ツールキット。ホメオボックス。発生を制御する遺伝子「エボデボの発見」

遺伝子は発生する生物の設計図か

 通常、『遺伝子』とは、DNA(deoxyribonucleic acid。デオキシリボ核酸)と呼ばれる高分子に記録されている、ある生物個体から別の個体へと受け継がれる、その生物の情報のことと考えられている。
「DNAの発見」歴史に消えた多くの功績、歴史に残ったいくつかの功績 「生化学の基礎」高分子化合物の化学結合。結合エネルギーの賢い利用

生物の誕生はいつか

 ダーウィンが進化論を語った時は、ある生物が次世代に自身の機能のいくらかを部分的にでも伝える、いわゆる遺伝子というものは、まだ仮説でしかなかった。しかしその頃にはすでに多くの生物学者が、そのような情報因子が何かあるはずだということを、ほぼ確信していた。
ようするに、ある種の動物が、ある種の動物らしく見えるのは、遺伝子のせいであるはず。
「ダーウィン進化論」自然淘汰と生物多様性の謎。創造論との矛盾はあるか
 しかし遺伝子が、単に調整装置なのか、あるいは設計図なのかという疑問もあると思う。ようするに生物の発生や成長という現象自体は、遺伝子とは独立している現象であって、遺伝子はその現象を調節することで結果的にこの世界にある生物を誕生させるのか。あるいは、遺伝子にはある生物が発生する時点から、すでにその生物がどのような存在になるのか決定づけるような情報が入っていて、つまり発生とか成長とかは、そもそも遺伝子の情報の通りになるようプログラムされているようなものなのか。
普通は後者であると考えられてきた。なぜなら遺伝子なしで、生物の発生や成長と呼べるような現象が見られた例はないとされるから。ようするに、親が子に似るということは、遺伝子が存在する確率が高い。しかし、親無しで発生する生物は知られていない。

 もっとも、ビッグバン理論にせよ、地球生物が地球外から来たわけではないと考えるにせよ、普通考えられている様々な世界観において、地球生物にはどこかで遺伝なしで誕生した瞬間があるはず。あるいは、遺伝子的なものを、そうとは定義されないような状態から生み出した瞬間が、昔の時間のどこかであったはずである。
例えばこの宇宙が、実は1時間前とかに、現在の世界みたいになるような設定で作られたシミュレーション宇宙とか、そういうわけでないのなら。
「宇宙プログラム説」量子コンピュータのシミュレーションの可能性

調整装置だとして何を調整するか

 もちろん発生という段階以前からや、物理的に考えると、遺伝子は調整装置と言っていいのかもしれない。だがそれは、成長や発生というものに対する調整装置なのでなく、物質が時間の流れの中で変化する過程を、成長とか発生というものに変える調整装置というふうに、考えるのがよいのでないだろうか。

 いや、本当にそうなのだろうか。
例えばある成体の動物の遺伝子を、いくらか変換することができたらどうなるだろうか。そして別に意図的でなくても、遺伝子の中にある情報コードは、物理的な形や配置に影響されているようなので、物質の変化というのに常に晒されている。
確かなことは、遺伝子が設計図なのだとしても、それは、即座に実像として投影されるような背景コードではないだろうこと。仮に今、あなたの遺伝子情報を人間(あなたはきっと人間だと思うが)のものから、カエルのものに一瞬で上書きしたとする。あなたの姿は、即座にカエルになるだろうか。生きていく上での内部情報のやり取りの多くでエラーが発生して、あなたは多分死ぬだろうが、一瞬でカエルになるというのは考えにくい。

進化発生生物学。エボデボのきっかけ

 ダーウィンの進化論以降、生物発生における重要な(部分)遺伝子の発見は、生物学者たちの重要な関心ごとのひとつになった。
そして、ショウジョウバエを研究していたあるグループが、1980年前後くらいに、重要な進展をもたらす。
彼らの研究から出てきたのは、動物の『形態形成(morpho genesis。モルフォジェネシス)』、つまりはある生物は、自身という生物体をどう発生させるか。そうしたことの基盤をなす論理と法則。それは『進化発生生物学(Evolutionary Developmental Biology)』、あるいは略して『エボデボ(Evo Devo)』と呼ばれる生物研究における新分野の開拓にも繋がることになった。

