ローマの詩人オウィディウスの大作
この『変身物語(Metamorphōseōn librī)』という本は、主にギリシア神話の物語を書いた本だが、ローマ時代のローマ人によって書かれている。解釈というべきか、追加というべきか、それらの物語に、さらに後の哲学の影響もいくらか見られる。
著者である、詩人オウィディウス(Publius Ovidius Naso。紀元前43~紀元後17)は、存命中からそれなりに人気な作家だったようだが、これは現存する彼の作品の中でも、最大級の大作である。
混沌、人間、四つの時代。創造に関して
最初、世界の混沌から、人間の誕生、そしてその時代の移り変わりまで語られているが、そのいくらかの描き方が結構慎重な感じがする。古い伝説のパターンがすでにいくつもあって、どれがもともとのものか、わからなくなっていたのだろう。
「混沌の時代を終わらせた創造神が存在したとしても、どのような存在だったのか。そもそもそんなのは存在せず、大いなる自然の法則が それを勝手に生み出したのか。それはともかくとして、世界の物質はだんだんと整っていった」というように書かれてたりする。
人間に関しても、創造神が造った以外にもう1つ。最初から大地に人間の種(胚種)が含まれていた説が紹介されている。その場合には、土を雨水と混ぜて、こねて、人間を今の形にした(神々に似せた)のはプロメテウスらしい。
だがこの場合、大地に種が含まれていた理由が、それが天の霊気から切り離される時に、同種の種を大地が保持していたもの。ともされている。
そうすると、そもそも人間は神々と同じ種族と考えてよいのかもしれない。
「ギリシア神話の世界観」人々、海と大陸と天空、創造、ゼウスとタイタン
黄金の時代の情景
そして人間が誕生してからの4つの時代の流れ。
法律など必要なく、正義がよく守られていて、誰もが誰かに従うこともなく自由で、必要な全てのものが誰しもに用意されていた黄金の時代。
季節が生じ、時に世界に苦しみも見られるようになったが、それでも 後の時代よりずっとまだ幸福であった銀の時代。
荒々しい気質の種族(人間種?)たちが増えて、しかし残忍な武器を持った者たちも、罪深いというほどではなかった銅の時代。
そしてあらゆる悪行ばかりが普通になってしまい、最後に残っていた神アストライア(正義)までが去ってしまうことになる鉄の時代。
黄金の時代は、悪を行う必要がない世界だったとも考えられるか。
「耕されもしないのに大地は穀物をもたらし、乳の川が流れ、ネクタル(甘露?)の流れが走った。ヒイラギの木から黄金色の蜜が滴っていた」と、かなり恵みに満ちた世界観と考えられる。
また、サトゥルヌス(クロノス)がタルタラ(奈落) のそこへ送られ、世界がユピテル(ゼウス)の支配下になった時に、銀の時代がやってきた。とされているが、クロノスの方が、ゼウスよりも優れた統治者だったのだろうか。
巨人たちのバベルの塔
「巨人族(ギガンテス)が、天上の国をうかがい、空高く山々を積み重ねていった。という説が正しいなら、天界が地上より安泰という訳でもないのだろう。この事件が起きた時、全能なる神は雷を投げて、オリンポス山を砕き、ペリオンの峰を、その土台であるオッサ山から降り落とした。巨人どもの体は、自らの築いた山塊に潰され、彼らの血を浴びた大地は赤く染まった。そしてこの血潮に与えられた生命が、人間の形になった」
そしてそうして生まれた新しい種族も、神々をあなどって、殺戮を好んだ。とされているのだが、はたして、この者たちだけが、人間なのだろうか(つまりはこの話は人間創造に関する説の1つなのだろうか)。それともこれは、創造神が造ったか、土をこねて作られた人間たちとは違う存在(人間種)なのだろうか。
この巨人が山を積み重ねた話は、昔の出来事として「ヘビの足持つ巨人たちのめいめいが100の腕で、天に掴みかかり、そこを我が物にしようとしたあの時」とも(ゼウスに)語られる。
オオカミ憑きリュカオンと大洪水
ある時に、アルカディア王リュカオンは、人間の姿をして旅していたゼウスが、本当に神なる存在であるのかを試してやろうとした。彼はゼウスが眠っている時に、不意を突いて殺そうとしたのである。
