「アルゼンチンについて」タンゴとサッカー、焼き肉とマテ茶

ブエノスアイレス

アルゼンチンと言えば

 アンデスの豊かな自然。
ヨーロッパからの征服者達が築いてきた、西洋風な洒落た町並み。
サッカーが強い。
哀愁的かつ情熱的な音楽『タンゴ』。

 またアルゼンチンは、他の中南米諸国に比べて、先住民の数が少なく、「征服者が徹底的に破壊した地に、白人が築いた国」という認識の人も多いかもしれない。

 首都『ブエノス・アイレス(気持ち良い空気)』は1536年、ペドロ・デ・メンドサ探検隊長によって建設されたとされている。
当時パラグアイ辺りにあるとされていた「銀の山」を攻める上でのベースキャンプ、軍事基地のようなものだったらしい。
しかし先住民との激しい戦いにより、結局破棄され、1580年に、ファン・デ・ガライ率いる探検隊によって、軍事基地でなく、移住する為の街として再建設された。

 この街は海に接し、貿易市場として栄え、早くから港を手に入れていた者達は、大いに富を築いたという。

 また、かなりヨーロッパ風味な優雅さがあるので「南米のパリ」などともよく称される。

独立までの簡単な歴史の流れ

 アルゼンチン先住民のルーツは、現在はチリとアルゼンチンの国土にまたがった、パタゴニア地方に移住した人々だとされている。

 アメリカ大陸に人が移住してきたのが2~4万年前くらい。
そこはアラスカで、南米地域の端であるアルゼンチンからは遠く、そこまで人が来たのは、さらにずいぶん最近の事になるはずである。
とはいえ紀元前1万年くらいには、既にある程度の人がこの地で暮らしていたされている。
 というのもパタゴニア地域に入るサンタクルス州には、このくらいの時代に人が棲んでいたと思われる洞窟が多く見つかっているのである。
しかも同州北西部には、古代人の壁画が描かれた洞窟まであるのである。
その洞窟は『ラス・マノス(たくさんの手)洞窟』と呼ばれている。
このように呼ばれるのは、狩りなどの様子を描いた絵に加え、手のシルエットが何千と描かれているからである。

 スペイン人がやってきた16世紀時点では、アルゼンチンは、ペルーの辺りにあった大帝国インカの支配をまだ免れていた、あるいは支配に抵抗していた部族もけっこういたとされるが、多くの地域がインカ帝国の影響下にあったともされる。
中西部にあたる現在のメンドサ州くらいまでは、インカの影響がはっきりとあったようだ。
本土から追放されたり、左遷させられたりしたインカ人も多くいたであろう。

 黄金と広大な大陸を求めていた征服者達にインカ帝国は滅ぼされ、周辺地域の先住民達も、征服者達の支配を受ける事になった。
植民地時代を通じて、アルゼンチンと周辺地域の先住民の抵抗はしつこく、そのたびに行われた白人達の血の粛正により、この地の先住民の数はどんどん減っていった。
 ※ただし、少なくとも現在では、アルゼンチン人の半数ほどに、先住民の血が混じっているという遺伝学的な調査結果がある。

 19世紀には、独立意識を高めだした植民地の人々による独立運動が激化。
結局独立には成功するも、地域的な意見の対立もあり、まとめて支配されていた広大な副王領は、ひとつの大国とはならず、いくつかに分裂。
そうして新たに独立国として生まれた国のひとつが、現在のアルゼンチンという訳である。
アンデス横断「アルゼンチンの歴史」ブエノスアイレスと移民達

アルゼンチンのスペイン語とルンファンド

 アルゼンチンの公用語はスペイン語だが、この国では植民地時代のわりと早い段階から、先住民などの影響を受け、多くの特有の俗語が生まれたようである。
そのようにアルゼンチンで誕生した俗語を『ルンファンド』と言う。

 歴史的にヨーロッパ的な思想も多く取り入れてきたので、他の南米諸国よりそれらの影響も強いと考えられる。
またアルゼンチンのスペイン語は、隣国ブラジルとの関わりから(ブラジルの公用語である)ポルトガル語の影響も受けてきたという。

 スペイン語に馴染みのない人には、外来語との違いが少々ややこしいようにも思えるが、案外そうでもない。
日本語で例えるなら「コミック」は外来語であり、もちろん漫画の事である。
このコミックというのは本来英語だが、アルゼンチンでも外来語として普通に使われる。
 一方でルンファンドと呼ばれるスペイン語(アルゼンチン語?)は例えば、日本語で「超めっちゃやばい」とか「(臆病者の意味で使う)チキン」みたいなものであるらしい。

 ビジネス界や、官僚同士の会話では、外来語とルンファンドが入り交じり、市民の感覚的には、どことなくお洒落な感じがするという。
ただし、古くからあるルンファンドには、下品な言葉が多いという話もある。
 このルンファンドばかりを集めた辞典もあるらしい。

タンゴ

 アルゼンチンの音楽といえばタンゴだが、我々の勝手なイメージほど、ブエノス・アイレスの街角でタンゴミュージックが聞けたり、アルゼンチン人は幼少の頃からタンゴのリズムに親しむ訳でもないらしい。
 まあ我々日本人の純邦楽(和楽器の音楽)への関心の低さを考えてみたら、その事も全然納得できるだろう。

