「ブラインドサイト」吸血鬼、多重人格。知性は意識をどうして持つのか

意識の問題という哲学を、特にテーマとしている

 まず『根治的大脳半球手術』という、脳の半分を切り取る手術が実用化されている。脳の半分は生ゴミとなり、残った半分は倍の仕事をするよう再配線される。
脳という組織は適応性が高いが、それでも、半分だけにすべてを担わせるような適応は、手間がかかってしまう。リノベーション(再生、修正)中に変形させたり、再生する必要があったものの量を考えると、手術前後で、それはもうすでに別人になっている、という考えはなかなか説得力はあるだろうか。

 そして語り手でもある主人公は、半分の脳の人種。その認識、考え方なども含め、様々な哲学的会話も多めになっている。
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多重人格者の認識

 メインキャラには多重人格の者がいて、それに関する話もある。

 おそらく(人間?)は進化の過程の大部分で分裂していた。
現代の脳は何十もの知覚中枢を同時に走らせても処理が遅くならない、並行多重処理を実現させているが、それはおそらく生存に有利だったからこそ。
人間の意識が1つになったのは、かなり最近かもしれない。だから一定の条件下では、まだまた元に戻ることもある。それは物理的な分裂とかじゃなくても、単純なストレスとかのために。

吸血鬼のリアリティ

 吸血鬼とは何だろうか。
この物語では、吸血鬼が登場する。それは文明の黎明期に絶滅したという設定。
「古遺伝学という呪術」という表現は、ローファンタジー的でよい。つまり、科学の進歩によって蘇った設定。

 ジャンク遺伝子(おそらくジャンクDNA。通常の遺伝子として機能していないと考えられるDNAコード中の領域)と、化石骨髄(DNAを含む骨の中に残された軟組織)を継ぎ合わせ、高機能自閉症の人の血液にひたすことで、復活させられたとある。
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 吸血鬼にしか理解できない多次元チェス盤の上で、人をチェスの駒のように動かす。というような表現もあるが、これはどのような能力を指しているのだろうか。
神経学的に人間には不可能なことが吸血鬼には可能。多重世界を同時に見ることができる。などとも書かれる。
吸血鬼の十字恐怖症は、その優れた空間認識能力のためとも。

 吸血鬼の生物種としての分類の話は、ある生物と、それとは違う別の生物の境目に関して、けっこう考えさせられるかもしれない。
吸血鬼は、ソシオパス(反社会性パーソナリティー障害)であるしかない。獲物に似すぎている。
分類学者の多くは、吸血鬼を亜種としてすら考えていない。交雑が可能なほどの近縁種で、異種族というより症候群。人肉食が必須になる構造的変化を伴う疾病。

量子テクノロジーの描写

 量子テクノロジーの実用化がめざましい。しかしあちこちの描写は、その限界の可能性も示す。

 テレポーテーションは魔法ではない。イカロス反物質流は、燃料である反物質そのものを送り出すんじゃなく、反物質の量子状態の情報を送信するだけ。
宇宙という系を、情報世界として考える時に、 情報と物理的現象との関係は、かなり考えにくくなる。

 船テーセウスは、原材料を宇宙空間から集める。長く暗い数年間を慣性で飛び続けながら、集めた原子を蓄積し続ける。イオン化レーザーが前方の空間を掃射し、ラムスクープ(電磁場により、推進剤の原子燃料を集め、圧縮したり、放出する装置)が大きく展開し、船は一気に動く。質量で船の速度は落ち、タンクは満タン、乗組員はぺしゃんこになる。
SFによく見られるラムスクープジェットは、宇宙空間の長い旅には非常に実用的なものとも言えるだろうが、ここでは、どのようなプロセスがあったのかを想像しやすい。

 船がいきなりぶっ飛び出した原因は、復活後のブリーフィングではっきりするだろう。船の心臓部に量子AIがいることを忘れるのは簡単、常に背景に引っ込んだまま、乗組員に栄養を与え、船を動かす、神のような存在。
量子テクノロジーが実用化されているだけでなく、その理解度の高さもうかがえる。量子AIが、何かの理由で判断したというのは可能性の1つだが、そういう場合にも、なぜそうしたのかを乗組員たちは普通は理解できるものと、認識している感じである。
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量子エンジンの描写だが、太陽の300倍熱いという表現が、いったいどのようなものことを意味しているのかは、ちょっと気になるところか。

