「コーラン」聖書の記述の再解釈。唯一の神と予言者である人間たち

コーランから追加されたもの

 旧約聖書で記述があるいくつもの謎めいた予言のような言葉 が、すべて神の子キリストのためのものであったとするのが、キリスト教(新約聖書)。だとすれば、イスラム教(コーラン)は、結局は唯一の神がすべてであり、選ばれた特別の民とかなんて存在していない、神(アッラー)は唯一で、後は人間たちとかの世界があるだけ、だから誰でも神だけ崇めるがよい、というような感じだろうか。
新約聖書に比べると、思想的に、やや哲学感が増しているようには思う。

 このコーランという書は、聖書で語られたいろんな物語とか、聖書にこそ載っていないが古くから語り継がれてきたユダヤの伝説とかが、けっこう(時には独自解釈的に)繰り返し語られたりしている。
また、ユダヤ教、キリスト教的な世界観に、新たにアラビア世界の古い神々ともいえる、ジンという存在が追加されている。
ランプの精「ジンの種類とイスラム世界のいくつか」アラビアの怪物たち  そもそも新約聖書のキリストの時点で、旧約聖書で描かれたいろいろ出来事や預言などと、彼との関連付けとか、いろいろ辻褄合わせが強引なところがあるのだが、コーランにおいては、何よりジンの描写がそういう感じである。
イスラム「イスラム教」アッラーの最後の教え、最後の約束

謎の言葉、賢さ信仰、イブリースの描写

──アリフ・ラーム・ミーム。これこそは疑念の余地なき書。

(アッラーは)アーダム(アダム)にすべてのものの名前を教えた後に、それらのものを天使らに示し、言い給うた。
「さあ汝ら、これらのものの名前をわしに言ってみよ」
天使はたちは「畏れおおい。我らはもともと汝が教えてくださったものだけしか存じませぬ」と言うばかり。
(アッラーは)「アーダム、あの者どもに、ものの名前を教えてやればよい」と言い給うた

「ひざまずいてアーダムを拝せよ」と言えば、彼らはすべて跪拝したが、ただひとりイブリースだけはそれを拒み、背信の徒となった──

 コーランの多くの章において、その記述の最初に、アリフ・ラーム・ミームといった、謎めいた言葉が置かれているという。

 元はユダヤの伝説らしい、最初の人間アダムに頭を下げるよう天使たちに命じた神と、ただひとり頭を下げることを拒んだ(サタンとされている)イブリースのエピソードも、コーランの中で何度も語られる。
そのいくつかでは、イブリースは頭を下げなかった理由に関して、「自分は火で造られたから、土から造られた人間より偉いはず」というように語っている。
コーランではまた、火で造られた存在といえばジンのことで、「イブリースも元はジンであった」というような記述もあり、興味深い。
大天使ガブリエル「天使」神の使いたちの種類、階級、役割。七大天使。四大天使。悪魔の炎「悪魔学」邪悪な霊の考察と一覧。サタン、使い魔、ゲニウス  他、明らかにアッラーは、アーダムが知恵を多く持っているから 、天使たちを率いられるのだ、というような言い方をしている。
コーランでは、イスラエルの知恵の王ソロモンに関しても、かなり偉大だった、というような見方をしている印象で、とにかく賢者こそが凄い存在というような主張も感じられる。
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キリスト、ユダヤへの反論

──「キリスト教徒には根拠がない」とユダヤ教徒は言う。ところがキリスト教徒の方では、「ユダヤ人には根拠がない」と言う。ともに聖典を読んでいるくせに

お前たちアッラーのことで我々と言い争いをしようというのか。アッラーは我々の神様でもあれば、お前たちの神様でもあるのを。

あれはみな過ぎた昔の民族の話。彼らは自分で稼いだだけの報いを受けて、汝らは自分で稼いだだけの報いを受ける。他人がしたことの責を、汝らが負わされるような事はありはせぬ──

 唯一の神(アッラー)のみを信仰してないように思える、ユダヤ教やキリスト教に対する批判も、コーランの中にはよく見られる。
傾向的に、ユダヤ教に対しては「唯一の神がお前たちだけのものだと思うな。特別なのは民でなく神だ」。
キリスト教に対しては「キリストは預言者ではあるが、別に神の子とかではない。そもそも唯一の神に子供などいるはずがない、彼は人間にすぎないのだ、神を差し置いて人間を崇めるな」というような反論が多いか。

 しかし実は、かなり初期の頃のイスラム教は、わりとユダヤ、キリスト教を仲間として、自分たちに引き入れようとしたりとか、そういう流れもあったとされる。当然、互いにいろいろな主張が噛み合わず、見事に敵対してしまったわけだが。

禁止されていることと、それに関する慈悲

──されば汝ら、誰でもラマザン月に家におる者は断食せよ。ただしちょうどその時、病気か旅行中ならば、いつか別の時にそれだけの日数。アッラーは汝らになるだけ楽なことを要求なさる。無理を求めはなさらない

断食の夜、汝らが妻と交わることは許してやろうぞ。

食うもよし、飲むもよし、黎明の光りさしそめて、白糸と黒糸の区別がはっきりするようになるまで。しかしその時が来たら、また夜になるまでしっかりと断食を守るのだぞ──

 イスラム教徒は、ラマザン(ラマダン)月と呼ばれる、特別な月に断食をするというのは、かなり有名であろう。
他にコーランに書かれた有名な決まりとしては、例えば女性は家族以外に肌を見せてはいけないとか、 豚肉を食べたりしてはいけないとかがある。
興味深いのは、女性の肌の件以外は、やむをえない場合は、アッラーは許してくださるとフォローが入っていることであろう。
それは、聖書にはあまり見られないような感じの記述である。