さらに彼は、モロッシアの国から人質として送られていた男の喉を 切り、死にきっていない体を熱湯で茹でて、残りの部分を火にかけて焼き、食卓に出した。
ゼウスはすぐにそのことに気づき、懲罰の雷を放って屋敷を崩壊させ、屋敷の主と、その主にふさわしいその眷族を下敷きにさせようとしたが、リュカオンだけは逃げた。
そして、田園に来たが(いつからなのか不明だが) リュカオンは、もはや喋れず、獣のように吠えるだけ。そしてその殺戮欲をヒツジたちへと向けた。
彼は流血を好み、衣服は毛に、腕は脚に変わった。つまりオオカミに変身した。しかし元の姿の名残りもいくらかはあった。灰色の髪、凶暴な顔つき、そして目の光も同一。
これはいわゆるオオカミ憑きに関する話であるが、ゼウスにとって重要なのは、このリュカオンという男がひどい無礼者だったということ。
そして罪を背負っている人間は彼だけではない。もはや人類全体が、このような恐ろしい狂気を持っているような気さえするとして、「これを滅ぼそうと思う」と、ゼウスは神々の会議で告げる。
賛成する神々も結構多いが、いずれにしても人類の滅亡は、神々にとっては悲しいことらしい。どうも、獣と違って、熱心に信仰してくれるからのようである。
「オオカミ人間」狼憑きと呼ばれた呪い。獣に変身する魔法使いたちの伝説
とにかく、ゼウスは人類を滅ぼすために、最初は雷を使おうとしたが、世界中を襲う雷は全てを燃やし尽くし、宇宙そのものを滅ぼしてしまうかもしれないということで、作戦を変更。大洪水を起こし、全人類の中、特に善良だった男デウカリオンとその妻ピュラだけが生き残っているのを確認するまで、世界中のあらゆる土地を海へと変えた。
リュカオンは最初のオオカミ憑きかもしれないが、 おそらくオオカミ憑きたちの先祖という訳ではないだろう。彼は(一族がいるとして、その一族も)多分、大洪水で死んでいると思われるから。
ただし、時系列的にこれより後の思われる話でも、普通に彼の子孫が 登場したりもする。
火と水から生まれる万物。未熟な生物と怪物
大洪水で生き残った生物は本当に、人間2人だけ(だが、海の生物は生き残っていると思われるが)のような印象もある。
「他の生き物は、形は様々だが、全て大地がひとりでに生み出したもの。洪水の名残である古い水分が、太陽光線で熱せられ、泥が熱で膨れ上がる。そして諸物に、多産な胚種がちょうど母親の胎内でのように命を育む土壌に養われ、大きくなり、何らかの形を取っていく。そういう経過があった」とされている。
さらに、「同じことが、ナイル川が氾濫した後の土壌が、太陽で熱せられた時にも見られる。土を掘り返せば、多量の生き物が見出されるのである。その中には、発生期にあるものもあれば、発育が不完全で全ての器官が揃っていないものもある。これもよくある例なのだが、同一の体の中に、生きている部分と不定形な土の部分が共存していたりすることもある。事実として、水分と熱とが適当に混ざった時、そこに生命が誕生する。万物はこの2つのものから生じる。火と水は敵対関係にあるが、水分を含んだ熱気は、全てのものを生み出す 。不和の中の和合こそ、生命の発生には好適なのだ」という説明もある。
当たり前のように水と火を元素とした原子説が要素として使われている感じも、未完成の生物たちの描写も非常に興味深い。
「原子の発見の歴史」見えないものを研究した人たち
そして、最近の洪水が、また多くの生物種を生んだのだが、それらのいくらかは昔のような生物の形。だがいくらかは、新奇な怪物だった。とされている。
そこで生まれた怪物の1頭として、パルナソスの山原の広大な場所をその体でふさいだ、大ヘビのピュトンが紹介されている。
弓矢の神アポロンがこれを退治したのだが、刺さった大量の矢によって吹き出した毒の血が、その傷口を黒く染めていたという。
アポロンはこの勲の名声が時とともに忘れられないよう、「ピュティア競技」という神聖な競技会を制定。それは主に、拳闘や競走、馬車競技などで、競いあうものだったようだ。
