「ジャングルブック」オオカミの子、人の子。動物の見る世界を書く小説

ジャングルと、いくつかジャングル以外の動物たちの物語集

 イギリス領時代のインドで生まれたイギリス人作家ラドヤード・キップリング (Joseph Rudyard Kipling。1865~1936)の代表作的な短編集。
主に、人里と自然の境界が今よりもかなり曖昧だったと思われるインドを舞台として、オオカミに育てられた少年モーグリの物語の他、いくつかはインド以外にも舞台を移動させ、動物が目撃した人間の物語、あるいは人間との関わりによって数奇な運命を辿ることになった動物たち側の物語が綴られる。

 特に、ジャングルの仲間である動物たちとの違い、人間であるがゆえの人間としての生き方に悩むモーグリの苦難は、故郷とは別の場所で幼少期を生きた作者自身の経験が反映されている、とも言われる。

動物たちの豊かな描写

 特に、物理的に強そうに描かれる動物たちの中で、トラが愚かな道化ぽく描かれている。また、人の奇妙な賢さのための愚かさというようなものを強調している印象だが、一方で、人間に近いサルもまた、ジャングルの動物たちの中で、特別愚かな存在として滑稽に演出されがち。

 オオカミはもちろん、ゾウやクマやニシキヘビのような大きな動物が賢そうに描かれているが、それは長く生きているため、というような感じがある。
ゾウに関しては、複数の話で、ジャングルの動物たちの王であり、遠い昔の様々な伝説の真実まで知っている偉大な賢者のように描写される。
水浴びする像「象」草原のアフリカゾウ、森のアジアゾウ。最大級の動物  オオカミはモーグリの家族であるから、モーグリという人でもある子、ジャングルにおいては、異常な存在というようにも言える(よくも悪くも、この作品の中でも、やはり人間は単に技術文明を作ったとかだけでなく、本質的に特別な生物というような印象がある)この子の目を通し、そしてこの子を見る目を通して、特にその精神性がよく描かれていると思う。

 動物たちに伝わっている昔話的なものは、いろいろ興味深いものが多いが、最初、赤んぼうのモーグリに優しくして、「……自分の子といっしょに、人間の子どもを育てたのが自慢なんてオオカミ、これまでにいたかしら?」と言う母に対し、父の「たまにそんな話も聞かないわけじゃないが、うちの群れにはいなかったし、いたとしても昔のことだろう」という答は、 捨てられた後にオオカミに育てられる子供というような都市伝説を意識していたのだろうか。
オオカミの影「日本狼とオオカミ」犬に進化しなかった獣、あるいは神

 中盤まで、物語中の悪役的に描かれるトラ、シア・カーンが、「 自分の獲物だから、その赤ん坊をよこせ」と最初に両親オオカミに要求した時、母さんオオカミが強気に立ち向かい、父は、彼女がかつてラクシャ(悪魔)と呼ばれていたことを思い出す場面。
もちろん悪魔というのは、ようするにそのメスオオカミが、群れの中でも(完全に物理的な意味なのかは描写的に不明だが)強かったからの異名なのだが、 動物の精神世界における悪魔というのは何なのだろうか。悪魔という存在は普遍的なものなのであろうか。
悪魔の炎「悪魔学」邪悪な霊の考察と一覧。サタン、使い魔、ゲニウス この作ではないが、多くの作品で、自然界には悪も正義もないというような哲学をよく見かけるが、キップリングは明らかに、ある世界の中での(少なくとも)悪を意識しているように思う。そうした考え方の起源は、やはり人の宗教にあるだろうか。
もっとも、いくつかの動物たちの対立は、人間という、本来はそこに存在しないはずの異分子をきっかけとして引き起こされた、無益な争いというような印象もあるかもだが。

この現実の世界のどこかに動物たちの世界

ジャングルの掟

 ジャングルの動物たちはある種の共同体のようで、ひとつの国に住む多民族が法律を共有するかのように、ジャングルの掟を共有している。このような世界観の作られ方は、やはり人間が作った動物たちの世界というような印象強いかもしれない。

 ある程度成長したモーグリが、シア・カーンと、彼に従う者たちが、人間であるのだから、モーグリを群れから追い出すべきという話を持ち出した時。モーグリが仲間であるはずというオオカミたちの長老アケーラの弁護には、「モーグリが一度だって、ジャングルの掟を破ったことがない」というのも含まれている。
しかしこの場面は、ややメタ的な意図も感じさせるか。ようするに物語的には、モーグリは一旦ジャングルをさって、人間たちの所に行き、そこで人間たちがどういう存在か、人間たちにもいろいろいるということを学ばせないといけないだろうから。

 モーグリは物語全体の中でジャングルとの分かれを2度経験するが、これが1度目だが、まだジャングルしか知らない子が、 いきなりそうしないといけない運命を突きつけられて、泣いたってどうしようもないというようなこの1度目と、2度目の別れの時との違いは、なかなか感慨深い対比になってるように思う。
モーグリは自分が本来生きていたはずの世界のことも学び、そしてまたジャングルに戻ってくる。だけどどれだけジャングルが好きでも、自分が人間であるということをもはや知っていたから、というような。

