「社会学の成立」いくつかの理論の創始。後世への影響

社会を理解するための学問

 社会学というのは、(他には一般的に経済学、経営学、法学、政治学などがよく知られる)『社会科学(social science)』の中の1分野として知られている。

 社会科学というのは、普通は自然領域と区別される(おそらく本質的なところにおいては、別に人間社会に限らない)社会について、あるいはそれを構成する諸々の要素を科学的に扱う対象とし、研究するための科学体系である。
そして社会学は、社会現象の実態の認識、または現象の原因に関するメカニズム(因果関係)を分析、解明する学問分野とされる。

 かなりの昔から人間は、自分たちの行動の根源を興味の対象として見てきた。古い時代の探求はしばしば宗教的信念に基づくもので、迷信や思考模式に依存することも多かった。
世界の理解に使われるものが、宗教ではなく科学に変わったことは、社会の体系的な研究においても重要な展開であったとされている。
少なくともヨーロッパにおいて、社会学が誕生する発端、あるいは遠因となったのは、1789年に起きたフランス革命や産業革命の影響でないかとも。
人間の本性、それが構築する社会の構造、その変化に何か法則性のようなものを見出すことは可能か。古くからのそういう疑問について、19世紀の思想家たちは、自分たちなりの科学的方法で解明しようとしたが、それがおそらく現代的な社会学の始まり。

知能の創作なのか、見出したものなのか

 しかし社会というのは、つまり何なのであろうか。おそらくはそれが、知的生物の創造的能力による産物であることは間違いない。この世界から、生物の持つ様々な形での知能が全て失われてしまった場合 、おそらくそれは同時に、この世界からの社会の消失も意味するのだろう。
それとも、実は社会というものは、この世界の部分的な領域として誰が考えるでもなく、ただ純粋にそこにあるようなものなのだろうか。例えば誰が認識していなくてもこの宇宙に物質があるかのように。しかし物質と違って、社会というものには実態がないというのは、たいていの社会学者も認めていることだ。
ただもしも、実態があろうがなかろうが、社会というのがこの世界に初めから存在しているのものというなら、知的生物がそれを認識する時、それがあると理解する時、それは実は認識でなく発見なのかもしれない。

 なるべくまともに考えようとすると、やはり社会は、知能が形成した領域といえると思う。ただしその形成というのは、例えば創作と言えるものか、定義と言えるものか。

オーギュスト・コント。社会学という用語

 『社会学(sociologie)』という言葉を創案したのは、フランスの オーギュスト・コント(Isidore Auguste Marie François Xavier Comte。1798~1857)というのが一般的見解である。
コントは元は『社会物理学(physique sociale)』 という用語を使っていたが、他の研究者たちの間でもこの名称がよく用いられるようになると、自らの見解を明確に示すために、自分の確立した学問領域の記述においては「社会学」 という用語を使うようになったのだという。彼は、物質世界の法則を自然科学が説明できるように、社会世界の法則を説明できる社会科学を創れると考えていたようだ。彼は、物質世界が一定不変の法則に従うように、社会も一定不変の法則に従うはずと主張したとされる。つまりは、自然的世界の法則により物質世界における予言が可能となるように、人間社会の法則の解明は、自分たちの運命をよりよい方向に向かわせるのに役立つはずだと。

三段階の法則

 コントは、人間が世界を理解する方法の進化法則として『三段階の法則(loi des trois états。Law of three stages)』というものを定義していた。
つまり、人間の理解のための努力の方向性は、宗教的理念が思考を導く『神学的段階(theological stage)』から、超自然的でない単なる自然的な観点から世界を探るようになる『形而上学的段階(metaphysical stage)』、そして観察や実験などによる客観的証明が重要視される『実証主義的段階(positive stage)』へと変わっていくものとする。
コントは、社会的世界への科学的手法の適用は、実証主義的段階により照らし出されたような学問領域、それまで知られていた中での最終科学であり、それゆえに最も複雑な科学であるというように考えていたともされる。

カール・マルクス。資本主義の問題

 カール・マルクス(Karl Marx。1818~1883)は、経営者と労働者の不平等性に強い関心を持っていたとされる。 基本的に彼の感心は経済に関連することばかりだったが、社会学的洞察に富んだその研究、考察は、社会学という分野の発達において、非常に重要な役割を果たしたと考えられている。

