「中世アラビアの魔術師たち」イスラム神秘主義、占星術と錬金術

アラビア魔術

ジン憑きと外来魔術

 古く、ムハンマド以前の時代のアラビアの魔術は、ジン憑きの技でしかなかった。
ランプの精 「ジンの種類とイスラム世界のいくつか」アラビアの怪物たち
 しかしイスラム教が各地に侵攻し、その勢力を広げる中で、侵略した国々はもちろん、交流を持つようになった中国や、ヨーロッパの国々から、アラビア世界はギリシアやインドの様々な伝統的知識を仕入れ、アラビア魔術は、科学とともに大きな発展を遂げた。

 そして、やがては逆に、世界中の多くの修行者達が、アラビアの地の賢者から、隠されし奥義を学ぶようになっていったのだった。

イスラム神秘主義

 イスラム教世界において、アッラーとの一体化や、その高みに上ろうとする神秘主義者達は、スーフィーと呼ばれ、彼らの作った教団は、タリーカ(道)と呼ばれた。
 また、タリーカに属している修道者をデルウィーシュと言い、神秘的修行を行う者をファキールという。
 スーフィー、デルウィーシュ、ファキールの三語は、ほぼ同じニュアンスで用いられる事も多い。
 そして、神秘主義者の中でも、特に優れた者は、ワリー(聖者)と呼ばれる。
イスラム 「イスラム教」アッラーの最後の教え、最後の約束

神と一体化する

 10世紀頃の頃。
バグダードにハッラージという聖者がいた。
徳高く、優しく、多くの者に愛されていた。

 しかし、ある時、彼は大勢の中で急に叫んだ。
「我は神」
 すぐに彼は捕らえられ、法官は、尋ねた。
「あなたほどの人が、何を狂気にかられてしまったのですか。あなたの言った、恐ろしい冒涜の言葉を撤回してください。さもなくば首を斬ります」
撤回しなかったために、ハッラージ(al Hallaj。858~922)は首を斬られたが、その斬られた首は、また叫んだ。
「我は神」
 イスラム教において、火葬は恐ろしい事とされるが、恐ろしい冒涜者であるハッラージの遺体は焼かれ、灰にされた。
そして、川にばらまかれた彼の灰は、「我は神」という文字を描いた。

 どうも、アッラーは唯一の神であり、 そして唯一の世界ならだそうである。
ハッラージはそういう境地に至っていたのではないか、ともされる。
つまり、全ては唯一の神であることを悟った。
だから、彼も神なのである。

アラビアの占星術師達

 イスラムの占星術は、特に、個人の誕生ホロスコープを軸として発展していったようである。
占星術 「占星術」ホロスコープは何を映しているか?

マーシャー・アッラーフ(8〜9世紀)

 ユダヤ人の天文学者であり、占星術師。
マーシャー・アッラーフ(アッラーのお好きなように)というのは偽名で、これはよく、魔除けの護符などに書かれた言葉であったという。
彼の本名はマナセとされている。

 マーシャー・アッラーフの占星術は、ペルシア起源の思想に強く影響を受けていた。
例えば彼は、よく「千年紀」に言及していた。
つまり創生以来、千年ごとに、支配惑星が変わるとしていたが、これはゾロアスター教からの着想なのだという。

アブー・マーシャル(8世紀〜886)