相同遺伝子が関与する範囲

 つまりは一世紀以上の間、生物学者は基本的に、動物は種グループごとに異なる組成パターンを、遺伝により繋がった時空間ネットワークにより維持(共有)している、というよう想定していた。ある種と、別の種の形態の異質性が大きいということは、単純に、それらの発生に関する遺伝子情報の違いもそれだけ大きいのだろう(つまり共有するコードが少ないのだろう)と。
ところが、ショウジョウバエの体の形成に重要な役割を演じるものとして初めて特定された遺伝子の大半に関して、(人間含む)他の多くの動物も、同じ役割らしき『相同遺伝子(homologous gene)』を共有しているということが示された訳だった。
相同遺伝子というのは、ようするに(同一祖先に由来すると思われる)同じ構造や機能を有する遺伝子である。例えば、著名な生物学者エルンスト・ウォルター・マイヤー(Ernst Walter Mayr。1904~2005)は、相同遺伝子が見つかる可能性が「近縁な生物種以外にはそう高くないはず」と予想したことがあるようだが、おそらく彼は急ぎすぎだった。

 利用される遺伝子の共有は、複雑な生物内の別々の器官においても見られた。眼、肢、心臓など、典型的な動物体の要素として知られる各種器官は、それまでは(確かにそのこと自体に、大した根拠がなかったと言えばなかったと思われるが)種ごとにまったく異なる進化の過程を経た、個々に独自発生パターンのあるような部分であろうと通常考えられてきた。
しかし、実のところ、動物ごとに構造が大きく異なるようなさまざまな器官の発生でも、驚くべきほど広く、様々な動物グループにおいて同じ遺伝子が関与していることが判明したのだ。

ツールキットとモジュール

 広く、あらゆる動物の特定部分に(見かけや生理機能の違いにも関わらず)関わる、言わば共有ツール(道具)的な遺伝子を『ツールキット遺伝子(gene toolkit)』と言う。
言ってしまえば、この宇宙がハードウェアで、我々がそこで機能するソフトウェアみたいなものと考えると、遺伝子のシステムは生物のための開発環境みたいなもので、ツールキット遺伝子は汎用性が高くて(アレンジ次第でかなり自由)、よく使われるプログラムコード、テンプレートという感じと思う。
もっと古くから普遍的な言葉で言うなら、我々が様々な部品の組み合わせで構成される機械だとするなら、ツールキット遺伝子というのは(その場合ごとに必要なアレンジを加えることで)様々な部品を作るのに使える基本設計図といったところだろうか。

遺伝子情報が様々な生物で近しいことの意味

 小さな虫でも、巨大な哺乳類でも、体の様々な部分、器官の形成パターンを支配する遺伝子群はかなり共通する。
この事実は、我々が近しい動物同士、遠い動物同士を考える時に、特に誰かに言われるまでもなく想像しがちな理由に疑問を投げかける。
生物種の全DNA(ゲノム)の塩基配列を読み取ると、ハツカネズミ(マウス)とヒトでだいたい2万9000個ほど、チンパンジーとヒトなどは99パーセント近くの遺伝子セットを事実上共有していることは、今はわりと有名な話であるが、それがわかった頃の衝撃は相当に大きかったとされる。

 幅広い生物種が共有するツールキット遺伝子というものは、1個の細胞が動物体という複雑な構造を構築してゆく仕組みを明らかにしてくれるだけでない。それはつまり、単純な構造であったと思われる共通の祖先から地球上の様々な生物が進化によって誕生してきたという、ようするにダーウィン進化論的な物語の強力な証拠でもある。

繰り返すモジュール構造

 動物の体のあちこちには反復(繰り返し)が見られることを実感するのは簡単であろう。自分の体でも見てみたらいい。例えば手の指も、足の指も、どれもその骨格を支えとした構造はよく似ている。肋骨とか脊椎といったものも、似たような骨を連続してくっつけたみたいである。そもそも体中のほとんどどこだって覆っている感じの、この皮膚が、体のどこからでもいいからポロリと取れた場合に(そしてその瞬間を見事に見逃していた場合に)、その取れたものが体のどの部位から取れたものなのか、容易に判断できるだろうか。

 動物体のデザインは、普通似たようなモジュール(部分構造)を大量に組み合わせている。それほど驚くべきことではない。大して形のバリエーションもない玩具のブロック群でも、組み合わせ方によってその集合物の形はかなり多様であることは、そうした玩具で遊んだ経験のある者なら誰でも知っているはず。
それは一見したところの複雑性(カオス)を演出することもある。例えば蝶の羽の模様も、やはり特定パターンの繰り返しであるのだが、中にはとてもランダム性が強そうに見えるものもあると言われる。そうした認識の原因は、どちらかと言うと繰り返しパターンの膨大さとかよりも、我々が視覚的に確認できる普通のスケールの問題かもしれないが。

