「カフカ」城、変身、奇妙な生物、神話の秘密の話

 測量技師を自称する主人公のKが、とある城に雇われた、はずなのだが、しかしいつまでもその城に入れないという話が、延々と続けられるような、未完らしい長編小説。

 世に知られるカフカの作品の中ではかなり長い方で、非現実の現実というような、妙な雰囲気が作品全体を貫いている。しかし個人的には、興味深い描写の数で言えば、この長さの、このような文学作品にしては、それほど多いとは思わない。

2人の人間を1つとして扱う

 昔っからの助手として紹介された2人との会話

「どうやって君らを区別するか。違ってるのは名前だけのようだよ」
「多くの人は私たちを区別できます」
「もちろんそうだろう、私自身それを見ている。だがこの目では君たちを見分けられない。だから、私は君たちをただ1人の人間のように扱おう。2人ともアルトゥールと呼ぶ。君たちの片方はそういう名前だったはず。多分君の方だろう」と指差した方は答える「違います。私はイェレミーアス」
「まあどっちだっていいよ。私は君たち2人をアルトゥールと呼ぶ。私が何か仕事を与えたら、君たち2人がそれをやる。君たちを違った仕事に使えないのは不便かもしれないが、2人の区別なしで責任を負ってもらえるのは利点だ。仕事の割り振りとかはどうでもいい。ただ君たちは私にとっては1人の人間だ。そのつもりで」
もちろん2人は、 「そんなことは不愉快だ」と言うし、Kも、「それは承知しているよ」と返す。

 2人の人間を1つとして扱う、絶対にそう扱うというような、このような流れは、物語的と言えばいいのか。あるいは(この世界観の中で)奇妙といえばいいのか。

電話というもの

 カフカの作品に出てくる、近代以降の発明品は、 その作風のためもあるのか、何か妙に現実世界感を強調しているような感じに思える。
この作品においては、特に電話が目立っているような印象。

「私はこの電話というものはあまり信用していません。城の中で経験したり獲得したりすることだけが、本当の意味を持つのだといつでも考えていました」

まるで戦いかゲームの物語

「私は城にかなりの良い友達を持っているわけですね。測量技師を呼ぶと思いついたのは、私に対する好意の行為。そして好意の行為が重なり、最後には、なるほど酷い結末、私はおびき寄せられ、そして追っ払うぞと脅されるわけです」

 Kはいつまでも城に入れない。しかしどうなかしようとするのは、まるで戦いかゲームの物語である。
閉鎖環境に閉じ込められたものが脱出をどうにかという話はいくつもあるだろうが、これは閉鎖されている城にどうにか入ろうと考える話だ。

変身

 主人公であるグレゴールが、朝、目覚めると突然巨大な毒虫に変身してしまっていた、というかなり唐突な問題から始まる、短めな話。

 巨大な虫になってしまったグレゴールは、しかし、 家族と直接的な意思疎通をすることができない。それは本当にただの虫で、何かの妄想が、未知の原理で発生してしまったというような感じの印象もある。

