「アイスランド」海底火山の上に、ヴァイキングたちが作った国

自然景観が独特な国

 アイスランドという島国は、自然景観が独特な国だとされている。
それを作るのは、地球内部からのものと、気候変化による地球表面の、異なる2つの作用である(どこでもそうと言えるけど、アイスランドはその作用が相対的に強力)。

活火山が非常に多い

 プレートテクトニクス理論によると、地球内部のマントルは、陸上に湧いてきて、しかし移動によってまた地下に潜り込むというのを繰り返す。
その変動により、地球表面のプレートと呼ばれる大地の部分は動き、 地形の形成に大きな影響を与える。
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そのマントルの変動地帯そのものである「大西洋中央海嶺たいせいようちゅうおうかいれい(Mid-Atlantic Ridge」という長い海底山脈があるのだが、アイスランド島は、なんとその大西洋中央海嶺の線が、中央を貫いている島なのである。
そのためかアイスランドの「活火山(active volcano)」が非常に多いという。
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結果的に温泉なども多く、アイスランドは北極近くの島であるにも関わらず、比較的温暖な気候とさえされる。

 むしろアイスランドは、海上に露出した大西洋中央海嶺の部分とも言われることもある。
大地の割れ目から溢れ出てくる溶岩も多く、過去5世紀の間の世界中の溶岩の噴出量の1/3ほどは、アイスランドが起源という説もある。

氷河と下段がつくる岩石

 アイスランドは、プレート活動による影響に加え、「第三紀(Tertiary。6400万年前~260万年前)」、「第四紀(Quaternary period。260万年前~現在)」に形成された氷河の影響も長く受けてきた。

 アイスランドは世界有数の火山地帯でもあるがゆえに、氷の中での噴火も度々起こり、融解ゆうかいした(溶かされた)水と溶岩との化学作用は、「ハイアロクラスタイト(hyaloclastite)」という火成岩を作る。
陸上に露出したハイアロクラスタイトは、風化作用を受けて「パラゴナイト(Palagonite)」という生成物となる。
そのパラゴナイトで形成された層は、火星にもよく見られる可能性が(分光学的な化学組成研究により)高いとされ、惑星学者にわりと注目されているともされる。
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 火成岩というのは、基本的には、それが結晶化したマグマの化学組成と、結晶化の外部条件(例えば変化速度や、水量)に基づいて分類される。
化学的には、アイスランドの岩石は、プレート構造におけるホットスポットで形成されたものと言える。
実は、わりと似たようなスポットとされる太平洋のハワイでも、アイスランドのものと似た岩石がわりと発見されやすいらしい。
しかし、「デサイト(dacite)」と「流紋岩りゅうもんがん(rhyolite)」の、2つのケイ酸岩(化学的に二酸化ケイ素の比率が高い岩)に関しては、アイスランドの方が、ハワイよりも明らかに多く見つかっているともされる。

 とにかくアイスランドは、 様々な岩石の種類の比率が、かなり独特らしい。

移住と国家の成立

 人類の歴史が始まってからも、長い間、アイスランドは無人島であったとされる。
人の移住はヴァイキング時代(800~1050)だったというのは通説。

ヴァイキングたちの移住

 その植民の歴史に関して記録した、中世アイスランドの文書「ランドナマボク(Landnámabók。植民の書)」によると、アイスランドの開拓は874年に、ノルウェーのインゴルフ・アーナーソン(Ingólfr Arnarson)が、妻や兄弟と共に、最初の永住者になった時に始まったらしい。
現在アイスランドの首都となっている都市『レイキャヴィーク(Reykjavík)』を、874年に設立したのは、彼らなのだという。

 その後は多くの移住者がこの島にやってきたが、ノース人(ノルウェー人)が多かった男性に比べて、女性はブリテン(イギリス)出身の者が多かったようである。
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おそらくは、ヴァイキングがブリテン諸島を襲撃した際などに、妻や奴隷としてさらわれた者たちだったろうと思われる。
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なぜ氷の島と呼ばれたのか