 ある動物グループのメンバー間の顕著な違いを調査すると、そのわかりやすい違いが、反復されている構造の数と種類ということは珍しくない。

 モジュール構造の繰り返しというアイデアを採用した生物の構造体(ボディプラン)は、もうとっくに絶滅した大量の化石生物においても見られる。
こうした構造形成の方法は、ツールキット遺伝子という基本プログラムの存在と合致しているように思われる。

 英語圏に『メンデルの法則』を紹介したことなどで知られるウィリアム・ベイトソン(William Bateson。1861~1926)も、大型動物の多くが部品の反復により構築され、さらに個々の構成部品ごともまた、さらに基本的な単位の反復により構築されていることを見いだしたことがある。
「メンデルの法則」分離、独立、優性、3つの法則とその例外。遺伝子地図
ベイトソンは、生物一般に見られる『対称性(Symmetry)』の最も単純なケースとして、ある方向への一連の部品に対応する、別方向への一連のパーツを定義した。そして、そのような配置がある時点で、またある程度存在しない生物は存在しないだろうと推測も。

細胞の組み合わせとしての生物

 生物の最小単位といわれる細胞が、いくつも集まって膨大なネットワークを構成している。多細胞生物というのはそういう存在なわけだが、もちろんモジュール構造の繰り返される部分をそのレベル(細胞スケール)で理解することもできる。
「幹細胞」ES、iPS細胞とは何か。分化とテロメア。再生医療への利用
 動物の体の模様は、表面の個々の細胞のそれぞれの固有の色の組み合わせ(カラー映像が色の点の組み合わせであるのと同じ)。何らかの光にさらされている場合、各細胞の構造に依存する反射や屈折特性が、その個々の色の原因である。

パターンを決める形成体、オーガナイザー

 かつて、生物の発生を研究する生物学者たちの一般的な研究方法は、針やメスなどで突いたりなど、直接的に物理的影響を与えた胚や、部分的な、細胞のために、どんな変化が生じるかを確認することだった。
卵 「胚発生とは何か」過程と調節、生物はどんなふうに形成されるのかの謎

重要な部分の発見

 発生学者ハンス・シュペーマン(Hans Spemann。1869~1941)の行なった実験はよく知られている。
彼は、イモリの初期胚の二細胞に関して、それらが同一の細胞か、異なる細胞かを調べた。分裂期と思われる胚を、娘からとらせてもらった細い髪の毛てわ切ってみたのである。
するとどうか。切り離されたいずれの細胞からも、イモリの正常な幼生が生まれたのだった。少なくともイモリの初期の胚は、2つに分割した場合でも、個々に、同種の動物個体に変異する。
両生類の手 「両生類」最初に陸上進出した脊椎動物。我らの祖先(?)
 最初シュペーマンは、二細胞のちぎれかかってると思われる部分(くびれ部分)を切ったが、彼はくびれと直角の角度でも胚を切った。すると、二分割された胚の一方だけが正常な幼生となり、もう片方は無情(?)なかたまりでしかなかった。
一連の実験で、シュペーマンは、『原口背唇げんこうはいしん(dorsal lip)』と呼ばれる部分が、両生類の胚の発生過程において、決定的役割を有することを示した。ようするそれの有無が、正常な個体が発生するかどうかに直接的に関連している部分。さらに、その原口背唇の部分を、発生途中の別の胚の、腹部が形成される部分に移植してみると、そこに第二の胚(発生軸)が形成されてしまい、つまりは結合状態の2つの胚が形成されてしまった。
シュペーマンはその発生のスイッチかのような部分に『オーガナイザー(organizer。形成体)」と名づけた。そして以降、様々な生物の発生研究で、影響力の強いオーガナイザーが見つかっている。
スイッチという表現は言い得て妙と思う。オーガナイザーの発する指令は、胚の他部分に発生のための相互作用を引き起こすとされる。

四肢形成の時の極性

 例えば、我々にとって身近な疑問であるためか、四肢(手足)の形成に関する研究は古くからあるという。
四肢の初期段階は、『肢芽(limb blastema)』と呼ばれる、発生初期に胚の側面に生じる小さな出っ張り。最初はとても小さいが幼い子になる過程で、数百とか数千倍のスケールとなり、骨や筋肉なども発達させる。
例えば脊椎動物でよく発達している「軟骨」と呼ばれる組織は、細胞が凝集することで形成されていくが、部分的染色の技術などにより、その流れは実際に確認されてもいる。

