太極拳の根本思想、気の導引術
心身の使いかた。上丹田を虚に、下丹田を実に
「その心を虚に、その腹を実に。すなわち上丹田を虚に、下丹田を実にしなければならぬ」
これは老子の言葉とされる。
「老子の言葉。道の思想」現代語訳、名言、格言。千里の道も一歩から
丹田とは、体の部位の中でで、特に『気』の蓄えられる場所とされている。
一般的には、眉間の中央に『上丹田』。
胸の辺りの『中丹田』。
腹より指数本下くらいの『下丹田』がある。
単に丹田と言った場合は、下丹田を指していることが多い。
下丹田は身体という物理的存在そのものへの影響が強いとされ、実用的に重要とされているからである。
例えば、ここの気を上手く制御することによって、健康な状態を保ったりすることができると考えられているのだ。
中丹田と上丹田は、心身の内、心の方に関連する領域と言われるが、個々の具体的な役割は諸説ある。
ただ、中丹田は感情、上丹田は思考というようなイメージが強い。
つまり上の老子の言葉は繰り返しであり、言いたいのは「心を空っぽにして、その体の実在性を高める」というようなこと。
『太極拳』という拳法の根本にあるのは、まさにそのような老子的、道教的な思想とされる。
自身の力でなく、気の流れを存分に利用する
太極拳では肉体を鍛練するというより、流れに乗ることを基本とする。
意思強く、世界を流れる気の流れをコントロールするというより、 そこに元々秘められている力を存分に利用するのである。
そのために心を虚とし、身を実とするのだ。
「流れに逆らわず、それを活かす」というような術は、道教において『気の導引術』とか言われる。
また、自らの身体に入り込んできた気を制御、高める技を『内気導引』と言う。
そこでよく、「太極拳の根本には導引術(内気導引)がある」などと言われる。
自分自身が持っている力は、個人個人によって違いがあるだろう。
そこには絶対に覆せない才というものがある。
しかしこの世界に溢れる気の流れは、誰しもに客観的なものであり、 平等に利用することができる。
そこに太極拳が、老若男女誰しもに親しまれ、実用的とされる理由がある。
気とはそもそも何なのか
しかし、気と言うが、これを文字通り解釈できるかは難しい。
そもそも気という言葉、概念自体がずいぶんと曖昧なものである。
ただ、おそらく性質的には、かつて光という流れの媒体として考えられていた、エーテルに近いものがある。
「特殊相対性理論と一般相対性理論」違いあう感覚で成り立つ宇宙
この宇宙に溢れているのだが、見ることは不可能である、そういうもの。
しかし時には見ることができる存在と作用し合うことで我々はその姿を垣間見ることができる。
そういう存在。
実際には、気と我々が聞いてイメージするようなものではないかもしれないが、しかしそう考えても実用的にはあまり問題ないようなものがこの宇宙に存在するとする。
それは、通常の物質と作用が乏しいというようなものではないだろう。
「ダークマターとダークエネルギー」宇宙の運命を決めるモノ
それが何らかの物質的なものならば、おそらくは我々に馴染み深い素粒子でできていると思われる。
それよりもっとありえそうなのが、精神作用的なものという説であろう。
それが実在のものではないのだとしても、それがあると我々の脳が想定することで、 もっとはっきり言えば気なるものをコントロールするシミュレーションを行うことで、例えばストレスを軽減するような神経系の働きを促せるなら、気は確かに見えずとも、しかし実用的なものと言えるだろう。
「幻肢」本当に脳は現実を作ってるいるか。意識プログラム、鏡の治療法。
「ストレス」動物のネガティブシステム要素。緊張状態。頭痛。吐き気
それと、別に気は超常的なものでもなんでもなく、単に体を伸縮したり、固く張ったりするのに必要な力と解釈されることも多い。
陰陽と五行。経絡系を活性化させる術
現在の科学的見地からするとファンタジーの話のようだが、世界を構成する、あるいは世界に溢れる気は、『陰』と『陽』の 二つの性質に分かれているとされている。
また性質は木、火、土、金、水の『五行』にも分けることができ、 それらが自在に合わせることで万物が成り立っているという思想もある。
人は血液、水(血液以外の体液)、そして気の三つで成り立つとされ、陰陽では、血液と水が陰、気が陽にあたる。
血液は血管を流れるが、同じように、人体には気の通り道である『経絡』が張り巡らされているという説もある。
基本的に経絡系には、『気穴』、あるいは『点穴』という、(361個とも言われる)ツボがあり、 そこを押したりして刺激することで気の流れをコントロールすることができるという。
東洋医学におけるツボ治療とは、その気穴を利用したもの。
太極拳においても、体の緩やかな動きや精神沈静により、経絡の活性化を促すという考え方がある。
陰である血液と水だけでは人は作れない。
それだけの存在であるなら、人の形をした何かでしかない。
しかし、陽である気が、陰(血液と水)を 活性化させ動かすことで、一個の生命体となるわけである。
もし現在の物理学や神経学的な知見などを持ち出すならば、気とは確かに意識の強さなのかもしれない。
動こうという意思がなければ、人間などただの人形にすぎない。
しかししっかりと意思を持って動くことで、我々は生きれる。
「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で
ゆったりとした動きなどによって、精神を落ち着かせることで、太極拳は本領を発揮するとされる。
例え陰陽五行の考え方が荒唐無稽に思えたとしたって、精神作用が有益な方向に働くことがあることは事実だろう。
だから太極拳は、科学的に見ても実用的であると言える。
護身術に使えるか
歴史的に考えるなら太極拳は本来むしろ護身術である。
まず護身が必要な者といえば、誰であろう、弱者に違いない。
