「ストーンヘンジ」謎解きの歴史。真実のマーリン。最重要のメガリス

ストーンヘンジ

巨石モニュメントの謎

キュクロープス式

 古い遺跡には、巨大な石組みのものが多い。
古い文化にて作られた、『巨石(Megalith)』の『モニュメント(Monument。象徴的、記念碑的な建築物)』は、その後に栄えた新しい人たちが見つけた時に、よく巨人(あるいは妖精や魔術など)と結び付けられたという。
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現在でも巨石建造物に関して、冗談めかして「キュクロープス式」と呼ぶ考古学者は多いという。

 キュクロープス(サイクロプス)とは、 ギリシア神話に登場する、鍛治仕事が得意な一つ目の巨人である。

 もちろん現在、そのような古い巨石建造物を、本気で巨人が作ったと考えている人は少ない。

現在では、建築方法以上に目的の方が謎扱い

 基本的に、何十トンとかあるような重さの石を石切場から運び、積み上げたりすることが昔の人たちにできただろうか、と疑う人であっても、巨人よりは、失われた超技術とか、宇宙人などが想定される場合の方が多い。
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 もっとも、現存するだいたいのものが、当時の技術でも、大人数が協力し、時間をかけたなら、 そういうモニュメントも建造可能であったろうというのが、今の一般的な見方である。
むしろまともな考古学者たちの間では、いったい何の目的でそのようなものが建設されたのか、そういうことが議論されることが多いようである。

本当に、古代に宇宙人が地球を訪れてたとして

 オカルティストはよく、地球の歴史の中で超古代文明が存在した説。
古い魔法使いの技説などを語る。

 古代宇宙人説というのは、そういう類の中でも、おそらく最も新しい時代に考え出されたものだ。
しかし問題点も最も多いように思われる。

 仮に巨石モニュメントのいくらかを作ったのが宇宙人だとしたら、なぜ石の建造物なんてものしか残せないのかっていうふうな疑問がある。

 よく、長く後世に残るために、そのような原始的なのにしたとか言われたりするが、微妙であろう。

 普通に考えて長い宇宙を旅してくるような超技術を持っている宇宙人がいるとして、そういう連中が地球に何かを残したいのだとする。
それこそ長く残るような、特殊な方法で生み出された特別な物質なども簡単に用意できるのでなかろうか。

 地球人に自分たちの存在が気づかれてしまう可能性を嫌っているとか、単純に物質的余裕がなかったとか考えられるだろうが、それならそれで、なぜそういうことを妥協してまで、地球に何かを残そうとしたのか、という疑問がある。

 もっとも真実かはともかく、シナリオならいくらでも考えられる。
例えば未熟な文明の生物に知識を与えるのが、もっと大きな銀河の国においては禁止されていて、一部の者が何らかの目的で、秘密裏に地球人に知識を与えようとしているとか。

ドルイドか、外国文化か。ストーンヘンジ研究史

サーセンストーン、ブルーストーン、アベニュー、ヒール・ストーン

 古代の巨石モニュメントは数多くあるが、その中でも、エジプトの「ピラミッド」、イースター島の「モアイ」と並んで、最もよく知られたものが、イングランドはソールズベリー北西の、『ストーンヘンジ』であろう。
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 ストーンヘンジは、直立した5メートルほどの巨石いくつかと、それらの上に置かれているような巨大石板。
それらが、 それらよりは小さめないくらかの巨石と一緒に円陣状に配置された遺跡である。

 大きいのと小さいので、巨石の素材は違うと考えられていて、大きい方は『サーセンストーン』、小さい方は『ブルーストーン』と呼ばれる。
基本的には、サーセンストーンは「砂岩(sandstone)」、ブルーストーンは「玄武岩(basalt)」。
サーセンストーンは、ソールズベリーにも普通にあるようだが、ブルーストーンは、おそらくはウェールズの方から運んできたのだろうと考えられている。

