「イヌイット」かつてエスキモーと呼ばれた、北の地域の先住民たち

北極周辺先住民

イヌイットとユピクの違い

 地球の北の極寒地域、カナダ北部に、アメリカのアラスカ、ロシアのシベリア、それにグリーンランドなどの先住民をまとめて『エスキモー(Eskimo)』、あるいは『イヌイット(Inuit)』と総称することは多い。
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 それらの地域の先住民全体を指す名称がエスキモーで、イヌイットは、エスキモーを大きく2つに分ける場合における、アラスカ北からグリーンランドの者たちの総称とされる。
その場合、アラバマ南から、ロシアのチュクチ自治管区までの地域の者たちは『ユピク(Yupik)』と呼ばれる。

 イヌイットとユピクというこの大分類は、主に使用する言語の地域的連続性に関係している。
ユピクとイヌイットを区切る境界で、その言語はまったく別のものに変わるわけである。
まず間違いなく同じ言語から派生したものであろうが、しかしそれらの言語は、少なくとも英語とドイツ語ぐらいの違いはあるとされる。

イヌアピット、カラーリット、チュクチ、アリュート

 そもそもイヌイットとユピクでは、意識的にもはっきり違う民族らしい。
ユピクは、比較的少数派ということになろうが、彼らはイヌイットと一緒くたにされることを特に嫌うともされる。

 他、基本的に大分類でもイヌイットに含まれる、アラスカ北、北極海沿岸の『イヌピアット(Iñupiat)』 も、自分たちはイヌイットではないと強く主張しているという。

 グリーンランドのイヌイットは、基本的には『カラーリット(Kalaallit)』と呼ばれる。
彼らの使うイヌイット語も、訛りが強いとされ、「カラーリスト」あるいはグリーンランド語と呼ばれることが多い。
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 また、ロシア連邦内のチュクチ半島と、チュクチ海とベーリング海地域の海岸に、主に暮らすチュクチ語を話す「チュクチ(Chukchi)」の人々も、しばしばイヌイットに含められる。
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 チュクチは少なくとも、人種系統的には、確かにイヌイットやユピクにかなり近いとされている。

 他に、アラスカから、ロシアのカムチャツカ半島に向かって延びるアリューシャン列島の「アリュート(Aleut)」も、人種的にイヌイットとかなり近しいようである。

どれも人間を意味する

 イヌイットもユピクも、元は単に「人間」全般を表す言葉だが、 18世紀以降くらいから、民族を指すようになったという歴史的経緯があるという。
エスキモーは それ以前から使われていた呼称のようだが、どちらかと言うと差別的なイメージがあり、だんだんと好まれなくなっていった。
そこで現在では、日本と同じように彼ら全般をイヌイットと呼ぶ国が多いという。
しかし普通にイヌイットと言った場合に、大分類におけるイヌイットなのか、(ユピクを含めた)全体を指すイヌイットなのかがわかりにくいという問題が生じている。

 また、彼ら全体をまとめてイヌイットと呼ぶのは、ヨーロッパ各国の人たちを、まとめてヨーロッパ人と呼ぶようなものと思われる。
大分類におけるイヌイットですら、イギリス人とイギリス系アメリカ人をまとめてイギリス人と呼んでいるようなものと言える。
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そういうわけなので、当然のように、各地域の各集団はそれぞれ、地域ごと集団ごとの自称を持っている。

 ユピク(とチュクチ?)も含むらしい、彼らの国際的な代表団体『ICC(Inuit Circumpolar Council。イヌイット極北評議会)』は、イヌイットの名だけを冠しているが、エスキモーという名前よりはマシだと考えられているのかもしれない。

 ちなみにイヌイット語もユピク語も、単数、双数、複数形という変化が特徴の1つとされているのだが、Inuitというのは複数形にあたるらしい。

エスキモーという名称

 エスキモーは差別的というだけでなく、そう呼ばれるどの民族の言語にも関係のない名称ということで、学術的にも適当なものとは言い難い。
だからこそか、イヌイットがよく使われている。