 記録的には最初に移住してきたヴァイキングたちは、夏の間に草を保存するのを失念していて、冬に家畜を全滅させてしまった。
それで彼らは移住を諦めたが、アイスランドという名前はヨーロッパに持ち帰ったのだという。
どうも、山に登った時に、「フィヨルド(fjord)」、つまり氷河の浸食作用で形成された細長い地形や湾が、氷に包まれてるのを見たらしい。

 単純に、資源の限られたこの島に、あまり多くの人が寄り付いて欲しくないから、いかにも氷ばかりで何もなさそうな名前を伝えたという説もある。
さらに囮として、氷ばかりの隣の島に、グリーンランドなんて名前を与えたとか推測されたりもする。
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アイルランドの修道士たちがいた?

 800年以前のアイスランドでの、人が暮らしていた形跡も考古学者によって発見されてはいる。
どうもキリストを信仰するアイルランドの修道士たちだったらしい。
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 しかし、異教の神(ようするに北欧神話の神々)を信仰するヴァイキングたちとの共生を望まなかった彼らは、早々にその地を去ったのだとされている。
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理想の社会だったのか

 アイスランドに法ができたのは930年以降とされている。
13世紀にノルウェーに取り込まれるまでの、「アイスランド共和国」と呼ばれた時期、アイスランドはまぎれもなく独立地域だったが、王のような中央権力は持たなかったとされる。
ただ、年に1回、「シンクヴェトリル(Þingvellir)」なる丘に、全住人が集まって会議を行う「アルシング(Althing)」という制度があった。
他にもっと小規模な、地域ごとの集会もあったという。

 集会を主導したのは、「ゴジ(gothi)」という各地域の代表的な人たちで、共和国成立以前の時代においては、神官などの地位にあった者たちだとされている。

 そのアイスランド共和国は、自由共和国とも呼ばれ、絶対権力というものが存在しない、身分の平等な者たちが平等な政治を行った、理想的な社会の時代として崇められていたこともあったらしい。
ただ、今やそのような見方は完全に過去のものである。
女性の政治参加は認められなかったし、男性であっても集会での発言権を有するのは一定以上の財産を持っている者たちのみだったようだから、とても理想的な平等社会とは言い難い。

 また、社会の秩序を守る中央の権力が存在しないということは、個人は自分たちの身を、自分たち自身で守らなければならないことも意味している。
特に重要なのは、いざという時に味方になってくれる友人関係である。
当然のことながらその数は多ければ多いほうがいい。
いったい誰と友達になるか、誰と結婚するかなど、そこには感情的なものよりも、実用的なものが重視されていたに違いないと考えられている。

デンマークからの独立

 アイスランドは13世紀に、ノルウェーの統治に同意する。
さらに1397年に、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンの王国統合であるカルマル連合があり、アイスランドもそのままその連合の枠内にあった。
1523年には連合からスウェーデンが離脱し、アイスランドは新たに成立した、デンマーク=ノルウェー王国の統治下に置かれた。

 アイスランドはフランス革命の影響を受けた多くの地域のひとつであった。
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その独立運動は、1814年から始まったともされている。
その年にデンマークとノルウェーはまた別れたが、アイスランドはデンマークの統治下のままとなった。

 独立が国際的に認識されたのは1918年らしい。

レイキャヴィーク。首都であり、最初の都市

 デンマークの自治区であるグリーンランドのヌークを除けば、アイスランドのレイキャヴィークは、世界最北の首都である。
アイスランド(氷の国)の首都にしては、そこまで寒くなく、最も冷える時期でも、マイナス10度くらいまでしか、気温は下がらないらしい。
北海道の方が寒いくらいかもしれない。

 レイキャヴィークは「煙の入江」というような意味らしいが、おそらくこの名称は、温泉などから立ち上る蒸気から発想されたものだろうとされている。

 ところでアイスランドには、18世紀後半くらいまで、首都どころか都市というものも存在しなかったとされる。
それどころか島の住民はかなり散らばって生活していて、村落というものすら、おそらくはなかった。