 マルクスは近代社会の変動、特に『資本主義(capitalism)』の発達に注目した。

 当たり前の話ではあるのだが、広範囲の消費者を対象としたサービスの生産をシステムの要としているような資本主義は、近現代に発達した交通機関や通信機器などが可能にした、つまりは機械文明がもたらした広範囲の情報ネットワークが容易にしたのだろう。

 マルクスは資本主義的企ての内部に2つ、主要要素を見いだしていた。すなわち、『資本(capital)』と『賃金労働者(wage workers)』である。
資本とは、つまり将来の資産を形成するために今利用できる資産のこと。単純に投資可能な資金だけでなく、利用できる機械やそれを生産するための工場などもここに含まれる。
賃金労働者は、自らは生計手段を所有せず、資本の所有者たちである『資本家(capitalist)』に職を与えられる者たちを指す。
マルクスは資本家を『支配者階級(Ruler class)』として、基本的には社会の中で大多数を占めるだろう賃金労働者を『労働者階級(Working class。プロレタリアート。proletariat)』とした。支配者たる資本家は、自らの事業を成り立たせるために労働者の存在を必要とする。労働者もまた、自らが生きるために、資本家が与えてくれる賃金(給料)を必要とする。つまり両者は基本的には相互依存関係にあるのだが、マルクスは、この依存関係のバランスが極めて悪いことが問題とした。労働者の仕事、成果報酬は、普通は雇用者が管理し、そもそも雇用者が得る利益自体が労働者がもたらしているものであるからして、これは『搾取関係(Exploitation relations)』、過剰な労働、不当な対価の問題に容易に繋がりやすいのかもしれないと。

史的唯物論。共産主義

 マルクスの思想の根底には、彼自らが『史的唯物論(Historischer Materialismus。Historical materialism)』と呼んだ歴史観があるとされる。
それもまた、まるで自然界の諸法則のように、人間社会にも客観的な法則が存在しているという発想。社会変動の原因を基本的に、人々の観念や価値観とかではなく、経済的影響力とし、特に階級間の対立が、歴史の中での大きな変化を展開していくというようなもの。
経済活動によって生じる矛盾は、時に社会の中での生産関係を転移させてる。それは無階級社会から階級社会、階級社会から無階級社会への移行ともされる。マルクスは、人類社会は『狩猟採集民(Hunter-gatherer)』の原始共同体制に始まったが、やがてそれは古代的な『奴隷制(slavery)』や、土地所有者と『農奴のうど(serf)』の区分に基盤を置く『封建制(feudal system。Feudalism)』に移った。さらに土地所有貴族にやがて変わることによる商人階級の始まりである商人と職人の登場、つまりそれが資本家階級の始まり。だがこの転移の連鎖は続くだろう。資本家もやがてその地位を追われ、新たなる秩序『共産主義(Communism)』が発生するはずだとマルクスは主張していた。

 農奴はヨーロッパ史中の封建社会における『隷農れいのう(villein)』、すなわち奴隷のような状態の農民のこととされ、『農奴制(serfdom)』という統治制度は、唯物史観に基づいた視点から見た封建制とはだいたいにおいて強く結びついているとされる。封建的社会において、農奴は実質、土地所有者である『領主(lord)』に保有されていて、税を納めながら貸与たいよされた保有地を耕し、しかし『再生産(reproduction)』、つまり生産されたものを使った新たな生産に必要な生産物の取得は認められても、土地や財産の処分権は持たないので、土地にしばりつけられた状態が維持されてしまう。

 封建制というのは、古くは日本において、君主の下に諸侯たちがいて、その各諸侯らがそれぞれ土地を領有し、土地の人民を統治するという社会体制だが、「Feudalismus」はそれとかなり近い概念とされて、訳語として一般的になったらしい。

