生物の発生の基本
単細胞生物も多細胞生物も始まりは一個
まず『細胞(cell)』というのは、生物という存在を構成する基本要素である。
もちろん細胞は万物の最小要素という訳ではないが、目に見えるようなスケールで、かつ一定時間以上を自力のみで生きれるような生物の、最低限の要素とされている。
「量子論」波動で揺らぐ現実。プランクからシュレーディンガーへ
この世界には一個の細胞のみからなる『単細胞生物(Unicellular organism)』もいれば、 複数の細胞の共存体のような存在である『多細胞生物(Multicellular organism)』もいる。
ただ人間含む様々な多細胞生物においても、その始まりは一個の細胞である。
一個の細胞が次々と分裂、増殖することで多細胞生物を形成するわけだ。
その最初の過程は『発生(Occurrence)』と呼ばれている。
一人の人間は、母親の体内の『受精卵(Fertilized egg)』という一個の細胞から始まる。
受精卵は父親の『精子(Sperm)』という生殖細胞と、母親の『卵子(Egg)』という生殖細胞が合体したもの。
それらの細胞は、合わせて『生殖細胞(Germ cells)』と呼ばれる。
発生の遺伝子セットは生物間であまり大差ないか
細胞はその内部にもさまざまな器官を持つ。
特に中心には「核」と呼ばれるものがあり、その内部にある「DNA」と呼ばれる構造に、遺伝子情報は含まれている。
混ざる父と母の生殖細胞それぞれは、 父母それぞれの『遺伝子(Gene)』の情報を半端に持っていて、それらが合わせることで、新たな存在である子供の遺伝子となる。
遺伝子というのは、その生物の設計図情報のようなものだが、生物の発生に関する遺伝子セットは、生物間でそこまで大きな違いはないようである。
しかしそれならなぜ、今、我々がよく知っているように、様々な形態の生物が存在しているのか。
答をごく簡単に言ってしまうなら、つまり遺伝子セットの使い方が生物間で異なっているわけである。
また遺伝子情報の全てが発生に関わるというものではもちろんない。
通常は、遺伝子の10%程度が発生に関わると考えられている。
胚は最初から人か否か
一個の細胞が分裂を繰り返し、人の形を成していく過程で、人になるまでの存在を『胚(Embryo)』という。
古くは、胚があらかじめ人の形を成しているのかどうか、という議論があった。
紀元前のギリシャの哲学者アリストテレスは、胚はすでに小さな人であり、我々が発生という現象は単に巨大化である可能性があると説明した。
ただ彼はもう一つ、胚は人の形でなく、新しい構造が徐々に生じる可能性も考え、むしろそちらを支持した。
しかし化学の知識が中途半端に増し始めるとともに、胚がすでに小さな人である可能性の方が人気となっていった。
おそらく生物と物質の区別がよりはっきりとつくようになってきて、生物でないような最初の一個から人間が生じるなどという考えが受け入れ難くなってきたのだろう
実際にはどうであったか。
アリストテレスの直感の方が真実に近かったらしいと、今は考えられている。
実験モデルに使われる生命体
哺乳類の発生の過程を調べるために、やはりマウスなどの実験に使いやすい生物が犠牲にされるが、別に哺乳類にこだわらなくても、脊椎動物ならば、大体の発生過程は似通っているとされる。
そういう分類では、我々(哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類)は魚の仲間である。
「魚類」進化合戦を勝ち抜いた脊椎動物の始祖様
発生過程を調べるのに哺乳類という動物はモデルとしてあまり向いていない。
当然それは、卵を母体の中で孵す『胎生(viviparity)』という基本機構のためである。
観察しやすいという意味では両生類がモデル生物としてよい。
カエルはよく使われる。
両生類よりもより哺乳類に発生過程が近いという意味で、鳥類のニワトリなどもよく実験動物に選択される。
哺乳類に比べたら、卵の殻を少し開けるだけでも、よく観察できるし、殻の外での培養も、母体の外での培養より容易である。
発生はどんなふうに起こるのか
調節。一卵性双生児を作る機構
ハンス・アードルフ・エドアルト・ドリーシュ (1867~1941)は、ウニの胚を切り離すという実験で、切り離された二つの胚が、二つの正常な個体に発生するのを確認。
ドリーシュの発見は、当時の知見的には驚くべきことだった。
本来は一つの胚を二つにして、そのどちらもが正常な個体になるということは、胚は初期段階において、将来の姿を決定していないことを意味している。
今では『調節(regulation)』と呼ばれている。
実際に胚は、それができたばかりの段階で、何か不足の事態が生じたとしても、例えば切り裂かれて半分になってしまったとしても、その半分だけで、うまく未来の個体になれるように自身を調節するのである。
元は一つの細胞が、二つになって、それでもしっかり発生する一卵性双生児などは、調節という機能がうまく働いているからである。
まだ何か、多少のいじくりがあったとしても正常な個体となれる胚を『調節卵(regulation egg)』。
いじくりがあれば、何か問題は発生するが、一応はちゃんと個体となる胚を『モザイク卵』と言う。
当然のことながら調整と言っても限界がある。
極端な話、胚を粉々に潰してしまったら、破片のそれぞれが発生はしない。