 重要なことは、四肢形成はお決まり的な順序で進むのが普通であるから、例えば指の形成には間違いなく『方向性(極性)』がある
から、四肢となる細胞が、どのように四肢を形成していくかという、指令情報、システム(つまりはオーガナイザー)があるはずということ。
ジョン・サンダース(John W. Saunders Jr。1919~2015)は、ニワトリの肢芽の極性を指令するオーガナイザーを発見した。ニワトリの翼はふつう三本指、つまりは第二~四指しか形成されない。サンダースが、発生中の肢芽後端部(第四指が形成されるあたり)の組織を前端部(第二指が出てくるはずのの辺り)に移植すると、形成される翼に余分な指が増えた。すなわち指の配置の本来の形が、その鏡像反転、つまり中心を軸に反転された形と重なったようなものになった。「第二指、第三指、第四指」が本来だが、つまり「第四指、第三指、第二指、第三指、第四指」という指構成が発生した訳である。したがって、(後に『極性化活性帯(zone of polarizing activity。ZPA)』と呼ばれるようになった)肢芽後端部の細胞は、明らかに指の形成順序、その極性を決めている(自身の位置を基準とした、そのような指令を発生細胞群に与えている)

 シュペーマンのオーガナイザーや、ニワトリ四肢のZPAの影響は、総体的な生物体において大きいと思われるが、もちろん各オーガナイザーが決定する構造が、その生物にとってどれくらい重要かは場合によりけりであろう。
ただ全く意味のないようなものは少ないと思われる。いわゆる『自然淘汰(Natural selection)』という現象のために、広く使われるものは、基本的に何か役にたった構造と思われる。

濃度勾配のための変化

 少なくとも、どのオーガナイザーも、組織体のパターン形成(つまりはモルフォジェネシス)に影響を与えるとされる。オーガナイザー細胞は、他の細胞の発生に影響を及す(一般的には『モルフォゲン(morphogen。誘導因子)』と呼ばれる)物質を生成するスイッチ的なものなのだから、これは当然と思われる。
オーガナイザーの影響力の強さは、対象細胞との距離に依存するが、これはモルフォゲンが拡散していく時、広い空間に広がっていくものが普通そうであるように(つまりエネルギー保存の法則という宇宙の基本ルールのために)その濃度が薄まるからと考えられる。この場合、生成源から外側に拡散していくモルフォゲンに関して、『濃度勾配』が形成されるというように表現される。このエネルギーの性質と空間構造を利用した勾配(変化)は、例えば近くの指と、それより遠い指の違いの形成にも関連すると考えられる。
熱力学 エントロピーとは何か。永久機関が不可能な理由。「熱力学三法則」
 オーガナイザーの活性は、あくまで細胞の多数の機能の1つでしかないし、そもそも、たった1つの物質だけがそのシステムに関与しているかもわからない。細胞中の生化学物質から、モルフォゲンを特定することは難題で、実際、何十年もの時間がかかった。

遺伝子スイッチ

 そもそも、神経系や消化器官など、 ある程度複雑な生物の部分の細胞は、かなり特殊化しているにも関わらず、ある複雑な生物の全細胞は遺伝情報(DNA情報)を共有している。
何らかの役割を与えられる特殊細胞の存在から、そうした役割を与えるための情報も、DNAの中に含まれていると推測するだけなら簡単であろう。

バクテリアのLacリプレッサー

 『大腸菌(Escherichia coli。バクテリア)』はブドウ糖を好むが、ブドウ糖が得られない場合でも、他の糖を代わりに分解し利用する。
また基本的に哺乳類の乳汁(ミルク)に含まれている『ラクトース(Lactose。乳糖)』は、『ベータ・ ガラクトシダーゼ』と呼ばれる酵素によって、ブドウ糖と『ガラクトース』に分解される。
ブドウ糖で培養された大腸菌は、ベ ータ・ガラクトシダーゼをあまり生成しない。しかし培養液の糖分を乳糖にすると、大腸菌は酵素の生成頻度を大きく上昇させる。
理科室 「微生物の発見の歴史」顕微鏡で初めて見えた生態系
 パリのパスツール研究所でチームを組んだジャコブ(François Jacob。1920~2013)とモノー(Jacques Lucien Monod。1910~1976)は、大腸菌が乳糖が周囲にある時のみベータ・ガラクトシダーゼをよく生成する理由を解明した。ベータ・ガラクトシダーゼをコードする遺伝子は、周囲の乳糖に応じてON・OFFを切り替えるスイッチによって制御されていたのである。
つまり、『Lacリプレッサー』と呼ばれるタンパク質が、ベータ・ガラクトシダーゼ遺伝子の近くの、あるDNA配列領域に結合している場合、その遺伝子スイッチはOFF状態となる。つまりその、『DNA結合タンパク質』がDNAに結合するか否かがスイッチのシグナル(ON・OFFの合図)。
またおそらく、さらに詳細なシステム原理として、DNA結合タンパク質は、特定のDNA配列領域をしっかり認識している。