 直立巨石の集まりからさらに距離を置いた円形には、長く溝が掘られていて、「土塁どるい(earthwork fortification。外部からの侵入を防ぐための土製のシールド)」と考えられている。
溝になっていない出入口(?)の中でも最も大きな範囲の通り道は『アベニュー(大道)』と呼ばれている。
そのアベニュー前には、『ヒール・ストーン』と呼ばれる、やはり高さ5mくらいの巨石が置かれ、まるで目印のようである。

放射性炭素年代測定で明らかにされた事

 ブリテン島には、ストーンヘンジに限らず、 巨石モニュメントが多い。
かつては、優れた建築技術を持つエジプトから、古代ギリシアを通して、巨石モニュメントの建造技術が、ブリテン島へと伝わってきて、ストーンヘンジなどが建設されたのだ、という説が有力だったようだ。

 しかし、『放射性炭素年代測定(radiocarbon dating)』の技術が開発された1950年代以降、ストーンヘンジのような遺跡の年代は考えられていたよりもずっと古いものだとわかったので、この地に独自の巨石文化が発達していたのだろう、という見方が強まった。

 ストーンヘンジはケルト系の祭司、魔術師、学者であった『ドルイド』 たちの儀式場だったという説もあった。
実際にそうだったかもしれないが、そうだとしてもドルイドたちは再利用者であり、この遺跡自体を作ったのは別の者たちだったはずである。
現在、ストーンヘンジの製作年代は紀元前2000年から2500年くらいの時期だとされているが、ブリテン島にケルト人が定住し始めたのは紀元前6世紀ぐらいからとされているからだ。
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イニゴー・ジョーンズのローマ式説

 17世紀。
ストーンヘンジに興味を抱き、1620年には自らその巨石遺跡を訪れたジェームズ1世ことチャールズ・ジェームズ・ステュアート(1566~1625)は、建築家のイニゴー・ジョーンズ(1573~1652)に調査を命じた。

 ジョーンズの調査は、 記録に残っている最初の学術的調査とされている。
彼はストーンヘンジの構成は、ローマのトスカーナ式だと結論。
しかしちゃんとした報告書を世に出さないまま、彼は1652年に世を去った。

 ジョーンズの仮説は、助手の一人であったジョン・ウェッブ(1611~1672)が公表し、一般大衆には受け入れられた。
ただ、当時から専門家の多くは、彼らの説に否定的だったようだ。

 例えば哲学者のウォルター・チャールトン(1620–1707)は、ストーンヘンジは、ローマでなく北欧のバイキングの者たちが、9世紀くらいにブリテンを侵略した時に、彼らの王の儀式や集会などのために建造したものと考えた。

 チャールトンは、イニゴー・ジョーンズらが言うような石造りの建造物が、デンマークにもあるという、古物商のオレム・ワーム(1588~1654)からの情報を根拠としたともされる。
ワームはルーン文字の研究者としても有名で、自然科学者としては、ユニコーンの角が実はイッカクのものだと示唆したりしているという。
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 ただ、スカンジナビアの巨石モニュメントは、ストーンヘンジに比べたら、かなり小規模のものだと後に知られるようになった。

ジョン・オーブリーの見つけた穴

 ローマもバイキングも、後から考えるとまったくの的外れだった。

 古物商ジョン・オーブリー(1626–1697)は、ストーンヘンジは、ブリテン島の外部からの影響でなく、その島の住人たちが独自に作ったモニュメントだと考えた。
ローマ人も、スカンジナビア人も、 同じようなものを作っていないし、ブリテン島には他にも巨石モニュメントが多い。

 オーブリーの説は、むしろ真っ先に想定されるようなものである。
しかし他の可能性を考える者が多かったのは、その土地にもともと住んでいた野蛮な民族たちが、 そのような偉大な建築物を作れるわけがない、というような偏見や差別的な思想があったからだろうか。