ピタゴラスと四大元素
終盤には、サモス島出身のピタゴラス(Pythagoras。紀元前582~紀元前496)に関しても、少しばかり語られるが、彼は賢者で、天界からは隔てられた存在であったにしても、知性によって神々の世界にまで分けいった、とされている。
本来、人間が見て取ることを禁じられているものを、心の目で読み取り、深く洞察し、理解したことをみんなに知らせた。彼の言葉を聞く者たちに、大宇宙の起源、万物の原因、自然とは何か、神とはどのようなものか、雪や稲妻はどのように生じるか、雷を鳴らすのはゼウスか、あるいは雲を引き裂く風か、地震はどうして起こるか、星々はいかなる法則で巡っているか、とにかくあらゆる不可思議を解き明かしたと。
そして全てのものを食い尽くす時間が、あらゆるものを、死滅させていく原理についても説明される。
元素と呼んでいるものすら恒常不変のものではない。それらも変化していく。永遠の宇宙は4つの根源的な物質、「土」、「水」、「空気」、「火」を内包する。土と水は重く、自らのその重さによって低いところへと落ちてゆく。空気と火は重さを持たず、押さえつけるものがない限り高い所へと昇っていく。
4つの根源物質(元素)は、空間的に離れていても、互いが互いから生じ、それぞれ元の状態へと戻る。土が解体すると薄まって水になる、水が気化すると風と空気に変わる、そして空気は(その気薄さのために)さらに純粋な火へと変わる。このプロセスは逆にも辿れる。火が凝縮して空気に移行し、空気が液化して水に変わり、水が固まって土となる。
世界は何1つ滅びることがないとも言えるが、自然が万物の更新者として機能し続ける限り、万物は様々に変化し、新しい姿をとる。「生まれる」とは前と違ったものになる事の始まり、「死ぬ」とは前と同じ状態をやめること。
ここで語られている四大元素の話も、ピタゴラスの(でないにしても、その時代くらいの)提唱と考えられてたのだろうか。
そしてここで語られている物質の変化は、完全に状態の変化と言えよう。それは段階になっていて、例えば土から空気になるためには、まず水の段階を必ず介さなければならないように思える。
土と火は、変化領域の両端を占めているのだろうか。
別の新生物への変身
ピュトンを倒して、いい気になっていたアポロンだが、それを自慢されたウェヌス(アプロディーテ)の息子クピード(キューピッド)は、こう返した。「アポロン、 あなたの夢は全てのものに猫のでしょうねでも僕の嫁はあなたを追い抜きます。全ての生き物が神に及ばないのと同じくらい、僕の矢の効果(恋)にあなたはかなわない」
そしてそれを証明するかのように、クピードは、アポロンに恋心をかきたてる金矢を、河神ペネイオスの娘ダプネに恋心を避けさせる鉛の矢を放った。
そうして、 恋に狂ったアポロンから、恋を嫌うダプネは、必死に逃げることになった。
それから、父ペネイオスの河の近くに来た時、ダプネは「お父様、どうか助けてください。この流れが神性をもっているなら、あまりにも恋される原因である、この美しい姿などなくしてください」と願い叫ぶ。
願いが聞き入れられたのか、ダプネの体は、樹の皮で覆われ、その髪は葉に、腕は枝に、足は根に、顔は梢に変わった。そこには美しさだけがそのままの木が残った。
しかしアポロンの想いは、彼女が木になっても変わらず、愛を囁き、祝福を与えたという。
その木はゲッケイジュ(月桂樹。Laurus nobilis)らしい。そしてこの木は、後にはアポロンの霊木として崇められるようになった。
完全に神話的な話ではあるが、ある植物の起源が、女神(あるいは人間、動物)の変身にあるという考え方は、いったいどういうふうに生まれたのだろうか。
草笛、水仙
植物に変身するパターンの話は月桂樹だけではない。
例えばパンとシュリンクスの話。
サテュロス(獣神)に付きまとわれていた、ノナクリスのハマドリアス(森の精)たちの中でも特に高名なニンフ(妖精)だったシュリンクスは、ある時、牧神パンに見つかる。