 遺伝子スイッチの発見というか、 実際そういうシステムが現実にあったということ自体、考えれば考えるほど驚くべきことである。
この宇宙の中で、それぞれ独立していると思われる個の生物という集合構造の中で、いったい制御されているのは、どの時点からなのか。

ホックス遺伝子とホメオティック突然変異

 『相同性そうどうせい(homology。ホモロジー)』とは、ある形態や遺伝子が共通の祖先に由来すること(共通祖先由来ではないが、外見や機能が似ていることを意味する「相似」の対義語でもある)
そして生物発生の調節に関連していて、相同性の高いDNA塩基配列を『ホメオボックス(homeobox)』、ホメオボックスを持つ遺伝子を『ホメオボックス遺伝子(ホックス遺伝子)』と言う。

ホメオティック遺伝子

 普通、ホックス遺伝子は、『ホメオティック遺伝子(Homeotic genes)』という名称よりも、意味として広い範囲を含む。
ある器官が、本来生じる場所と異なる場所に生じる突然変異を『ホメオティック突然変異』というが、ホメオティック遺伝子とは、普通そのような変異(ホメオティック突然変異)を引き起こしうる遺伝子とされる。しかしこれは、(おそらく研究の歴史的背景の影響もある)ショウジョウバエ(あるいは節足動物)のホメオティック突然変異に関連する言葉としてのみ使用されることも時にある。
ただ、少なくともホメオティック遺伝子はホメオボックスを有しているから、つまりホックス遺伝子である。
(例えば脊椎動物のような)複雑構造の生物ほど、発生の調整パターンもやはり複雑で、わずかな遺伝子の操作で、ホメオティック突然変異を生じさせることが難しいとされる。結果的にホメオティック遺伝子と呼べるようなものは、複雑な生物においては、あるとしても珍しいと考えられる訳である。

バイソラックス突然変異

 奇形の動物を用いた発生研究では、通常、異常個体を実験室で飼育し、同じ特徴をもつ子孫を存続させる必要がある。

 1915年。遺伝学者のカルヴィン・ブリッジス(Calvin Blackman Bridges。1889~1938)が、キイロショウジョウバエのホメオティック突然変異個体の系統を初めて生みだした。
ブリッジスのショウジョウバエは、前翅に似た(本来は持たないはずの)貧弱な後翅を持った突然変異体。彼はその変異を『バイソラックス突然変異(bithorax mutation。二重胸突然変異)』と呼んだ。
そしてブリッジスの成果以降、ショウジョウバエには、ホメオティック突然変異がいくつも見つかってきた。

相同か連続相同的か

 ホメオティック突然変異は、発生の失敗というより、プログラム変更である。予定されていたものと異なる発生過程。予定通りの場合と比べて、器官の生える場所や、その数が違っていたりする現象。
また、このように1つの遺伝子の変異(ホメオティック突然変異)のために、器官が別の器官に置き換わる場合は、基本的に『連続相同形質(serial homologous trait)』の1つが、別の『相同形質(homologous trait)』に置き換わっていると考えられている。

 例えば多くの陸上脊椎動物の前肢、魚やクジラなどの胸びれ、鳥やコウモリの翼、ヒトの腕などが相同形質、あるいは『相同器官(homologous organ)』と呼ばれるようなものである。つまり、共通祖先に有していた構造(元は同じであった構造)が個々の進化によって、色々変更されたもの。
一方で、前肢と後肢とかは『連続相同的(serial homologous)』な形質とされる。これはようするに、起源は反復された系列だが、各種ごとに異なる変更を遂げた関係を意味する。個々の指や歯、節足動物の口器と触角と歩脚、前翅と後翅なども。
異なる生物種の間で体の器官を比較する時、それらの器官の関係をしっかり見極める必要がある。特に、連続相同器官の数と形状の変化は、動物進化の研究において重要とされる。

 なぜたった1個の遺伝子の変更で、劇的な変化が起こるのか。
ショウジョウバエで、1つの遺伝子に影響を与えることで 、ホメオティック突然変異を引き起こせるという事実は、つまりショウジョウバエの個々の連続相同器官が、少数の『マスター遺伝子(master gene)』に管理されていることを思わせる。

バイソラックス。アンテナペディア遺伝子群

 遺伝子分子(遺伝子セット)のコピーを増やす、『遺伝子クローニング(Cloning a gene)』という技術の発展により、ホメオティック遺伝子狩りはかなり現実的な課題となった。
そしてこの道を進んだ生物学者たちの、数年かけた遺伝学的解析によって、ホメオティック遺伝子があるのは、ショウジョウバエの四対しかない染色体の第三染色体であることが突き止められた。
それらの遺伝子は2つの集団としてまとまっていたが、その一方の集団は『バイソラックス遺伝子群(Bithorax complex。BX-C。双胸突然変異遺伝子)』、もう一方は『アンテナペディア遺伝子群(Antennapedia complex。触覚突然変異遺伝子)』と名付けられた。

