遺伝子改造されたコモドオオトカゲという怪物
アイスランド近くの島に建設された研究施設を舞台に、コモドドラゴン(コモドオオトカゲ)を遺伝子改造することで生み出された怪物と、軍人に科学者、それに英雄なき時代の英雄の、死闘を描いたSF小説。
「アイスランド」海底火山の上に、ヴァイキングたちが作った国
プロット的にはよくあるが、細かいところがけっこう独特だったりもする。
そもそもの始まりは、医療に役立てるために、遺伝子操作を研究していた科学者たちがいて、しかし実用化までの理論は完成したというのに、それを成し遂げるための資金がなかったという状況。
これに目をつけた兵器会社が、資金提供をする代わりに、その理論を生物兵器に応用させることを、科学者たちに約束させる。
そしてそれは上手くいきすぎて、文字通りに恐るべき力、再生能力、頭脳を持った人工ドラゴン、リヴァイアサンが完成し、ついにはコントロールに争って、殺戮本能のままに暴れだしてしまう。
とここまではモンスターパニックのよくあるパターンであろう。
怪物を作ったその人であるフランクが「予想をこえて強くなりすぎ、もはや危険です」とか、安全面を担当する軍人チェスタトンが「もはや安全でない」などと警告しても、お偉いさんが「大丈夫、大丈夫、 君らはストレスで怪物を過大評価してしまっているのだよ」などと楽観的なのもお約束である。
ただ、いざ怪物が暴れだした後に、研究施設にいる友人の電気技師コナーと彼の家族を助けに行くキャラクターが、この話の大きなポイントである。
しかし、平均的な人類の5倍の速度で動作する神経系を持っている(ようするに頭の回転が人間の5倍である)という怪物に対し、お偉いさんはいくらなんでも余裕見せすぎである。
ファンタジーすぎるが、熱い要素
本来はほぼほぼ無人だった島に、かつてヴァイキングが建てた塔に、1人で暮らしていた謎の大男トール。
北欧神話の神の名を持つ彼は、2メートル40センチほどの大きさに、顎髭に、怪力に、勇気に優しさと、まさしく神話から抜け出てきたような凄い人である。
作中で、「彼こそ、みんなが利益や金ばかり信じて、英雄なんて信じない時代に現れた、真の英雄」というように評されるシーンがあるが、まさにそんなキャラ。
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終盤。
核兵器以外では殺せないとされるほどの怪物リヴァイアサンに、トールが本気で一騎討ちを挑み、しかもしっかり戦いになるシーンは、冷静に考えてみたら半分ギャグみたいなものだろうが、有無を言わせぬ熱さがある。
一応、リヴァイアサンに刃物を使う人間が、そこまで接近して攻撃を加えることなんて、まるで想定されていなかったことだから、結果的にはそれが弱点となっている、というような説明はある。
つまりリヴァイアサンの装甲(肌)は、その組成的に、爆風や熱には強くても、刃物で切り裂く攻撃には弱いという設定。
また北欧神話において、ラグナログ(世界の終末)が近づいた時に、トール神は巨大な蛇ヨルムンガルドと戦うのだが、一騎討ちはこれの再現的。
ゾンビ的モンスターという発想
物語の中で脅威となる怪物リヴァイアサンだが、これがただ強靭な力を持っているというだけでなく、強い再生能力があるというのも問題となる。
リヴァイアサンは、エネルギーを使いすぎて疲れたり、爆発に怯んだり、電流や刃物にダメージを受けたりもするが、それでもゾンビのように、何度も回復し、蘇り、しつこく襲いかかってくるのである。
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補給を断って、傷を与え、弱らせて弱らせて弱らせてという戦いの流れも、この話の特徴とも言えると思う。
生物学と哲学
生物学をテーマとしたSFではよくあることだが、哲学的な話が多い。
善があって、悪がある
トールは、本人もそう言うし、周囲の人もそういうふうに認めるのだが、世界には結局、善と悪があって、誰でもそのどちらかに立っている、という強い信念を持っている。
コナーやフランクと、そういうことに関して議論するシーンがあるが、これはなかなか興味深かったりする。
生物は霊的なものとしか最初は知られていなかったが、理論的に物質と区別して考えられるようになった。
物質は善でも悪もない。
ただそこに物理的な存在しているというだけのもの。
しかしそれは定義されたもので、本質的な存在は霊的なものであり、そこには、ある特別な意思がある。
つまり決定的に、正義なる存在と、悪い存在とがある。
ただここまではいいとして、何を善とするか悪とするかについては、はっきり語られてないように思う。
「無垢なるものを傷つけようとする存在が悪」だとトールは述べるわけであるが、無垢なるもの、という存在が、また世界の中でどういう立場の存在なのであろうか。
誰でもいつか自分のドラゴンと出会う
「人は誰でも、いつか自分のドラゴンと戦う時がくる」
というセリフもなかなか印象深い。
人によって、そのドラゴンは病気であったり、友達の死であったりする。
トールにとってのドラゴンはまさしくリヴァイアサンで、彼は自分のことを幸運だという。
ドラゴンに立ち向かう時。
一番恐ろしいことは、それが恐ろしくないということ。
失うもの、守りたいものがないこと。
だからトールは、大切な友人たちを守るために戦える自分を、幸運だと言うわけである。
人工知能とサイバー空間の描写
この物語で生物哲学その他、もう一つ重要なファクターが、人工知能やサイバー空間といった、工学的要素であろう。
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リヴァイアサンを作ったフランク博士は、普通の生物の神経系と同じように成長する、ニューラルネットワークを有した人工知能GEOの開発者でもある。
作中では、リヴァイアサンよりもむしろ、リヴァイアサンを管理するための、そのGEOの方こそが優れた発明というふうに評されたりする。
GEOは作中でそう表現されているように、まさしく生物の頭脳との違いがかなり曖昧な、成長する人工知能。
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終盤のサイバー空間の描写はさすがに古くささが半端ないが、亡妻の人格チップを、それに設定するという、フランケンシュタイン的発想は、なかなかいい要素だったのではと思う。
いろいろと考えさせられる話ではある。
ただサイバー空間でそれと出会う時に、その奥さんの生前の姿そのままがイメージとして投影されるというのは何かちょっと微妙な描写な気がしないでもない。