種の起源、ミミズと土、人間の由来「ダーウィン著作」

種の起源

 ダーウィン(Charles Robert Darwin。1809~1882)の自分なりの進化論の簡潔な(と言っても結構ボリュームあると思う)まとめ。自然淘汰の原理や、その効果によって説明される現在の地球生物の多様性などに関して扱った本。
進化に関する生物学、の後の発展に関する予言の書みたいにもなっているが、やはり大陸の、長い時間スケールにおける移動などに関しては、かなり古さを感じさせる。
またダーウィン自身の実験だけでなく、様々な人の研究からの引用も多く、彼の周囲の環境における生物学の状況がけっこう見えるかもしれない。

 やはり当時としては過激だったろう進化論に関するはっきりとした証明の試みみたいな側面もあるため、いろいろ慎重な書き方もされている。必ず来るだろう質問を自分からたくさんあげて、そしてそれらに次々と答を用意していく。特に、はっきり確かめることができないようなこと、例えば化石記録の空白の問題などに関しては「今のところの証拠の少なさ」という問題を認めてはいるものの、それにもかかわらず、おそらく当時最も人気があったのだろう創造論の方が、よっぽど根拠がないともしている。

「過去のさまざまの地質年代に生息していた無数の生物の相互関係に関しては、現生生物以上にわかっていない。不明な点は未だ多く、今後も容易には解明されないだろう。しかし私は、入念な研究を重ね、できるかぎり公平な判断を下した結果……個々の生物種は創造主によって個別に創造されたという創造説の見解は、大半のナチュラリストが受け入れ、私自身もかつては受け入れていたが、明らかに誤っている」

 そして生物の多様性を、進化論的に説明する時、自然淘汰というものの力強さに、ダーウィン自身も驚きを見せる。

「私は自然淘汰の原理に全幅の信頼を置いてはいるものの、もし昆虫の中性個体という存在によって確信を抱かなかったとしたら、自然淘汰の威力がここまで大きいとは予想しなかっただろうと告白しなければならない」

遺伝の法則に関して

 変異のタイミングは胚発生の初期か後期か、受精の瞬間かをめぐっての議論。ダーウィンは、胚に不自然な処理をすると奇形が生じる実験事実と、奇形と単なる変異との間に明確な一線を引くことが難しいことも認める。しかしそれでも彼は、最も一般的に変異を生じさせる原因が、親の生殖因子が授精前に影響を受けることかもと考えている。

 メンデルの遺伝の法則の研究がダーウィンの生前であるにも関わらず、おそらくダーウィンがそれを知らなかったことは有名な話である。しかしそれがしっかり確立されていない状態であっても、ダーウィンは遺伝という現象に関して、それなりの確信を持ち、進化論において、それが重要な役割を果たすのではないかと何度も述べる。

飼育下の生物、家畜の調査

 家畜という存在そのものが、ある種の進化の結果というふうに考えることが、別にそれほど奇妙でもないだろう現代においては、ダーウィンが、飼育下の生物を参考とする自分の方法に対する反対意見の中で語る、「どのような飼育下生物に独特みたいな変異も、飼育下という特殊環境で起こる特殊な現象であり、本来の自然という世界にそれらの種を戻したならば、すぐに先祖帰りで、それらの特徴が消えてしまう。そういうもの」というような世界観は、なかなか興味深いかもしれない。
ここでは単に、人間の世界は自然領域から外れているかどうかみたいな議論とも、さらに異なるような可能性が示唆されているように思う。つまり、生物の変異は明らかな事実であるから認めるとしても、しかしあくまで創造論的な世界の中で得られるというような発想。

生存闘争と自然淘汰

 自然淘汰の原理は、人為選抜(人為淘汰)から連想された名前のような印象も受ける。
同属の種を、互いに異なる属として、分ける効果。
その作用はまた、(全体の要素としても存在する?)個体にとって有利に働く遺伝的変化を保存し蓄積するシステムみたいにも語られる。

 生存闘争が重要視される。どの種でも定期的に多数の新個体を生むが、生き残れる個体は少数である事実。わずかな変異でも、その種の個体にとっていくらかでも利益になるものなら、他の生物や自然環境との微妙な綾の中でその個体の生存を助け、子孫に受け継がれうる。そして変異は子が受け継ぎ、それで子も生存機会を増やす。
全ての生物は、個体数を精一杯増加させるための闘争をしているという言い方ができるとも。

 動植物は指数関数的に増加する傾向があるように見える。つまり生存可能な場なら急激に数を増やすはず。しかし指数関数的な増加傾向は一生のうちのある段階で起こる大量死によって抑えられているに違いないとダーウィンは推測する。
ここで、我々は大量に死ぬことをあまり見かけない大型家畜ばかりを見慣れているために、自然界での大量の死を見逃しがちと指摘しているのが、ちょっと面白いか。
ダーウィンは自然のありさまについて、1万本の鋭いくさびが密に絶え間なく打ち込まれているような柔軟な表面に例えられるかもとする。ある時には1本の鎖が打ち込まれ、またある時には別のくさびがさらに強い力で打ち込まれるような世界観。