 バイソラックス群には、ハエの体の後ろ半分に影響する3つの遺伝子、アンテナペディア群には、ハエの体の前半分に影響を与える5つの遺伝子が含まれていた。さらに2つの遺伝子群内での遺伝子の並び順と、それらの影響が見られる体の各部位の並び順には、見事な対応関係があった。

ホメオドメイン

 まず8つの遺伝子がコードするタンパク質が調査された。

 8種の異なるホメオティックタンパク質をコードしていた1000ほどの塩基対のすべてが、180ほどの塩基対からなるよく似た配列をもっていたことは衝撃的な発見だったと言われる。タンパク質に翻訳された時点で、それらの配列は60のアミノ酸ドメイン(個々のタンパク質の一部)。つまり各ホメオティック遺伝子は、明らかに体の特定部において特異的な効果を発揮するが、それらがコードしているホメオティックタンパク質の情報は、似かよっていた。

 特徴的な塩基配列(DNAコード)には普通名前が与えられるが、ホメオティック遺伝子において、共通と思われる180対の塩基配列領域にはホメオボックス、タンパク質内のホメオボックスがコードしている領域には『ホメオドメイン』という名が与えられた。そしてホメオボックスを持つ遺伝子は、ホメオボックスを略し、ホックス遺伝子と言うようになる。だからホメオティック遺伝子は、ある種のホックス遺伝子という訳である。

ホメオティックタンパク質は、DNA結合タンパク質か

 ではホメオドメインは、具体的にどのように機能するのか。
アレン・ラフン(Allen Laughon)は、既知のタンパク質に見られる構造パターンとの類似性を探すという方法で、ホメオドメインのことを調べた。
結果的に、彼はそれがlacリプレッサーに似ていることを見いだす。

 遺伝学において、DNAの機能的単位の1つとして『オペロン(operon)というのがある。普通は単一の『プロモーター(Promoter)』の制御下に置かれている遺伝子セット単位。
プロモーターとは普通には、『基本転写因子(General transcription factor。GTF)』、『RNAポリメラーゼ(RNA合成酵素)』などを結合し、RNAへの(DNAに保存されている塩基配列コードの必要部分の)転写過程の始まりとなるDNA領域。
同じオペロンに含まれる遺伝子は、タンパク質合成に関わる『メッセンジャーRNA(mRNA)』に転写され、細胞質で翻訳されるか、あるいは『スプライシング』を受けて形成された『モノシストロン』のmRNA個々で翻訳される。
スプライシングというのは、転写後mRNAに含まれる、タンパク質合成に不必要な部分(イントロン)を切り取り、必要な部分(エキソン)を残す(遺伝子というシステムにおいて、非常に重要とされる)化学反応。
モノシストロンというのは、単一遺伝子に由来するタンパク質をコードするmRNA。一方で複数遺伝子に由来するタンパク質をコードするmRNAは『ポリシストロン』と呼ばれる。
また、いつどのタンパク質をどれくらい造るかを調整するための(もちろんDNAに含まれるそのような調整のための情報の通りに働く)『制御因子』と呼ばれるタンパク質もあり、lacリプレッサーは、大腸菌のlacオペロンに、最初期に発見された、そのような制御因子。

 実際にはそれは、lacリプレッサーというか、細菌や酵母における調整因子、遺伝子のスイッチとして機能するタンパク質とよく似ていた。つまりは、それはDNA結合タンパク質の可能性が高そうだった。
普通に考えて、ホメオティックタンパク質は、生物発生の過程において、遺伝子スイッチ制御を行い、結果、構造形成をある程度固定化しているのだろう。

マウスとカエルとショウジョウバエ

 ビル・マクギニス(Bill McGinnis)とマイク・レヴィン(Mike Levine)は、ショウジョウバエのホメオティック遺伝子すべてがホメオボックスをもっていることを知って、その生物発生研究において非常に重要と思われる手がかりを探す対象範囲を広げた。つまり彼らはショウジョウバエ以外の、 例えば他の昆虫や、脊椎動物のDNAにも、ホメオボックスがあるか、とにかく探しまくった。
そして多くの、系統的に遠いと考えられる各種の生物群に、類似性の高いホメオボックスが次々と見つかることになった。

