「日本狼とオオカミ」犬に進化しなかった獣、あるいは神

オオカミの影

平和を好み、強い愛を持った獣

ジェ・ヴォーダンの獣

 家畜化されていない野生の犬の中でも、最大の種である狼(wolf)は、昔の多くの人々にとって、恐怖の対象だった。
その恐怖は、単に肉食の獣に対するそれではなく、もっと恐ろしいモノ。
例えば悪魔的であったり、怪物とか魔物とか称するに相応しいような、そんな存在として捉えられていた。

 フランスの「ジェ・ヴォーダンの獣(La bête du Gévaudan)」の話は、わかりやすい例である。

 1763年。
恐ろしい獣が、フランス南部のジェ・ヴォーダン地方の人々を襲った。
肩の高さが1m近くあったというこの獣は、まるで魔法でも使っているかのように、姿を消したり、突然現れたりも出来たという。
 結局2万人以上導入されたハンター達の手によって、この獣は殺されたらしい。
そしてその獣は、狼であったと多くの人が考えている。

 フランスにはまた、1427~1429年までの3年。
クールトーという人食い狼の話も伝わっている。
 クールトーは度々、仲間の狼達と共にパリにやってきて、子供や聖職者を襲った。
 惨劇の日々は、防衛団が、広場に誘い込んだクールトー一味を、四方八方から槍で攻撃し、全滅に追い込むまで、続いたという。

狼王ロボ

 時代が現代に近づいてくると、狼の扱いは、魔物から害獣へと変わってくる。
家畜を襲う狼を、人々は敵と認識する。

 動物学者シートンが記録した、有名な『狼王ロボ(Lobo, the King of Currumpaw)』は、1894年頃に、牧場を荒らして回ったのがきっかけで、命を狙われる事となった。

 しかしロボは賢く、ハンター達の仕掛ける様々な罠を上手く避け続ける。

 しかしロボは間違いなく、ただの狡猾な野獣ではなかった。
ロボにはブランカというパートナーがいて、彼女を囮にされた時、ロボは危険を省みず、ついに人間達の罠にかかってしまったのである。

狼達の絆

 ロボは賢い狼ではあったけど、特別に高貴だった訳ではない。
ロボがそうであったように、狼は通常、生涯をかけて唯一のパートナーを強く長く愛する。

 それに一桁の数程度で形成された一団の絆も強い。

 一団は、一個の社会としてかなり完成しており、狩りなどの際は、年長の雄を指導者として、見事な連携を見せる。
 狼の「指導者と仲間達の繋がり」は、「飼い主と飼い犬の繋がり」に近い。
そこには確かに、強い愛と友情の絆がある。

 1958年に、アラスカで7頭の狼の子を世話したクライスラー夫妻は、その馴染みやすさに驚かされたという。
友好的で、世話好きで、攻撃には勇敢に反発し、嬉しい時には笑う。
夫妻は狼を、「彼らこそ、平和を愛する、最も賢き獣(They are the most wise beasts who love peace)」だと評した。

生態と、いくつか、犬との比較

気候により異なるサイズ

 狼は、広くヨーロッパ、アジア、アメリカの各大陸に、生息している。
どちらかというと寒い地域の方が、よく繁栄しているらしく、生息地域の気候の違いが、種ごとの毛深さに関係しているようである。
温度「気温の原因」温室効果の仕組み。空はなぜ青いのか。地球寒冷化。地球温暖化  例えば一年の平均気温が0度を下回っているというモスクワ付近の狼の毛の長さは10cmを越えているが、インドの狼は3cm程度だという。

 また体の大きさも、寒い地域の者の方か大きい。
 大型は、肩の高さが80、90cmほど。
小型で、肩の高さが50、60cmほどらしい。
 参考までに、警察犬などでお馴染みの品種シェパード(German Shepherd Dog)の雄で、肩の長さは65cmほどとされている。

遠吠えと苦手な音

 狼の鳴き声と言えば、口を上に向けて放つ『遠吠え(howling)』であろう。
たいてい、「アオー」という長い高音(ソプラノ)から、「アオ、アオ、アオ」という数回の中音(アルト)、最後に「オー」という低音(バス)の流れがある。
このような遠吠えは、仲間をを呼ぶ為のサインとされている。

 また、愛情には鼻声(クンクン)、敵意には唸り声(ウーッ、グルルル)、苦痛には悲鳴(キャンキャン)を発するが、これはと同様である。
犬と犬小屋「犬」人間の友達(?)。もっとも我々と近しく、愛された動物  また犬はさらに、警戒の呼び声(ワンワン)を発するが、実は狼も、(犬ほど巧みでないにせよ)人に飼われたら、ソレを習得するという。