 資本主義の崩壊、さらにその後に来るはずである、裕福な者と貧民との極的な分化が存在しないような社会、つまり共産主義社会の鍵は『労働者革命(Worker revolution)』であるとマルクスは確信していたという。それはどうも、不平等が完全に消え去った世界というよりも、今よりもずっと不平等が発生しにくいというような社会のようだ。
特に重要なことは、マルクス主義の影響が本当に実用的に大きかったことだろう。実際20世紀という時代には、今は失敗して崩壊してしまったものも含めて、多くの国々の政府が、マルクスの思想から示唆を得た政治を行ってきたとされているから。

エミール・デュルケム。社会学の方法

 エミール・デュルケム(Émile Durkheim。1858~1917)は、自身がコントから多くを学びながらも、コントの見解の多くは、基本的に思弁的で漠然としすぎであり、科学的基盤の上に社会学を確立するというその目論見をうまく達成できていなかったと考えていた。デュルケムは、古くからの哲学的問題を実証主義の手法により検討することで、問題解明に寄与できる新たな科学としての社会学を提案しようと試みたとされている。

 デュルケムは自分流の社会学における第一原理として、まず「社会的事実のモノとして研究すること」を定義した。そうすることにより、自然科学が自然界のあらゆる事象に対して可能なように、社会の中の事象を分析研究できると考えたのである。
彼はまた、社会学の重要な知的関心事は社会的事実であることを確信していたともされる。つまり、社会学的方法により、個々の人間の研究じゃなく、そうした個々の人間たちの動きを決定付けるような社会的事実、社会の中でのあらゆる側面を考察すべきことだと考えていた。社会の動きを決定づけるような事実とは、例えば「経済の状況」とか「宗教の影響力」とかだ。
そしてデュルケムは、各個人に外在している行動や思考、感情の模式などもある種の社会的事実で、生き方や知覚を超えた社会独自の現実がそこにあるとした。社会的事実の特性として、それが個人に対しては強制力を行使できることがあるが、個人ごとの認識としては社会的事実の束縛的性質が強制であるということは認識されない。普通の人々の認識的には、社会的事実に自発的に従うことで自ら選択を実行に移しているだけだ。そしてそういう事情が、この分野の研究自体も難しくしていることをデュルケム自身が認めていた。
社会的事実自体は、どうしたって人の感覚では観察することができない。社会学者にできることは、社会的事実の及ぼす作用の分析、つまり間接的な研究のみなのだと。

機械的連帯性、有機的連帯性。アノミー

 社会の成員が等しくおかれた相互依存の関係、あるいは互いの助け合いによって維持されてるような社会の関係を『連帯性れんたいせい(solidarity)』と言うが、デュルケムは、それには2つの類型るいけいがあると考えた。分業の度合いが低い伝統的文化を特徴づけるとされる、社会の成員の多くが類似した職業に従事し、共通の体験と共有された信念(の抑圧的な力)によって1つにまとまる『機械的連帯(mechanical solidarity)』。それに工業化と都市化が及ぼす勢いが、機械的連帯を崩壊させるほどに、社会における職務の専門分化と社会的差違を増大させた場合に、新たな世界秩序を導いていく、人々の経済的相互依存、他者が行う寄与の重要性が強く認識されやすい、つまり互いへの強い依存性によって結びつきやすい『有機的連帯(organic solidarity)』

 近現代の重大な社会的混乱のいくらかは、機械的連帯から有機的連帯への急激な変動過程のためという説もある。伝統的ライフスタイル、道徳、宗教的信念、毎日の行動模式にたいし、新たに明確な価値観をもたらすことなしに分裂的作用を及ぼす可能性もある。そのような不安定な混乱状態こそ、デュルケムが『アノミー(anomie)』と呼んだものとされる。
アノミーは、社会生活が引き起こす目標の喪失感や絶望感と結びつけられる概念で、つまりは、社会の規範きはん弛緩しかん、崩壊したための無規則状態を意味する。近現代社会において、毎日の生活がまるで意味を欠いているかのような気分に陥る人が多いのは、伝統的宗教がもたらす伝統的な道徳基準などや、それに由来する統制などの崩壊が原因でないかとも。

社会が個人を自殺させる可能性

 デュルケムが行った、社会学史における重要な古典的研究として、『自殺(suicide)』に関する研究がある。自殺というのは純粋に個人的行動で、個人ごとが抱えることになった不幸の結果、生じる事態であるとされていたのだが、デュルケムは、社会的な要因が自殺行為に影響を及ぼすことがあるかを探求した。
ただし彼のこの研究、それに結論は、自殺に対しての非社会的な影響を無視しているなど、反論もかなり多い。