 そして、生きるための闘争が、気候が及ぼす影響や、伝染病が発生した場合においても、やはり重要な役割を果たすかもしれないことが説明される。
寒さが直接の影響を及ぼす場合、真っ先に犠牲となるのは一番力の劣った個体、あるいは取れる時に食物を取れなかったのろまな個体。
伝染病に関しては、生きるための闘争とは別の抑制かもとしつつも、しかし寄生虫を原因とする病気とかなら、寄生者とその寄主との間で、やはり闘争が起こっていることになるとしている。

 そして様々なスケールの生存闘争、相互作用の絡み合いが発生させる進化のドラマに関して、実際にはあまりにも複雑なために明確な説明など不可能。しかし、はっきり言えそうなこともある。例えば個々の要素に変化があるとしても、自然全体のシステム自体に変化はないだろうということ。少なくともそこに、自然全体から見た場合の異常を定義することは難しいと。
ダーウィンは言う。「些細なことで勝者は変わるが、自然の見かけ自体は長期にわたって同じままだ。ところが我々の知識は浅いのに、思い込みだけは甚だしい。そのせいで生物の絶滅を耳にすると、慌てふためき、原因もわからないまま世界を飲み込んだとされる大洪水のせいにしたり、生物種には寿命があるなどという法則を考え出したりする」

当時の地球大陸の世界観と、自然淘汰の威力

 プレートテクトニクスどころか、大陸の移動という発想すらほぼないと言えるような時代だったことを考慮すると、新種形成における隔離の重要さなどに関する話に関して興味深さが増すと思う。
ここでもし、否定の言葉をそのまま受け取ってダーウィンが聖書の物語を否定していると考えるとするなら、おそらく彼にとって大陸を動かすような可能性、その驚異的な何かは同時に消え失せていたのかもしれない。すなわちそういうのは奇跡でしかありえないような現象であって、神の力を想定しないといけないような話だったのかもしれない。
いずれにしても、後のプレート理論が、いかにダイナミックで大胆な仮説なのかがよく実感できよう。

 ダーウィンは、チャールズ・ライエルが「地球で進行中の変化による地質学の例証」という著作で示した「例えば海岸に押し寄せる波の作用により、巨大な渓谷や内陸の長い断崖が形成された」という説を支持していたようである。それが、巨大な渓谷の形成がただ1度の大洪水のためという説をほぼ追放したとしている。そして、同じように、自然淘汰説が正しいなら、新生物は繰り返し創造されてきたという説を追放するだろうとも。

 ダーウィン自身は、大陸のある程度の変化は推測しながらも、やはりこの地球上に(おそらく生物が誕生した時から)ずっと繋がった陸地であったような部分も、あると考えていたようだ。
自然淘汰の作用に関しては、物理的環境の変化や、よそからの移住を妨げる障壁など実際に存在しなくても、それ(自然淘汰)で改良された変異個体が、空いている生息場所を新たに占めることは可能だと信じていると書いている。
形態、色、飾り、武器、防具、それらを魅力と捉える本能などがもたらす性淘汰の作用なども、この文脈で語られる。

ミミズと土

 ダーウィンの最後の著作として知られている本で、扱っているテーマは、彼がナチュラリストとして、若い頃からずいぶん長く関心を抱き続けたという、ミミズと地球の地質の関わり。熱心というより、むしろ愛情溢れるというようなくらいの、大量のミミズの観察結果、考察、それらを重ねて、この生物がいかに興味深い存在なのか、いかに生態系の中で、地球世界の中で重要な役割を果たしてきたかを語りに語っている。

 この本を大まかに前後編に分けるとするなら、前半が、ミミズという生物に関する生態調査報告。後半が、この生物が大量に存在している土壌が、この生物の存在によってどのような影響を受けているか、受けてきたと考えられるか、の考察と言えよう。

 前半では特に、ミミズが知能(と明らかに判断できる生物的機能)を持ってるかどうか、というところが非常に重要視されているように思う。
多くの観察実験、例えば、掘ったトンネルを葉っぱで塞ぐミミズは、その葉の引っ張り方を、その時々の葉の形によってどのように変えるのか、あるいは変えているように思えるか。そういうことを様々なパターンにおいて調べ、結果を比較することで、最終的には、むしろ知能を持っていると考えることが一番妥当なのではないかという、本人も「驚くべきだ」としている結論を示す。

 そして後半は、地球がどのように今のような世界になったのか。人が立つこの土地はどのように形成されたのか。そういう壮大な世界観における疑問を、小さなミミズという生物の研究を通して、いろいろ考える。
そのような疑問において、ミミズのような小さな生物がどのような役割を果たすのか。もしその役割がとても大きかったら面白いだろう。そういう思いが、ナチュラリストとしてのダーウィンを突き動かしていたのかもしれない。そういうふうな印象も受ける。
彼が熱心に語る、毎年ミミズが多大な土を自らの体に通すという流れ。大量のミミズのそれぞれのごくわずかな糞塊の積み重ねが、掘ったトンネルが地質学的時間でどんな影響をもたらすだろうか、という想像、仮説が、それだけでもとても楽しい。

