シャンポリオンとロゼッタストーン「エジプト古代象形文字の解読史」

失われた古代エジプトの象形文字

 古代エジプトの『ヒエログリフ(象形文字)』がいつ頃までの時代まで理解されていたかは諸説あるが、少なくとも中世までには、その知識はすっかり失われてしまっていたようだ。

 9世紀頃のエジプトの錬金術師イブラム・アル・ミシュレは、 それを完全に理解していたと伝えられるが、かなり伝説的である。
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また次の10世紀の毒物やエジプトの歴史の学者でもあった、アラブの錬金術師イブン・ワシヤ・ナバテアは、部分的にではあるが、その古代文字の解読に成功していたそうである。
実際にどの程度参考にされたかは怪しい部分もあるが、ナバテアの書物は、もっと後の、ヨーロッパのヒエログリフ研究者たちにもしっかり読まれていたともされる。

ヨーロッパ人たちの興味関心

怪しいとされる、魔術師の予言

 「行商人(Peddler)」の父ジャックと、「機織はたおり職人(Weaver)」の娘である母ジャンヌ。
そんな、一見は学問から離れた環境に生まれたジャン・フランソワ・シャンポリオン(1790~1832)は、ほぼ独学で学問を学び、大学教授となり、ルーブル美術館の要職についた人である。

 彼が産まれる少し前に、ジャンヌは病に倒れ、ジャックはわらにもすがる思いで、魔術師と呼ばれていた人に見てもらった。
魔術師は特殊な薬でジャンヌを治し、さらに彼女がこれから生む子は「次なる時代の光となろう」と予言した、というような伝説があるが、まともな記録もないので、デマとされている。

 生まれる前の魔術師の話は、ジャンの兄であるジャック・ジョゼフの記録が第一情報ようである。
彼もまた弟と同じように、優れた独学の学者であったが、やや空想癖もあったようだ。

ナポレオンのエジプト遠征の調査団

 ジャンは幼い頃から文字や絵画の能力に関して優れた才能を示したらしい。

 また12歳上の兄ジャックは、それほど学問を重視している様子もなかった両親に比べ、かなり弟に対し教育熱心であった。
二人の間ではかなり早い段階からエジプト文明が関心の的だったとされる。

 結局叶いはしなかったが、1798年に、ナポレオンのエジプト遠征に同行する調査団に、ジャックは志願している。

 シャンポリオン兄弟が、エジプト文明への興味をさらに確固たるものとしたのは、1802年くらい。
エジプト遠征の調査団にも参加していた、高名な数学者であるジョゼフ・フーリエ(1768~1830)と、ジャックは親しくなり、兄弟はよく彼からエジプトに関する話を聞いた。

 さらに、そのエジプト遠征にて発見された「ロゼッタ・ストーン(Rosetta Stone)」という石板は、シャンポリオン兄弟だけでなく、各国の言語学者の興味をも大いに駆り立てた。

ロゼッタストーン

 ロゼッタ・ストーンは、1799年にロゼッタで発見された。
それは、だいたい同じ内容の文(エジプト王プトレマイオス5世の布告)が、古代エジプト語の神聖文字とされるヒエログリフ、民衆文字(あるいはヒエログリフの簡易版)とされる『デモティック』、それにギリシア文字で書かれているというものだった。
古代エジプト語の文字というのはすっかり失われていたのだが、失われていないギリシア語とともにそれが書かれたロゼッタストーンは、再発見のかなり強力な手がかりとなる。

 シャンポリオンは高等学校を卒業する頃には、ヘブライ語やアラビア語など様々な言語を身につけていて、すでに多くの人に天才として知られていた。
そんな彼が、兄の勧めでロゼッタストーン解読に乗り出したのは、1809年くらいのこと。

 シャンポリオンは、ロゼッタストーンの実物は見たことがなく、探求にはその写本を用いたという。

どうやって解かれたのか。ヒエログリフ解読競争の勝者

固有名詞、コプト語との関連、基本システム

 シャンポリオンの恩師の一人であったシルヴェストル・ド・サシー(1758~1838)男爵は、フランスにおけるロゼッタストーンの第一人者であった。
彼はデモティックの方を重視し、いくつか固有の名詞を読み解くことに成功したという。

 さらにシャンポリオン同様に、サシーの弟子であったヨハン・デイビッド・オーカーブラッド(1763~1819)の、デモティックとコプト語(ある程度新しい時代のエジプトの言語)を比較するアプローチは、シャンポリオンにも大きな影響を与えたとされる。