 デュルケムが注目したのは、変化する社会状況の中で一定の傾向を示しているかのようにも見える、状況ごとの自殺率の変化であった。例えば彼は、フランスでの自殺に関する官庁記録を詳細に検討し、女性よりも男性が、カトリックよりプロテスタントが、貧しい人たちよりも裕福な人たちのほうが、結婚している人よりも独身の人の方が自殺する傾向が高いことを発見した。また戦時中は自殺率が低くなり、経済状況が変化したり不安定な時期を通じてはより高くなることも見出した。
ある社会は、個人ごとの自殺率に影響を及ぼす力を確かに有する。デュルケムは社会集団の中では、強く『統合(Integration)』された人たちや、社会規範によって願望や野心が規制されている人たちは自殺しにくいとした。

 重要なことは、社会状況ごとの自殺率は、同じ社会状況の中でなら、いつの時間においても一定の傾向を示すようであること。実際にそうであるとするなら、どの社会においても、それが持つ自殺率に影響を与える力は、そこに普遍的に存在していることの根拠になりうる。

 デュルケムは自殺には4タイプがあると考えたが、いずれも彼が調べた自殺率の傾向を上手く説明するようなものである。
まず、 社会の中で何らかの形で孤立している人が起こしやすい『自己本位的自殺(Egoistic suicide)』。社会内部での繋がりの強さのために、個人よりも社会そのものに強い価値を持った人などが起こしやすい『集団本位的自殺(Altruistic suicide)』。社会状況の劇的変化などのための社会的方向性の欠如、それにより道徳的混乱に陥ってしまった、つまりアノミー状態な人が起こしやすい『アノミー的自殺(Anomic suicide)』。そして、おそらくは究極的なアンチアノミー、つまり過度に規制され、個人のあらゆる未来への道が妨げられているような社会に生きる人が起こしやすい『宿命的自殺(Fatalistic suicide)』
自己本位的自殺は、例えば社会の中で、自分の家族を持たないか、そうでなくとも繋がりが薄い独身者の自殺率が高いことを説明しやすい。
集団本位的自殺は、自爆テロなどの行動を説明できるかもしれない。
アノミー的自殺については、もしかしたら生きること自体、どういうことであるかを見失ってしまってとか、そういうこともあるのだろう。
宿命的自殺は、これはむしろ理解しやすい人が多いかもしれない。ようするに死んだ方がマシな世界に生きているなら、死ぬ人が増えるだろうと、そういうことではなかろうか。デュルケムは冷静だったのか、理想主義だったのか、そのような宿命的な自殺はあくまでも理論上のものであり、現実には基本的に見られないものだろうと考えていたともされる。

人を自らの死に向かわせる動機の謎

 しかし、自爆テロは自殺なのだろうか。
まず自殺というものをどのように定義すればいいのだろう。仮にその人が死のうと思ってやっていることが自殺とするなら、何らかの奇跡を盲信している人で、自分が死ぬわけがないと(本人が考えてるだけで実際には非常に危険な)無茶をして死んでしまった人がいたとして、その人の行動は自殺なのだろうか。
死ぬことが手段の1つで、実際の目的は別にあるのなら、例えば自爆テロなら敵対する相手に恐怖を与えたり、確実に大くの命を奪ったりすることが目的であって、自分が死ぬことそのものが目的かと言うと微妙なこともあるかもしれない。そういう行動を自殺として考えてよいのだろうか。
そのような自爆行為に関しては洗脳されていたのかもしれない、というような話をよく聞く。そうした場合、洗脳下で自殺するという人がいたら、それは洗脳をかけた人の殺人というように考えることはできないだろうか。とすると洗脳されてた人は自殺したのではないと言えないだろうか。極端な話だろうが、個人的には人を操って自殺させる能力を持っている超能力者がいたとして、その人が実際にその能力で心を操って誰かを自殺させたとすると、それは自殺ではなく殺人であるように思う。