 しかしタンゴを愛好する外国人は多いため、タンゴはアルゼンチンという国を、外国にアピールする際の広告塔としても、よく使われている。

 タンゴ発祥の地は、アルゼンチンよりウルグアイの方が有力なようである、
その誕生時期は、まだ植民地時代の18世紀末、打楽器で奏でられる黒人音楽のカンドンベに由来していると考えられている。
当時は騒がしい音楽だと言われ、あまり夜中にうるさいので、支配者である副王から禁止令が出たほどであったという。

 時代が進むにつれ、他の中南米地域の音楽や、スペインのアンダルシア・タンゴの影響も受けて、19世紀には、現在のようなリズムのダンスミュージックになっていたそうだ。

 かつては即興で演じられることも多々あったが、現在では普通にプロの音楽家が、デジタル録音したりする。
流派もいくつかあるようで、適当に聞いてると、どこか寂しげな印象のものと、軽快なリズムの明るいものがあると思うけど、多分そういう流派の違いである。

サッカー文化

 アルゼンチンはブラジルやウルグアイなどと共に、サッカーが非常に盛んな国である。

 ちなみに1930年の第一回ワールドカップにて、優勝はウルグアイ、準優勝はアルゼンチンであった。
また、よく知られているように、ブラジルはワールドカップの優勝数が歴代一位である。

 競争率は激しいが、アルゼンチンのプロサッカー選手ともなれば契約金なども高く、貧民層の子供たちにとっても、サッカーは遊びであると共に、家族を助けてあげるための手段にもなりうる。
もちろんサッカーは裕福な層にも親しまれるスポーツであり、プロサッカー選手の誰もが、成り上がりという訳でもない。

 国民の関心の高さも非常に高いので、過激なファン同士の抗争が問題になる事もあり、仲のよろしくないチーム同士の試合では、会場などの警備体制もそれなりに厳しいものになる。

牛肉大国

 アルゼンチンは世界でも有数の牛肉生産国である。
かつてガウチョ(アルゼンチン含む、アンデス地域などにおいて、17世紀から19世紀くらいに、草原地帯で牧畜などに従事していた、スペイン人と先住民含む多くの民族の混血住民)の主食と言われていた牛肉は、今ではアルゼンチンの家庭の主食となっているのだ。

 他の南米諸国でも、『アサード(塩で味付けた焼き肉料理)』や『ビフェ・デ・チョリソ(塩で味付けた火力強めの焼き肉料理)』などの名物牛肉料理は美味しいと評判らしい。

 ぶっちゃけ少ない味付けでも美味しいのは、やはり肉そのもの品質が非常によいという事だろう。
まさに小細工なしの美味という訳である。

 アルゼンチン人でも、牛肉以外の豚肉や鶏肉を食べる場合ももちろんあるが、やはり国内生産量の違いから、牛肉がお求めやすい価格設定らしく、庶民は基本的に牛肉三昧だという。
 一方、中心となってきたブエノス・アイレスが港街として発展してきたというのに(あるいはしてきたからこそか)、海の幸はもっぱら輸入用に収穫される事が多く、魚介料理の国内人気はいまいちと言われる。

マテ茶

 アルゼンチンの国民的な飲み物として『マテ茶』がある。

 マテ茶とは、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジル、ウルグアイ等を原産とするイェルバ・マテの葉や枝などから作るお茶である。
嗜好品ではあるが、生命の栄養素であるビタミンやミネラルが豊富に含まれいて、「飲むサラダ」と称されるくらいに体によい。
 先住民が起源らしい。

 大まかに、『グリーン・マテ(緑マテ茶)』と『ロースト・マテ(黒マテ茶)』に別れている。
グリーンの方が苦みが強いという。
また砂糖を入れると「マテ・ドゥルセ(甘いマテ)」、入れなかったら「マテ・アマルゴ(苦いマテ)」になる。
名前の意味を見てみると明らかであるが、当たり前である。

 また、金属製のストロー『ボンビージャ(小さなポンプ)』と呼ばれるストローで飲むのが基本スタイルである。
友人同士の間などでは、親睦を深める儀式として、ボンビージャを用いた回し飲みもよく行われるという。
最初の一、二杯が特に苦いために、客を招いた小パーティなどでは、主催者が最初に口をつけるのが基本。

ビベサ・クリオージャとは何か?

 アルゼンチンには、『ビベサ・クリオージャ(クリオーリョの手際)』な気質が根付いていると言われる。
これは端的に言えば「抜け目ないずる賢さ」といった意味合いであるが、なぜそんな風に言うのか?

 クリオーリョというのは、新大陸出身の白人の事で、植民地時代に、ヨーロッパの本国出身の白人と区別する為に、用いられていた。

 征服の時代、未開拓のアメリカ大陸にやってきた多くのヨーロッパ人は、貴族とかでなく、一獲千金を狙う貧民層の者や、本国ではまともに生きていけない、ならず者や犯罪者まがいの連中ばかりであった。
しかしそのような者達でも、アメリカという新大陸で、征服した地域では、先住民から富と土地を奪う事で、まるで貴族であるかのように偉くふるまえたのである。
彼らはまた、本国から後からやってくる真の権力者達から、少しでも手に入れた土地を守る必要にも迫られた。
 そのようなならず者貴族のふるまいが、ビベサ・クリオージャという言葉の起源だとされている。

 アルゼンチンに根付いているというビベサ・クリオージャ的な精神とは「友人と家族以外は信用するな」だと言われる。
 これは極端な個人主義みたいなものかもしれない。
 しかしよく言われる友人以外うんぬんというのは、社会とか国家とかよりも、身近な友情を重んじる美徳とも言える。

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