人間であることを忘れてしまうこと

 人間のような手足はなく、小さな足がたくさんあるというその体にも慣れて、ひと月以上も経って、暇つぶしの這い回りも盛んになり、妹は、部屋からいろいろな家具とかは取ってあげた方がいいのかもと考える。
両親よりも妹の方が、変身してしまったグレゴールの姿にすぐに慣れて、以前は役立たずと呼ばれていた彼女がすごく頼られたりもしていた。
しかし妹も、家具を運び出すことは1人ではできないが、父親やメイドには頼れず、母親を頼ることにする。
自分の姿を見せないため、自分の方が母の姿を見ることも断念して隠れるグレゴール。母は言う。
「やっぱり家具はそのままにしておいた方がいいんじゃないかしら。グレゴールだって、家具を片づけてしまうのを喜んでくれるかどうか。私は逆じゃないかって気がするの。グレゴールだって、昔から部屋の家具に馴染んでいるんだから。部屋が空っぽになっちゃったら、見捨てられたように感じるんじゃないかしら」
おそらくグレゴールがその部屋にいるのかどうかすら実際にはわかっておらず、そしているとしても、彼はもう言葉を理解できないものと思い込んでもいた母は、言葉の響きを彼に聞かせたくないと思っているかのように、小さな声でさらに話す。
「やっぱり、家具を運び取ってしまったら、まるであの子がよくなる希望を私たちがすっかり捨てて、あの子の気持ちも考えずに、ほったらかしておくことを決めた、と見せつけるようなものじゃない。やっぱりこの部屋は元通りにしておくのが一番で、そうすればクレゴールがまた私たちのところへ戻ってきても、何も変わっていないのがわかって、それだけあっさり、こんな日々を忘れられないかって思うの」
母の声を聞いたグレゴールは、むしろ自分はなぜ、ひたすら這いずり回れるようなだだっ広いだけの部屋空間を本気で望んでいたりしたのだろうか、と自分で驚く。そして、母のおかげで正気に戻れた彼は、自分はもしかして人間の過去をさっさと忘れようとしてしまっていたのではないか、とも考える。

 グレゴールは明らかに虫になっている。なぜそんなことになってしまったのかは作中で語られないが、とにかくそうなってしまったのが彼の運命であって、そして彼自身も、自分が元々人間だったことさえ忘れそうになっている。
何者かに変わってしまった後で、自分がもともとそういう存在ではなかった、という事実を信じ続けることはどれくらい可能なのだろうか。

それが虫だと認めてみること

 終盤には、もうどしようもなく、怒りや否定の言葉も出てくる。
「もうおしまい。私もう、こんな怪獣みたいなものの前で、兄さんだなんて、口にしたくないから、こんな言い方するしかないけど、もう私たち、これはお払い箱にするべきよ。これの世話して、我慢して、私たち、人間としてできる限りのことはやってきたし、誰だって後ろ指なんて指せないわ」
母親は咳がひどく、聞くこともなかなかできない。
「あいつが言葉さえわかってくれればな。そしたら話の折り合いをつけることだって」と父親。
妹はさらに叫ぶ。
「これを処分するしかない。唯一の手段。これがグレゴール兄さんだなんて考えはお払い箱にすべき。私たち長いことそう信じてきたけど、それこそそもそも私たちの不幸だったのよ。だってそもそも、なぜこんなのがグレゴール兄さんだなんて考えられるの。これが兄さんから、人間とこんな獣との共同生活なんかできっこないと悟って、さっさと出て行ってるわ。そしたら、兄さんはいなくなるけど、私たちは生き延びれるし、兄さんとの思い出も残る。ところがこの獣ときたら、こうやって私たちを追いまわし、客だって追い出してしまう。きっとこの家を占領して、私たちを路頭に迷わすつもりなのよ」

 悲劇の場面だが、しかし虫がグレゴールであることが、何かの間違いかもしれないというのは、最初からありえた推測だろう。
 むしろ、この物語において、特に不可思議なところは、その巨大な虫が、彼が変身した姿であるということが、1ヶ月以上も信じ続けられたことかもしれない。ここでどうしようもなく出てくる疑問は、やはり、この虫がもしも家族にとって迷惑な出来事を誘発しない存在だったなら、この虫はいつまでも、変身した彼として扱われただろうか、というものだろう。

断食芸人

 断食を続けるが、周囲からは怪しいという声もわりとあがっている断食芸人が断食をし続けて……、というだけの話といえばそれまでだが、しかし結末、というか断食の理由はなかなか興味深い(意外性がある訳ではない)。
たいていの人が当たり前に有していて、生きることに不可欠かもしれないものでも、持っていない人はいて、そしてだからこそ彼は苦しむ。それは、それでも彼にとっては楽な道なのかもと、推測もできよう。