 中世のイスラムで最大の占星術師ともされるペルシア人で、ヨーロッパでもアルブマサル(Albumasar。787~886)という名で知られている。

 アブー・マーシャルは、この地上の出来事は全て、天の星の運行により定められたものだと語っており、海の潮の満ち引きと月の動きの関係を、解明していたともされる。
彼の時代のアラビアは、おそらく数学においても世界最高峰であったろうから、ひょっとすると、万有引力も発見してたかもしれない。
リンゴの木 「ニュートン」万有引力の発見。秘密主義の世紀の天才
 彼はあらゆる事を星の動きより悟る事が出来た。
ある時、アブー・マーシャルと、もうひとり別の占星術師、カリフ(イスラムの最高権威者)の御前に呼ばれた。
 カリフは、ふたりの占星術師に聞いてみる。
「ご両人、私はあるものを隠しているが、それが何かわかるかい?」
占星術師達は、それぞれに天体表を見て計算を行った。
そして、アブー・マーシャルは言った。
「生き物ですね」
一方でもう一人の方の占星術師は「果物」だと告げる。
 カリフは、隠していたリンゴを見せて、果物と答えた方の占星術師に対し、素晴らしい、と褒め称えた。
一方で予言を外してしまったアブー・マーシャルは、むしろ不思議そうに、再び天体表を見る。
それからすぐに言った。
「それを貸してください」
そして、リンゴを受け取ったアブー・マーシャルが、それを割ると、その中は虫だらけであった。
虫取り網 「昆虫」最強の生物。最初の陸上動物。飛行の始まり。この惑星の真の支配者たち

アル・キンディー(801〜866or873)

 中世のイスラムの占星術師はペルシア人やユダヤ人が多かったが、アル・キンディーは、珍しい、純粋なアラビア人の占星術だったとされる。

 一説によると彼はアブー・マーシャルの師匠だったそうである。
 アル・キンディーはユダヤ教徒であったが、イスラム教のお偉いさん達を、その類まれな術による知恵と知識を使って、からかうのが好きだった。
だがある時、彼の噂を聞いて、こんな奴は生かしておけないと、長旅して会いに来た青年がいた。
彼は弟子入りを志願するふりをして、この不信心な占星術師の命を奪おうとしたが、あっさりと見抜かれ、むしろ才能があると見込まれる。
それですっかり、毒気を抜かれた青年はアル・キンディーの弟子となった。
この青年こそ、若かりし頃のアブー・マーシャルなのだという。

アル・ビールーニー(973〜1050以降)

 あらゆる分野に通じた学者としても有名な、ペルシア人の占星術師。
 ある時インドに旅し、旅行記を書いたことから、そこでより東の地の奥義を極めたという説もある。

 必要な分しか、金を手元に置こうとしなかったようである。
ある時、一国のスルタン(君主)が、天体運行表を作ってくれたお礼にと、大量の銀貨と、象を彼に与えたが、彼はこれらを全てそっくり返してしまったとされる。
水浴びする像 「象」草原のアフリカゾウ、森のアジアゾウ。最大級の動物

オマル・ハイヤーム(1048〜1131)

 詩人としても有名な、ペルシア人の天文学者。
「星占いは当てにならない」と言いながらも、彼自身はよく、占星術による予言を的中させたそうである。
しかもいつも、自信に満ちていたとされる。

 ぶっきらぼうで愛想が悪かったので、嫌う人も多かったが、その聡明さを称える弟子も多かったという。

マハムード・ダーウーディー(11〜12世紀)

 風変わりな、ペルシア人の占星術師。
ちょっとというか、かなりおかしな人で、知恵遅れと言われる事もあった。

 ある時、スルタンのもとに送られてきた2匹の闘犬を見たマハムード・ダーウーティーは、自らこれと戦って、そして負けて逃げ出した。
 その後、人々の話に彼が混ざっていた時、ある人が、「イブン・スィーナー(高名な哲学者)はなんと偉大だったか」と言った。
これを聞いた彼は激怒して言った。
「そんな猫とも戦ったことないような人間の何が偉大なんだ。俺なんて2匹の闘犬と戦ったんだ。そんなやつの何千倍も偉いな」

 しかし、この人の予言は、 百発百中だったとされる。

アラビアの錬金術師達

 アラビア語で錬金術は、アル・キーミヤアと言うようだが、これは、ギリシア語のキメイア(金属溶融法)が語源とする説が有力なようである。
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ビザンティン、アレクサンドリアのマリアノス

