裂した世界に伴う危険をどうにかするための再統一(?)の結果に関しての。
〈投資者〉の恐れる理由の1つには、時空構造に関するものがあるようにも語られる。
「われわれの星間航法を見れば、時空があなたたちの考えていたようなものではないことがわかっただろう……あなたたちがヒルベルト空間とか前連続体の原宇宙とか呼んでいるものの、数学的処理における最近の新展開を考えてみたまえ」
〈投資者〉は、基本的に人間よりも長いスケールで物事を考えているようにも描かれている。人間の変化の影響についても、数百年先とか。
しかし時間の感覚に関しては、ポストヒューマン、あるいはサイバネティックス人類(機械人間)のクレードをどう考えるべきか。