「エジプトのピラミッド」作り方の謎は解明されてるか。オリオンの三つ星か

ピラミッド

王と建設者たち

マスタバとピラミッド

 おそらく古代と呼ばれる時代の人工的な建造物の中でも、最も有名なものが、エジプトのピラミッドでなかろうか。

 ピラミッドと呼ばれる建築物自体はエジプトにいくつもあるが、特に有名なのが、エジプト第4王朝(紀元前2613~紀元前2498)の頃に作られたギザの三大ピラミッドであろう。
三つのピラミッドはそれぞれ、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の治世のものとされていて、古くから彼らの墓と考えられてきた。

 もっと古い時代からエジプトには、『マスタバ(Mastaba)』という、「レンガ造り(brickworks)」で長方形の墓があった。
これは王に限った話でなく、貴族の墓だったようだ。

 マスタバは第一王朝の頃にはすでにあった。
さながら死者の家というようなものでもあり、区切られたいくつかの部屋に食器や武器、(おそらく死者の国を旅すると考えられていたと思われる)船などがあることもあった。
基本的に今は失われているものの、建築当時は「屋根(roof)」があったと考えられている。
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ジェセル王。スネフェル王

 マスタバは外観的にも内部構成的にも、徐々に貴族の特別な墓として洗練されていったようだ。
第3王朝(紀元前2686~紀元前2613)の時代。
後に神として崇められるほど偉大な建築家であったイムホテプが設計したとされる「ジェセル王のピラミッド(Pyramid of Djoser)」は、階段状のマスタバという感じで、明らかにその流れを汲んでいる。

 エジプトにおいてジェセル王のピラミッドは、現存している最初のピラミッドであり、それがマスタバから発展したというのは、内部で実際に王のミイラなどが見つかっていないにも関わらず、ピラミッドが王墓でないかと考えられる根拠でもある。

 ジェセル王より数十年ほど後。
エジプト第4王朝の創始者であるスネフェル王は、ピラミッドで試行錯誤したとされる。

 側面が滑らかなピラミッドを建造しようという発想が現れて、 建造途中だった階段ピラミッドがまず中止された。

 しかし階段状でないピラミッドはなかなか上手くいかず、建築家たちは崩れないように、途中で傾斜角度が変わっている『屈折ピラミッド(Bent Pyramid)』を作った

 スネフェル王は判明しているだけでも、5個ほどピラミッドを作っていて、ピラミッドの進化段階がわかる。
典型的な形のピラミッドは彼の時代に登場した。

 このスネフェル王の子の一人がクフ王である。

第4王朝、ギザの三大ピラミッド

 第4王朝はピラミッドの時代と呼ばれるように、最大規模のものが作られた最盛期であった。

 第4王朝以降に、ピラミッドの建造文化が衰退した理由に関しては、技術的な問題以上に政治的な問題が関係していると見られることもある。

 古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは、王が奴隷たちを使ってピラミッドを建設させたというシナリオを紹介し、それが現在にまで影響を与えている。

 実際には奴隷でなく、ちゃんとした仕事であったろうという意見は多い。
特に20世紀末頃。
ピラミッドから程なくの辺りに、建設者たちの町や墓らしき遺跡が見つかり、墓に残る記録などから、それらの人々が奴隷というより、ただの庶民の職人だったという推測がよくされるようになった。

 また、どこまで信用できたものか微妙であるが、これまで考古学者は、ピラミッドを「人海戦術(Human tactics)」で建築するとして、どれくらいの人数が必要か、よく計算して、たいてい数万人ほどと言われてきた。
発見されている職人たちの町遺跡の規模も、数万人くらいのものという話もあり、わりと一致している。

エジプト文明の衰退

 いずれにしてもピラミッドの建造は、かなりの大人数を組織的に管理する必要があり、しかも物質的な利益率は明らかに悪い、かなり大規模で無意味なプロジェクトであった。
正確には無意味じゃなく、何らかの思想的に満足できるような理由があったろう。
しかしそれであっても、これほど大規模なものを建設するには相当強力な中央を中心としたまとまりがいるはず。

 第5王朝以降は、文明全体の衰退だけでなく、地方神官たちに権力が分散したと考えられている。
だとすると、第4王朝のような大ピラミッドが、それ以降の時代に作られていないのは、そう不思議なことでもない。

 もちろん、単純に衰退期の頃に、巨大ピラミッドを建造できるような建築技術が失われてしまった可能性もある。

 古い本や、怪しげなオカルティストの本などでは、ピラミッドは古い方が優れたものがあるとして不思議などと書かれてたりすることもあるが、的外れである。

 ピラミッドの仕事自体が、国家としてのまとまりを強めるための政策だったという説もある。

作り方はどうか。どうやって巨石は運ばれたか、積まれたか

 ピラミッドの建造前に、土台となる地面を平らにしたとされているが、これは水を使えばできたろうとされている。
デコボコの地面があったとして、水をまけば、へこんでるところにたまり、水面が平らの基準となるだろう。