 実際はオーブリーも正解ではなかったとされる。
彼はストーンヘンジを作ったのは、ローマ時代の記録にも登場しているドルイドだと考えた。

 オーブリーはまた、 イセキの周囲の溝(土手)の手前に並ぶ穴を発見した。
正確には、かつては穴があったが、埋められたらしい。
それらは今では『オーブリー穴』と呼ばれている。

ウィリアム・ステュークリとニュートン、ハレー

 アベニューの発見者として知られるウィリアム・ステュークリ (1687~1765)は、ドルイド説を支持し、それを広めた人物とされる。

 1718年頃に、「王立協会フェロー(Fellowship of the Royal Society)」に選出されたステュークリは、アイザック・ニュートン(1642~1727)と友人であり、フリーメーソンにも参加していたらしい。
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ニュートンが錬金術趣味であったことを考えると、なかなか興味深いかもしれない。
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 ステュークリはまた、エドモンド・ハレー(1656~1742)とも、共同でストーンヘンジを調べていて、モニュメントは地磁気と何らかの関連があると考えたそうだ。

フリーメーソンとの関わり

 ステュークリと同時代に、ストーンヘンジを研究したジョン・ウッド(1704~1754)も、フリーメーソンと関わりがあったとされている。
彼の本業は建築家で、自分の建築物にフリーメーソンに関連するアイコンを含ませたりしていたらしい。
ただし、彼がフリーメーソンに所属していたかは、はっきりしないという。

 そのウッドだが、彼もまたストーンヘンジをドルイドの建築物と推測したが、ドルイドをキリスト教と関連付けようとしてい節のあるステュークリに対し、彼は巨石モニュメントを完全に、異教徒の儀式場と考えた。

 ウッドの見解はステュークリから、かなりの勢いで否定されたようである。

ウィリアム・カニングトンの発掘

 ウィリアム・カニングトン(1754~1810)は、ストーンヘンジ周辺に、多くの「バロウ(塚)」を発掘した。
彼はストーンヘンジの中心部も調査して、先史時代のものと思われる土器を多く発見する。

 後にカニングトンの研究成果は、パトロンであったリチャード・コルト・ホアJr(1758~1838)により、本として出版された。

 ストーンヘンジは、記録にちゃんと残っていないものの、かなり古く、塚を作っていた人たちの技によるものかもしれない。
そのような説を最初に広めたのは、カニングトンとコルト・ホアだったとされている。

20世紀の神話と、考古学者たち

 すでに述べたように20世紀には、科学的手法が発達し、ストーンヘンジが作られた年代(紀元前2500年くらい)がかなり明らかになる一方で、古代宇宙人説という新たな妄想(?)が有名になった時代でもあった。

 あるいはストーンヘンジを天文学と結びつけようとする者も出てきた。
ストーンヘンジは、古代人の天文観測所だったとか、星の動きを計算するためのコンピューターだったという説である。

 コンピューターというと、高度な機械をイメージしてしまう人もいるようだが、この言葉には本来、単に自動計算機という意味以上のことはない。
理屈では何らかの計算の仕組みさえ備わっていれば、石のコンピューターというのは、別に不思議なものではない。
コンピュータの操作 「コンピューターの構成の基礎知識」1と0の極限を目指す機械
例えば、ストーンヘンジをアベニューが突き出た鍵形と解釈すると、配置的には、夏至(一年で太陽が最も北に寄る日)に、太陽が昇ってくる(ように見える)方角を向いていることになる。
夏至の太陽はヒールストーンから昇り、さらにその光は、ストーンヘンジの巨石で囲まれた中央を、ちょうど照らすようになっている。

 規模はともかく、ブリテン諸島の先住民たちに太陽信仰のような思想があり、その方角を意識していたことはほぼ間違いないように思われる。
同じくらいの時代のアイルランドのニューグレンジの古墳も、冬至(一年で太陽が最も南に寄る日)の日に、玄室げんしつひつぎの部屋)に、太陽光が射し込むようになっている。