 マウスとカエルのあるタンパク質は、60個のアミノ酸の、59個までショウジョウバエと同一だったが、ハエ(節足動物)とマウスやカエル(脊椎動物)の系統が分かれた時期は、少なくともカンブリア紀(Cambrian period。5億4200万年前~4億8830万年前)以前とされているから、その類似性はやはり驚くべきだったと言えるだろう。
それほど長い時間、別種の生物のいずれでも保持されてきているという事実は、それ(ホックス遺伝子)が生物(少なくとも地球生物。あるいは動物)にとって、非常に重要な遺伝子プログラムということを示唆している。
それはまた、動物という生物群に、かなり広く共有されているツールキット遺伝子とも言える。

動物の眼の遺伝子

 ホメオボックスに関するマウスの研究が進むと、ハエの場合と同じように、マウスもホメオボックスの遺伝子がグループを形成していることが判明した。マウスの場合は4つの遺伝子グループがあったが、各グループ内でのホックス遺伝子の並び順も、やはりそれらの影響が出る体の各部位の順番との対応関係が見られた。
生物種同士のホックス遺伝子の類似性は、遺伝子配列だけでなく、その具体的な利用パターンも含んでいた訳である。

 現在では、ハエとマウスだけでもなく、ヒトを含む多様な生物種で、このホックス遺伝子の発生システムが共有されていることが判明している。
明らかにホックス遺伝子群は、 様々な異なる動物種において、発生の調節という共通の仕事で役に立っているが、この方法の共通性は、生物種ごとに強い個性があると思われる性質に関して、それらが別々に進化したという仮説に大きな疑問を投げかける。

 例えば動物の眼は、数十回もの別の進化過程で発生してきたものというのが、古くはかなり一般的な説であったとされるが、その重要な根拠は、例えばヒトのカメラ的な眼と、ハエの複眼では、その構造からしてかなり違うこと。ところが、ショウジョウバエの眼の形成と関連する、つまりは変異させると眼のないハエを生む『アイレス遺伝子(Eyeless gene)』というのは、実はヒトの眼に関連する『アニリディア遺伝子(Aniridia gene)』、マウスでは『スモールアイ遺伝子(Smalleye gene)』、あるいはより一般的に『PAX6(パックス6)』と呼ばれる遺伝子と同じものだった。
PAX6の変異は、ヒトには虹彩(黒眼)の減少をもたらす。マウスの場合も眼を小さくする。

 ハエの場合、アイレス遺伝子を体の特定部で機能させると、例えば翅や脚に眼の組織が形成されたという実験例もあり、この遺伝子が眼の発生に関してマスター遺伝子である可能性は高かった。
そして、驚くべきと言うか少し不気味なことだが、マウスのスモ ールアイ遺伝子をハエに導入する実験でも、(実質的に同じ遺伝子ということだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが)ハエの体に眼を発生させることに成功した。だが真に注目すべきは、形成された眼はマウスのものでなく、ちゃんと普通にハエの複眼だったことだろう。
遺伝子を利用して形成される構造は、遺伝子の本来の領域での構造に拘ることなく、おそらく組み込まれた種の他構造に合わせられる。マウスではマウスの眼の発生プログラムを機能させる遺伝子は、ハエの体ではハエの眼のプログラムを機能させるのである。

脚の遺伝子、血管の遺伝子

 PAX6のような例(多数の動物種で、共通的な発生制御遺伝子)は他にも見つかっている。
例えば、キャロル(Sean B Carroll)は、『ディスタルレス遺伝子(Distal-less。DII)という、変異すると脚の先端部分を失ってしまうハエの遺伝子を研究した。結果、ディスタルレス遺伝子は、ハエと同じ節足動物である蝶、甲殻類、クモ、多足類の脚、どころか、ニワトリの脚、魚のヒレ、ウミウシの付属肢(側足)、ホヤの
サイフォン(管状器官)や、ウニの管足などの構造形成に関連していることが判明した。

 また通常、昆虫は『血管』というものを持たない。ハエの背面内側には、体の内側全体に体液を送り出す『背脈管(dorsal vessel)』があって、実質それが心臓。組織が体液に浸されている、このようなハエの循環システムは『開放系』と呼ばれ、脊椎動物のものとはかなり違う方式に思える。しかしハエの心臓形成に必要な『ティンマン遺伝子』も、哺乳類が有する、やはり心臓形成に関わる『NK2遺伝子族』と近しいもの。

ホメオドメインファミリー

 発生に重要な、広く様々な動物種に利用されているタイプの調整遺伝子がコードするスイッチタンパク質(DNA結合タンパク質)は、いずれもホメオドメインを含んでいた。

 ホメオドメインは、今はいくつかのファミリーとして分けられている。例えばホックスタンパク質、パックス6タンパク質、ディスタルレスタンパク質、ティンマンタンパク質は、それぞれ別のホメオドメインファミリーに属している。もちろんそれぞれファミリー内のものが特に近い。同ファミリーに属するタンパク質は、 そのタンパク質を有している各動物種に関係なく、よく似ている。