 アメリカではイヌイットという名称も、もう基本的には採用していないという。
あの国では、先住民族はどこの人たちであろうと「ネイティブ~」か「~ネイティブ」と呼ぶのが普通になっている感があるようである。

 エスキモーという言葉の語源は、カナダ先住民の「クリー族(Cree)」の「モンターネ部族(Montagnais。Innu-aimun)」の言語の単語「ayas̆kimew(かんじき(雪靴)を編む者)」。

 また、犬のハスキー(Husky)は、さらにこのエスキモーに由来する名称だという説がある。

 実は差別的な呼称というのは勘違いという話もある。
最初に誰が間違ったのかわからないが、なぜかエスキモーという言葉は、「生の肉を食べる人」という意味だという勘違いが、妙に普及してしまったらしい。
しかしそもそも、生肉を食べる人=野蛮人というイメージが、すでに差別的ともされる。

イヌイット極北評議会

 この集いは、1977年6月に、アラスカのバローで初めて開催された、カナダ、アラスカ、グリーンランドの先住民たちの代表会議に、端を発しているらしい。

 ICCの主な目的は、イヌイットとまとめられる者たち全体の結びつきを強化すること。
そして、イヌイットの国際レベルでの権利を向上させること。
それに当然のことながら、イヌイット文化の発展である。

 北極圏の環境を保護する長期的な政策を打ち出したり、経済的発展のための、国際社会への積極的なパートナーシップの要求したりもしてきた。

どのような道を歩んできたのか

 古代イヌイットの遺伝研究には、シベリア北極圏、アラスカ、カナダ、グリーンランドから採取された古代人の骨などのサンプルを使っているが、基本的に保存状態がそれほどよくないらしく、 研究者は苦労しているという。
どうも凍結と融解を繰り返して、サンプルの遺伝的性質が破壊されていることが多いらしい。

ネオ(新)とパレオ(古)

 ベーリング海峡を渡り、極北地帯に広がっていったのは、4600年ほど前と考えられている。

 アメリカ大陸自体に、最初の人が来たのは、1万年以上前のこととされている。

 現在イヌイットと呼ばれる人たちの大半は、最初に極北に移住してきた者たちとは、遺伝的に異なっていて、 おそらく交流もあまりなかったと考えられている。
その最初のイヌイットを「パレオ(古)イヌイット」、現代の人たちに近い「ネオ(新)イヌイット」とする呼び分けもある。

 おそらく4600年ほど前に、ベーリング海峡を渡り、極北の地域に最初に渡ってきたパレオイヌイットは、約700年前にほぼ消え去るまで、おそらく数千年の期間、孤立した存在だったとされている。

 カナダのイヌイットの中には、かつて北方に住んでいた古代人『チューニット(Tunit)』の話を語り継ぐ者もいるという。
大げさな話かもしれないが、チューニットの男は魔術師で、セイウチの首を叩き潰し、さらにはその亡骸を1人で家に運べるくらいの怪力であったそうである。
また、 他の部族との関わりはあまりよしとしない集団でもあったという。
このチューニット伝説は、少なくともいくらかは史実に基づいているのだろうか。

 パレオ・イヌイットは遺伝的多様性が低かったらしいという研究報告もある。
おそらく過去の集団は男ばかりで、女性が少なかったようである。

 この集団はおそらく、現代のアメリカ先住民やイヌイットの先祖である、最初の移民たちよりもかなり後にやってきて、そしておそらく、より強い冒険心を持っていた。
あるいは、すでに有力な土地を確保されていたための冒険だったのかもしれない。
とにかく彼らは、北へ向かって踏み出した。
しかしこれはまず間違いなく危険な旅であり、同行した女性は少なかったのかもしれない。