 しかし、巨石モニュメントを築いた者たちが太陽を信仰していたというだけでなく、高度な天文学の知識があり、ストーンヘンジは有意義な天文観測所だったという説には懐疑的な人も多い。
20世紀の考古学者はむしろ、ストーンヘンジに関して、昔ながらの宗教的儀式場説に立ち返っていた感がある。

 特にコンピューター説は、20世紀まで、誰かが考えたとしてもまったく注目されなかったことだ。
古代の大層な建造物に、今の時代の知識を投影してるだけでないか、と疑う人もいるという。

ダーリントンウォールと地下のスーパーヘンジ

 21世紀に入ってから、ストーンヘンジから数キロ程度の距離に『ダーリントンウォール』という遺跡が発見された。
この遺跡は土塁に囲まれた集落だったと考えられていて、年代測定の結果は、ストーンヘンジ建設時期と一致している。

 ダーリントンウォールは明らかに、ストーンヘンジ建設に携わっていた人たちの宿泊集落であろうと思われるから、 個々に別の可能性をはっきりに出さない限りは、宇宙人説はかなり微妙となろう。
規模としては4000人ほどが住めたのではないかと考えられているから、ストーンヘンジ建設はやはり大規模な計画だったと思われる。

 興味深いのは2015年。
「ストーンヘンジ隠された景観プロジェクト(Stonehenge Hidden Landscapes Project)」のレーダーによる探査で、ダーリントンウォールの地下に埋まっている新たなストーンモニュメントが示唆されたこと。
それは「スーパーヘンジ」と呼ばれている。
しかし、早くも2016年にはそれなりの規模の発掘調査がされたらしいが、それらしきものは見つからなかったようだ。

製作はどのような流れであったか

 これまで述べてきたストーンヘンジの建設時期とは、ようするに紀元前2000年代だが、これは正確には巨石の石組みが作られた頃である。

 建設の歴史を見ると、ストーンヘンジはいくつかの段階に分けれることが判明している。

 まず紀元前3500年頃。
この時代には、巨石は関係なく、土塁のサークル(円)が作られたとされている。
また、おそらくオーブリー穴に木の棒を立てていた。
つまりは木製のサークルがあった。

 そして紀元前2500年くらいから、ブルーストーンなどが運ばれてきて、サーセンストーンと石組み制作。
オーブリー穴は、おそらくこの時期に埋められている。

 さらに紀元前1500年頃まで微調整が続けられ、完全に木製から石のサークルへと変わっていったとされる。

 しかし、このような制作の流れや、素材の移り変わりを考えると、案外モニュメントに巨石が使われるようになったのは、略奪や破壊を警戒してのことだったのかもしれない。

天体観測所としてのストーンヘンジ

ノーマン・ロッキャーの示唆した天体運航との関係

 有名な科学雑誌ネイチャーを創刊し、その編集長でもあったジョセフ・ノーマン・ロッキャー(1836~1920)は、ピエール・ジュール・セザール・ヤンセン(1824~1907)と共に、太陽光スペクトルの分析から、ヘリウムを発見した功績がよく知られている。
太陽系 「太陽と太陽系の惑星」特徴。現象。地球との関わり。生命体の可能性
 そのロッキャーだが、彼は考古学にも興味を持ち、エジプトの神殿や、イギリスのストーンヘンジが、天体運行と関連してるのでないかという説を唱えた。
そして彼の考えは、エジプト学者にはあまり興味を抱かれなかったが、イギリスではそれなりに受け入れられたという。

 ロッキャーは、夏至の太陽とヒールストーンの関係を確信すると、続いて通路や石の向きなどが、 7日の天体の動きに対応していないのかを徹底的に調べた。
彼は最終的には、巨石モニュメントはケルトの歴作りのための天体観測所であると結論した。  
 

