ニューロマンサー。ディファレンスエンジン「ウィリアム・ギブソン」

ニューロマンサー。電脳空間をめぐる陰謀を描く、サイバーパンクの古典

 コンピューターが作り出す仮想空間、神経系が捉える現実感の認識こそ真の世界かのように描き出す描写、 現実の国家の政府などが作り出す面倒くさい支配体制などへの反発精神。
 ウィリアム・ギブスン(William Ford Gibson)作の、いわゆるサイバーパンクと呼ばれる小説の古典にして、代表的作品。
ニューロマンサー
 『巨大電脳(サイバースペース)』ネットが世界中に敷かれていて、様々な企業などが情報戦を繰り広げているという世界観は、当時(1984年)としては、かなり斬新だったとされている。
実際にインターネットで世界中がつながった時代に生きる人からすると、逆に想像し難いが、このような世界観は当時マイナーであり、この作品は情報社会イメージを広げるのに大きく貢献したとも言えるようである。
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少しプロットについて

 主人公のケイスは24歳、22の頃は電脳空間サイバースペースカウボーイ(と呼ばれるハッカー。クラッカーとしての意味合いが強そうだが)であり、ハッカーたちの聖地のような街である《スプロール》でも一流。師匠がそもそも業界における伝説級だったという設定。
ただ、ハッカーが決して行ってはいけないとされている、依頼主からの盗みを行ってしまってしまい、しかもそれがバレてしまう。
そして彼は神経系を傷つけられ、再びサイバースペースに入れなくなってしまい、自暴自棄になっている。というところから物語が始まる。
序盤のプロットとしては、この状態を回復させる見返りとして、何かヤバそうな仕事に関わらなければならなくなってしまう、というようなもの。

サイバースペース世代の仕事、事件

 サイバースペースにおけるカウボーイとしての仕事描写は、仮想空間という社会や戦場に関して、当時なりのイメージがよく表現されていると思う。
『マトリックス』と呼ばれる共感覚幻想の中に、肉体を離脱した意識を投じる。電脳空間デッキにて『没入(ジャックイン)』して、ほぼ恒常的なアドレナリン高揚状態で活動していた盗人として、もっと豊かな盗人に雇われていた。雇い主が新種の素材(ソフトウェア)を提供、それを作って企業システムの輝く壁を貫いてデータの沃野よくやへの窓が穿うがつ。

 また、『《スクリーミング・フィスト》』という、 サイバースペース時代初期の頃の事件に関して。
それは、ソ連の連結体(ネクサス)をウィルスプログラムで焼こうとした任務(ラン)だった。操作卓(コンソール)カウボーイだったケイスが、 作業服を破るのに使っていたプログラムの原型も、元々は《スクリーミング・フィスト》用に開発されたもの。キレンスクのコンピューター連結体(ネクサス)の攻撃用だった。そして、その基本構成は軽飛(マイクロライト)とパイロット、マトリックスデッキとジョッキーひとり。『〈土龍(モール)〉』というウィルスを走(ラン)らせた。
その〈土龍(モール)〉こそ、 侵入プログラムの第1世代。

 『ICE(アイス)』と呼ばれる『侵入対抗電子機器(Intrusion Countermeasure Electronics)』というセキュリティに対し、それを突破するためのハッカーのソフトウェアが『氷破り(アイスブレーカー)』というのは、なんかかっこよく、覚えもしやすい。
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仮想世界をどのようにして描いているか

 マトリックスのルーツは、素朴なアーケードゲーム。さらには初期の映像(グラフィックス)プログラムであり、頭蓋とうがいジャックによる軍用実験と説明される。

 「電脳空間(サイバースペース)自体、日々様々な国の何十億という正規の技師や、数学概念を学ぶ子どもたちが経験している、共感覚幻想。人間のコンピューターシステムの全バンクから引き出したデータの視覚的再現。考えられない複雑さ、光箭こうせんが精神の、データの星群や星団の非空間をさまよう。遠ざかる街の灯りに似て」というのは、描写的に子供番組での説明と思われる。

 直の表現としても、無限の青い空間の中で、薄青いネオンの密な格子(グリット)に、色コード化された球体が繋がれている。
マトリックスの非空間では、どのデータ構造物の内部も主観的には無限の広がりを有している。子供用の計算玩具も、出入り(アクセス)してみれば、果てしない深淵を見せ、ポツポツと基本コマンドが吊り下がっている。
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 サイバースペースの中において、白い立方体として表示されるAIが、その単純さこそ、その本質の複雑性を示している、というような説明とかもある。

 また、「視覚的には」みたいな表現からして、神経に直接的に見せているその幻想、それへの感覚は、まさしく五感が感じているリアルと、かなり同じ感じ方での非リアル、というようなイメージもあるか。

VR映像を利用したOSと言えるか

 しかしサイバースペースというのは、よく考えれば何であろうか。
もちろんそれは、この作中で描かれているような、神経系を騙して、リアルかのように認識できる仮想世界なのかもしれない。
だが、そもそもそれはいったい、何のために見るものなのであろうか。

 肉体を離脱して、という表現もあるが、実際問題、自分の意識を本当の電脳世界に入れれるだろうか。それは魂というものを考えるに近しいようにも思う。
あるいは神経系のシステムを全く別のところに一時移動させることができるなら、そのような、文字通り電脳世界での冒険は可能かもしれない。だがそれをどのように実現すればよいかは、かなりわかりにくい。