マックス・ヴェーバー

 マックス・ヴェーバー (Max Weber。1864~1920)の関心は、経済学、法学、哲学、比較歴史学など多岐にわたっていたが、その研究のほとんどにおいて、近代資本主義の発達、そして近代社会がそれ以前の社会形態といかに異なっているかということを重要視していたようである。
やはりヴェーバーも社会変動の原因を探求したが、彼は影響を受けながらも、マルクスに結構否定的でもあり、史的唯物論は排除した。そして、確かに社会変動に関して経済的要因は重要であるが、人の理念や価値観も同じくらいに重要とみなした。こういう点において、彼は初期社会学者の中ではかなり変わっているほうと言えた。他の多くの社会研究者が構造を重視することが多かったのに対し、彼は人々の社会的行為に焦点を置いた。ようするに彼は、個人個人の行動やその時も、社会構造の要素として捉えていたのだとされる。社会構造の中に働く何らかの力が、個人個人に影響を与えるというわけではなく、個人個人が持っている、自由に未来を作っていく能力が作用し合うことで、複雑な社会が成り立っているとしたわけだ。

理念型という仮想純粋モデル

 ヴェーバーは、 ある社会あるいは世界のモデルを理解して分析するために『理念型りねんけい(Ideal type)』という、まるで仮想見本のような概念を提案した。これはまた『理想型』とか『純粋型(pure type)』と言われることもある。ようするに、ある社会現象の論理的典型モデル。 ただしこれは、純粋な形体とされていて、現実に存在するとしても、それは珍しい。単に類型とか、理想像とかでもなく、つまりただ純粋なモデル。
理念型は、方法のための道具として有用とされる。現実の様々な状況を理念型と比較することで、理解を容易にするのだという。

社会学における様々な方法論

 社会学という分野の重要な問題点として、方法論からすでに統一性がない事実がある。しかしそもそも社会学は、複雑かつ多面的な人間の行動の集合という、つまり相当に複雑と思われる事象(社会)を扱うものであるから、それがそのまま論理的思考、方法の多様性に繋がっていると見る向きも強い。

 社会学という分野が何を扱うべきかという点においても、ちょっと謎がある。例えば個人の日常行動などを手がかりにしたりする『ミクロ社会学(Microsociology)』と、経済的秩序や国の政治などの規模の大きなシステムを分析する『マクロ社会学(Macrosociology)』はそれぞれが孤立しているようにも見えて、実は緊密に結びついている。しかしそのようなミクロとマクロの、どちらかをメインどちらかをサブとして考えることもできよう。そうした場合、どちらをメインにするかで問題の答が同じでも、アプローチが異なることになる。

 それでも、どのような方法論をとるべきか、意見を異にするとしても、自分たちが生きている、変化する社会を読み解きたいという目標は、多くの社会学者に共通しているところであろう。それは初期の頃からのことで、先に上げた4人の研究者たちも、社会という概念の研究方法を確立させようとしていたところが共通している。
また、もっと後の社会学の中で有力となったいくらかの理論的アプローチ、例えば『機能主義(functionalism)』、『葛藤理論(Conflict theory)』、『象徴的相互作用論(Symbolic Interactionism)』など、結局は初期の、つまり19世紀くらいの社会学者たちの考え方の延長とされるものは多い。

機能主義。社会有機体説

 機能主義は、様々な部分が安定性、連帯性を生むために協調して作動する複雑なシステムが社会であるとする。要素ごとのそれぞれの振る舞い、どのように相互作用し、関係していると言えるかを探るべきとする。つまり社会のある事象を、それ以外の事象や、さらに上位とできる社会の広い領域に何か貢献できるかを評価する。
機能主義的方法への影響が大きい、タルコット・パーソンズ(Talcott Parsons。1902~1979)やロバート・マートン(Robert King Merton。1910~2003)などは、どちらもデュルケムに大きな影響を受けているという。