巨石コンピューターか

 ロッキャーの手法は、想定する直線などの取り方と、それと対応するような天文現象の数から考えた、統計学的な面から批判を受けた。

 後に、周辺の複数のサークルをも含めた、複雑な方向に関する計算も、コンピューターによって可能になった。
そして実際に、1963年。
コンピューターによる計算結果から、ジェラルド・スタンリー・ホーキンス(1928~2003)は、 このストーンヘンジというモニュメントそのものが、月や太陽などの軌道を計算するためのコンピューターであると発表した。
特に、「日食(solar eclipse。地球から見た太陽が月と重なる形となり、太陽が欠けたり、見えなくなる現象)」を予測可能であったのは、預言者としての威厳を示すことにも役立ったろうと推測された。

 ブリテン島の巨石文明には、その設計におそらく共通の長さの単位が使われていて、それらの基準を統括する中央組織があったというふうな説を示唆したアレクサンダー・トム(1894~1985)のように、ホーキンスを支持する者もそれなりにいた。

 今は基本的に、ホーキンスの研究成果は、意図的な要素が多すぎると批判されている。
リチャード・ジョン・コップランド・アトキンソン(1920~1994)などは、ホーキンスは、 人工的ではないだろう部分や、時代的に明らかなズレがある構造などを関連づけて考えていて、かなりいい加減だと述べた。

 また、トムが示唆したような長さの単位があったかを自身で調べたダグラス・キャメロン・ヘギーは、 基準となる長さは確かにあるが、後その後から考えると、それは歩幅ではないかとしている。
そうだと考えると、一定の基準を広めた中央機関の存在はやや怪しくなる。

 それと、ストーンヘンジの建設過程に、長い時期をまたぐ段階があったというのは、最終的な形を根拠とした天体軌道の計算装置(コンピューター)説には分が悪いとされている。

あんあ巨石をどう積んだか。本当に当時の技術で作れたか

 ストーンヘンジの制作で、 本当に古代の技術で実現できたかどうか 議論されているのは、紀元前2000年くらいの巨石の運搬と、組み立てのみである。

 先にそこに置かれたのはブルーストーンだったとされていて、石切り場は数百キロ離れたウェールズのプレセリ山地とされている。
これはほぼ間違いない。
切り出し作業場や、祭祀の後が見つかっているという話もある上、 放射性炭素測定により、ちょうどストーンヘンジの巨石が運ばれてきたぐらいの時代に、その地で人の作業があったことが確実視されている。

 ブルーストーンは数トンくらいで、このくらいの石なら、原始的な道具しか使えないとしても、人海戦術が運べることは、 実験考古学者等により実証されている。

どうやって石を乗せたのか

 サーセンストーンは、しっかり組み立てるための加工などが行われた。
ただそのことは大した問題ではない。
サーセンストーンはそもそもブルーストーンにくらべても柔らかめだし、より硬い石があれば、鉄器などがなくとも、石で石を加工することは可能なのだ。

 巨石モニュメント建設という一大行事にあたり、大陸の方から、金細工技術者が助っ人にきていた説もある。

 問題はやはり、数十トンもあるらしい、その運搬と組み立てである。
BBCの企画にて、これに関して挑戦を試みたジュリアン・リチャーズとマーク・ホイットビーは、石をソリに縛り、油を塗った運送路上を引いていくという方法を考案。
40トンほどの巨石を135人ほどが協力して引くと、移動が可能と実証した。

 もちろん当時この方法がとられたという明確な証拠はないが、少なくとも当時の技術水準でも、巨石の運搬は可能ではあるということだ。

 巨石の直立は、穴を掘り、そこに引っ張ることで自らの重みで巨石を穴へと落とし、さらに大勢で引っ張ることで、うまくいった。

 直立した巨石の上に巨石を乗せる作業も斜路しゃろを利用すればよかった。
他にも、石を少し持ち上げては、できた隙間に木の台を挟むことで、少しずつ高さを上げていくという方法も提案されている。