 とにかく言えることは、 サイバースペースは映像をリアルに体感するのに等しい可能性が高そうということ。ようするにVR映像を利用したOS に等しいかもしれないということ。
だがそうだとすると、それは実用的には普通のOSとそんなに変わらないのではなかろうか。自分の意識的に様々な操作ができることを利点と考えるにしても、わざわざサイバースペースなんてもの、そこまでリアルとして用意する必要はないようにも思う。
むしろそこまで明確に仮想的な現実を体感できるようなぐらいに、神経系を騙す行為というのは、安全性的に大丈夫なものなのだろうか。
こういう話は、SFよりも実際の未来を待った方がよいのかもしれないが。

冬寂(ウィンターミュート)というAI。その計画はシンギュラリティか

 ケイスを雇う謎の男アーミテジは、実は冬寂(ウィンターミュート)というAIが用意した操り人形というような設定もある。
そしてその目的というのがなかなかにSF的で面白く、言うなれば『シンギュラリティ(技術的特異点)』を思わせる。

 AIに関して、ものによっては犬並み、ペット並み、それでもかなりの大金がかかる。そして鋭いやつは、基本的に軍用で、普通、民間のカウボーイにはアイスを破れない。アイスはそこがそもそも出どころ。

 また、AIが、 人間の管理を逸脱いつだつできるような進化をしてしまわないように監視している、『チューリング』という組織もある。

 そのウインターミュートが、公衆電話を使って最初にケイスに語りかけてくるシーンは、なかなか緊迫感ある。
しかしそもそも、そのシーンで公衆電話が結構多そうな感じだから、携帯電話というものは、普及していないようである。 サイバースペース文化が広まっていて携帯電話という概念がなさそうなのは、今となっては、より興味深い世界観か。

日本のハイテク都市描写

 ギブソンの小説には、よく日本がいくらか出てくるが、この小説でもそれは同じ。
サイバースペースに入れなくなっている、物語初期のケイスは、日本の千葉に暮らしていたが、そこは臓器移植や神経接合や微細生体工学(マイクロバイオニクス)と同義語と称されるような地区になっている。という設定。

 なかなかハイテクな未来都市の描写もあるが、そこはちょっとパンクって感じもあるか。
テレビ空の眩しい光。富士電機(フジエレクトリック)のホログラム看板。発泡ポリエチレン(スタイロフォーム)の上空など、 どこか無機質な感じのハイテク管理世界を思わせるが、カモメが飛び交っていたりなどもする。

ディファレンス・エンジン。早すぎるコンピューターの影響を描くスチームパンク

 ギブソンが、同じくサイバーパンク小説で有名なブルース・スターリング(Michael Bruce Sterling)と、共同で書いたいくつかの小説のひとつで、いわゆるスチームパンクというジャンルを、広く広めた作品として知られている。
ディファレンス・エンジン 上
ディファレンス・エンジン 下
 チャールズ・バベッジ(Charles Babbage。1791~1871)が、構想したが実現しなかったとされている、歯車の動作を組み合わせて計算を行う、『階差機関かいさきかん(difference engine。ディファレンス・エンジン)という機械式計算機。そして、それを利用して実現された、蒸気機関によるコンピューターが、実現したif世界を描く歴史改変小説。

 歴史物だけあって、登場する多くの人物が実在しているが、しかしそれらの人物の人生や、作中で描かれる様々な歴史上の出来事は、ディファレンスエンジンが完成したために、いくらか現実とは異なって(ディファレンスして)いるというもの。

 ディファレンスエンジンの影響なのかどうかはわからないが、日本の『カラクリ技術』も、現実よりかなり優れている感じに描かれてるように思う。

チャールズ・バベッジと、エイダ・バイロン

 ディファレンスエンジンを生み出したチャールズ・バベッジ卿は、「我らの時代のニュートン」というような表現すらもされる。
そしてそのバベッジの、友人にして愛弟子であるレイディ・エイダ・バイロン(Augusta Ada King, Countess of Lovelace。1815~1852)もまた、「機関(エンジン)の女王」などとされている。

 そのエイダ・バイロンは、デカルトの解析幾何学の発見に、匹敵するくらいの洞察を得た。そしてその純粋数学は、まさに純粋、走らせるラン
というような表現は、さすがにギブソンぽい感じもする。

恐竜への興味。計算機が飛躍させる科学理論

 謎の巨大古代生物、あるいは巨人の骨の勘違いとしての、恐竜や翼竜の話題があったりするが、これは当時、ヨーロッパの知識人たちが、強く関心を抱いていたことの再現だったりするのだろうか。
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 大衆が知りたがっているのは、なぜ恐竜がみんな死んでしまったか。そしてその理由に関して、大彗星の激突ではないかという説の、証拠として月のクレーターをあげたりしているのが、結構興味深いか。その後の、「なぜ太陽が1000万年燃え続けられるのか誰も説明できない」というのも合わせて、なかなか歴史を感じさせる。
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 ディファレンスエンジンはあくまでも、マクロ領域の機械仕掛けが基本になっているぽいから、ミクロ領域の物理知識に関してはあまり実際の歴史とディファレンスしていないようにも思える。
ただディファレンスエンジンのコンピューターの計算能力がどのくらいにせよ、作中の描かれ方から、明らかに普通の人間の天才の計算能力くらいは絶対に上回っていると思われる。
コンピューター(優れた計算機)はミクロ領域の科学分野に関して研究する場合にも、強力な武器になりうるだろうから、そう考えると、この物語では描かれない20世紀以降の物理革命も、わりと大きくその模様を変えてきたりするだろうか。多分するだろうが。

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