雑種

 半分はネコ、半分はヒツジという変なやつ、雑種の小話。
 どういうわけだか、それは父から譲られたらしい。しかし変な具合になりだしたのは譲り受けた後。

 頭と爪はネコ、胴体と大きさはヒツジ、最初はヒツジ感が強かったという。
光っている目、しなやかな毛並み。忍び歩きも、飛び跳ねるのも上手。日当たりのいい場所に寝そべっている時は、背中を丸めて喉を鳴らす。野原に出ると駆けまくり、捕まえるのも一苦労。強そうなネコからは逃げるが、大人しそうな子ヒツジには襲いかかる。
月が綺麗な夜に、屋根の庇をのそのそ歩くのが好き。ネコのようには鳴けない。ネズミにしり込みする。大好物は甘いミルク、牙で噛み締めるようにゆっくり飲む。そして子供の人気者。
子供たちは、「どうしてこんな変な動物がいるのか」とか「どうしておじさんと一緒にいるのか」とか「以前にもこんな動物がいたか」とか「死んでしまったらどうなるのか」とか、いろんな質問を投げかけてくるが、答えるのは難しい。

 この生物は、ネコとヒツジ2体分の感情を持っているような感じもある。そして物語の語り手は、こいつを喜ばせるためには……と必要なものを思いつくが、せっかくだから、あるいはやっぱり可哀想だからか、そいつが生きてる間には、そんなもの使わないと決める。

父の気がかり

 非常に謎な生物、オドラデクが登場する話。だがこのタイトルに加え、作中で、語り手が「孫の代にはいったいどうなっているのだろうか」と心配する描写などが、非常に興味深い。

 その名前はスラブ語か、あるいはスラブ語に影響を受けたドイツ語という説がある。だがどちらの説も大した根拠はないという。そしてどちらにしても意味は不明。
オドラデクは平べったい星型。古い感じで、色や種類は様々な糸が、糸巻きのごとく巻きついていて、かなり適当につなぎ合わせているような感じ。星状の真ん中からは小さな棒が突き出ていて、それと直角に棒がもう1本付いている。オドラデクはその棒と、星型のとんがりの1つを2本足として立っている。しかし立っているだけ。
今でこそ役立たずだが、かつてはちゃんとした、何らかの道具の形をしていた。とも思いたくなるが、別にそうだという根拠がある訳でもない。

 目を離してる間に、屋根裏にいたと思うと、階段にいたり、廊下にいたかと思うと、玄関に行たたり。何ヶ月も姿を見せないこともあれば、ドアを開けてみた時に階段の手すりによっかかっていたりすることもある。
つまりオドラデクは自力でわりと動ける。

 名前を聞くと、「オドラデク」。どこに住んでいるかを聞くと「わからない」と答える。
つまりオドラデクは、人の言葉を理解できる。

 オドラデクの笑いは、落ち葉がかさこそと鳴るような感じ。一方で黙り込んでいる時は、それはもう植物のごときで、そして冷静に見てみると、オドラデク自体が木でできているようにも見える。

 死にゆくものは誰だって、生きてる間に目的を持ち、いろいろとがんばることで命をすり減らす。だがオドラデクはそうではない。
個人的には、タイトルや思わせぶりな描写にも関わらず、このオドラデクと語り手との関係は、あまり素直でない解釈をできる余地をわりと残してると思う

中年のひとり者ブルームフェルト

 いつでも側にいて、しかしあまり手がかかりもしない。場合によっては締め出しをくらっても文句を言わない、しかし望む時には 跳びついてくれたりする。そういう生き物を求めるブルームフェルトという人のもとに、誰かが糸で操っているかのような、2つの動くボールが出現。
家でいつでも動き、音をたてるようなその2つのボールのために悩まされるという話。

