「動物園の歴史」動物コレクション。メナジェリーとは何か?

宮殿動物園

動物園、動物コレクション、メナジェリーの違い

 動物園は、『動物コレクション(Animal collection)』、あるいは『メナジェリー(menagerie)』と呼ばれることもある。

 場合にもよるが、 近代的な研究や教育を目的として作られた動物飼育施設を、動物園(Zoo)と言う。
 動物コレクションは、古くより様々な目的のために存在していた、動物園型の施設。
 そして、メナジェリーは、16世紀から18世紀頃のヨーロッパなどにおいて、権力者が自らの権力をアピールするために作った飼育舎の事である。

 ただし、動物園、動物コレクション、メナジェリー。
これらの用語は、しばしば混同されるという。

古代、中世世界の動物コレクション

自然の一部をやめた人間。共生の終わり

 いつ頃からか、おそらくは紀元前9000〜7000年頃ぐらいに、ティグリス川、ユーフラテス川付近に住む人達が、牧畜や農耕を始めたとされる。

 人類の初期の農耕は、森を伐採し、その土地でしばらく耕作を行ってから、雑草が増えてくると、新しく別の土地で、また農作を始めるというようなものだった。
しかしやがて、川から水を引き、効率よく栽培する技術を発明した者達が、さらに効率性を求め、協力して労働に従事する社会が生まれた。
すなわち、監督される人々と、労働する人達が誕生したのである。

 このような社会が誕生した時に、副産物として、我々の世界と動物の世界という、領域を明確に分けるような思想が発達したとされる。
我々は思想的に、自然から離脱したわけわけである。
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動物コレクションの始まり。権力者の所有物として

 ノスタルジーとでも言おうか。
文明が発達し、ますます社会というものが野生から切り離されるようになると、少し妙な事に、文明人の中には野生へ憧れを抱く者も現れ始めた。
 特に裕福層の者達の間では、特定の動物達を、所有物か美術品のように扱ったりする場合も出てきた。
そういうのが動物コレクションの始まりであろう。

王様とライオン。メソポタミアの動物コレクション

 動物コレクションを築く者が増えてくると、今度は人々は、いかに 多くの動物を所有しているか、珍しい動物を動物を所有しているかを、競い合うようになり始めた。
 多民族との交易品の中に、珍しい動物なども含まれるようになった。
紀元前2000年以上昔のメソポタミア文明にいて、王族達の間で人気が高かった動物はライオンだとされる。
王達は、ライオンを檻や堀で囲い、飼育していた。
 また、インダス文明からはアジア産の動物、エジプト文明からはアフリカ産の動物を、手に入れていた。
王の動物コレクションの中には、ライオンの他に、ゾウ、サイ、サル、ラクダ、ガゼル、シカなどもいたという。

 さらに紀元前7世紀ぐらいのアッシリアの王エサルハドンや、アッシュールバニパルや、センナケリブは、人工的な山岳に、野生動物を住まわせたりしたとされる。
まるで自然公園である。

 メソポタミアの動物コレクションは、かの地が、ペルシア人やギリシア人に征服された後も、征服者達の手によって続けられたという。
紀元前363年頃に、ローマ人がやって来た時も、動物コレクションはまだ存在していたとされる。

神として崇拝された動物。エジプトの動物コレクション

 メソポタミア文明の影響も受け、紀元前3000年くらいに、ナイル川付近で発生したとされるエジプト文明。
このエジプトにおいては、特に牛が神聖な動物とされ、紀元前7000年頃に家畜化されるよりもさらに前から、崇拝の対象となっていたようである。

 またエジプトは、動物の習性を、神々の性質として、神話世界と結びつける傾向にあった。
例えば、イヌ科の動物が遺体を掘り起こして食べてしまうということで、死者の世界の番人であるアヌビスは、犬人間みたいな容姿である。
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 そういうわけでエジプトの動物コレクションは メソポタミアのものよりも俗的な要素が薄いようにも思われる。
エネルギーの神アピスはウシ。
水の神ソベクはワニ。
そういうふうに考えられた動物は、飼育されるのに、専用の宮殿が用意される事すらあったとされる。

 またエジプトでは、狩猟や、時には戦闘の道具として、ハイエナ、ヒョウ、チーター、ライオンなどを飼っていた。
貴族階級は、通常のペットのように、犬や猫を飼っていたというような節もある。