 それと、人間が「黒板を引っ掻く音」が苦手なように、狼が弦楽器の音を苦手だという説がある。
特にバイオリンが苦手で、ヨーロッパには狼に追いつめられた音楽家が、バイオリンを奏でて助かったという話まであるらしい。

食生活

 山、森、草原のどこに生息していても、住居には丘陵(きゅうりゅう)の穴などを利用するのが基本。

 大きな獲物を狙う際に、数家族が20~30頭程度のチームを結成する事がある。
リーダーは基本的に年長の雄。
 「2隊に別れての挟み撃ち」など、しっかりと作戦を練り、組織的な攻撃をする。

 草食獣の他にも、蛇や蛙、小鳥に昆虫、果実も食べる。
虫取り網「昆虫」最強の生物。最初の飛行動物 1日の食事量の合計は2~5kgほどとされている。

 腸の長さは身長の4倍ほどで、犬(身長の6倍ほど)よりも短い。
これは犬が雑食に適応した結果であると考えられる。
基本的に肉より、植物の方が消化が難しく、肉食から草食への進化は、腸を長くする傾向にある。

 また、極端な飢餓でもなければ、普通、人は襲わない。
 犬同様、むしろ人に馴れやすい。

混血は、どちらかというと犬に似る

 子は冬に生まれる事が多く、一度に7~9頭程度が産まれるという。
子は閉じた目を開くのに2週間ほどかかり、成長しきるまでには2年以上を要する。

 また、犬との混血の記録自体は古くからあり、紀元前4世紀には、アリストテレス(紀元前384~紀元前322)が、犬を強化する目的で、狼との混血児を企画したらしい。
ただしこの企画が成功したかどうかは、記録に残っていない。

 そしてアリストテレスよりずいぶん後の、18世紀。
雄犬と雌狼の子を、さらに4世代先まで観察した、フランスの生物学者ビュッフォン(1707~1788)は、「混血は、雄は狼に似て、雌は犬に似る」と結論した。

 また、ビュッフォン以後。
進化論で有名なダーウィン(1809~1882)を始めとする多くの研究者が、犬と狼の混血は、どちらかというと犬に似る。
進化の分かれ道「進化論」創造論を最も矛盾させた生物学理論 そして数世代後には、完全に犬との違いが判別出来なくなってしまうと、述べている。

 寿命は狼も家犬も15年くらいとされるが、犬の方がやや長いとも言われている。

走る速さ

 走る速度は、平時には時速35~40km程度のようだが、ハンターの車に追われている場合など、緊急時には時速50kmほどは出るという。
 また、1944年のヤングとゴールドマン著「北米の狼」には、狼を180mほど走らせた実験により、その速度を時速45kmとしている。
 
 実際に野生の狼を観察した研究者の多くが、「世間で考えられている狼の速力は過大」だとしているのは注目に当たるかもしれない。

 ちなみに柴犬で時速32km程度。
最も速い犬種とされるグレイハウンドが、時速65kmほどとされている。

日本狼の伝説

 『日本狼(Japanese wolf)』は、『山犬』とも呼ばれ、決して悪の獣や怪物としてでなく、日本人は、神々に対するように、畏敬の念を持っていた。
むしろ、(いつからかは不明な点も多いが)山犬とは、日本人にとって、神であった。
日本神話「日本神話」神々の国造りと戦い。現代的ないくつかの解釈

害を成した古い記録

 昔、明日香(奈良県高市郡明日香村飛鳥)の地にて、人を食う老狼がいた。
人々はその狼を恐れ、「大口の神」として、かの地を「大口の真神の原」と呼んだという。
 これは43代元明天皇(げんめいてんのう。661~721)の治世(713年)の記録である。
歴代天皇「歴代天皇」実在する神から、偉大なる人へ  伊勢神宮の平安末期までの主要事項を記録した書、「太神宮諸雑事紀(だいじんぐうしょぞうじき)」にはより具体的に凶悪な事件が記録されている。
 それによると55代文徳天皇(もんとくてんのう。827~858)の治世(851年)。
とある嵐の夜に、神主の十三歳の子を、家に侵入した狼が食ってしまったのだという。