ドーセット文化の謎

 パレオ・イヌイットは狩猟を行うのに、主に尖頭器せんとうき(直接打撃の石器)を使っていたようなのだが、これに関してはちょっと謎だとされている。
彼らの時代には、便利な遠距離武器である弓矢がとっくに開発されているから、少なくても移住した時点で、その技術を知らないはずがない。
だが彼らは弓矢を捨てて、危険な近距離武器を選んだ。

 800~1300年くらいの時代には、「ドーセット文化」というのが、極北に栄えたが、彼のルーツ(起源)がパレオなのかネオなのかは意見が割れやすい。
しかし今は、一般的にはパレオの派生だと考えられている。

 ドーセットという名称は、最初の発掘地の名前に由来するようである。
この文化は、主にアザラシやセイウチのような海産哺乳動物を生活の糧とするもので、小型の手押しソリが移動手段として使われてたりしたらしい(犬ゾリどころか、犬も知られていなかったとされる)。
シャーマニズム的な伝統信仰を持ち、その霊的思想に対する熱心さが、集団の孤立につながったのではないか、とする説もある。
例えば、霊的な純潔を意識して、他部族との結婚が許されなかったとか。

 現代のイヌイットの先祖たちは、1000年くらい前に、ドーセットの者たちと遭遇したとされている。
さらにその300年後には、おそらくヴァイキングが持ち込んだ病気により、ドーセット文化は消滅したとされている。

 チューニット伝説の起源こそドーセットだという説もある。

 また、カナダのヌナブット準州キバルリク地域にある、ネイティブポイントと呼ばれる半島で、20世紀初頭まで生き残っていた「サドレミート(Sadlermiut)」と呼ばれる文化の者たちは、ドーセットの系統らしいという説がある。
しかしサドレミートはドーセットと、それ以後のイヌイットの両方の文化的特徴を持っているとされるが、遺伝研究的には、ドーセットとの関連は低いという結果も出ているようである。

各民族の由来

 イヌイット(かつつのエスキモー)は、北に住むいろいろな民族の総称とはいっても、それらのいろいろな人たちそれぞれに、完全に固有の文化を見つけ出すということはおそらく難しい。
異なる民族といっても、(ネオ・イヌイットの系統に限っては)ほんの数千年前に共通の先祖がいるとは考えられているわけだし、地域的にけっこう連続していて、かつそれぞれに交流などもあったようだから、互いの影響を受けあって、その各文化は似ている。

 例えばユピクに見られるある文化が、グリーンランドのイヌイットには見られなくとも、アラスカのイヌイットには見られるというようなこともあるらしい。

イヌイット。チューレの人々

 イヌイットは、1000年頃くらいのアラスカに出現し、1200年くらいまでにグリーンランドに進出した、『チューレ(Thule)』と呼ばれる人たちの直系だと考えられている。

 彼らはおそらく4000年前にアリュートから分岐し、チューレとして歴史に現れるまでに、ユピクやチュクチとさらに分化したのだともされる。

ユピク。アラスカ最大の先住民グループ

 ユピクは「人」以外に、「本物」という意味合いもあるようである。
そこで正確な意味は「本当の人々」だという説もある。

 イヌイットとアリュートの共通祖先は、1万年前くらいに、シベリアから、ベーリング海峡を通ってアラスカへやってきとされる。
その後の時代に、カナダ、グリーンランドと進んでいくが、それとは別の民族集団であるドーセット系もやがて現れた。