力ずくで人から金品を巻き上げたり、屈服させたりしようとする者は、基本的には弱い者を狙う。
力の弱い老人や子供や女性。
創作では誰かが助けてくれることもあるが、実際の悪党は、人気のない夜道とか、誰も助けに来れないような状況を狙うから、あまり期待はできない。
太極拳は力をそれほど必要としない。
まともに戦えば弱い者が、強い者をうまく倒すための技術なのである。
太極拳を求めてきたのは、金を持っているが、デスクワークばかりで、平均より力の劣る貴族たちであった。
そういう者たちがいざという時、ならず者たちから、自分や家族を守るために、太極拳を学んできたわけである。
そういうわけでむしろ護身術が欲しいという人にこそ太極拳はオススメと言えよう。
もちろんよく言われるように、単に健康法としても太極拳は優れている。
発頸。太極拳での攻撃
基本的には 護身術であり健康法である太極拳であるが状況に応じて攻撃に転じる場合もある。
その攻撃は相手の気を乱すことを重視する。
さらに、効率よく気を発する『発勁』という技術を用いて、戦いの場に生じる自然の力を最大限に利用するとも言われる。
発勁の達人ともなれば、その肉体は気の鎧をまとい、『鬆』と呼ばれる状態になるという。
この状態の身体は 一見すると筋肉など負担してついていなかったとしても、なぜか硬いというような感じになるらしい。
極めた者の話はまさしく信じ難くなっていくが、発頸は物理的な肉体のみでなく、その気にまでダメージを与えるらしい。
通常の外科医療ではそれによって受けた傷を治療することが難しいという説まである。
逆に、同じく発頸の達人であるならば、発勁と同じような、あるいは応用した『気功』という技により、治療ができるそうだ。
いくらかな話は大げさすぎるとしても 考え方として、発頸は有効であろう。
それは、その時々の状況において、最大限に力を発揮する術とも言える。
五大流派と正宗太極拳成立の歴史
少林拳との関係。内家と外家、柔拳と剛拳
『少林拳』は筋力の鍛錬を重視しているので、太極拳とは文字通り正反対にあるような拳法である。
しかし太極拳は源流において、その少林拳と関わりがあるとされている。
共通のルーツが、二つの門派に別れたという説と、考えを異とする者たちが少林拳から独立したという説があるようだ。
その時期も隋(581~618)、唐(618~907)、宋(960~1279)のいずれかと、記録はかなり一致しない。
太極拳を『内家拳』、あるいは『中国柔拳』。
少林拳を『外家拳』、あるいは『中国剛拳』。
というように区別する場合がある。
太極拳が柔(やわらかく優しい)、少林拳が剛(かたく強い)というのはわかりやすい。
しかし、なぜ内家と外家なのかは、また諸説ある。
代表的なのは、太極拳が内部の気を利用するから、少林拳が外部の筋力を利用するからという説。
あるいは、少林寺に入らなかった者たちが太極拳を始めたからという説もある。
(少林寺の)仏門(仏の道)に入った者は、そうして浮世を離れたということで外家、道教を胸に仏を拒んだ者が内家という感じ。
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また、初期の太極拳、あるいは太極拳に変わっていく、少林拳から別れた派閥は、武当山なる山で修行していたようなので『武当派』と呼ばれていた。
太極拳の開祖の伝説と、今に伝わる源流
否定する説もあるが、伝統的には今に伝わる太極拳の開祖は、13世紀くらいの人物と言われる張三豊なる人物とされている。
彼は武当山に学び、その真髄を得て、今日に残る太極拳を創ったそうだ。
張三豊という人自体は、本当に伝説的な人物であり、378歳まで生きて、仙人になったと言われている。
実際に彼が開祖なのかはわからないが、とにかく太極拳はやがて中国全土に広まり、『五大流派』と呼ばれる五つに別れた。
清(1644~1912)の時代。
山西省の王宗岳なる武術家は、まさに伝統的な太極拳を受け継いでいた人物であったとも言われる。
また、彼との関わりは諸説あるが、陳王廷、陳長興(チェン・チャンシン。1771~1853)へと継がれた『陳家太極拳』は、現存する流派の中では最も古いものとされていて、原型に近いと考えられている。
王族などに教えを授け、貴族の間にも太極拳を広めたとされる楊露禅(ヤン・ルーチャン。1799~1872)が学んだのも、陣家太極拳であり、彼はそこから独自に、『楊家太極拳』を開く。
そしてその楊家太極拳が伝わっていくうち、さらに、『呉式』、『孫式』、『武式』の三つに別れたことで、『楊式』と『陣式』を合わせた五大となったわけである。
最強を求めて。第六の流派
太極拳は、才よりも努力がものを言う武術と言える。
それは学ぶ者が誰であろうとも、一定の強さを得ることができる可能性を示している。
そこで誰しもに強さが求められた時代。
つまり、二度の世界対戦の時代(20世紀前半)に太極拳はあてにされることになった。
1940年。
五大流派の実力者たち20人くらいが一同に会し、最強の太極拳を創るための話し合いがなされた。
それは文字通りに最強を目指していた。
各流派の中から、特に武術的な部分を再検討し抽出して合わせていったのである。
そうして、『正宗太極拳』という、いわば第六の流派が生まれるに至る。
日本にも伝えられた太極拳
公式に日本に伝えられた最初の太極拳は正宗太極拳である。
そのきっかけとなった達人会議にも参加して、正宗太極拳の発明に大きく関わった、王樹金(ワン・シュージン。1905~1981)老子は、太極拳と同じく内家拳に含まれるとされる『形意拳』、『八卦掌』の使い手でもあった。
そして彼こそが日本に太極拳(というか伝統的な中国拳法)を伝えたパイオニアとされている。
王樹金の来日は1959年のことで、現在では日本でも幅広く太極拳は学ばれている。