 ブルームフェルトは、最初にボールを見たのではなく、ドアを開ける前に、いつからか部屋にいたそれらの立てる音を聞く。
彼が聞いて、そしてそのために見た幻想のような印象もある。しかしそうだとしても、実際に見たボールは、青い模様入りの、小さな白いセルロイドと、現実に現れる特徴がはっきり示されている。しかも決まった法則で動いているらしいとかでなく、気ままに動いている。つまり生物として考えやすいような描写がある。
捕まえようとするとボールは逃げてしまう。しかし絶対に捕まえるのが無理というわけではなく、ブルースフェルトはボールの1つを部屋の隅に追い詰めて、あっさり捕まえている。手にしてみると、それはひんやりと冷たい。もう1つのボールも、それから、捕まったボールを助けようとしているか、あるいは自分は捕まらないようにしているのか、動くパターンを変えたりして、ますます生き物っぽい。

 しかし作中の途中で、子供にあげることでボールを自分から去らせようとするが、後半は職場での話になって、ボールに関する話はすっかり触れられなくなってしまう。

町の紋章

 バベルの塔を題材としているが、これが、実際に聖書で語られたりしているような伝説を描いた話なのか、あるいはもっと比喩的な意味なのかは不明。
「旧約聖書」創造神とイスラエルの民の記録、伝説  建設は非常に重要だったが、天まで届く塔というのは、目標としては大きすぎ、実現できるとしてもかなりの時間がかかる。その問題点を語っているだけのような作品。
人類の知識は向上するし、建築技術も進歩し続けるだろう。今は1年使う仕事も、100年後には半年ですむかもしれない。だが、だからこそ、そんな何世代も使わないといけないような長い計画は、いつまでも完成の段階へ行けない。
建築計画の場合、後の世代は前の世代が行った方法が気に入らず、それを取り壊して新しく始める可能性も高いから。
この建物が完成することはない。
そしてその町ではいくつも伝説が生まれ、今は予言を待っているとされる。ある時に巨大な拳が現れて、町を木っ端微塵に砕いてしまうという予言。
その破壊をもたらす手とは、神の手なのであろうか。

人魚の沈黙

 これは普通にギリシア神話における有名な話の独自解釈である。
ある時に、英雄オデュッセウスは、自らが率いる船でセイレーン(人魚たち)の海域を越えなければならなくなった。人を誘惑する人魚の歌声を聞かないようにするため、部下の(あるいはさらに自分のも)耳を蝋で塞いで、自分自身も船の柱に縛って、海域を越えたという話。
「イリアス・オデュッセイア」ホメロスの二大叙事詩。ギリシア神話文学源流  ここで人魚たちは、歌よりも強力な武器を持っていた。あるいは人魚たちの歌とはつまり沈黙だったと語られる。
しかしオデュッセウス一行に対して沈黙こそが有効な誘惑だと人魚たちが考えたのか、あるいは単に歌うのを忘れていたのかは謎。
しかし重要なことオデッセイとは沈黙を聞きながらも聞いていなかったということつまり俺自身はその歌声を聞いていないとだからこそ自分安全なのだと思い込んでいたというのである。

 しかしより面白いのは、もうひとつの説のほうだろう。それによるとオデュッセウスは神をも恐れぬ知将であり、人魚の沈黙になど気づいていた。しかし彼はそれを乗り切るために一芝居打ったという訳である。

プロメテウス

 同じギリシア神話における有名な話とはいえ、オデュッセウスのよりかなり古い時代とされるプロメテウスに関する話。

 単に4つの説が語られる。
神々の秘密を人間に明かしたちめに、コーカサスの岩に繋がれ、肝臓をワシに永遠についばまれる罰を負わされた。
または、鋭い嘴で攻撃されるうち、あまりの苦痛に、岩に必死にはりつき、ついには一体化してしまった。
または、何千年も経って彼の裏切り、というか、それに関する何もかも忘れられた。
または、こんな罰いつまで続けたって意味がない、バカバカしいと誰かが気づいて、すべては終わった。

 後には岩だけ残ったというような話。