口説きの言葉をはねつけ、逃げたシュリンクスは、やがて砂地を洗う緩やかなラドンの流れに行きつく。そこで水に遮られた彼女は、姉妹の水精たちに、自らの変身を頼む。そしてパンがシュリンクスを捕らえた時、彼が捕まえていたのは沼地の葦であった。その時にパンはため息をついたのだが、茎の中で揺れ動く空気が、嘆きにも似たかぼそい音を作った。その音色にうっとりしたパンは、「この語らいはいつまでも続くことだろう」と言って、様々な葦を結び合わせてみた。そうしてシュリンクス(草笛)は発明された。
他にも、水に映った自らの美貌に恋をして、そのためにやつれてしまい、死んでしまったナルキッソスが、水仙の花になった話などは有名であろう。
カエル
ある時に、喉が渇いていた女神ラトーナは、谷底に見つけた湖の 水を飲もうとしたが、近場の農夫たちに邪魔された。
頼んでも聞いてくれない彼らに、女神は怒り、「おまえたちのその湖にいつまでも佇んでいるがいい」と願い、それは実現。
農夫たちは、水の中で住むことが喜ぶになった。つまり彼らはそういう生物、カエルになった。それは新しい生き物
100の目を持つアルゴス。魔法の杖持つメルクリウス
例によって、イオという娘と浮気したゼウスは、妻ヘラをごまかすために、イオをウシに変えたが、ヘラはウシだというそれ(イオ)を怪しみ、アルゴスに見張らせる。
アレストルの息子アルゴスは、頭の周囲に100の目を持っていて、そのうちの2つずつが交代で眠るが、起きてる目が常にあるから、見張り役として優秀なのだ。
イオはウシの姿のままながら、父であるイナコスとも再会するが、アルゴスはさらに遠くの牧場に連れて行き、自分は高い山に登って腰掛け、四方八方を見張った。
そして可哀想になってきたゼウスは、彼女を救うため、プレイアスとのあいだの子であるメルクリウスに、アルゴスを殺すよう命じる。
メルクリウスは、旅行帽をかぶり、足には翼を装備して、その手には眠りをもたらす魔法の杖を持った。そして天空から飛び降り、大地に着くと、旅行帽子を脱いで、翼も外した。
それから葦笛(シュリンクス)を噴きならす羊飼いのふりをして、牧場を見張るアルゴスの興味をひき、 おしゃべりで時間を潰しながらも、その笛の音色を聞かせて、その見張りの目を全て眠らせた。
メルクリウスは、そのため魔法杖でその眠りをしっかり繋げてから、アルゴスを剣で殺した。
その後、倒れた彼の100の目からは光が消え、すべて闇につつまれる。ヘラはそれらを拾い上げて、可愛がっているクジャクの羽毛につけたという。
太陽神の宮殿と、その玉座
太陽神(アポロン、あるいはヘリオス)の息子であるというパエトンが、父に会いに来た話
「太陽神の宮殿は高々と聳え、きらめく黄金と、燃えるような赤銅で輝く。最上階の破風はまばゆい象牙で飾られ、両開きの門は銀で光る。そして材料より細工の方が勝っている。扉に浮き彫りを施したのは鍛治神ウルカヌス。陸地を取り囲む海に、大地に天という図。
海には、法螺貝を吹き鳴らすトリトン、様々な姿に変身するプロテウス、そのたくさんの腕でクジラたちの巨大な手に捕まっているアイガイオンといった紺碧の海神たち。それに母親に連れられたネレイス(海の精)たちの姿。彼女らはみな同じ顔ではないが、姉妹のように似通っている。
大地には、人間たちと都市、獣たちと森、河川やニンフ、その他の田園の神々。
さらに上に輝く天空は、12宮の内、6つずつが、右の扉と左の扉にそれぞれ見える」 というような太陽神の宮殿の描写に続いて、その中の玉座に座る太陽神と、周囲の者たちの描写がある。
「太陽と太陽系の惑星」特徴。現象。地球との関わり。生命体の可能性
緋色の衣をまとった太陽神の、エメラルドで輝く玉座の左右には、日と月と年と世紀がいる。さらに等しい間隔を置いて並んでいるは4つの季節。
花の冠をかぶった春。
衣を脱ぎ捨て、麦の穂の輪飾りをつけている夏。
踏み砕いた葡萄の色に染まっている秋。
白髪を逆立てている冬。
太陽神は会いに来た息子に「なんなりと欲しいものいうがよい。神々に誓って、その望み叶えてやろう」とまで言ったが、「では1日だけで太陽神の車が欲しい、 その足に翼持つ馬たちを操る権限が」というパエトンの望みを聞いた途端に後悔した。