人間を恐れる理由

 人間を食べてはいけないというジャングルの掟が語られる時。その理由は、家畜ゾウに乗り、銃を持った人間たちがジャングルに乗り込んで来るだろうから、とされる。他に、 最も弱い動物である種族である人間を殺すのは誇り高きジャングルの動物の恥とも。
しかしトラだけは少し特別で、時には人間を殺せる権利がある。その理由を語る昔話で、なぜ人間が恐れられるようになったのかも示唆される。賢いジャングルの王であるゾウたちが語り継いできた昔話。

 その話はあたかも、動物たちの世界で、動物たちが作った神話のような感じである。最初の王たるゾウが、大地を踏み鳴らすことでジャングルが創られたとか。ひとつの種族として生きていた動物たちがなぜ、それぞれ別々の生き方をするようになったのかとか
ただし動物は、人間の中の無知な者ほど迷信深くないような感じで描かれていて、そのような古い伝説には脚色が結構入っているだろうと囁いたりもする。
しかし、科学の時代でありながら、愚かな人たちは未だに迷信を信じたがる、というような言説は、20世紀前後ぐらいの小説でもよく見られるが、現代でもわりと言われていることだ。そもそもそういう時代でなかったことが、そういう時代になって以降あるのだろうか。

 トラは、他者を殺した最初の動物で、ジャングルに死を教えた。しかし本当の過ちはその先。 出会った瞬間従うしか選択肢がないような恐怖が存在していることを知ったトラが、ついにはその恐怖を殺してしまったこと。だがその恐怖はひとりだけではなかった。
恐怖は明らかに人間のことだろうが、そちらの起源が全然語られないのも、ここで語られる神話が、ジャングルという、動物たちばかりの領域ができてから生み出されたもの、というような印象もある。

自然と文明、迷信と科学

 文明を発展させている英国人たちと違い、インドの村の者たちはとても迷信深く、そしてその様子が滑稽に描かれている。
 ただ物語としてはシリアスな描写が多い。その迷信のために、例えば魔女狩りまがいのことがあったり。モーグリの人間の両親となった夫婦も、悪魔の子を生んだとして、殺されそうになる場面がある。

 村の人たちは、イギリス人たちが、そのような悪魔がどうたらという理由だけで誰かを殺すことを許さないかもしれないとか、そこで、蛇に噛まれて死んだことにしようとかいう策略を考えたりもする。
他に、ジャングルの動物たちの自然に生きるのに必要な知恵と、人間たちの過剰な知恵のための愚かさというようなものの対比が描かれる一方で、(量的には大したことがないが)進みすぎている文明が、進んでいないものよりはいい、というように描かれている感じがある。最も、イギリス人自体はほぼ出てこない。

殺意なき復讐

 全体的に見れば、自然と文明の対立とか、人間と動物の対立というよりも、やはり自分のアイデンティティ、自分の生きるべき世界に悩む、オオカミの子で、人間の子でもあるモーグリの心の葛藤が、一番重要なテーマとしてあると思う。

 オオカミの子だから、自然の中で他の動物を殺すこともあるだろうし、実際殺しの描写もあるが、彼には意味のわからない理由で殺されそうになるものの血を見て、その匂いを嗅いで、とても嫌悪感を感じたりするような描写はどんなふうに考えられるか。

 いずれにしろ、モーグリは、復讐のためでも、人間たちは殺さない方法を選ぼうとする。 しかし語られる 話だけならばそれは殺したところで得られるもの例えばその骨とかが自分にとって何の価値もないから、というような感じもある。
人間と動物の違いをどんなふうに描くか。仮に動物にそのような意識的なものがあるとして、いったいどのように人間たちを見て、そして何かを殺す時にその理由を考えるのか。
よくある、描くのが難しいものを、無理やり描いてるような感もある。

 物語としては、簡単に殺されることだってありえた幼子だった彼が、ジャングル全体を率いる者として、ジャングル自体を使った反撃を、(物語上の)悪党である人間たちに食らわせるという流れは、エンタメ的には爽快なものもある。

狂犬病を動物から見て

 ジャングルの動物たちは発狂という意味の”デワニー”、人間は”狂犬病”と呼ぶ病気、狂気に取り憑かれ、とにかくあらゆるものに対して攻撃的になる謎の症状。そして正気を失うということは野生に生きる生物にとっては最もみっともないこととされる。
この狂犬病に最も発症しやすい動物が、仲違いの種となる嘘を好む他、村のゴミ捨て場などから拾い食いする事を嫌われているジャッカルとなっている。
この辺りだけなら、狂犬病には、自然と違うもの。人間の作った技術文明が関係しているかもしれない、というような示唆がなくもない(ジャングルブックの書かれた時代は、狂犬病という病気のためのワクチン開発(1885年)と、現実にウイルスというものが発見された時期(1892年以降くらい)と近い)

モーグリ関係ない話に関して

 モーグリの関係がない話には、完全に動物視点のみの話もある(一応、モーグリがまだ赤ん坊である最初の話も、完全な動物視点と言えるだろうが)。

 カイギュウなる生物種が生息しているという、おそらく人間たちにも見つかっていない、海の生物の楽園のような場所を求める話。マングースとコブラの敵対関係という伝説をテーマにしてるような話、家畜動物たちの会話劇的なものなど。
たいていどの話でも、動物の生態とか習性、あるいは歴史上の出来事に関して上手く取り入れてる感があるが、特にイヌイットの精神的文化を軸とした話は、特に個人的に関心のあるテーマだから面白く読めた。
「イヌイット」かつてエスキモーと呼ばれた、北の地域の先住民たち