女は、男に劣っている存在

──信仰ある女奴隷の方が邪宗徒の女にまさる。たとえ汝らがその女がいかほど気に入っていても。また汝ら女どもも、邪宗徒の男の嫁になるでないぞ。

女というものは汝らの耕作地。だからどうでも好きなように自分の畑に手をつければよい。

元来、女は自分が(夫に対して)なさねばならぬと同じだけのよい待遇を(夫からも)受ける権利がある。とはいえ、やはり男の方が女よりも一段高いことは高いけれど──

 女は男の所有物というような感じの、旧約聖書のいくつかの記述に対し、コーランでは、女も人間であるけれど、しかし男よりは少し劣る存在というような感じの記述が目立っている。
またコーランは、アッラーがムハンマドに告げた内容という感じの記述が多いが、基本的には、汝らと複数を相手にしている。そしてその汝らには、女があまり含まれず、あくまで人間の男たちに語っているような印象も強い。
この辺り、新約聖書との女性という存在に関する扱い、捉え方の違いは、おそらくそれが成立した地域文化の影響が強いのだろうと思われる。

ジンもアッラーが創り給うたもの

──彼らは、アッラーとならべていろいろなジン(妖霊)を崇拝している。あれは元々アッラーの創り給うたものなのに。

(アッラーが)みんな一緒に御前にお召しになるその日(最後の審判の日)、「これ、ジンのやからよ。汝ら、ずいぶん人間を(迷わした)ものだな」と仰ると、人間の中にもあの連中(ジン)の仲良しがいて、「神様、私どもはお互いに利用しあって参りました。そしてとうとうあなたが決めておかれた期限まで来てしまったわけでございます」と言う──

 ジンなる存在の正体は、元々イスラム教が発足する以前に、アラビア地域で信仰されていた古い神々なのだろう、ということはむしろコーランの記述から読み取れる。
しかしどのような宗教でも、その発足した地域の影響を必ず受けてしまっているという辺り、そういうのが作られた概念にすぎないということを、どうしても思わせる。どんな宗教でも、最初にいくらか信者を獲得できなければ、広がることもなく消えてくだけだろうから。

 ジンはしかし、単なる悪霊として考えるには、あまりにも人間と近い感じもする。天使より、むしろ人間に近い存在とすらいえるかもしれない。

古い預言者たちの物語とアレンジ

──汝らの前にも、我らは不義を働いた民族をいくつも絶滅させたことがある。それぞれに使徒がまぎれもない神兆を携えて行ったのに、彼らは信じようとしなかった

ヌーフはいつまでも離れて立っている息子に呼びかけた。
大波が2人の間を裂き、息子はとうとう溺死してしまった

彼らは、どれほど昔の人々の先例(信仰しなかったために滅んでしまった実例)があっても、やはり信仰しようとはしない──

 預言者たちを通して、何度も何度も神の意思を伝えてやったのに、誰も神様を信仰しない、ろくでもない、と説教する記述はコーランの中に多い。

 ノアの洪水の物語とか、まさにそうだが、聖書においては全然細かい描写がされていない話とかに、細かい描写を勝手に付け足しているような感じの記述もわりと見られる。

人間とジンを造った理由

──我ら(アッラー)、人間を造るには、陶土、すなわち黒泥を形どったものを用いたが、ジンどもはそれより以前に燃え盛る炎で造った

人間を一滴の精液から創り給うたお方。
それに家畜類、これは特にお前たちのために創り給うたもの。

夜の徴の方を消し、昼の徴だけ明るくして、お前たちが神様のお恵みを求めるよう、また年の数を知り暦をあみ出せるようにした。

アッラーは約束を反故になさることはない。ただ神様の1日は、お前たちの勘定では1000年にも当るだけのこと

もし我らがその気になれば、お前たち(人間)に天使を産ませて、それを地上の後継ぎにすることもできる。

わし(アッラー)がジンや人間を創ったのは、わしにかしずかせようがため──

 人間、ジン、それに天使に、様々な概念などについて、すべてはアッラーが造ったとしている。しかし、それはその通りなのだとしても、人間から天使を産ませることもできるとか、神や人間を作ったのは自分にかしずかせる(仕えさせ、養ってやる)ためとか、そういう記述はけっこう興味深いかもしれない。

 そして、「アッラーは約束を反故になさることはない」と書いてもいるが、少なくとも聖書などの記述を見る限り、神は約束を反故、するまではいかずとも、反故しようとしたことは何回でもある印象である。

イスラム教的幻想世界

──わしら、天に触ってみたら、なんと、恐ろしい番兵とギラギラ光る星(天使たちが反抗的な悪魔を撃ち落とす流星)でいっぱい。

わしら(ジン一族)も(人間と同じく)正しき者、そうでない者と、いろいろな党派に分かれている──

 神と天使たちが天上で行う会議。それを盗み聞こうとするジンたち、さらには悪魔たち(悪いジンたち?)に盗み聞きされないように、セキュリティとして用意している、ぶつける流星。
ここでは、聖書でもいくらかは記述のある、神や天使たちの天上世界に関する描写の、イスラム教的アレンジが垣間見える。