太陽神は息子を説得するのに、その燃える火を運ぶ車を乗りこなすことの危険さを語る。
「他の神々ですら、それは危険。あの偉大なるゼウスでさえも。前半の進路は険しい登り坂であり、馬たちも進むのに手こずる。そして中央にさしかかると非常に高く、その時に海や陸を見下ろすと、私(太陽神)自身でさえも恐怖を覚えるほど。そして後半の道はかなり急な下りで、確実な手綱さばきが必要だが、下に広がる波間に迎えてくれるテティス女神でさえ、真っ逆さまに墜落してこないのかと不安に駆られるのが常。さらに天空は、さらに高き星々まで道連れに回転を続けているが、火を運ぶ車は、他のもの全てを巻き込むようなその猛烈な動きに逆らって、進んで行かなければならないのだ」
また、星座たちも、特に信仰を邪魔する障害になるらしいが、それはいったい、どのような生物として考えられていたのだろうか。
「八十八星座の一覧」ギリシア神話。プトレマイオス。天文学者の星図
太陽神の足の速い馬たちはピュロエイス、エオーオス、アイトン、プレゴンだが、コントロールも上手くできない。パエトンの無謀な願いは世界の危機にまで発展していく。四方八方に炎を撒き散らし、自分たちもその熱を受けてしまい、さらには世界全体を灼熱で包みそうになってしまったのだ。
エントロピーとは何か。永久機関が不可能な理由。「熱力学三法則」
アイティオピア人は、あまりの熱さに血液が体の表層に引き寄せられ、肌が黒くなった。リビュアの地は、水分を奪われて乾いた砂漠となった。多くの泉や湖が枯れた。海の生物たちは深海に逃げた。
この危機にあって、ゼウスは自らの雷でパエトンを殺し、その激しい火によって、火を制圧したとされている。
その後、太陽神は悲しみ、そのため、日がでない1日があったそうである。
カドモスと5人の戦士
浮気性のゼウスが、可愛らしい乙女を見つけては、無理やりに自分の相手をさせる。そして後から事情を知って嫉妬した妻ユノー(ヘラー)が、その相手の娘を、動物や、時には醜い怪物に変身させてしまう。というパターンは多い。
そして時には、ゼウスのその悪癖が、より広い範囲に問題を広げてしまうこともある。
ある時、大王アゲノルの娘エウロペを、ゼウスは美しい牛のふりをして近づき、連れ去ってしまう。
父は、詳しい事情は知らないまま、行方の知れない娘の探索を、息子カドモスに命じる。
カドモスは世界中を探し回ったらしい。だがゼウスが本気で隠してしまった彼女を見つけられない。父の怒りもあり、国に帰ることもできず、仕方なく別に落ち着く場所を求め、アポロンの案内の神託も受けながら、彼は旅を続ける。
ここで、人の影響のなかった太古の森の洞窟の奥に、隠れ潜む軍神マルスの大ヘビに関しての説明がある。
青黒い体に金色のウロコを持ち、額に突起がある。その目から炎を噴き、全身は毒で膨れあがっている。3枚の舌があり、歯も3列に並んでいる。
カドモスは、かなり巨大らしいこのヘビと、先に遭遇し、殺されてしまった部下の仇を見事討つ。
それから、ヘビの死骸を眺めていたカドモスに、どこからか声が聞こえてくる。「アゲノルの子よ。殺したヘビをどうしてそんなに見ている? お前もいつかヘビ形の姿を見られるであろう」
さらに、彼の守護神アテナが天から降りてきて、大地を掘り返し、そのヘビの歯を巻くように、と言った。 そこから新たな種が生まれるからと。
実際に生まれたのは、すでに武器に身を包んでいる戦士たちだった。彼らはなぜか互いに戦い、ほとんどが死んだ。生き残ったのはわずかに5人だが、アポロンの神託に従うまま、新たな都市を立てるカドモスにとって、彼らはよき協力者となったそうである。
荒々しい気性のケンタウロスたち
向こう見ずなイクシオンの息子ペイリトオスは、ヒッポダメーを妻に娶ると、木々に覆われた洞窟に食膳を並べて、雲から生まれた半人半馬の荒々しいケンタウルスたちを宴に招いた。
ところが、荒々しいケンタウロスたちの中でも、一番凶暴だったエウリュトスが、酒に酔った勢いでもあって、祝福の席にもかかわらず、初々しい花嫁に欲情を掻き立てられ、無理やりに連れ去ろうとした。