 コプト語と古代エジプト語に重大な繋がりがあることを仮定した人物としては、アタナシウス・キルヒャー(1602~1680)が時折あげられるという。
この人自身は、すでに自分こそエジプトの古代文字を解読したと主張していたようだが、現在はその研究成果がほとんど間違っていたことが明らからしい。

 そしてシャンポリオンの最大のライバルだったともされるトーマス・ヤング(1773~1829)は、ヒエログリフに関する文字の使われ方や、発音などの、 いくらか基本的なシステムを先んじて発見していたようだ。
というか、ヤングはシャンポリオンの師であるサシーとも交友があり、最初はむしろ協力し合う関係だったようだが、1815年くらいに仲違いし、競争関係となったという経緯があるという。
そして二人はそれぞれ独自に解読作業に取り掛かりだしたが、結局1822年に、シャンポリオンの方が先にその仕事を達成したのだった。

シャンポリオンの解読研究

 1821年8月に、シャンポリオンは「ヒエラティック(神官文字)に関する研究報告」を発表した。
そこには、ヒエラティック、それにヒエログリフ、デモティックという古代エジプトで使われていた三つの文字が、密接な関係を持っているという説明があるという。

 ヒエラティックは、ヒエログリフと並行して発達してきたとみられる、デモティックとはまた別の文字である。
ヒエラティックは、より日常的なデモティックに対して、宗教などのテキストに使われる文字だったとされている。

 一筆書きできる簡略化された文字を『筆記体ひっきたい(cursive)』というが、シャンポリオンは、ヒエラティックがヒエログリフの筆記体であるという説を持った。
少なくとも、ヒエラティック、ヒエログリフ、デモティックは、 近い性質を持っている文字体系であることはほぼ間違いなさそうだった。

カルトゥーシュに刻まれた名前

 ヒエラティックやヒエログリフは、アルファベット文字のように、文字が単に音を表すだけの『表音文字(phonogram)』として考えると、その文字の種類があまりにも多すぎた。
そこで、ヒエログリフは『表意文字(ideogram)』ではないか、という疑問は当然のように出てくる。

 しかしシャンポリオンは、プトレマイオスのような、ギリシア風の王の名前は、ギリシア語的、つまり表音文字的な表記なのではないかと推測。
王の名前は「カルトゥーシュ(cartouche)」という楕円記号に囲まれているから、見つけやすい。
シャンポリオンは、それらの名前に次々と、アルファベットの音を当てはめていった。

 ただしこのアルファベットの音の対応がどれほどの役に立ったかは、意見が大きく分かれる。

謎が解けた

 そしてある時シャンポリオンは、ヒエログリフについて、表音文字か表意文字かというよりも、どちらの性質も持った文字であるということに感づいた。

 ヒエログリフにおいて、表意文字的な役割なのは、全体の一部の記号。
また、意味は違うが同音の言葉を区別するための、「決定詞(Determinant)」という記号が存在することも判明する。
決定詞は、発音とは関係のない補助の文字であった。

 これらのシステムが重要なカギとなった。

 1822年9月14日。
友人の建築家から受け取った、エジプト南部のアブ・シンベル神殿のヒエログリフの模写におけるカルトゥーシュの王の名を読み取ったシャンポリオンは、すぐさま仕事中の兄に会いにきた。
そして「謎が解けた」と叫んだからその場に倒れたという。
ただ、これもまた信憑性はあまりない伝説と言われている。

素晴らしい名誉

 解読に関する発見の報告書をまとめたのは兄であった。
ただ特に重要とされた24個の表音ヒエログリフと、アルファベット、ギリシア語、コプト語との対応表だけは、シャンポリオン自身が作成したようだ。

 そして1823年4月21日。
まだ設立から間もなかった、東洋学、アジア研究を目的とするフランスの学術団体「アジア協会」の総会にて、議長オルレアン公爵は高らかに述べたという。
「ヒエログリフのアルファベット発見、この驚くべき出来事は、それを成し遂げた一人の学者はもちろん、 国自体の大きな名誉である。古代においても厳しい訓練をつんだ人たちしか理解できなかった謎を見抜き、現代人が理解することすら諦めていた記号を解読したのが一人のフランス人であったことを、われわれは誇りに思おう」

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