 歴史書「日本文徳天皇実録」にも、855年に人に害成す狼が退治されたという記録が残っている。

 同じく歴史書「日本三代実録」には、58代光考天皇(こうこうてんのう。830~887)の治世(885年)に、人を噛み殺した狼が、通りかかった侍に退治された記録がある。

 そして、これまた歴史書「日本紀略」にも、教育施設付近で、三人の女を殺した狼が記録されている。

 これらの記録では、狼は人に害なす存在として恐れられていたり、成敗されたりしているが、日本の記録では、狼を恐怖の対象とするものは、むしろ珍しい。

人里に現れただけの狼

 歴史書「日本後紀」には、50代桓武天皇(かんむてんのう。737~806)の治世(802年)に、都の通りに現れた狼が殺された記録が残っている。
 また、52代嵯峨天皇(さがてんのう。786~842)の治世(811年)には、兵器工場に現れた狼が殺されたという。

 これらの記録では、狼による被害などは全く描かれない。
ただ人里に迷い込んだ狼が殺されてしまってるだけである。

 また、三代実録には、57代陽成天皇(ようぜいてんのう。869~949)の治世(881年)に、貴族の施設で、狼が遠吠えしたのが記録されている。
これなど、ただ狼を目撃しただけという話である。

狼信仰の初期の例

 神話混じりの記録書である「日本書紀」の29代欽明天皇(きんめいてんのう。509~571)紀には、京都の商人であった秦大津父(はたのおおつち)が、伊勢からの帰り道で、二頭の狼に出会ったとある。
 争いあっていた二頭を止めるのに、秦大津父はまず口と手を洗い清めた。
それから彼は二頭に呼びかける。
 「あなた達は賢き神であろう。争いが何を生むか?もし私が狩人であったなら、あなた達は間違いなく捕らえられていたぞ」
 そして争いを止めた二頭の体についた血をも、秦大津父は洗い流してやり、それから二頭を放したという。

 欽明天皇は幼い頃に、この出来事を夢にて知らされ、即位後に、秦大津父を探しだし、家臣として迎えた。
という事は、この話は、欽明天皇が即位したとされる540年頃より前の出来事となるだろう。

 元明天皇の頃(713年)に、昔話として伝わっている「大口の神」の話と、同じくらいの年代の話とも考えられる。

 そして、これらの話から連想できるように、日本人にとって狼とは、時に恐れるような、しかし身近な獣の神だったのである。

ありがたい、白い狼

 日本後紀にはこんな話もある。

 53代淳和天皇(じゅんなてんのう。786~840)の治世(826年)に朝廷に白い狼が侵入してきた。

 普通、狼の毛色は寒い地域で白く、温暖な地域では黒ずんでいく傾向にある。

 日本狼は、別に白い訳ではなかったろうから、これはいわゆるアルビノ(色素に関する遺伝子の欠損により、体色が通常より白い個体)だと思われる。

 とにもかくにも、この白い狼は、恐れられるどころか、吉兆を知らせる、めでたい存在として、非常にありがたがれたという。

狼の恩返し

 江戸時代の国学者で、神道家で、医者としても知られる平田篤胤(ひらたあつたね。1776~1843)は、著書「玉襷(たまだすき)」の中で、「狼は獰猛ながら情深い」と述べている。

 篤胤によると、1796年頃に、兵庫県のとある町の浜で、毎日娘に魚を与えられていた狼がいたという。
 この狼が、義理深く、ある時、悪党に襲われ、助けを求める娘の声に、すぐさま駆けつけた。
そして勢いよく暴漢に噛みつきかかり、娘を守ったのだという。

 このように「狼の恩返し」とでも言えるような話は、民間によくあるとされる。

 たいていパターン化されていて、罠などにかかった狼を助けたところ、しばらく家の前に兎などの肉を運んできてくれたという話が多い。

なぜ日本人は狼を神聖視したのか?

 そもそもヨーロッパで狼が、嫌われたのは家畜を襲われたからである。

 しかし古来、日本では、肉は、牧畜でなく漁業に頼るのが基本であったから、人と狼が食料を奪い合う事にはならなかった。

 むしろ、農民達にとっては、畑を荒らす猪や、鹿を襲う狼は、まさしく救いの神であったのだ。

 ただし東北地方には、馬の牧場が多くあり、狼がもたらす被害を嘆く人もけっこういたようである。
牧場主達は、狼への対抗策として、鉄砲、毒薬、落とし穴などを駆使した。
 あまりひどい被害をもたらす狼には、ヨーロッパでたまにあったように、懸賞金がかけられる事もあったという。