 また、いくらかのアメリカ先住民の祖先は、イヌイット祖先より前に、すでに北米に到達していたと考えられている。

 ユピクは主にアラスカとシベリアに分布するが、シベリアのユピクは、アラスカからシベリアへの逆移民であろうと言われる。

 アラスカ先住民族の中で、ユピク系は最も多いという。
おそらく、中央アラスカ訛りのユピク語も、話者が最も多い。

 伝統的には、ユピクの家族は、春夏をキャンプで過ごし、冬には集まって、村の仲間たちと合流したようである。
主な食料は、サケとアザラシだった。

チュクチ。海の人たちに対して

 チュクチの起源はオホーツク海周辺とされる。
遺伝的研究によると、イヌイットやユピクに比べると、アメリカ大陸の先住民族に、系統的に近いという話がある。

 チュクチの大部分はチュクチ自治区に住んでいる。
しかし一部は、ロシアの他の地域だけでなく、ヨーロッパや北米にも居住しているという。

 チュクチは伝統的に「海チュクチ(Maritime Chukchi)」と「トナカイチュクチ(Reindeer Chukchi)」に分類されたりする。
海チュクチは、海岸に家を定住させ、主に海の哺乳類を生活の糧としていた者たち。
トナカイチュクチは、トナカイの群れと共に、内陸のツンドラ地域で、遊牧民として生きていた者たちである。

 正確には、本来チュクチという名称自体が、「アンカリート(Anqallyt。海の者たち)」と呼ばれた海チュクチに対し、区別のために使用された、「チャウチュウ(Chauchu。豊富なトナカイ)」に由来しているらしい。

 また、チュクチ全体を指す名称としては、「ルオラベトラン(Luoravetlan。偽りなき人間)」というのがあるという。

イヌピアット。やはり本当の人々

 イヌピアットは基本的にアラスカ先住民のグループのひとつ。
大まかな分類では普通にイヌイットに含まれることが多い。

 イヌピアットは、イニュピク(人々)の複数形。
さらにその語源は、iñuk(人)と、piaq(本物)で、イニュピク(イヌピアット)は本来、「本物の人」を意味するとされる。
ユピクやルオラベトランとニュアンスが同じである(コラム)。

(コラム)偽りの人間もいたか

 イヌイット民族の多くは、 自然界のあらゆるものに霊が宿るという、いわゆるアニミズム的な世界観を伝統的に持っていたとされる。
そうなると、人間を真似た無生物とか、偽りの人間も確かにいたのかもしれない。

カラーリット。ヴィンランド人の名称だったか

 グリーンランドのイヌイットはカラーリットと呼ばれるが、実際には、単にグリーンランドで(言語の訛り的に)最大のグループ、西グリーンランド先住民「キターミウト(Kitaamiut)」を構成する者たちのことともされる。
彼らの言語「カラーリスト(Kalaallisut)」はグリーンランドの公用語にもなっている。

 グリーンランドは他に、北先住民の「イヌフイト(Inuhuit)」や、東先住民の「トゥヌミウト(Tunumiut)」を名乗る部族がいるという。

 カラーリットという名称の由来はかなり謎だが、おそらくはより古くの彼らに対する呼称「スクレイリング(Skræling)」が変形したものではないかとされている。

 スクレイリングは、アリ・ソルギルソン(Ari Thorgilsson。1067~1148)とかいう年代記作家が、自身の著作「アイスランド人の書(Íslendingabók)」の中で最初に使用したとされる。

 当時スクレイリングというのは、チューレの人々に対して、グリーンランドで使用されていた一般的な用語だったとされる。

 この用語を生み出したのがヴァイキングなのか、先住民なのかは諸説ある。
ただ、ヴァイキングは13世紀くらいの記録(サガ)で、「ヴィンランド(Vinland)」とかいう島の住人に、同じ名称を使っているらしい。

 ヴィンランドは11世紀くらいに、ノース人ヴァイキングにより探検されたという大陸で、北アメリカの沿岸地域であろうとされている。
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ヴィンランド探検に関連するサガから推定される、旅の航路やランドの環境などは、北米に関する現在の知識とかなり一致するという。

 skrælingは、現代のアイスランド語「skrælingi(野蛮人)」の訛りでもあるようなのだが、デンマーク語においては「弱体化」を意味しているともされる。
しかし結局、元の意味は不明であるし、そもそもKalaallitが本当にこれの変形なのかもはっきりしていない。

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