「虐殺器官」人の残虐性の正体。認識される実体と兵士

残虐性を科学的に見たミリタリーSF

 近未来、コンピューター管理社会の時代における、戦争や虐殺、 殺しあいが日常とも言える兵士の葛藤などを通して、人間という種の残虐性の謎を描いたSF。

 兵士が主人公で、今そこで起きているような戦いが続いていくような構成のため、ミリタリー小説的な雰囲気も強い。
作中では、実際の人名や企業などの名前が出てくる他、作中の登場人物が、語ったり議論したりする内容の多くが、(細かい描写なども考慮したら)わりと現実よりで、実のところSF要素は薄めかもしれない。

言葉と認識

 言葉に対するフェティッシュ、言語愛という話題。
言葉が単なるコミュニケーションツールでなく、リアルな手触りを持つような実体として感じられること。それはまるで、数学者が数式に実在を感じるように、アインシュタインが自らの理論を言葉や理論的な構成が関与しないイメージとして得られたとしていたように。
言葉そのものがイメージとして感じられる。言葉そのものが情景として現れる。脳が認識している個々のリアル。
どんな実体なきものも、実体としてイメージできるか。そしてすべてを言葉として認識する者は、逆に実体を明確に認識できないかもしれないが、だからこそ冷徹にもなれるか。

 そして個々のリアルのためによる行動、リアルに与える影響が連鎖し、人間の世界は成り立つ。
「ユダヤ人虐殺がなかった」、「人類は月へ着陸しなかった」といった(多くの人にとっての)ホラ話が、時に一部で真剣に議論されることもあるのは、歴史というものが本質的な意味で存在しないことの根拠。とも語られる。
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実体はどこにあるのか

 宗教に熱心な兵が、戦場という地獄を目の当たりにし、「地獄は大脳皮質の中にこそある」とも言う。
つまり、それが認識させている、感じさせられているものが地獄。
次に天国はあるのか聞かれ「ちっぽけな人の脳に収まるものじゃないかもしれない」と答えるのも印象深い。

 このような話は、定義付けされている世界すべて。つまり我々が、共通のものとして認識している、と信じているあらゆるものに関して「本当にそれらが実態なのか」という疑問を投げかける。
個々の者たちが見ている、どのリアルもすべて、机上の空論と変わらないのではないかと。

 作中に出てくる、眼球を覆うナノレイヤーが、 コンピューターが調整する情報を視覚的認識して与えてくれるテクノロジーなどの描写とかも、実体というものに関して、いろいろ気にさせるかもしれない。
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遺伝子、自由意思、ミーム。設計図はどこまで意図されたものか

 遺伝子、自由意思、文化の中で人から人へと伝達していくミーム( 普通は定義された言葉とかのような、脳が認識、記憶可能な実体的情報)などに関する議論が続けられた後に、「虐殺には文法がある」という意見が出てくる流れがある。

 どの国、どんな政治状況の、どんな構造の言語だって、虐殺には共通する深層文法があるということが、過去の様々なデータから浮かび上がってきた。
虐殺が起こる少し前から、新聞記事、ラジオやテレビの放送、出版される小説に、そのパターンはちらつき始める。言語の違いによらない深層な文法だから、その言葉を享受する人々には、そうだということは気づけない、見えない、言語学者でない限り。
虐殺の文法が現れる時、それはその国にやがて起こる大量殺戮の予兆となる。

 人間の可能性と結果を説明するための科学を混同してはいけない 怒ってしまったことに関する原因は説明できる。人間は遺伝コードによって生成された肉の塊。臓器がそうであるように、心すらもそうなるように遺伝子が決定しているもの。
言語に関してすら脳があらかじめ、手持ちの要素を組み合わせ文を生成する仕組みを持っているから。

 そして虐殺の文法に関して、「そもそも個体が適応した結果として、進化というのがあるのであり、その逆ではない。種のために自殺する本能など、個体に不利な進化の極みだから、ほとんどありえないはず」という反論もある。

 いかにもサイバーパンク的という感じがする。
残虐性の正体に関して、生物学的に理解は可能か。そういうのが、この物語のテーマみたいにも思う。

 遺伝子がどこまでを想定しているプログラムなのかという点も重要かもしれない。確かに、そこにあるDNAコードは設計図のようなもので、生物の形態や性格までも決定しているのかもしれない。だがそうした形態のどこかの部分で発生した意識が、何を選択するかということに関してまで、強く干渉できるだろうか、という問題。
小さな領域「利己的な遺伝子論」進化の要約、恋愛と浮気、生存機械の領域 設計図の段階では意図してなかった機能が、完成品のロボットに発生している場合は多い。海を泳ぐための設定が、かなり軽いタイプにとっては、空を泳ぐ(飛ぶ)ための機能になるかもしれない。
あるいは、我々はどこかで捉え方を誤っているだろうか。人類という種に関してはだめでも、脊椎動物という種にとっては、人間の残虐性は役に立つとか。