狂犬病の伝来

 1732年に、『狂犬病(rabies)』が伝来してからは、日本でも狼を恐れる人が増えた。

 この病気はウイルス性の感染症で、犬はもちろん人間にも感染する恐ろしい病気としてよく知られている。

 感染した犬は、狂犬という病名通りに、狂暴となる。
また、水を恐れるようになるなどの症状が出る。
 人が感染する場合、感染した犬に噛まれた人が主に感染するのだが、一応、人から人へは移らないとされる。
 ただし放置しておくと、高い致死率になる為に、感染した場合は早期の治療が必須となる。

 今はワクチンがあるが、かつてこの病気にかかった疑いのある者(狂った様子の犬に噛まれた者)は、傷口を焼くしかなかった。
 それが、唯一の治療法だったのである。

送り狼

 妖怪か何かのように語られる事がある『送り狼』というのがある。
カラスの妖怪猫又、鎌鼬、送り狼「動物、獣の妖怪」  これは、夜の獣道で、歩く人につきまとい、その人が転んだり、びびって逃げようとしたら、襲いかかるという。
 この送り狼の話には、実際の狼の習性が反映していると考えられている。

 実際、狼は好奇心が強いので、自分達のテリトリーに、人間などが入ってきたら、近づいてきて後をつけたりする。
時には数時間もである。
 しかし、基本的に、これはただ物珍しさで観察しているだけで、襲われたりする事はない。
 ただし狼は肉食動物としての本能的に、転んだり、逃げようとする者を攻撃する場合がある。
なので、実際に、送り狼に遭遇した場合には、堂々とただ歩くのがよいのだという。

魔術的な俗説

 かつて狼の、皮や毛には、邪気を払う力があるとされていた。
また、頭骨は厄災を防ぐとされ、神棚(かみだな)に祀る人もいたという。
 それに牙は、家畜を恐れさせ、身に付けてるだけで、どんな荒馬も大人しくなると考えられた。

 牙にはまた、毒があるという説もあったらしいが、これはまず間違いなく狂犬病から発生したイメージであろう。

 その糞を燃やすと風にも曲がらぬ真っ直ぐな狼煙となり、花火に用いると美しい光を放つという話もある。

 さらに糞は手品にも使えるのだという。
江戸時代の手品の書「放下筌(ほうかせん)」には、その法が記載されている。
 狼の糞を鳥もち(粘着性の物質)で練って、小さな丸薬にしてから、火にかける。
するとそこから昇る煙を通して見る物が、細長く見えるのだという。

二ホンオオカミの科学的研究

日本動物誌で紹介された日本のオオカミ

 日本狼をオオカミとして科学的に記述した最初の例は、オランダ人のシーボルト(1796~1866)とテミンク(1778~1858)の著書『日本動物誌(Fauna Japonica)』のものとされる。
日本狼が紹介されている「犬科(Canine)」の部分の発表は1844年である。

 「日本でヤマイヌと呼ばれている動物は、我々がよく知るオオカミの新たな1種に間違いない。独特の特徴としては足が短い(The animal called Yamainu in Japan is no doubt a new kind of wolf we know well. As a unique feature, their feet are short)」
シーボルトらはこのように書いた。

新種か、既存の種か

 しかし日本狼が新種なのか、ただ小型なだけの既存の狼なのかは、議論を呼んだ。

 1890年に出されたイギリスの生物学者マイバートの著書『犬科専攻(a monograph of the canidae)』にも、日本狼についての記述がある。

 「テミンクは足が短いのを根拠に日本の狼を新種としているが、既存の狼にも、彼の本の挿絵に描かれた程度に、足が短い個体はいくらでもいる(Temminck said “Japanese wolf is a new species” on the basis of its short legs. but even in existing wolves, there are many individuals with short legs, to the extent that they were drawn on the illustration of his book)」

 また犬科専攻には、初期の進化論支持者として有名なハクスリーが、ロンドン動物園で飼われた日本狼を見た際の言葉が引用されている。

 「ただ、よく知る狼の小型なだけのものに見えた(It just looked like a compact one of the well-known wolves)」
1880年に、ハクスリーはこう述べたという。

 さらに日本の記録には、オオカミとヤマイヌが別の種であるかのように扱われている場合があり、それが正しいならば、おそらくオオカミかヤマイヌかは、科学的に未記載である。(ただし現在ではオオカミとヤマイヌは同種であるという説が有力)。
 オオカミは、文字通り架空の神獣であるとする説もある。

