「これが人生さ。いつも思った通りに行くとは限らん。だけど人生を受け入れることは学べる。それ以上だ。相棒」
カツラ職人から水兵へ
18世紀、イギリスとフランスの大規模な戦争の最中。
田舎の村で、カツラ店を営んでいたトマス・ペイン・キッドは、ある日、徴兵され、戦列艦デューク・ウィリアム号の船員となる。
地元の不良集団に怯える日々を送りながら、本物の軍人なんて舞台でしか見たことがなかったようなキッドだが、逆らえぬ運命により、海の兵となってしまった。
そういう場面から、このトマス・ペイン・キッドの物語は始まる。
イギリスの海洋冒険小説
海洋冒険小説というジャンルはイギリスにおいて、どうも、日本でいう時代劇のようなものらしい。このシリーズも、そういう海洋冒険ものの、典型的な1つ。
「イギリスの歴史」王がまとめ、議会が強くしてきた帝国の物語
現在は、海洋冒険ものというと、海賊ものをイメージする人もいるかもしれないが、普通、伝統的なイギリスの海洋冒険ものといえば、海軍が主役。この話もそうである。
これは成り上がりの物語で、徴兵された無知な田舎者が、最初は陸者とバカにされる。しかしその幸運と、海兵としての才能によって、軍の士官となり、 手稲は自分の船を持つ艦長となり、さらに出世街道を突き進んでいく。シリーズが進むたびに、乗り込む船や、主人公の立場の変化も楽しめる。ようするに、これは爽快なサクセスストーリーとも言える。
トマス・ペイン・キッド
作中で描かれるいくつかの事件は、イギリスの海軍史の中で実際にあったものがあり、場合によっては、資料を基に忠実に再現されているらしい。しかし主人公キッドは架空の人物である。ただ、彼が歩むような成り上がりの道は、単にフィクションでなく、さまざまな実例としてのモデルもいたという。
徴兵の現実。本を読める素晴らしさ
無理やり連れて来られただけ。船での仕事なんて一切知らないのに、 簡単な説明書の紙切れ1枚渡されただけで、何もできないことを罵られ、そして船の上から見える陸地を見て、家族と一緒に過ごしてたことを思い出し、ただひたすら、それがもう月の上のことも同じである事を理解し、虚しくなる。
そんなキッドに希望を与えてくれた、先輩船乗りのジョー・ボウヤーとの対話は、1巻前半の見所と思う。ところどころ著者の哲学的なものが垣間見えるこのシリーズだが、ボウヤーが優しく語る希望の話は、その最初。そしてその語りで、彼はキッドに道を示してくれるのである。
このまま運命を呪うだけでは、本当に一生を海の上でこき使われて死んでいくだけ。しかしもし階級を上げて、戦闘などで功績でも立てたら、賞金ももらえるし、実際それで、下っ端水兵から一財産築いた者だっている。
「ジョー、あなたは幼い頃から、この海で生きて、ずっと訓練してきたんだ。けど俺が知ってるのなんて、ただカツラの作り方だけだ」
キッドが、父と一緒に働いていた子供の頃を回想するシーンは、ちょっと泣ける。仕事がいつも上手くいってた訳じゃない。けれどいつでも、家に帰ったら母の温かい食事が待っていた日々。
しかしそんなキッドにジョーは言う。
「そんなこと気にするな。船乗りの魂は誰だって持ってる。ただ眠ってて、起こされるのを待ってるのさ。あんたは足が速いし、目をいつも開けてるし、それに頭もいい」
そして続けた言葉がとても好き。
「あんたには教養がある。そいつは今は、いろんな意味を持ってるんだ。俺だって本が読めたらって考えるよ」
もし、自分があまり賢くないとか、あるいは出来損ないだって思ってて、けれど簡単な本でも読めるなら、彼の言葉はきっと響くと思う。
デカルト、ライプニッツの哲学。一生の友情の始まり
1巻では、後に相棒的存在となる、親友のニコラス・レンジとの出会いも描かれるが、その最初の会話もいい。
ある悲劇に見舞われ、全く自暴自棄となっていたキッドに、手を差し伸べてやったレンジ。ある事情により、誰とも関わらないということを決めていた彼が、しかし似たものを感じていたキッドを見捨てられなかった流れは印象的。
そして、 自分は徴兵されてきたのではないというレンジ。過去に何があったかを聞かれ、説明しようかも彼は迷う。キッドは、デカルトやライプニッツの哲学に通じてはいないだろうから。この世界には、道徳心というもののために生きる人間がいるということを、もし理解されてないなら、それを理解してもらうのは難しいだろうから。
「哲学的な理由からなのだけど」その時は、まだ全てを話せない。しかし辛そうな彼の顔を見て、ただキッドは言うのである。
「辛いことならもう聞かない。この話は終わりにしよう」
そして彼は、また新しい話題を振る。
「その哲学っていうのについて、俺にも教えてほしい」
本当に、生涯の友に出会えるって事は幸運なことと思う。ここでは、とても素敵な友情が描かれている。