「ミミズが岩の破片をすりつぶすのに発揮する力を考える時……ミミズがすむのに適した土地1エーカー(4046.856平方メートル)あたり、10トン以上の土が、毎年ミミズの体を通り地表に運ばれるという十分な証拠のあることを忘れてはならない……スコットランドとイングランドを一緒にして、耕作され、そしてミミズの生息によく適している土地は3200万エーカー以上と推察される。したがってその積は320兆トンもの土になる」

人間の由来

 二部構成であり、第一部が人間の進化史の考察で、第二部がダーウィン自身が種の多様性を考える上で非常に重要と考えていたらしい性淘汰について。

 時に、進化論の誤解に基づいた悲劇ともされる『優生学』というものに関して、「ダーウィン自身にはそういう思想がなかった」というような推測が、普通に幻想に思えてくるような記述もあったりする。
優生学というのは、遺伝の法則というものを重要視して、悪い要素を持っている人間に子作りをさせないことで、人間という生物を今よりさらによきものに改造していこうというような(あるいはそのようなことを理想とするような)、そういう思想。
そしてダーウィンは、人間という生物の起源を探ろうとしていた。当時は、現在理解されているよりも、相当にかけ離れたそれぞれとされていた様々な人種(つまり白人、黒人、黄色人種とか。あるいはコーカソイド、モンゴロイド、ネグロイドとか)に関しても、それらがそれぞれどのように発生したのか、または分岐したのかとか。
当時においてそれは、(おそらく現在の我々が、あるゲームとかで、ステータスとかスキル性能とか何もかも完全上位互換のキャラクターが、完全下位互換のキャラクターに比べ優れていると理解しているくらいのレベルで)ほとんど常識のようなものだったようだが、ダーウィンは様々な動物種において、高等な動物、下等な動物というような順位付けを認識し、最も高度な動物である人間の中でもさらにヨーロッパ人を最高の存在としている。
しかし進化に関する法則に不可欠な、つまり親から子への要素の遺伝というものをよく考えてみると、うまく優れた要素を持つもの同士を 掛け合わせて、子を作らせていくことで、意図的に人類を進歩させることができるかもというような記述がいくらかある。ただしそういう計画はあくまでも理想でしかなく、現実には実現不可能だろうというように諦めてもいる。しかし実際にそれを実現しようとしたのが、後の優生学運動な訳である。

「男性が女性よりも、一般的に知力、体力とあらゆる面で優れているのは、妻子を養いながら、(他の男という略奪者も含む)危険から守れる男が生き残るような自然淘汰が働いたからかもしれない」というような、男性優位主義者が時に語るような発想も、すでに見られる。
実際のところはともかくとして、男性は女性よりも優れた存在であるというのも、当時の一般的な見解だったのだと思う。

 性淘汰というか、 遺伝の法則に関しては、ラマルク的な形質遺伝、つまり後天的に獲得した形質の遺伝性も相当重要視している感じである。
特に、どちらかの性によって獲得された形質は、対応する年齢の同性にのみ受け継がれるのだろう、というような理解は興味深いか。

 ダーウィンは、彼が下等と考えるような生物にすら、まるで知能があるかのような行動が見いだせると、その度に喜んでいたような節がある。それに関して最も重要な理由は、この本に語られているように思う。つまり当時は「人間のようなとても優れた生物が、より下等な存在から変化することで誕生したなんてとても考えられない」というような進化論への反対意見が多くあった。それに対してダーウィン含む進化論者たちは「下等な生物は実はそれほど下等ではない」というような根拠を探し求めてもいたのだろうと思う。

植物の受精

 ひたすら植物の受精の研究の話。というか主に、『他家受精』、『自家受精』それぞれのメリット、デメリットの研究成果を報告した本。

 有性の生物は、受精(雌に子を宿らせるための、何らかの因子の結合)を別個体同士で行う場合と、同一個体(セルフ)で行う場合があり、前者を他家受精、後者を自家受精と言う。そして、どうも当時は、多くの花に雄しべと雌しべがあり、同じ花の花粉で受精できそうという事実から、基本的に花は自家受精するものだと信じてる人が多かったらしい。どうも神は植物を完全な雌雄同体として創られたらしく。
ダーウィンは、動かない植物が、花粉を運ぶ昆虫などを利用した、つまり、実は植物は、他家受精の巧みなシステムを備えているかもしれないという、彼以前の(曰く、いくらかは、先見の目がありすぎて埋もれてしまっていた)研究成果に注目。この本は主に、他家受精が自家受精に比べて有利なのかどうかを調べるための、長い時間をかけた様々な実験の結果報告のまとめと、そこからの一般的な遺伝理論などの考察で構成されている。

 特に系統(血筋)の近しい者同士ばかりでの交わりは、弱体化を招くかもしれないという理論について、これはかなり初期の方のしっかりした考察かもしれないともされている(しかしダーウィンには理由がはっきりわからなかったが、今日では、遺伝子の均一化により、以前からの病気に弱くなりやすいためとか、そういう理由がよく考えられている)