ある動物のためのツールキット

 しかし生物の個々の形質の発生を制御する遺伝子は、発生という現象全体において、必要なツールキット遺伝子群の一部でしかないと考えられる。

 1970年代後半から1980年代にかけて、ニュスライン=フォルハルト(Christiane Nüsslein-Volhard)とウィーシャウス(Eric F. Wieschaus)は、ショウジョウバエの幼虫の形態形成に必要な全遺伝子を特定しようと計画。
そして彼らは、正しい数の体節を正しいパターンでつくるために必要な数十の遺伝子、幼虫の3つの組織層のための遺伝子など、実質的にハエという生物体を造るのに必要なのが確かな遺伝子のほとんどを発見している。そしてそれらの遺伝子の多くに関して、やはり他の動物種においても近しい遺伝子が見つかった。

 フォルハルトとウィーシャウスの突然変異コレクションには、体の一部の欠損の他、構造を造るモジュール形成、あるいは器官の極性(方向、向き)を乱されたものもあったという。しかしどの遺伝子が原因の突然変異でも、あくまで特定の部分機能がバグる(誤作動する)だけで、全体の発生自体が完全に止まってしまうことはなかった。

 ツールキット遺伝子は、発生過程で他の遺伝子の機能のスイッチとして機能する。そのような遺伝子のコードするタンパク質の多くは、DNAの領域に結合して、おそらく直接的に情報の移動(転写)を止める。

 いくらかの『信号伝達因子』とされるツールキットタンパク質は、おそらく細胞と細胞の通信情報のキャリア(運ぶもの)として利用されるタンパク質。そのようなタンパク質は、移動先の細胞で受容体と結合し、細胞の様々な変化、遺伝子の活性化や抑制の連鎖反応の引き金となる。
組織が成長過程で、特に局地的なパターンは、細胞集団間での情報伝達が重要なことがよくあるとされる。伝達経路を構成する要素、つまり信号(シグナル)、受容体、中間体などが変異すると、当然、ネットワークがどこかで途切れ、上手く機能しなくなることがある。つまり発生に異常が生じる。

発生のネットワーク制御

 雌雄のある動物種の胚の発生は、通常1個の受精卵から始まるが、もちろんその動物の姿になるまで、手とか足とか頭とか特定の部分が、ほとんどお決まりのパターンで生じることができるのはツールキット遺伝子の調整のおかげと考えられる。

 ツールキット発見より以前から、主に視覚的に発生を観察しやすい種、例えばウニや両生類の初期胚の研究で、ある細胞が発生時にどう動作するのかは(例えばその細胞を染色して)よく確かめられてきた。そうして特定構造になる細胞の、初期胚における相対的位置を示した発生地図(マップ)も作成された。

 どうも、胚においてある位置にある細胞は、すでに将来的に何の構造要素になるか決まっている。しかしそれらの配置はどのように決定されているのか。もちろんツールキット遺伝子が重要な役割を果たしているのだろうと推測できる。
実際、例えばハエの胚発生において、少数のツールキット遺伝子の働きのために、幼虫の各体節を形成していく流れが確認されている。各体節構造(モジュール)において、ホックス遺伝子は起こることや起こらないことを、同時並行的、あるいは連続的に決定していく。そのような選択ネットワークがハエの形態を用意する。

 動物の遺伝子スイッチは、大腸菌の場合よりも工夫がある感じである。
大腸菌の乳糖に対する反応の仕組みとしての遺伝子スイッチは、特定のDNA配列にラック・リプレッサー(DNA結合タンパク質)が結合しているかどうか。
動物の(それら自体のDNA配列(所有情報量?)も細菌のより長いとされる)個々のスイッチが、結合するタンパク質には、情報転写を抑制するものだけでなく、促進するものもある。つまり遺伝子の関わる反応自体は、複数スイッチの入力の組み合わせで制御される(例えばそれが、縞模様や斑紋などを演出したりもする)。さらには、複数スイッチが使われるため、制御された結果の多様性も大きいからか、体の異なる箇所で、共通して使われる遺伝子もある。

 多様な動物種がよく似たツールキット遺伝子を有しながら、遺伝子スイッチを利用することで、使い方に幅を持たせられる。
つまり色々な動物は、昔、普通に考えられていたよりも、同じような設計図と部品を利用し、その使い方を調整して、個々の部分に独自性を得ている訳である。

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