「光の王」感想と考察。ゼラズニイ的神話SFの金字塔

地獄の雷

インド神話をテーマに掲げたファンタジーSFの傑作

 ロジャー・ゼラズニイの神話ファンタジー風味SFのひとつであり、最高傑作と名高い作品。

 原因はいまいちわからないが、地球を離れ、とある星に移住した人類達は、どういう訳か、そこにインド神話的な世界を築く。
 そして天に作られた世界で科学技術を独占する者達は、やがて、自分達を永遠の神とする為に、地上の文明の発展をコントロールするようになっていく。
 しかし、特に地球での時代をよく知る第一世代の者達の中には、地上の発展までコントロールするかど傲慢がすぎるとする、保身主義者達もいて、主人公であるサムはそのひとり。
心を読み取る為の、精神探査装置を使い、見つけた保身主義者を転生させずに抹殺していく天の動きに気づいた彼は、やがて自ら仏陀を名乗り、神々を自称するかつての仲間達に戦いを挑むのだが……。

 というような物語である。

転生やカースト

 地上の人達をコントロールする術として上手く機能させている。
 人は肉体は老いても、真の死の前に新たな肉体に移る事で、その魂だかエネルギーだかは不滅的であるという設定。
神々は転生装置で不死である。
 精神探査装置で見つけた不安分子には真の死を。
 そしてまた、地上の人達の善悪を決め、その人達の転生先の肉体も操作。
完全なるカースト社会を構築している。

 人々は、神殿や、祈祷機というので、人々は、神々に祈る事が出来るが、それらはつまり天への通信装置。

 しかし実際に、高度な科学技術で奇跡を演出し、無知な人々を神話世界に留まらせ続ける事は出来るだろうか?
惑星、宇宙、あるいは技術が壊れるまで。
可能かもしれないが、おそらくだんだんと、もう別に現実でなくて、単純にシミュレーションとかでいいんじゃないかという考えに移っていくような気がする。

 あるいは、誰かひとりの支配でなくて、天という文明があるのだから、ある意味、単に地上を動物園的に扱ってるだけみたいな感じではなかろうか。
つまり結局、現実の社会とあまり変わってないとも言えるのかも。

受け継がれる特殊能力の謎

 これもちょっと謎の設定だけど、第一世代は、それぞれが固有の、ちょっとした超能力を有している。
 例えば、死をもたらす視線とか、電磁気のコントロールとかである。
雷「電磁気学」最初の場の理論。電気と磁気の関係  面白いのが、作中、主人公は、転生装置でいくら肉体を変えても、なぜ固有の能力まで引き継がれるのかを、物知りに問う。
でこういう仮説が明かされる。
 「肉体は器にすぎず、固有の存在としてのあらゆる全ては、また別であり、その魂的な何かは、永遠に本来の自分を忘れない」
そういう訳で、新しい肉体の、本来と異なる部分は全て、異常として認識され、修正され、やがては、最初の、つまり本来の自分へと変えられていく。

 この設定は、ちょっとファンタジーすぎるような気がするが、なかなか興味深い。
だいたい修正はいつ起こるというのか?
細胞分裂の時とでも言うのだろうか。

 また、作中で、タクという人物は猿に転生されているが、むしろ猿に限らず、脳が異なる肉体に、意思を移すなんて事が出来るかも疑問。
それに、そういう場合(人間以外に転生された場合)も、本来の姿に近づいていくのだろうか?

性別の切り替え。父子の転生

 転生による性別の切り替え時も、少し妙に描かれている。
例えば女性が男性に生まれ変わったとしても、それは男性でありながら、やはり、女性であるという設定。
つまり、実際に、女性にとってどれだけ魅力あるような男性に生まれ変わろうが、元が女性であった者に、女性達は惹かれないというような描写がある。
 仮にそういうような感じなのだとして、そういう恋愛観などの社会的なものは、生まれ育った環境にも左右されるのは、ほぼ間違いない。
やはりこの設定は、特に妙に感じる。

 同じように、転生した何世代前の時の子は、互いに転生を重ね、肉体的な繋がりが一切なくなろうと、親子のままなのか、という問題も提示される。
 こちらはより興味深い。
こちらも社会的といえばそうかもしれないが、だがずっと転生を続ける限り、親が子よりも、(真の年齢的な意味で)やや歳上であり、親から子が生まれたという事実と記憶だけはいつまでもあろう。
 親子の縁は、(真の意味で)そうあっさり切れるのかどうか。

エネルギー生命体、悪魔

 物語の舞台である星に人類が移住した時、既に、羅刹(悪魔)と伝えられる事になる、エネルギー生命体が、先住していて、当初彼らはサムの(電磁気操作)能力により、縛り付けられ、地獄と伝えられる場所に封印された。
 もちろん、悪魔も地獄も、伝承からとってるだけという設定。

 サムは、後に、天との戦いにおいて、彼らを味方につけようと、封印を解く。
いいも悪いも、羅刹は純粋な存在であるというのが、けっこうよかった。

 彼らのボスであるターラカーは、サムの体を乗っ取って、好き放題してやろうとするが、しかしサムが言う「仏陀の呪い」にかかり、後悔し、そして人間、サムにやや心を寄せるようになる。
 仏陀の呪いとは、つまり人間的な感情である。
耐え難い数々の欲望。
それでも、そういうものから逃れたいという心。
しかし自ら結局それを望むという矛盾。
そういう描写よかった。

 また、自分が最強でありたいと願い、最強との戦いを望む精神などは、ゼラズニイらしい描きかたしていたと思う。

光の王とは?仏とは?神とは?

 終盤のサムとターラカーの会話が一番よかった。
作中でも、何度か宗教議談はあるのたが、ここではサムの本心が述べられる。

 「光の王など馬鹿馬鹿しい。私は自分が神だと思った事などないし、他のどこかにそのような存在がいると考えた事もない」
それに、仏教を選んだのだって、別に大した理由はないと述べる。
例えばキリスト教を選ばなかった理由など、単に磔にされるのが嫌だっただけだと。
十字架「キリスト教」聖書に加えられた新たな福音、新たな約束  それに対してターラカーはこのように返す。
「いや、あんたは間違いなく仏陀だ。光の王だ」

 それまでに描かれた様々な話の先に、この会話があり、ターラカーの気持ちがいろいろ想像できよう。

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