その場は大混乱となった。他のケンタウロスたちも、近くの女を自分のものにしようと暴れだす。
そしてテセウスが酒ガメをぶつけ、エウリュトスを殺したために、ケンタウルスたちは怒りの殺意も見せた。
この騒動の時に、祭壇の側に立っていたグリュネウスは、煙をあげているその祭壇を、ラピタイ族の集団の所に投げた。そしてプロテオスとオリオスという2人が潰されてしまった。オリオスの母ミュカレは、呪文によって無理やり月を空から引き下ろすことができた女ということで有名であったようだ。
他にもここでは多くの犠牲が出ている。
トロイア戦争後の描写
犬になった王妃
ギリシア、トロイア側の双方に、多大な犠牲を出したトロイア戦争の終戦より間もなく。
は、人間の姿をも失い、イヌへと変わる。
まだ燃え盛る火が静まりきっていないトロイアで、焼けた神殿に避難していたトロイアの女たちが、勝ち誇るギリシャ軍に戦利品として引き立てられていく中。トロイア最後の王であり、死んでしまったプリアモス王の残された妃ヘカベは、息子たちの墓にて、塚に口づけ、遺骨に別れの口づけをしていた。見るも哀れなその王妃も、オデュッセウスが連れていく。
だがまだ、ヘカベには、娘ポリュクセナという最後の慰めがあった。
ところが、トラキアの浜に船体を停泊させていたアガメムノンの前に、アキレウスの亡霊が現れて、告げる。「ギリシアの軍勢よ。私を忘れて立ち去ろうというのか。私の武勇への感謝は、私と共に土に埋められたと言うのか。そんなことはさせぬぞ。私の墓に敬意をあらわすため、プリアモスの娘ポリュクセナを生贄とせよ。わが魂をそうして慰めるのだ」
ポリュクセナは「ただの捕虜の女ではなく、プリアモスの娘の最後の頼みです。誰を慰めるつもりかはともかく、この血を十分に捧げられた後は、どうか母に、私のことを弔わせてあげてください」と頼み、その願いは叶えられる。
そして「私はあのにっくきアキレウスに殺させるために、たくさんの子を生んだというのか。あのアキレウスは、死してなお我々一族を苦しめるのか。プリアモス、あの人は幸せだったろう、国と共に自分の命まで失ったのだから。こうして残された子供たちの死まで見ずに済んだのだから」と嘆く母に さらに追い打ちをかけるように、最後に1人だけ生き残っていて、トラキア王ポリュメストルの元へ送られて いると聞いていた、末息子のポリュドロスの死体まで、浜に打ち上げられてきたのである。
だが、ヘカベは強い母だった。ただ悲しみのあまり、自らの命を終わらせたりするよりは、怒りをたぎらせた。そして敵を打とうと決意し、報復の手段をひたすらに考えた。
そしてポリュメストルをたずねたヘカベは、この欲深い王に、「実は息子に渡そうと考えている黄金があるから」という口実で面会した。そして「では神に違いましょう。あなたからもらう黄金は、あなたの息子へ全て渡します」 などと堂々と嘘の誓いをするこの王に対し、ヘカベは、捕虜仲間の女たち何人かと一緒に襲いかかった。
そして、王の目玉と、その目があった場所をえぐりとった彼女に対し、トラキアの民たちも怒る。 彼女は石を投げられながらも 唸り声を上げ もはや言葉をしゃべることもできずひたすら悲しみの吠え声を上げるだけのイヌとなった。
ヘカベの運命は、トロイアだけでなく、ギリシア人たちの心をも 悲しませた。あらゆる神々の哀れさえ誘ったという。
メムノンの鳥たち。1年サイクルの不死鳥伝説
トロイアを贔屓していた女神の1柱であったアウロラ(エオス。曙)もまた、アキレウスに殺された息子メムノンのことを嘆いていた。
彼女の悲しみの涙は、後にもひたすら流れ続けることとなり、それがつまり、朝露なのだという。
そしてエオスは、ゼウスにすがりつき願った。「私は天界の神々の中でも低級な存在です。ですが、女ながらも、朝ごとに新しい光を送り、夜をその境界内に閉じ込めておくという、重要な役割を担っています。私に報酬を与えるべきだとあなたもお思いになっているはず。でも私には、ふさわしい栄養を受けたいとう気などありません。それよりも、あの哀れな子、勇敢なるアキレウスの手にかかって倒れた、我が息子の死への手向けに、彼に何がしかの栄養を与えてやってほしいのです。どうか母親の心の傷を和らげてあげてください」