 ピラミッドも、実質的には数トンほどのカットした石ブロックを、ある程度決まった配置に積み重ねられているだけ。

 数トンくらいなら運べることは、実験考古学者たちに実証されている。
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しかし石切場でのカットや、配置の計算はともかくとして、そのくらいの重たいブロックをあそこまでの高さに積み上げることができたのだろうか。
最大のピラミッドは、クフ王のピラミッドで、高さ146メートルほど。

 ちなみに、クフのピラミッドの底面は230×230メートルとなっている。

 実際にどのような方法が取られていたかは不明だが、傾斜路を別に作って、高い位置にブロックを運んだというのが、有力な仮説とされている。

 ただ、どのように作ったのか、完全に解明されている、というふうにはっきり書いてる本もおかしい。
今わかってるのは、おそらく数千~万人規模の職人たちがいたことと、当時の技術でも、十分に労力をかけたなら、大ピラミッドを作ることは可能であったろうこと。
しかし実際に、建造にどのような方法がとられていたかは、未だ謎である。

当時の科学との関わり

円周率が現れるのは奇妙か

 現存するピラミッドは頂点部分の辺りが欠けて、建設当時の数値よりも低くなっていることも多い。
クフのピラミッドの146メートルも、あくまで建設当時の数値として推測されているもので、以下の高さの数値(メートル)もそうである。

 カフラーのピラミッドは高さ144、底面の一辺が215。
メンカウラーのピラミッドは高さ65、底面の一辺が105。

 もっと古いジェセル王のピラミッドは高さ62で、底面が125×109。
スネフェル王の屈折ピラミッドは高さ105、底面の一辺189。
同じくスネフェル王のもので、クフ、カフラーに次いで大きな「赤いピラミッド」は高さ104、底面は218×221。

 三大ピラミッドの底面の一辺の長さを2倍してから、高さの長さで割ると、3.14、つまり円周率πに近しい数になるのは有名である。
これは不思議なことかのように述べている本もあるが、微妙である。
πという数は、円周の長さと円の直径の比であるが、そのような数であるから、設計段階の作図などで、円の図形を用いた場合、πという数字は自然とどこかに現れやすいのだ。
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 さらに言うなら、エジプトの数学は、古代ギリシャに参考にされたほど、かなり進んでいたようだから、πが3に近い数ということくらい知ってても、おかしくはない。

天文学の数字と配置

 様々なピラミッドの配置や大きさが、天文学の数値と結びつけられることはよくある。
もちろん天文学の数字と言っても、地球と太陽の距離だの、火星と金星と地球の体積比だのいろいろあって、適当な係数を(例えば10の9乗をかけるとか)使ったら、偶然近しい数になるということはあろう。
特に、はなから天文学の数字をそこに見つけようとしている場合はそうだ。

 例えば今、目の前に適当にリンゴとミカンを置いて、その間の距離が1.5メートルほどだったとする。
それは地球と太陽との距離の10の10乗倍くらいだが、もちろんリンゴもミカンも、地球と太陽との距離を意識して置いたわけではないだろう。
そして約1.5メートルの長さのものはすべて同じようにこじつけられる。

 しかし、中には本当に天文学と関連しているかもしれない部分もある。
数値というより形であるが、ギザの三大ピラミッドが、オリオン座の三つ星、ベルトと呼ばれる部分と、あたかも重なるような配置になっているとかは、そうである可能性は十分にあるだろう。
実際に古代エジプト文明は、オリオンの星々を信仰していたような記録も残っているという。

 ただ、別にオリオン座は肉眼でも見えるし、三大ピラミッドがベルトの形に似せていたからといって、だからどうしたという話なのだが。

 オリオンはともかくとして、古代エジプトに望遠鏡があったという説も、いちおうある。
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本当に王墓だったか

 王の墓以外には、天文学関連の施設という説がよく言われる。
超古代文明説を支持している者からは、大災害時の避難施設などという説も有名である。
ただ墓説は確かに、まあまあの説得力はある

 マスタバはかなり確実に墓であり、ピラミッドはそれから発展したと考えられているからだ。
しかし建築手法がマスタバの流れを汲んでいるからといって、用途まで同じとは限らない。

 ただ墓以外には、あまり有力な説もない。
王のミイラが見つからないことに関しては、むしろ大ピラミッドはあれほど巨大で目立つのだから、略奪の対象にならない方が奇妙だ。
国の衰退期の頃には、盗賊へのセキュリティは迷信ぐらいしかなかっただろう。
だが迷信なんて、物欲の前でどれほどの効果があるだろうか。

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