魔法使いマーリンは、古代の超技術者か

キララウス山、アーサー王。伝説の記録

 ストーンヘンジに言及した現存する最古の記述は、1130年頃の、ハンチントンのヘンリーなる聖職者の歴史書とされる。
ヘンリーは、「この驚くべき遺跡は巨大な石で構成されているが、誰がどのような手段でそのような大きな石を望むように利用できたのかは謎」というふうに書いているという。

 ヘンリーの著作が世に出た数年後には、同じく聖職者の歴史家であるモンマスのジュフリー(1100~1155)が、もっとはっきりとした見解を示している。
ジュフリーは、 元々ストーンヘンジはアイルランドの「キララウス」なる山にて、巨人が作ったものとした。
しかし、(伝説的なアーサー王の叔父らしい)ケルト系の王アウレリウス・アンブロシウスの命を受けた魔術師マーリンが、死した同胞たちを弔うために、魔法の力でソールズベリーの地に、それらを呼び寄せたのだという。

 ほとんど創作的なジュフリーの書く歴史記録は、しかし人気を博し、古代の魔術師がストーンヘンジを作ったという仮説が広まるきっかけとなった。

 ちなみにアウレリウス・アンブロシウスは実在の人物であり、架空の存在であるアーサー王のモデルとなったという説もある。
マーリンは、はっきりした実在のモデルはおそらくいない、完全な後世の創作キャラクターである。

エドワード・リーズカルニンは秘密を得ていたのか

 巨石モニュメントを築き上げるのは、当時の技術で可能であったと言っても、相当労力を必要とする大変な作業である。
だから 超古代文明や魔法などではないにしても、実際に失われたテクノロジーがあったのではないかと考える者もいる。
ようするに巨石を簡単に扱うコツみたいなものだ。

 そのような秘密はあったろうか。
その秘密を掴んだとされる人物の中で、実際に巨石モニュメントを建造したとされるのは、おそらくエドワード・リーズカルニン(1887~1951)だけである。

 ラトヴィア出身であるリーズカルニンはあまり裕福でなかったとか、本好きであったとか、 いくらか断片的な情報を除けば、その幼少時代はぜんぜん知られていない。

 ただ父は石工で、エドワードは幼い頃からその技術をよく仕込まれていたようだ。

 26歳の時、彼は10歳年下のアグネス・スクブストと結婚の誓いをかわすが、式前に振られてしまったという。
そこで傷を抱えたリーズカルニンは、1920年代にアメリカへと移住。

 アメリカで、いくらか仕事と住居を変えた後、フロリダ南部の海岸に住みつき、巨石とサンゴを使って、現在「コーラル・キャッスル(サンゴ城)」と呼ばれている、自分だけの巨石モニュメントを20数年ほどで建造した。

 椅子やテーブル、ベッドなど、まさしくオープンな住居という感じのコーラル・キャッスルは、今は普通に観光名所となっている。

 コーラル・キャッスルに使われている巨石には数十トンくらいのもあり、リーズカルニンが一人でこの仕事を成し遂げたなら確かに凄い。

 ただし、それでも必要十分とは言えないだろうが、彼は作業にトラクターなどを使っていたらしい。

 リーズカルニンは、作業を必ず夜に行い、誰かが覗いたりしているのはよく察知したという。
そこで、彼が具体的にどのような作業を行っていたかは謎だ。

 正確な記録は確かにないようだから、時々ある、リーズカルニンは、石を魔術的に浮かせていたという目撃証言はおそらくデマである。
また、どのようにかわからないというのは、つまり本当に単独での作業だったのかも不明ということだ。

 しかし、仮に単なる手品にすぎないとしても、現実のコーラル・キャッスルが、彼の優れた仕事であるのは間違いない。

 だが、はたして、リーズカルニンは現代のマーリンだったのであろうか。
彼自身は、「自分の技術は、再発見したピラミッドやストーンヘンジ製作者の技である」と言っていたそうだ。

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