ゼウスは、その願いを願いを聞き入れた。
メムノンを火葬した炎は高く燃え上がって崩れ落ち、渦巻く黒煙、黒い灰が舞い上がって、だんだんと固まって、一定の形をとり、色と生命を火から得た。
そしてあまりの軽さが翼を生じさせ、鳥らしきものが、やがて本物の鳥となって、羽音を立てる。同時に同じ灰からたくさんの姉妹たちも生まれ、それぞれに翼を羽ばたかせた。
姉妹鳥たちは、上空を3度旋回して、3度いっせいに鳴いて空気を震わせ、4度目の旋回で2つの陣営に分かれたかと思うと、それぞれの側から激しく互いを攻撃。嘴と曲がった爪とで、怒りをぶつけ合った。そして戦いの果てに、この、鳥の姉妹たちは葬られた灰への生贄として地上に落ちてくる。その際に自分たちが英雄から生まれた身であることも忘れてはいない。
この鳥たちは、その親である英雄の名にちなみ「メムノンの鳥」と呼ばれる。太陽が12宮をめぐる1年が経過する度に、親の忌日を記念して、鳴き声をあげながら、新たに戦っては死ぬのである。
性転換するハイエナ。空気を食べてるカメレオン
メムノンの鳥たちの話は、いかにも火の灰からその命を生まれ変わらせるという、不死鳥伝説を思わせるが、生まれ変わりに関しては、かなり早いサイクルな気がする。
実際に、物質世界の原理が語られる最後の方で、たった1種、自分で自分を再生する生物として不死鳥(フェニックス)が紹介されている。バルサム木の樹液を食って生きるというその鳥が、生涯を終えた後、カシの木やシュロの梢に作った巣で命を終えて、新たに生まれ変わるまでのサイクルは、500年とされている。
フェニックスはもちろん、そもそも架空の存在である確率が高いが、それ以外にも、いくらか我々が普通に知っているような生物の 、奇妙と思えるような生態も紹介されている。
例えば、ハイエナは性転換が可能であるとか、カメレオンは風と空気だけを食べて生きているとか。また、サンゴは大気にさらされると固くなるが、水の中では柔らかい植物とされている。
アイネイアスの冒険
キルケーが怪物にしたスキュラ
トロイアの希望が何もかも消え失せたわけではなかった。
アプロディーテの子であり、トロイア王家の血もひいている英雄アイネイアスが率いる船隊は、アンタンドロスの港を出て、海を渡り、順風と好都合な潮流とに運ばれ、アポロンの聖地であるデロスの島へとたどり着く。
アイネイアスたちは、デロスの王アニオスに歓迎された後、さらに、100の都市を持つというクレタ島を目指した。トロイア人はクレタ出身のテウクロスの血を引いていることを思い出したから。だがその地の気候に、彼らは長く耐えることができず、今度はイタリア(と後に呼ばれる?)半島の港を目指した。
それからのアイネイアスたちの冒険は、「オデュッセイア」の前半で語られる、英雄オデュッセウスの帰還の旅にわりと似ている。
いくつかの困難を超え、そのうちに、右手にスキュラ、左手にカリュブディスという危険海域にもやってくる。
元は乙女であったスキュラが、怪物になった経緯も語られている。彼女を怪物に変えたのは魔女キルケーだという話。
薬草に覆われた丘に立っている、太陽神の娘キルケーの館は、彼女によって変身させられた様々な獣たちで溢れていた。
そのキルケーの館に、波さわぐエウボイアの海の住人グラウコスがやってきた。彼は、メッサナの市壁に向かい合ったイタリアの岸辺で見た娘スキュラに恋をしていて、その恋をどうしても実らせたく、魔女の力を頼ろうとしたのである。呪文でも薬草でも何でもいいから、とにかく気持ちを彼女と分けあいたいのだと。
ところが、恋の情熱を覚えやすい女であったキルケーは、「そんな女を追いかけるのはやめて、私と一緒になるのはどうか」と提案。しかしグラウコスがあっさり拒否したために、嫉妬の炎を燃え上がらせる。