受精、卵割、胞胚、胚葉。脊椎動物の発生の流れ
精子と卵子の合体を『受精(Fertilization)』という。
そして、まだそれが行われていない未受精卵は、『卵黄(egg yolk)』、つまり我々が鳥の卵を調理などする時に黄身と呼んでいるものが多く含まれている。
脊椎動物の発生に関しては、その過程自体はある程度わかっている。
受精したら卵細胞は分裂を開始。
初期の一個の細胞が分離されていく過程は『卵割(cleavage)』と呼ばれている。
全体のサイズが変わらないために、卵割のたびに個々に分裂した細胞は小さくなっていく。
分割された中でも、小さな細胞は胚の表面に集まり、『胞胚(blastosphere)』と呼ばれる配列を成す。
胞胚はまた、『胚葉』とまとめて呼ばれる、『外胚葉(Ectoderm)』、『中胚葉(mesoderm)』、内胚葉(endoderm)という構造を形成する。
基本的に胞胚には、中心にくぼみがあり、そこを囲むような形へと変わっていくことで、外部構造、内部構造を構成する。
その外部側が外胚葉、内部側が内胚葉、そしてそれらの中間が中胚葉と呼ばれているわけである。
外胚葉は、将来の最も外側の組織である「表皮」と「神経系」。
中胚葉は「骨格」
内胚葉は「臓器」などに変わっていく。
原腸形成。調節が可能な最後の段階
外胚葉が形成された後は明確な三次元構造が作られていくが、 その変化を『原腸形成(Gastrulation)』と言う。
胞胚の段階での調節能力は非常に高いとされる。
原腸形成の過程で、将来の各部に代わる個々の細胞は、それぞれの位置へと運ばれるが、その時点であっても(おそらくは変化命令が伝えられる以前なら) 例えば足を形成する領域の細胞を、頭を形成する領域に移動したとしても、その細胞はしっかりと頭を形成するために役立ったりする。
問題は、原腸形成が終わった後は、個々の細胞の役割はだんだんと限定的になっていくこと。
そうなると、その限定された状態の細胞を移動したら、異常な個体が完成してしまったりすることもあるわけだ。
発生過程において神経系というものが構成されることも大切である。
外胚葉に何らかのダメージがあったり、その分裂過程がミスったりすると、精神に問題を抱える者が誕生するということになる(エッセー)。
「自閉症の脳の謎」ネットワークの異常なのか、表現された個性なのか
(エッセー)正常な心とは何か
精神に異常がある者とはどういうことだろうか。
DNAにせよ、遺伝子にせよ、受精卵の中に、後の個体の様々な形や構造に関する情報が含まれていることは、驚くべきことと言われる。
だがその情報の中には、精神というものの情報まで含まれているのだろうか。
心は環境で変わるものだろうか。
人間が自分の足を長くしようとして、自分の足を引っ張ったり、たくさん栄養とりまくったりしたら、確かにそうしなかった場合よりも長くなるかもしれない。
だが限界がある。
そんなことは誰だって知ってる。
多分、神経系の変化にも限界はあるだろう。
それは心の変化にも限界があることを示しているということかもしれない。
外胚葉が何の問題も無かったとして、正常な存在として現れる神経系とはいったいどのようなものなのだろうか。
我々の正常な精神とはいったい何なのだろうか。
生物として優れた心は、多分、次世代に多くの遺伝子を残そうとするような心。
だとしたら、恋愛に対して欲深い心が、成功品なのかもしれない。
そういう生き方をしたくない人であっても、今は本当にそれが可能だろう。
厳しい戒律の宗教から、仮想現実の恋愛、生殖細胞の移動を防ぐ技術まで全部、生物のシステムの外部に我々が作ったものである。
それらを使えば、遺伝子が仕掛けたプログラムが正常に働いているとしても、強引に軌道修正ができる。
極端に言えば、現実の恋愛というものに一切関わらずに生きていける。
人はなぜ恋をするのか?「恋愛の心理学」
しかし控えめに言って、今はまだ技術進歩の途中である。
いつか我々は選ばないといけないかもしれない。
そうしようと思えば遺伝子のプログラムなんて完全に無視できるような存在になって、それでも生命体として生きるのかどうかを。
生殖細胞。男女の思想の違いはどこに由来しているか
生殖細胞というのはかなり特殊なものである。
普通、多細胞生物の個々の細胞はすぐ死んで朽ち果てていく。
それ以上に早く分裂を繰り返しているから、我々は自分たちの体を 維持できるわけである。
卵子には非常に多くの栄養が含まれている。
特に母親の外部で発生する生物においては、新しい栄養を受けられないために、必要な栄養全てを抱えている必要があるからだ。
一方で卵子に比べてごく小さい精子は、ほとんど遺伝情報が含まれているだけの存在である。
しかし遺伝情報だけでは卵子のもとに向かうことができないだろう。
この世界では、何事も動くためにはエネルギーがいる。
そこで細胞が基本的に持っている「ミトコンドリア」というエネルギーを生成する小器官は、精子の中にもある。
しかし受精の時、遺伝情報を卵子へと与えた精子は、破壊されてしてしまうのだ。
よく、「ミトコンドリアは母が由来」と呼ばれるのはそのためである。
精子は毎日のように大量に作られるのに、卵子は最初に作られたもの以外、基本的に新しく作られないのは、単に構造の単純さからくる作りやすさの違いという説明で問題ないかもしれない。