 伝説では、イスラム世界に錬金術をもたらしたのは、マリアノスなる人物であったそうである。
彼は7世紀頃の人物で、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)の僧だったとされている。

 ある時、学に強い関心のあるハーリド・イブン・ヤジード(Khalid ibn al-Walid)という、イスラムの王子と出会い、ギリシャ語とコプト語の奥義書の、アラビア語への翻訳を任されたそうである。

 マリアノス自身は、学者とされているが、実は錬金術思想を広めんとする真正の錬金術師であり、錬金術の書のアラビア語への翻訳を任されたのは、弟子である王子の方だという説もある。

ハーリド・イブン・ヤジード(〜707)

 ウマイヤ朝の王子であり、ビザンティンのマリアノスから秘技を学んだ、アラビア錬金術の祖とされている人物。

 王族の者としては直系であったのだが、前カリフであった兄が死んだ時に、幼かったので、王となるタイミングを逃してしまった。
そうして、生涯、王子であった彼は、政治より学問を愛し、ある時、アレクサンドリアから来たというマリアノスに、錬金術を学んだ。

 ハーリド・イブン・ヤジードが広めたとされる錬金術の書は、12世紀に、チェスターのロバートなる人が、ラテン語に翻訳してもいるそうである。

ジャアファル・アッ・サーディク(699〜765)

 イスラム教シーア派の六代目イマーム(指導者)。
温厚な性格の学者であり、非常に物知りだったとされる。
 彼の時代はアッバース朝が、ウマイヤ朝を潰した、動乱の時代であったが、彼自身は平和主義者で、政治活動になるべく関わらないようにしていた。
スンニ派の者とも親しくし、ひたすら学問を極めた。

 伝説では、彼は非常に優れた預言者であり、かつ、錬金術に秀でた魔術師だったともされる。
立場に左右されず、平和主義者でいれたのは、危機を察知できる能力を持っていたから、とも言われる。

ジャービル・イブン・ハイヤーン(8世紀)

 ジャアファルの弟子ともされるが、かなり謎に包まれた人物。
シーア派どころか、イスラム教徒ですらなかったようだが、ジャアファルは彼を高く買っていたという。
しかし異教徒であったからか、実は実在してなかったからか、シーア派の記録には、ジャアファルの弟子のはずの彼の名前がないという話もある。

 ジャービルは師を尊敬し、「私は先生の説明屋にすぎません」などとよく言っていた。
当時としては、化学に非常に通じていて、当時知られていた、6つの金属に関して、「それらの違いは水銀(液体元素)と硫黄(粉末元素)の割合による」と説いたそうである。
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 また10世紀には、道路工事の際に、地中から、彼の秘密の実験室が発見されたという。
そこには大量のモルタルと水銀、それに金の塊があったとされる。

アッ・ラージー(864〜925)

 目が悪かったが、代わりに耳がよく、弦楽器のウードを巧みに演奏したとされる。
ラージーは、実用主義で、オカルト的要素を嫌っていたとも言われる。
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 目は、化学実験でやられたという説がある。

 哲学、医学、錬金術に通じ、万病を治す霊薬を求めていたそうである。
 貴金属を金に変える術を心得ており、実際に人々の前で実演して見せたそうだ。
しかし彼がそうして生成した黄金は、すぐに錆び始めるという欠点があり、「さびつく黄金」と言われていたそうだ。
彼は、それまでは動植物性が主流だった薬に、鉱物を使う事を試みた。

 後のパラケルススは、彼の後継とも言われ、時々比べられている。
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アル・イラーキー(13世紀)

 彼もまた謎の錬金術師だが、錬金術の起源を神である、と考えた彼の思想は、イスラム神秘主義にも大きな影響を与えたとされる。

 彼は非常に術者の精神面を重視した人であり、「人間の外で物が変成出来るように、人間の魂も純化できるもの」と説いた。
 これは、金銀財宝より、不老不死となり、より神に近づくことを目指していた、中国の錬金術師達の影響を受けた結果、という説もある。

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