そしてキルケーは、スキュラのお気に入りの憩いの場を、不思議な働きをする毒で汚した。そしてそこに後からやってきて、腰の辺りまで水に浸かったスキュラは、その体に恐ろしい怪物を宿してしまったのだった。
スキュラはその場に留まり、機会が与えられるや、キルケーへの恨みを晴らすべく、人の命を奪う。オデュッセウスの部下たち何人かも犠牲となった。 しかしアイネイアス一行の船が、そこを通ろうとした時には、彼女は岩礁に変わっていた。今でもその岩は残っていて、船乗りたちに恐れられているとも。
冥界への案内人となった巫女
他、巫女シビュラの導きで冥界に行き、亡き父と話をする場面なども、冥界で、トロイア戦争を共に戦った同士たちと再会した、オデュッセウスの話に似ている。
いくつかの島をこえ、クマエの岸の一帯。沼沢地の洞窟にいる巫女シビュラのもとに来たアイネイアスは、 父の霊に会うために冥界を旅したいと頼む。
巫女は長く目を伏せていたが、しかしいつのまにか狂おしい神がかり状態となっていて、顔をあげて言った。「勲にかけてはこの上もない英雄よ。あなたの武勇は、剣がこれを立証し、あなたの孝心は落城のおりの猛火が知っている。でもあなたの今の願いは途方もないもの。しかし心配はなされるな。あなたは願いを叶えられるだろう。エリュシオン(極楽浄土)の住まいを、空、海に次ぐ第三世界である地下の世界を知って、懐かしい父の霊に会うことができるだろう。この私が道案内をする。高徳の行くところ、全ての道は開かれている」
そしてアイネイアスは、恐るべき冥王の蓄える財産を目の当たりにし、自分の先祖たち、そして老父アンキセスとも会い、これからの自分の運命も聞いたという。
神への変身
アイネイアスは、牧神(ファウヌス)の息子ラティヌスの館に乗りこみ、彼の娘ラウィニアを妻とする。だがそれがきっかけとなり、ラウィニアの許婚であったトゥルヌスが率いる、荒々しいルトゥリー族と敵対することとなった。
トロイア(アイネイアス)側、ルトゥリー(トゥルヌス)側のどちらも、他国からの援助を受け、神々の加護も受けて、戦いは熾烈を極めた。
最終的にその戦いはアイネイアスが勝った。トゥルヌスは倒れ、輝かしい勝利を手にしたアイネイアスの武勇は、神々の心をも動かし、(トロイア戦争でギリシア側に加担していた神々に)かつての怒りをも忘れさせた。
そしてアプロディーテの熱心な口説きまわりもあり、諸神、そしてゼウスも、アイネイアスに神性を与えることに賛同。
アプロディーテは、ハトたちにひかせた車で、ラウレントゥムの岸にやってきた。葦におおわれたヌミキウスの流れが、近くの海に水を注いでいるあたり。アプロディーテはその河に、アイネイアスの 死滅するべき部分を洗い流させ、静かな水路から海へと運ばせようとしたのだ。
角持つ河神は、女神の命令を忠実に実行。そうして、その体に最良の部分だけが残ったアイネイアスに、さらに聖なる香油を塗り、甘いネクタルと混ぜたアンブロシアでその口も拭った。それで、アイネイアスは神となり、ローマの民に国神として、信仰されることになった。
ローマ建国神話への繋がり
この「変身物語」という本の内容のほとんどは、ギリシア神話の中でも、特に色々なものが変身する話を、ある程度全体の流れがひとつなぎになるような感じで並べていっている。というものだが、そのまま流れで、終盤は、ローマの建国伝説の話につながっている。
偉大なる王ロムルス
いくつかの支配者の時代の後、ローマの大地で争いあった、サビニー族とローマ人たちの、どちらにも平等な法をしいた、偉大なる王ロムルスの時代があった。
そして、軍神マルスの願いもあって、そのロムルスもまた、天の神々の仲間入りを果たすこととなる。
天上に連れ去られてきたロムルスの、その死すべき体は、虚空の中で露散。大きな弩から発射された鉛の玉が、空中で摩滅して消えるのと同じような具合に。代わりにロムルスは、礼服をまとったクィリヌスの神像そっくりの、美しい姿を得た。
それから、夫が死んだと思って悲しんでいた、残された王妃ヘルシリアもまた、ヘラに従うままに、女神のイリス(虹)が天へと導いてきて、ロムルスと再会。クィリヌスと結ばれる女神となった。