 ある社会を1つの生物のようにして扱い、社会の活動状況を生き物の活動状態になぞらえて考える『社会有機体説(social organismic theory)』というのは、古代ギリシアの時代からあったようだが、それが明確に理論化されたのは19世紀とされる。コントは、『社会有機体(l’organisme social。Social organism)』という言葉を造ったらしい。
またデュルケムは、生物としての社会の機能に関して、より各部の専門化が進めば、複雑構造の多細胞生物がより巨大になるように、社会は発達し、大きくなるとした。 
文化、政治、経済なども、生物でいう器官で、社会の健康はそれらの活動、相互作用の調和に依存する。そして社会の健康な(正常な)状態とは、秩序と均衡。社会的健康状態は、その成員の間で道徳的な合意が存在する場合に安定しやすい。デュルケムは、社会の人々が執着する宗教に注目したとも。
そして、社会有機体説のような考え方は、まさしく機能主義者が前提としている世界観だとされる。

 社会有機体を研究対象としていた人に、ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer。1820~1903)もいる。
彼はチャールズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin。1809~1882)の「種の起源」を読んで、『適者生存(survival of the fittest)』という表現を生んだことがよく知られる。それは、生物学の原則として造られたもので、自然淘汰を強く示唆しているが、スペンサー自身は、それが適用できる進化論を、社会学と倫理の領域にまで及ぶと見なしていたようである。

 機能主義に関して、『顕在的機能(manifest function)』と『潜在的機能(latent function)』を区別したマートンの解釈は、大きな影響力を持っていたとされている。
顕在的機能とは、ある社会の中で活動する人たちが、しっかりと認識している、あるいは意図している機能のこと。一方で潜在的機能とは、社会で活動する人々が、自分たちは気づいていない、その活動がもたらす帰結など。
例えば雨乞いの儀式を伝統的に行っている民族があるとする(マートン自身は、 例えとしてアリゾナ州やニューメキシコ州のホビ族の雨ダンスを例に使ったりした)。彼らはその雨乞いの儀式が、作物の恵みをもたらす雨を誘発すると信じているが、そのような信仰が顕在的機能である。一方で彼らは、その儀式の準備や、参加などによって、社会集団としての繋がりを意図せず強めているかもしれないが、それが潜在的な機能効果というわけである。

 機能主義にどのくらいの真理性があるかはともかくとして、この方法には明らかな限界があることは確かである。例えば、「ニーズ」や「目的」といった、個々の人間に当てはめた場合に初めて意味をなすような概念について、機能主義において説明するためには、あたかも社会がそれらの要素をはなから持つかのように考えるのが普通となるが、それはおかしいだろう。

葛藤理論。マルクス主義

 葛藤理論は『紛争理論』とも呼ばれる。それは、社会の構造について考える時、個々の要素、集団ごとの相互作用に関して、特に対立、闘争の影響を重視する。社会の中には、権力や不平等など、闘争やそれに繋がるような現象は多い。そして個々の集団は、 自分たちがより大きな利益を得るために何らかの形で闘争を続けたがる。葛藤理論は、そのような社会内部での闘争のための緊張状態が、構造そのものを維持するのにも、いくらか役立つものであろうと考える。

 階級闘争を強調したマルクスの名をとる『マルクス主義』は、それ自体、様々な学派に分化しているが、たいてい共通する側面として、葛藤理論との深い関連がある。

シンボリック、象徴的相互作用論

 象徴的相互作用論は『シンボリック相互作用論』とも。ある種の社会学、または心理学的パースペクティブ(遠近法)の1つとされる。根底には言語の利用への興味があるようだ。それを使うことで、自分自身も個として外側から捉えることができる。
様々な物の名称などを、人が認識する(またはしやすくする)ための象徴とする。身振りとか非言語的なコミュニケーションも象徴。ようするに、社会の中での 人々が相互作用を発生させる時、共有されている象徴が、コネクターのような役割を果たすわけである。

 当然予想されようが、象徴徴的相互作用論は、あまり大規模な社会変動について考えるのにはあまり向かないという批判もある。この点は機能主義の逆とも言えよう。

 ジョージ・ハーバート・ミード (George Herbert Mead。1863~1931)などが、この象徴的相互作用論の思想に重大な影響を与えたとされている。
ヴェーバーも、階級とか身分集団みたいな社会構造の存在を認めながら、それらの構造は個々人の社会的行為の積み重ねで創出されると考えていた点で、象徴的相互作用論を部分的に先取りしているともされる。