1巻の終盤、紆余曲折の末に、命を賭けて脱艦を決意したキッド。永遠の別れとなろう、その旅立ちに協力してくれと頼まれたレンジ。二人で共に逃げたし、しかし、結局は戻り、もう本当に最後だろうと覚悟したところでの、結末への流れもよかった。
そしてレンジは、後の話においても、キッドと互いを助け合い、共に海軍の中で地位を高め、時にはケンカして、しかしよき友人関係を続けていく。
恋愛と別れ
2巻で、キッドが初めて国王陛下と会ったシーン。緊張しすぎて何も話せない彼だったが、しかし彼は満足し、幸せいっぱいになる。何せ、身分も何も関係なく、陸者だった頃の知り合いに、国王陛下に直に自己紹介できた人間なんて、ひとりもいないのだ。
そしてソフィアという王女とのちょっとしたやりとりにドギマギし、それをレンジに自慢して、からかわれるシーン。ここから以降は、キッドはいろいろな女の人と関わり、いろいろな恋愛も体験していく。
王女の名を出され、商売女になびかないよう我慢し、あえてそれをレンジに伝えない。そんな純情な若者だったキッドだが、その裏があまりない性格が、いろいろな女性を魅了し、そして結婚を決意したりもするが、毎度船乗りキッドがキッドの道を行くための足手まといになりたくない的な理由で別れるのがかなり定番。
民族差別。奴隷と宗教
民族差別の問題は、世界中を旅する2巻にすでに取り上げられてるが、3巻からは、奴隷に関する話も増えていく。キッドは、宗教を利用して、アフリカの人種を劣った存在と定義することを嫌う。どちらかと言うと反対よりも奴隷制を擁護する説とかが、実際の歴史の中であった悲劇を実感させる。
さらにシリーズが進み、キッドが人を使う立場になると、彼は自分が 徴兵されたばかりの頃を思い、結局、部下たちのためにも、厳しく振る舞いながら、その優しさのために心を痛めたりもする。
冒険ドラマと海戦シーン
2巻は、開始からすぐに、キッドとレンジが新しく乗る事になったフリゲート艦、アルテミス号と、フランスの船との海戦が描かれる。敵も味方も、少しのことであっさりと死んでいく戦場。しかしキッドはまた、 戦いに勝利するという、喜びも学ぶ。同時に、自分の中にも潜むような、恐ろしいものに怯えもする。
とはいえ2巻も、シリーズ全体でも、戦闘シーンに関しては、比率的なあまり多くないと思う。派手な海戦シーンよりも、未知の土地や文化への冒険や、あまりに早い出世のために入らざるをえなかった貴族社会での苦悩とか、いろいろな恋愛とか、基本的にはドラマがよく描かれる。
海にまつわる様々な伝説
それも1つのリアルであろう。文量的にそれほど多いとは言えないが、いろいろな海賊とか、先住民の文化の伝説、それに加えてシーサーペントやクラーケン、セイレーンのような架空生物の噂話も時に出てくる。もちろんこれはファンタジーではないから、実際にそのような怪物が出てきたりもしない。
しかし実際の、この物語の時代ならば、海にはまだ謎があって、怪物がいることがそこまでの驚きではなかったと思われるから、そう考えると架空の物語としての世界観は、あくまで現代から見た「昔」という感じがするか。
哲学者が夢見た理想の文明
レンジが、自分の知らない様々な文化の哲学に興味を持っていることから、理想の思想、理想の文明、人間の理想の生き方というような議論も多い。キッドは、 そういう話に興味を持っていても 深く好ましい感情を 抱くような自分ではないと分かっていることから友達とのそのような 違いが悩みになったりもする。
例えば2巻では、インドに中国が登場するが、レンジが、中国こそ地球上で最大の文明国だと力説するシーンは印象的。彼曰く、中国という国は古くから歴史があり、その歴史が今の時代にまでちゃんと残って、伝えられてきている。面白いのが、仲間の一人が発した「そんなすごい国なら、なんで中国は世界を征服しないのか」という質問への答であろうか。
レンジは答える。「彼らは真の文明国として、卑しい行動などは全て軽蔑している。だから世界の政府などから身を引いている。そんなつまらないことに手柄をあげる必要、彼らにはない。むしろ外国人というのは、彼らの文明から隔離されてる状態にあると言ってもいい。真に大切な文明を保つためだ」
「そんな頭のおかしい奴らくそっくらえだ」とキッドは怒るが、レンジはさらに言う。「僕は、竜の尻尾を踏むような人間にはなりたくない」
レンジは、この時は中国を、それにその後も、理想の文明を様々な地域に見いだす。そんなものがあると信じているわけである。そしてこの時代の知識人には、そういうものがあると信じてた人が、まだ大勢いたろう。
キッドが強い心を持っていたが無学だった平民とするなら、レンジは教養があるゆえに悩み大き貴族という感じである。