アレクサンドリアの動物園

 エジプトもメソポタミアも、紀元前4世紀頃に、マケドニアのアレクサンドロス大王に征服された。
しかし、動物コレクションの文化は残り、プトレマイオス一世は、アレクサンドリアに大きな動物コレクションを開き、プトレマイオス2世はさらにそれを発展させたと伝えられている。

 当時、哲学者たちの聖地だったアレクサンドリアでは、生物学も発展してたのだろうか。

 またエジプトの動物コレクションに関しては、紀元後の7世紀ぐらいに、イスラム教徒達に支配者層が変わっても、維持されたという。
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商売としての動物飼育の始まり。ギリシャのクジャク

 古代ギリシャの都市国家は、あまり大きな動物コレクションを持つような富や力はなかったとされている。
ただ、動物が飼育されること自体は普通にあった。

 アテネのパルテノン神殿では、大蛇を飼育し、蜜を塗ったケーキを与えていたという。
アイトリアのメレアグロスの神殿では、アフリカ産のホロホロチョウ。
サモスのヘラ神殿では、クジャクが飼育されていた。

 また、政治家ピュリランペスの子デモスは、アテネでクジャクを飼育し、それを見に来た人々から、金を取っていたという。
これが、動物園に関する記録の中で、入場料を取った最初期の例のようである。

生物学の始まり

 ギリシャ人はまた、動物に関してしっかりと学術的に論じていた。
ヒポクラテス(紀元前460〜375)は、生物を陸上動物、水生動物、飛行動物に分類し、アリストテレスはさらに、動物誌という本で、600ぐらいの生物を、より詳細に分類している。
 輸血動物(脊椎動物)か、無血(無脊椎動物)か。
胎生か、卵生か。
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足の数などを基準としているという。
特筆すべきは、アリストテレス(紀元前384〜322)が、クジラを、胎生なのだから、魚よりも我々に近いとしている事であろう。
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闘技場で戦った、ローマの動物達

 ローマの皇帝たちはまた、自らの権威を示すために、大規模の動物コレクションを所有していたされる。

 人気の娯楽であった剣闘士達が戦う円形闘技場において、剣闘士は時に、動物とも戦ったという。
 また、動物同士の戦い。
それに、無防備の犯罪者などを、闘技場に放り込んで、動物達に殺させるという見世物もあったといわれる。

 どうも、午前は動物関連の見世物。
そして午後になると、剣闘士同士の戦いというような、1日がかりのプログラムが組まれていたようである。

 ローマ帝国が膨張するのに合わせて、そういう見世物も派手に、そして残酷になっていき、紀元前後ぐらいの皇帝たちは時に、数百、数千もの動物の大虐殺を、演じさせたりしたとされる。

(エッセー)我々はなんで残酷な事が好きか?

 今は、ゲームや小説や漫画や映画で、気軽に残虐な世界を見ることができる。
そして多くの人が、そういうのが好きである。

 古代ローマの闘技場の話など、我々は聞くと、「なんて残酷なんだ」と思ったりもするが、そう言える立場にあるのか、もはやわからない。
なにせ彼らには、テレビゲームも映画もなかったし、みんなが文字を読めたわけでもないのだ。

ピンジャラポール。インドの生物保護施設

 インドにおいても、紀元前3000年頃の遺跡から、ゾウ、トラ、サイ、スイギュウ、イノシシ、シカなどの彫刻が見つかっているという。

 インドにおいては、釈迦の仏教など、代表的ないくつかの宗教がたいてい殺生を禁じたため、紀元前5世紀以降ぐらいは、スポーツ狩猟などか禁じられたりしている。
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紀元前4〜3世紀頃の王チャンドラグプタなどは、動物を保護する布告も出している。
さらに彼の孫とされるアショーカは、『ピンジャラポール』という、 動物の保護施設を開設したとされる。

 このピンジャラポールに関して、1583年にバーンズというヨーロッパからの旅行者が、そこで飼育された、害虫の大群と、それに餌をやっている飼育員達に、嫌悪感をあらわにしているという。

中国の動物コレクション

 中国では、殷の時代にはすでに動物コレクションが存在していたようである。 殷の玉座「殷王朝」甲骨文字を用いた民族達。保存された歴史の始まり
次の時代である周の文王のものは有名で、壁で囲った土地の中に、様々な種類のシカ、ヤギ、アンテロープ、鳥類、魚などを飼育していたようである。
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 後、漢の時代。
紀元前2世紀頃の武帝は、70の建物を持つ巨大な庭園を有していたという。
そこには、宝石や植物が配置され、様々な動物が飼育されていた。

