「フランケンシュタイン」生命体、創造という現象への飽くなき興味

SFの原点の1つとされる怪奇小説

 後世の多くのSFやホラーに、 深い影響を残すことになった19世紀の怪奇小説。
生命体というものへの強すぎる好奇心から、人造生命という怪物を作ってしまった男フランケンシュタインの葛藤と、造られた怪物の悲しき運命を描いている。

 後世の映画作品などの影響から、マッドサイエンティストが作ってしまった怪物をテーマとしたホラーというイメージも強いが、原作の内容はどちらかと言うと、(やはり不気味さは強いものの)知的な雰囲気のSF的作品。
また、この作品をオマージュしている後世の作品では、 怪物ばかりが目立つこともあるが、怪物の生みの親たるフランケンシュタイン博士自身の存在感も、この小説ではかなり強い。

 作者のイギリス人、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley。1797~1851)が、これを書いた当時はまだ20歳前後くらいの女性であることは、(時代を考えると)かなり驚きだとされる場合も多い。
フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale。1820~1910)の時代より少しばかりの前である。
ナイチンゲール「ナイチンゲール」人生と功績。数えきれない世界を救った偉大な看護師

錬金術への影響。科学の影響

 フランケンシュタインは、子供の頃に、コルネリウス・アグリッパ(Heinrich Cornelius Agrippa von Nettesheim。1486~1535)の著作に触れている。また、パラケルスス(Paracelsus。Theophrastus (von) Hohenheim。1493~1541)や、アルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus。1200~1280)といった、錬金術研究者たちの影響も強く受けている。
アグリッパの見ていた湖「コルネリウス・アグリッパ」オカルトの哲学論。不幸な魔術師隠れ家「パラケルスス」錬金術と魔術を用いた医師。賢者の石。四大精霊  フランケンシュタイン自身は、「子どもの頃に、近代の自然科学の教授たちの研究に満足できず、(しかし、それはもしかしたら手引きしてくれる人がいなかったため)各時代の知識の歩みを逆に辿った」と語る。
実験室「原子の発見の歴史」見えないものを研究した人たち電気実験「電気の発見の歴史」電磁気学を築いた人たち  そしてヴォルトマンという教授の「科学というものを教えた昔の教師たちは、できないことを約束したが、何ひとつ完成していない。近代の教師たちはあまり約束をしないし、金属が変質せず、不老不死の薬は妄想だということを知っている。
しかし手は泥をこねるために作られたように見えていて、目は顕微鏡か坩堝を覗くために作られたように見えるこの哲学者たちが、それこそ奇跡を完成した」という、化学の歴史などを語った講義での見事な説明なども、フランケンシュタインを、異端の科学者への道に誘うきっかけとなっている。
錬金術「錬金術」化学の裏側の魔術。ヘルメス思想と賢者の石

生命体という最も興味深い現象

 フランケンシュタインにとって特に興味深い現象の1つは生命体だった。人体のような、生命を授けられたと思われる動物の行動は、その原理はいったいどこから来るのだろうか、ということ。
やがて、自分の知識を駆使することで、生命の創造が可能かもしれないとも気づいた彼は、人間の創造を試みる訳である。
部分的に細かいほど細工時間が長くなってしまうから、人造人間の背丈を普通よりも巨大にした理由付けなどもされている。

人造生命が目覚める

 11月のある夜に、彼はついに、自分のその驚くべき創作品を完成させる。その足元に横たわった生命のないものの周囲に、生命の器具類を集めていた。
冷えかけた薄暗い光で、その造られたものの鈍い黄色の目が開く。荒々しく呼吸し、それは足を引きずるように動かした。
その手足はつりあいが取れていて、顔つきは美しいものを選んでおいたはずだった。だがそれが本当に美しかったか、フランケンシュタイン自身は、わからなくもなっていた。
黄色い皮膚は、筋肉や動脈の働きを紙一重で覆っていて、髪の毛は鮮やかな黒。歯は真珠色がかった白。だが暗褐色を帯びた白の岩窟とほとんど同じように見えるどんよりした目、しなびた肌や、一文字に結んだどす黒い唇などが、恐ろしい対照もなしていた。

それがどれほど恐ろしい存在であったか

 フランケンシュタインは、2年という歳月のほとんどすべてを注ぎ込み、ようやく生命を与えたその何者かに対し、すぐに恐怖を覚えてしまった。
それは最初っからみずほらしい怪物だった。目と呼べるかもわからないような目で物を見て、口を開いて、何かを喋るのだが、訳もわからない。
少し興味深いのは、「ミイラが生き返ってきたって、あいつほどはものすごくないだろう」と、フランケンシュタインは、怪物とミイラを比べている。
その見かけは最初からひどかったが、筋肉と関節が動くようになると、より禍々しくも見えたとしている。それはダンテ(Dante Alighieri。1265~1321)さえも想像できなかったろうと。