 レイキャヴィークに 人口が集中するようになったきっかけは、18世紀の、貿易会社の設立らしい。

 1752年。
デンマーク王フレデリク5世(Frederick V。1723~1766)の援助を受けていたスクリ・マグヌソン(Skúli Magnússon)という人が、アイスランド初の貿易会社を始めた。
この事業は成功しなかった。
しかし1786年にデンマーク国王が独占貿易を放棄した後も、レイキャヴィークは貿易港として定着し、 その後の歴史において、独立運動などの様々な政治的な激動の中心地にもなったために、実際に独立する頃には、島で一番の都市となっていたわけである。

 スクリは、別に歴史的な事などまったく考慮せず、単に実用的に、港として役立ちそうだから、レイキャヴィークを選んだとされる。
そこがインゴルフ・アーナーソンが定住した場所だったのはただの偶然だという。

エッダ、サガ、スカルド詩

 一般に北欧神話と呼ばれるものは、サガやエッダに語られている物語群である。
著者として有名な人物はスノッリ(Snorri Sturluson。1179~1241)ぐらいで、そのほとんどは誰が書いたのかも不明とされる。

 サガ(saga)という言葉は、古アイスランド語(古ノルド語)のsegja(言う)が語源。
特定の存在(例えば何らかの王の)年代記的な物語などを指すようだが、現在では転じて、一家一門の壮大な物語全般を座すことが多い。

 エッダ(Edda)の語源はかなり謎。
仮説は多くある。
例えば、アイスランドの南の、スノッリが育った町オディに由来するとか。
「詩」あるいは「インスピレーション」を意味する「óðr」という言葉に関係しているとか。
「偉大な祖父母」も意味するとか。
ラテン語の「edo(私が書く)」からとか。
何にしろ、エッダはサガに比べ、詩集的な意味合いが強いようである。
ただ、なぜかサガほど普遍化しなかった。

 エッダと似たようなものであるが、少し異なる「スカルド詩(Skald)」というのもある。
skaldというのは、おそらくは古いゲルマン語に関連している名称らしい。
「音」とか「叫び声」、あるいは「賛美の歌」や「詩篇」、「響き」といった意味が元々あったとされている。
エッダとは、形式よりも、どちらかというと内容で区別される場合が多い。
古い時代の英雄とかを語るエッダに対し、スカルドはリアルタイムで活躍する王などを称えたりする内容なのだという。

スノッリ・ストゥルルソンのエッダ

 歴史家であり政治家でもあったというスノッリ・ストゥルルソンは、アイスランド出身である。
彼はアイスランドの議会(アルシング)において、法律家(lawspeaker)として2度選出されているという。

 彼の書き残したエッダは、「散文さんぶんエッダ(Prose Edda)」、あるいは「スノッリのエッダ(Snorri’s Edda)」などと呼ばれ、他の「詩のエッダ(Poetic Edda)」と呼ばれるエッダとは区別される。

 スノッリの書いたものでない、いわゆる詩のエッダは、古エッダとも呼ばれている。
ようするにこれは古い時代の北欧における、匿名作者の詩のコレクションの現代的な呼称である。

古い異教の物語

 現在のアイスランドはほぼ完全にキリスト教の国である。
しかしもともと、ヴァイキングたちが暮らし始めた頃には、エッダに語られるような北欧神話の神々が信仰されていた。

 アイスランドのキリスト教化は、スノッリの時代より100年くらい前から加速したとされている。
中世くらいの時代には、詩の研究は非常に重要な学問とされていて、アイスランドではそれを学ぶのに、キリスト教以前の異教の物語が利用されていたらしい。
スノッリ自身も、エッダの序文で「ここに語られる物語は祖先が崇拝していたものであり、今となっては嘘ということがわかっている」というように書いてたりもするのだという。

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