アステカ帝国の記録。人間の飼育

 中米のアステカ帝国でも、動物コレクションはあったようである。
アステカ王モクテスマ2世が、首都テノチティトランに巨大な動物コレクションを持っているの、スペイン人達は記録している。
 ただしこれに関して、アステカ側の記録はないようである。
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 征服者エルナン・コルテスは、王が保有していた鳥類に関して、あらゆる種類の鳥類が、その種類ごとに合わせた環境で、専門の飼育員達に飼育されている様を記録している。

 アステカの動物コレクションの中には人間もいて、アルビノか、あるいは捕らえられた白人らしき人や、 奇形の者が見世物にされていた。
さらに奇形の者は、その奇形の種類によって、飼育される部屋をわけられていたようである。

 アステカ人はまた、鳥の羽を敷き詰めた壺のような容器に、大量の毒蛇を飼っていて、人間の内臓を餌として与えていたという。
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研究と商売目的のメナジェリー

不思議の部屋

 暗黒時代と言われる、中世を終えたくらいの時代から、特定の地域をそのまま、柵や壁で取り囲んだりもするようになった。
 マクシミリアン2世(1527〜1576)は、ドイツ、バイエルンのエーバースドルフに、ハプスブルク家で、初のメナジェリーを作ったとされている。
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 またオランダでは インド貿易会社を通して、海外から仕入れた様々な動物を輸入し、メナジェリーはもちろん、貴族、あるいは一般の個人にまで、動物が飼われたりもした。
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 また、『不思議の部屋(ヴンダーカンマー)』なる施設も登場した。
これは15世紀のイタリアに由来するとされ、鉱物や動物標本などの、様々な自然物(ナチュラリア)と、民俗学的な珍品など、人工物(アルティフィキアリア)を、並べまくったもの。
その並べられ方は、不思議の部屋という名にふさわしく、かなりデタラメ。
動物の剥製があったかと思えば、彫刻品があり、人形があり、さらには怪しげな植物や、魔術用品なども、特に決まりなく飾られているのだという。
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観賞用に特化した、ヴェルサイユ宮殿のメナジェリー

 ルイ14世(1638〜1715)はベルサイユ宮殿の庭園内にメナジェリーを作らせたようである。
これを設計したのは、建築家のルイ・ル・ヴォー(1612〜1670)で、 完成したのは1664年だという。
このベルサイユ宮殿のメナジェリーは、当時としては斬新な、動物を集中配置して、観賞用に特化させたものだった。

一般公開された、シェーンブルン宮殿のメナジェリー

 また、有名な女帝、マリア・テレジア(1717〜1780)の、影の薄い夫とされやすい、神聖ローマ皇帝フランツ一世(1708〜1765)は、 動物に深い関心があり、ウィーンの、シェーンブルン宮殿の改装工事に際して、建築家ジャン・ニコラ・ジャド・ド・ヴィリゼ(1710〜1761)に、メナジェリーを建設させたという。
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 このメナジェリーは、フランツ一世が「地上の楽園」を目指していた事から、基本的に草食動物ばかりだったようである

 夫とは違い、マリア・テレジアは、あまり動物に関心がなく、メナジェリーの建設には、ほとんど関わっていないとされる。
しかし彼女は、1778年に、シェーンブルン宮殿の全施設を一般公開した。
この公開が、それまでは基本的に、特権階級の人達だけのものだったメナジェリーを、庶民が楽しめる動物園へと変えた、大きなきっかけであったとされる。

 シェーンブルンのメナジェリーは、日曜日の9時から18時までが開園時間だった。
上品な服を着た者ならば、誰でも入る事が出来たという。
動物達に物を投げたりしないように、というただし書きもされていた。
 この公開されたシェーンブルン宮殿は、たちまちに大盛況になったという。

飼育動物達を使った研究

 メナジェリーも、かつての動物コレクションのように、権力者の権威を示すためというような目的もあったが、学者達によって、動物の研究に役立てられることもあった。

 ジャン・ペケ(1622〜1674)やクロード・ペロー(1613〜1688)を中心として、パリの王立科学アカデミーは、 ベルサイユ宮殿のメナジェリーの動物たちに 関して研究を行ったという。
彼らの研究は、詳細に記録されたものの中では、「動物園を学問的に利用した、最初のプロジェクト」とされる。
 プロジェクト参加者である童話集で有名なシャルル・ペローの兄であるクロード・ペローは、 1667年にライオンの解剖を行い、これが犬より、猫に近い事を示したりした。