 テーセウスの物質合成工場は様々なものを作り出すことができる。
しかしそのシステムですら、数百万のシナプスを、人間の頭蓋スペースに詰め込むような細かい作業は行えない。つまり人間は作れないのだという。
メタ的に考えると、物語の緊張感を維持させるためであろうが、しかしやはり、人間の制作に関しては興味深いか。しかし物質生成テクノロジーは、それがどの程度のスケールのものであったとしても、広い宇宙空間の中でどう実現されるか、よりも、どう利用できるかの方がずっと興味深いようなものかもしれない

ロールシャッハ。地球外知性

 ロールシャッハを名乗る、謎の地球外知性との対話。しかしその反応のパターンから、それが意味を理解している上での言葉のやりとりではない可能性が高まる。
だが、「わたしは『中国語の部屋』じゃない」というメッセージと共に姿を見せる。

 その姿は、「ねじれていて、黒くて、光を反射しない、長く鋭い棘が密生した茨の冠。ただし人がかぶりそうなものでもない」というように表現される。

 少し後には、もう少し本質的な描写がされる。
現れた(それ自体が宇宙船かのような)ロールシャッハの表皮の60%は超伝導カーボンナノチューブ。内部は大部分が空洞で、一部は大気で満たされているが、どこでも地球型生命体は、一瞬も生きていられないと思われる。放射線強度と電磁力が複雑な構造線を描き続けているから。
荷電粒子が目に見えないコースを相対論的な速度で飛び、ギザギザの開口部から噴出し、中性子なみの強度の磁場によりカーブし、開放空間で放電、暗い塊の中に回収される。
時には隆起ができて、膨らみ、破裂。微小粒子の雲を放出し、胞子のように放射線帯全体にばらまく。
それはむき出しの2機のサイクロトロン(荷電粒子を加速する装置)がもつれあったものに似ているような。
出入り口らしきものは見当たらない。光学的通信でメッセージを送ってきたというのに、アンテナのような装置も見られない。
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 そして物語も後半には、ロールシャッハの内部探索の話になっていく。

宇宙スケールで、意識の進化をどのように考えるべきか

 正体不明の擦り切れた運動神経や、無意味に思えた交差接続、それらはすべて論理ゲート。スクランブラー(ロールシャッハ内の謎の生物)はタイムシェアリング(CPUの処理時間を切り分け、各ユーザーに順番に割り当てることにより、多数のユーザーが1台のコンピュータを同時に利用できるようにしたりするシステム)をしている。感覚神経と運動神経が連合ニューロンとして機能することがあり、他に使われていない時はシステムのどの部分でも認識のために利用する。末梢神経(脳や脊髄などの中枢神経から分かれ、器官や組織に分布する神経)の大部分を連合ニューロンが占有せず、個体単位で大量の処理を行える。

 作中での推測は、脳を脳なしで実現できるようにも思える。
だがもっと終盤には、それを、意識を持っていない知性かも、という話にもなってくる。
スクランブラーこそが生物の規範。宇宙に満ちる進化は組織化された複雑なオートマトン(自動人形、計算機械)の無限増殖。人間は偶然生まれた生きた化石にすぎない。どこかの孤島で特殊な進化をしていたが、この物語では、ついにその孤島の海岸に肉食獣が流れてきてしまった。

 意識は進化システムの中において、普通はメリットよりもデメリットとなりうる。この小説はもしもそのような仮説が真である場合に起こりうるかもしれないファーストコンタクト、の思考実験のアウトプットとも考えれるかもしれない。

 だが地球を、非常に限定された領域と考えるには、少し無理がないだろうかと考えたくはなる。
また、作中では脳科学関連の話も多く、生物システムも、完全に物質的原理の上に成り立っているはず、という現代の現代的な信仰ははっきり見える。
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