創造主と怪物の会話

 話が進むと、フランケンシュタインは、自分の親戚の子が殺されたのが怪物の仕業だと考えたが、彼の行方を知らなかった。
そして再会した時、「 畜生め、来るなら来てみろ。非道な殺し方をされた被害者の仕返しをしてやる」というフランケンシュタインに対し、怪物は普通に喋る。
「こんなことだろうと思っていた。人間はみな不幸なものを憎む。どんな生き物よりもみじめな私が憎まれなくちゃいけないんだ。私を作ったお前は、私を嫌い、殺すつもりでいる。命というものをこんなふうに玩具にしてどうするつもりなんだ? 私に対する義務を果たしてくださいよ、そしたら私も、あんたや他の人間に義務を果たしてやります。しかしあんたが拒絶するなら、まだ残っているあんたの身内の者の血に飽きるまで、死神の胃袋をいっぱいにしてやる」
しかし、怪物は、自分は本当は善良だとも語る。
「お前なんて鬼だ。憎らしい化け物め」と責めるフランケンシュタインに、怪物はさらに返す。
「あんたは私を自分よりも強く作ったけど、私はあんたに敵対するつもりはないんだ。私は本当に作られたものだから。あんたのアダムというところなのだ、だけどどちらかと言うと、悪いこともしないのに喜びを奪われた堕天使だ。あちこちで喜びを目にするが、私だけはいつでもそこから締め出されてしまう。不幸こそが私を鬼にしたのだ。だから私を幸せにしてください、そしたら立派な者になりますから」

怪物自身が語る経験談

 物語の構成として、語り手が時々変更されるのだが、怪物自身が語る話もある。
それは彼が目覚めたときから始まる。
「そもそも初めの瞬間のことはなかなか思い出しにくいが、すべての出来事がごっちゃになっていた。どれがどれだかわからない。同時に見て、感じて、匂いを嗅いだ。様々な感覚の働きを区別できるまでに時間がかかった」

 怪物はいくらかの貧しい人たちと出会い、様々なことを学んだ。本を読むことを学んで、そしてそこから、歴史とかいろいろな文化や宗教なども知った。
怪物は、ギリシア人たちの哲学精神に驚き、アメリカ大陸の原住民の不幸な運命に泣いたりもした。人間は時に恐ろしい悪魔のようになるが、一方で、心ある者に与えられる最高の名誉も知っているような。
彼はまるで人間に近づいているかのようだが、しかし彼は、自分が何者であるかを知らず、造られた存在であることも、そうだとしても造り主についても知らず、しかし自分が、人間とは別の存在であることを知っていた。
おかしな姿を与えられていて、性質的にも人間ではない。人間よりもすばしっこく、粗末な食べ物で生きていける。暑さや寒さにも、人間よりずっと強い

 怪物は、ただ自分は家族を求めているだけだと言う。
みんなからの嫌われ者でしかない。彼が恐ろしい化け物と誰もが認知するが、誰かが彼自身を殺したとしても、誰もそれを殺人とは言わないだろうと。
だからこそ性別の違う自分の同類を、彼は望む。自分の家族になりえるもの。そしてそういうものを造ってくれるなら、どこかの砂漠にでも引っ込んで、もう二度と人間の前に姿を現さない、とまで彼は語る。
その流れで、怪物は自身の生理的情報(食生活)もより詳しく述べている。
「腹が空いたからといって、ヒツジやヤギとかを殺したりすることはありません。ドングリとかイチゴのようなもので、十分に栄養が取れるから」

驚異的な生命力。しかし悪であったのかはわからない

 この怪物の特徴は、その驚異的な生命力にあると思われる。食事に関する件でもそうだが、終盤には、いよいよ、これをどうにかしようと決心したフランケンシュタインから協力を頼まれた、刑事裁判官でもある知事が「追跡には喜んで協力します。しかしその生き物は、わたしの努力などものともしない力を持っているかもしれません。氷の海を横ぎったり、人間のとても入り込めない洞窟や、獣の巣窟にも住むことができるような動物を誰が追いかけられますか」と話している。

 しかし、この怪物が、フランケンシュタインが恐れていたような、本当に恐ろしい、悪の本性を持った存在かどうかは、はっきりとさせている感じはない。フランケンシュタイン自身も、もう1体の花嫁怪物を作るかどうか迷う中で「それがもっと恐ろしい存在だったら」と恐れたりもする。

 後の創作作品などでは、この怪物は純粋な存在であり、フランケンシュタインこそが悪のマッドサイエンティストというような感じで描かれる解釈もよくあるだろう。しかし怪物はともかく、その創造者自身に関しては、狂気というよりも、どうしようもない過ちを犯してしまった、ただの人としての姿が、よく描かれてるように思う。