商売人達の巡回メナジェリー

 不思議の部屋の人気が落ち目とかっていた17世紀〜18世紀くらいにかけては、『巡回メナジェリー』が登場した。
 不思議の部屋の人気が落ちてきていた理由の一つは、珍しい動物や奇形の動物を見世物にする、路上パフォーマンスが増えてきた為であるようだ。
そういうのに対して、巡回メナジェリーは、珍しい動物を大量に引き連れて、人々の教育のため、と称していたという。

 巡回メナジェリーは特に商売職が強く、ヨーロッパの多くの地域で人気高く、料金も、庶民のための格安料金とか、子供料金とか、学生割引とか、いろいろ工夫されていた。
また、リピーターのための複数回入場券すらあったとされる。
それに当然、一つの地域から去る頃には、値段を下げて、最後の一稼ぎをするということも、あったようだ。

近代動物園文化の発生

リンネの新しい生物分類

 近世以降の動物園というのは、一箇所に動物を集め、飼育したり研究を行ったり、珍しい動物を飼うことをステータスとする、王立メナジェリーの特徴。
宣伝や、様々のイベントで集客を図るという、巡回メナジェリーの特徴。
それらの両方を受け継いでいる。

 また動物園は、動物達の配置が、不思議の部屋などとは決定的に違い、デタラメでなく、権力者の好みにもよらない。
リンネ(1707〜1778)が始めたような分類に従って、動物達は適切にわけられる事も多かった。

 また動物園は、動物の量自体はあまり重視されない。
それよりも、多くの種類が、オスとメスそれぞれ一匹ずつは飼われていることが重視される。

世界最初の動物園。ジャルダン・デ・プラント

 世界初の近代動物園とされているのは、18世紀後半、フランス革命の最中に誕生したとされる、ジャルダン・デ・プラントの動物園である。
ここは本来、薬草の研究のために建設された、ジャルダン・ロワイアル・デ・プラント(王立植物園)であったという。
しかし1728年以降、王から独立し、小さな博物館も備えるようになった。

 施設を率いていたのは、リンネと同じく分類学の誕生に大きく貢献したとされている、ビュフォン(1707〜1788)で、 彼はここを 様々な分野の学者が働く科学センターへと発展させたとされる。
そして、フランス革命の後、ヴェルサイユ宮殿のメナジェリーが解体されて、そこで飼育されていた動物達が、ここに移されたのである。

 ジャルダン・デ・プラントの、まったく新しい動物施設は、「新たな自由国家と、新しい科学意識の象徴として」というコンセプトで作られた
そうして建設された、おそらくは世界最初の動物園は、大規模かつ丸で 迷路のように、入り組んだ道で構成されたものだったようだ。
これはきっちりとした中央集権的なデザインは、従来のような王のメナジェリーを思わせるとして、避けられたためである。

解説付きラベルを始めたロンドン動物園

 1826年に開園されたロンドン動物園は、後に先駆的な施設をいくつも追加していった。
 1849年には爬虫類館。
ヘビと餅「ヘビ」大嫌いとされる哀れな爬虫類の進化と生態
1853年には大衆向け水族館。
1881年には昆虫館を完成させた。
虫取り網「昆虫」最強の生物。最初の飛行動物
さらには、解説付きラベルなど、動物園をより教育的なものへと変えた。

人間を展示した動物園。ハーゲンベックの民族展

 ジャルダン・デ・プラントやロンドン動物園のような、ヨーロッパで誕生した動物園は、やがて世界中に広がり、今に至っている。

 しかし今となっては、もう存在していないものがある。
それは、人間を飼育した動物園である。
かつては、僻地に住む珍しい民族の者を連れてきて、民族展などと称し、動物園などに展示する事があったのだ。

 人間を見世物にするというのは、別に古くは普通にあったことだが、人間動物園というのは、そんなに大昔の話ではない。
それを始めたと自称したハーゲンベック(1844〜1913)という商人は、 19世紀から20世紀の人である。

 ただ民族展は、どちらかというと、遠くから連れてきた民族に、パフォーマンスさせたりする、動物園というより、古代ローマの剣闘のような見世物だった節もある。
 故郷から離されて鬱状態となり、仕方なく送り返される者もいたという。
もちろん病気などで死ぬ者も多かった。

 人間動物園は、当時かなり人気があったようで、ためらいつつも 、金のために、民族展用エリアを用意する動物園も多かったようだ。

 まだハーゲンベックという人は、世界のどこかにまだ恐竜が生き残っていると考え、それを捕まえて、展示することも夢見ていたようである。
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