日本人による比較研究

 日本における日本狼研究は、1930年頃からとされている。

 この頃には既に日本狼は絶滅してしまっていたから、日本の研究者達は、古い文献を漁るか、標本や骨格などを調べるしかなかった。

 それでも、例えば阿倍余四男(あべよしお。1891~1960)は、1933年に、日本狼と朝鮮狼の比較研究により、成果を上げた。
彼によると、日本狼は、インド狼と並び最小の部類で、足の短さに加え、吻部(ふんぶ)が太く、耳が小さい。
 朝鮮狼は吻部が細長く、大きさは大陸狼と日本狼の、ちょうど中間くらいであるという。

 他の種との比較は、さらに斎藤弘吉(さいとうひろよし。1899~1964)の研究が詳しい。
彼は「忠犬ハチ公」を世に広めた事でも有名である。
ハチ公「忠犬ハチ公の真実」飼い主を待ち続けた秋田犬の本当の話。  その彼は、各国の狼と、日本狼の頭骨を徹底的に比較した。
残念な事に、その貴重な資料は戦火で失われたが、計測表は無事だったので、それは1954年に発表された。
 それには、日本狼はインド狼よりはやや大きく、足が短いのは橈骨(とうこつ)が短い為とある。
吻部は短くて幅広く、耳が小さく頬が張っていると、その結論はほぼ阿倍氏のものと一致する。

遺伝学的な調査

 2009年。
 日本狼の骨から抽出されたDNAを用いた、石黒直隆(いしぐろなおたか)教授による、遺伝学的な調査では、「日本狼の遺伝的な系統は、タイリクオオカミとも犬とも異なる」という結果となった。
 ただし、大陸のハイイロオオカミとの違いは亜種レベルの可能性が高いともしている。
 
 つまり遺伝学は、マイバートやハクスリーを支持している形となっている。
 

最後の個体

 1905年(明治三十八年)1月23日。
昨年に来日したアメリカ人のマルコム・プレイフェア・アンダーソン(1879~1919)は、助手兼通訳の金井清(かないきよし)を通して、三人の猟師から、狼の死骸を売り込まれた。
 
 結局金井氏が提示した値段に猟師達は納得せず、その時の交渉は決裂した。

 しかし、他で売れなかったのか、もともと大した額だったのか、猟師達はその内に引き返してきて、結局は死骸の狼を売った。

 その個体は若い雄で、アンダーソンと金井氏は、ナイフで皮を剥ぎながら、その腐敗しかけの体から、個体はおそらく、死後、数日ほどだろうと推測した。

 そしてこのアンダーソンが購入した死骸が、確認された最後の日本狼となった。 

なぜ絶滅したのか?

 原因はいくつか考えられるが、おそらくはそれら全てが重なった結果であろう。

 まず、狂犬病の到来による、狼の危険度の上昇である。
それまでは、おとなしいとすらされていた日本狼も、危険だとして、崇拝から忌むべき対象に変わっていったのである。

 さらに銃器の進化も大きいだろう。
動物を殺すのはより手軽になってしまったのだ。
銃という恐ろしい武器は、狼自体はもちろん、その獲物である鹿などの減少にも大きく関与しているはずだ。

 近代的な開発による森林の減少なども、狼から住みかと獲物を奪っていった。

 その末期には、狼間で(おそらくは家犬由来の)伝染病が流行していたと思しき記録もあるらしい。
家族の絆が非常に強い狼という生物にとっては、伝染病は非常に猛威を奮ったろうとされている。

 強すぎる愛が仇となった訳である。 

北海道の大型

 北海道に存在したという『エゾ狼(Canis lupus hattai)』は、ヤマイヌこと日本狼とはまた別種だったとされる。
 エゾ狼は大型で、その形態学的特徴はむしろヨーロッパなどのタイリクオオカミに近かったとされている。

 アイヌの人々は、本州の人と同じく、狼を『ウォセ・カムイ(吠える神)』として、崇拝していたという。
アイヌ文化「アイヌ民族」日本の先住民(?)どんな人たちだったのか?  その絶滅は日本狼よりも早い1889年頃と考えられている。
原因は日本狼よりずっとはっきりしている。
移住してきた本州人達の馬を襲った為に、その怒りを買った為だ。(ただし、これは移住者達の開発により、本来の獲物である鹿の数が減ったせいなので、完全に逆ギレである)
エゾ狼には賞金がかけられ、大規模な狩猟によって、瞬く間に絶滅してしまったのである。